DFラインと書いてあるのを見て普通にドールズフロントラインのことかと思ってしまった
DFラインと書いてあるのを見て普通にドールズフロントラインのことかと思ってしまった
#マストどすinfo 9/1〜9/9まで京都府下3ヶ所に初代ちどりステッカーを設置&配布しますチュン!詳しくはこちら → https://7-nana.github.io/2018/09/01/First-Chidori-Sticker-Hant/
京大学術出版会のサイトが401になってる
http://www.kyoto-up.or.jp
昨日リニューアル中でないかみたいなことを言っている人はいた.
https://twitter.com/nekonoizumi/status/1035542753680142339
以前ならば外国の図書館に出向かねばならなかったような写本がWeb上で閲覧できるようになり,19世紀までの印刷本がGoogle BooksやInternet Archiveその他で利用できるようになった結果,前世紀に出版された,おそらく小部数しか出なかったであろう高度に専門的な書物や未だ電子化されていない学術論文が一番アクセスしにくいという逆転現象が起きている.
どうでもいいことですがスケジューラを大文字でSchedulerと書かれると一瞬ドイツ語っぽく見えませんか
画力課題は山積だが
• 線が汚い
• 対象物の構造についての理解の欠如
あたりが致命的
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鳥に流れてくるドルフロ絵に書かれたハングル文字が読めないの割と緊急性のある案件なのでなんとかしなくては
Farrington, B.(1955), `The meaning of persona in De rerum natura III 58', Hermathena 85: 3-12.
nam verae voces tum demum pectore ab imo
eliciuntur <et> eripitur persona, manet res.
というのもそのときこそ胸の奥底から真実の声が引き出され,
<そして>仮面が剥ぎ取られ正体が残るのだから.
におけるpersonaは通例舞台の比喩として捉えられるが,そこにはむしろ人格・階級(地位)という社会的な意味を読み取るべきであるとする論文.
この解釈は,公的な生活から背を向ける個人主義的なエピクーロス派の思想とマッチしないように思われるが,著者はルクレーティウスが法律や社会制度に関する言葉づかいをしている箇所があるとし,また直前の文脈で語られている死への恐怖が人々をして競い争い合いながら生を送らせるものとして描かれていたことから,そこには死への恐怖がエピクーロス哲学において持つ社会的な意義が見出されると指摘する.
パナイティオスのpersona論が導入されたローマにおいてこの言葉が帯びる社会的な意味合いは当時の知識階級にはよく理解されたはずなので,そういう馴染みある語彙を比喩として交えながらしかし最終的にはエピクーロス哲学へと導く,という戦略をルクレーティウスがとっていると考えるのは不可能ではなさそうだから面白い指摘だと思う.
ただこの場合でもpersonaという語は同じなので解釈としてnot the actor's mask, but the civic personとnot ... but で一方的にしてしまわずnot only ... but alsoくらいで両方の含みを考えてもよいかもしれない.実際ストア派の場合には両者を重ね合わせた表現が見られるようになっていくので(https://gnosia.info/@ncrt035/99586297012052822 ).
Edwards, C. (2002), `Acting and Self-actualisations in imperial Rome: Some death Scene', in Greek and Roman Actors, Cambridge University Press: 377-394.
人間の社会生活を劇・舞台に喩えること自体は古いものだが,特にこの考え方はストア派,なかでもパナイティオスのpersona論(これはキケローが『義務について』の中で論じている)が導入されたローマにおいて大きく展開される.つまり舞台における役者の「仮面persona, πρόσωπον」とこの世界の中で各個人に割り当てられる運命とが重ね合わされ,賢者が自分に相応しい役を演じきる優れた役者に喩えられたり,常人の一貫性のなさが様々な仮面を取替え自らを偽る様に準えられたりする.
そしてこの生を劇と捉える考え方はストア派にとって重要なテーマである死(特に自殺)を論じるにあたっても用いられている.こうした「舞台の比喩」が特に帝政期ローマの哲学著作においてどのように使われているかを取り扱った論文.
ところで58行の最後はOQなどの写本でmanareになっていて,manet resを伝えるのは15世紀の少数の写本のみ(画像はF = Laurentianus 35,31: 40v).
🎉 Mastodon 2.5.0 🎉
Changelog: https://github.com/tootsuite/mastodon/releases/tag/v2.5.0
Highlights:
- Federation relays
- New profile design
- Remote interaction dialog
- Replies count in web UI
- Feature friends on profile
- Higher video upload limit
- Improved mod tools
- Admin dashboard
- Read-replica support
- Command-line interface
Valvo, M.(1956), 'Considerazioni su Manilio e l'ermetismo', Siculorum Gymnasium 9: 108-117.
マーニーリウス『アストロノミカ』とヘルメース文書(Coprus Hermeticum)に現れたヘルメース思想との共通点を考察する論文.人間の知性及びその能力と神的存在との間の関係性をどう捉えるかという点で特に両者の間には一致した表現や考え方が見出され,そうした並行箇所を収集している.
アプデ作業は明日やるか… まだ雷雨もありそうだし今日は一日鼻水とくしゃみがひどい
ふむ 「サマータイム切替時間中に作成したファイルでは、lsでは一見同時刻に見えるファイルが実は異なる時刻に作成されていたということが有り得る、ということです。Unixのファイルシステムはepoch(1970年1月1日0時0分0秒UTCからの経過時間)で時刻を測っているので一貫性は常にあるのですが、ローカルタイムが変更されうるという状況は、こういう面倒な事象を引き起こすということなのです」
CentOS7でJDTを試してみた – さくらインターネット研究所
https://research.sakura.ad.jp/2018/09/03/centos7-jdt/
【Mastodon v2.5.0アプデメモ】docker-compose build後,リリースノート(https://github.com/tootsuite/mastodon/releases/tag/v2.5.0 )を見ながらまずdocker-compose run --rm -e SKIP_POST_DEPLOYMENT_MIGRATIONS=true web rails db:migrateを走らせてstop && upした後,再度docker-compose run —rm web rails db:migrateした.
というか後でこういう情報が要るようになるときはfediverseにアクセスできないときなので鳥にもメモを投げとこう
このlepus, leuipesのケースはクィンティリアーヌス『弁論家の教育』の中にも言及があった.
iam sit et 'classis' a calando et 'lepus' 'leuipes' et 'uulpes' 'uolipes' (Quint. Inst. 1.6.33)
ルクレーティウスが「戦神マールスMars」の古形(Mavors, 1.32)を「死mors」と関連付ける意図で用いているのではないかという指摘を何で読んだか思い出すのに時間がかかった.Loeb版の註釈の中でその点を指摘した文献に参照が回してある.
Wormell, D.E.W.(1961), `Lucretius: The Personality of the Poet', Greece & Rome 7.1: 54-65.
He (= Mars) is also a symbol of disintegration, and indeed of death: it may well be that Lucretius uses the archaic form Mavors here, and only here, in order to underline the connexion between Mars and Mors. (p.61)
でも改めて考えてみるとアエネーアースの母はウェヌスで,ロームルスとレムスの父はマールスなのでローマの礎には愛の神と戦の神が深く関わっているわけだ.
@plinius
そうなんですよね.詩の中だとオウィディウス『変身物語』最終巻でカエサルの神格化を扱う際,カエサル暗殺計画を知って動揺したウェヌスにユッピテルが「運命」の定めるところを語りかけるシーンがあります.
参照ページに引きずられて出版年を間違えてしまった.正しくは1960年の論文.
@plinius あとカエサルの神格化に関しては,彼の没後オクタウィウスが見世物を行った際に現れた彗星が,彼の魂の天に迎え入れられた印と捉えられたのも神の裔カエサルが神となって天へ上るイメージにとって重要な出来事のひとつですね(スエートーニウス『ローマ皇帝伝』「カエサル」88).
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素晴らしい指摘だ「おじさんが美少女になると「じぶんにじしんがない美少女」というオタク特攻存在になる」|https://twitter.com/nishikawa_huton/status/1037657763520765954
駱駝でデザート注文するタイミングがいつもつかめなかったのだが今日はじめてマンゴープリン食べたらとても美味しかった
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写真がいっぱいあってどれもかっこいい | 中2病を実現?! さくらインターネット石狩DCを、はてなのエンジニアが見学してみた - はてなニュース
http://hatenanews.com/articles/201112/6733
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ラテン語表記を略すのに`lat`を使ったら緯度表記にも`lat`を用いていたのでぶつかってしまった
久しぶりにニャル子さんのアニメ観たら面白かったんだけどなんか懐かしくて泣きそうになってしまった
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手元の技術書や技術雑誌を50冊くらい調べてみたけど、意外なことに「,」「.」は1冊しか見つからなかった。1985年刊の『UNIXシステム』のみ。あとはK&Rが「,」「。」だった。
博士論文を書籍にして販売するよりリポジトリで公開する方が「公」への貢献度高い気がするけど,前者の方が高級ということになってる風なの🤔
頒布にかかるコストが高くて無料では困難だった時代の名残りと、書籍にすると出版社のレビューが追加で入るとかその辺りではという気はする
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昔なら大学の紀要はアクセスできる人・環境が限られていただろうけども,機関リポジトリなどが充実したおかげで,むしろ高額な(そしてしばしば絶版になった)単行本よりも公開されている紀要論文の方が読まれるような逆転現象が起きているのではという話を以前見た気がするので探したら出てきた.
https://twitter.com/shintak400/status/937591343466999808
PAN. Rivista di Filologia Latina
https://www.unipa.it/dipartimenti/cultureesocieta/riviste/pan/
昔ドナルドのさんすうマジックでドナルドがビリヤードする時に滅茶苦茶な計算をするシーンがあった気がするけど完全にあれになってる
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英語にピタリと訳せないロシア語9つ.|9 Incredibly Useful Russian Words With No English Equivalent
https://www.businessinsider.com/untranslatable-russian-words-2014-4
тоска(研究社の露和辞典を引くと《憂うつ,哀愁,憂愁,愁い,ふさぎの虫》と一つ目の意味には出る)については沼野先生が「タスカー考――「ふさぎの虫」から「せつない」へ」というのを2012年の『文学』7・8月に書いておられた.
たのしい
Medieval Fantasy City Generator by watabou
https://watabou.itch.io/medieval-fantasy-city-generator
これは出たら入手したいな,高いが.
Griechisch-byzantinische Handschriftenforschung
https://www.degruyter.com/view/product/429896
Baldini Moscadi, L.(2005), `La Medea maniliana: Manilio interprete di Ovidio', in Magica Musa: La magia dei poeti latini figure e funzioni, Bologna: 103-110.
マーニーリウス『アストロノミカ』にはメーデイアへの言及が第5巻に2度,第3巻に1度見られる.それらが語彙・内容的にオウィディウス『変身物語』『名婦の書簡』をモデルとして持つという議論.
(※内容としては1993年Prometheus誌(19: 225-229)掲載論文に基づくもの)
http://www.fupress.net/index.php/prometheus/article/view/16836/15718
本筋から少し離れるが,改めて数字で見せられるとえげつないな.「運営費交付金だけで824億円.京都大学は544億円(いずれも2017年度予算),その比率は『東大の3分の2』」
異見交論55 「東大の見識を疑う」安西祐一郎・中央教育審議会前会長 : 異見交論 : 大学の実力 : 読売教育ネットワーク
http://kyoiku.yomiuri.co.jp/torikumi/jitsuryoku/iken/contents/55.php
万年筆といえば夏目漱石の「余と万年筆」わりとおもしろいしかなり短いし青空文庫にあるから読んでね。一人称がだんだん崩れて出だしの余とかいってる張り切りが消えていってるし買ったけど個人的に合わなかったものについて綴ってるガジェットオタクのブログ記事みたいな風情があって面白い
渋のプロフィールページから直近のアズレン絵が表示されなくなってるがもしかして不適切認定された?
今読んでいるドイツ語の本が本文中に頑ななまでにイタリック体を使わないのでラテン語が引用されても見た目上変化がない.
もちろんドイツ語が書いてあるのかラテン語が書いてあるのかなど読めばすぐわかるのだが,長く読んでいるとこういう小さなストレスが積み重なっていくのを感じる.
「エウリーピデースは大地を夢の母と呼んだ.その理由は――古註家によると――大地から食物が得られ,食物からは眠りが生まれ,そこから夢が生じるから」
Euripide chiamò la terra madre dei sogni, perchè dalla terra, dice il suo Scoliaste, si hanno i cibi, dai cibi si genera il sonno, da questo il sogno.
(レオパルディ『古代人に共通の錯誤について』第5章より)
手元にあるレオパルディのテクストにはこの箇所に関する註釈は何もないが,エウリーピデースが大地を夢の母と呼んでいるのは『ヘカベー』70-71行
ὦ πότνια Χθών, μελανοπτερύγων μᾶτερ ὀνείρων,
《主なる大地よ,黒き翼の夢の母よ》
のことだろう.
つい忘れてしまいそうになるが条件文が仮定的な条件そのものを表すのではなく事実を表していて主文章に対する根拠・理由を意味することがある.
#4 園児ニア、関宮ひかげの日常 https://youtu.be/j4GBeqNPmVg
アンミアーヌス・マルケッリーヌスはポセイドーン(ネプトゥーヌス)が地震の神とされていることを,地震の原因が蒸気や過度の降雨など水によるものであることから説明しようとしている.
qua de causa terrores huius modi vaporatis temporibus aut nimia aquarum caelestium superfusione contingunt. Ideoque Neptunum umentis substantiae potestatem Ennosigaeon et Sisichthona poetae veteres et theologi nuncuparunt. (Amm. Marc. 17.7.12)
このため,この種の恐ろしい事態(=地震)は,蒸気の多い季節や天からの過度の降雨の際に生じる.それゆえ古の詩人や神学者たちは,湿った実体(=水)の権能たるネプトゥーヌスを「大地を震わす者」とか「地面を揺さぶる者」という名をつけたのである
単身でカレー作るとひたすらカレー食べ続けることになるのプレイ人数間違えてる感があるな
ベクター消しゴム便利なのは違いないが,結局そもそも綺麗な線が引けない雑魚なので制御点をちまちまいじる
「個人的なデータなら問題はないだろうと思えますが,それでも個人史や地域史などで将来貴重な史料になる可能性もあるので,保存しておくに越したことはありません.ほとんど家族ばかりを撮ったデジカメのデータに地域の伝統行事の写真が残っていて,後世への記録として役立つかもしれないからです……将来の歴史学者から見れば,デジタルデータが失われた期間は社会や文化を知る資料が欠けた空白の時代になりかねません」
池内了「デジタル暗黒時代の到来?」『天文ガイド』2018年10月号
プライベートで勉強しないと生き残れないのか,研究職についても似たことが言えそう.研究と勉強は全く別物だけれども研究は絶えざる勉強に支えられていないといけないという.
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だーいぶ前に学部生から,外国語の,普通程度の長さの論文ならばまだしも数百ページある単行本を読むのはつらいものがある,というような話をされたのを思い出した.どう答えるのがよかっただろう.
しっかりした研究書ならひとつひとつの章が,さらにその中の段落段落がやはり一定の独立性を持っているので,そういう小さい単位に分けて読んでいくと心が折れない.
専門性の高いものだと同じ本の中でも読み手の関心や問題意識に合致する部分としない部分が出てくるので,必ずしも全体を常に同じ緊張感と集中力で読む必要はない.
……というあたりのことを言えばよかったかなと今なら思う.
今度の『現代思想』10月号が「大学の不条理」という題で(http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3209 ),「大学の○○」はもう何度か見たなーと調べたら結構あった.最近の傾向を見ると大学関係者がナーバスになる時期に特集されてる?
2016年11月号 特集=大学のリアル
2015年11月号 特集=大学の終焉
2014年10月号 特集=大学崩壊
2011年12月号 特集=危機の大学
2009年11月号 特集=大学の未来
2008年9月号 特集=大学の困難
1999年6月号 特集=大学改革
🤔 わかりやすい極左・右翼・日本共産党用語集
https://www.amazon.co.jp/dp/480371536X
arXiv, 最後にeがないからか何故かドイツ語として認識して「アルヒーフ」って読んでたが普通にarchiveと同じ発音なの…
Vz 61をWikipediaで調べたところから「赤い旅団」にいき「日本赤軍」にいき,としていた.
あらゆる事物を書物の中に包摂しようとするのが従来の百科事典の企てだったとすると,存在しない項目のリンクを踏むことで新しいページを開いていくWikipediaの形式は,限りなく広がっていく人類の知を,そのあり方ごと表しているとも言える(?)
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P. BurkeのA Social History of Knowledgeの第2巻(2012年)がFrom Encyclopédie to Wikipediaという副題なのでちょっと読んでみたい
https://books.google.co.jp/books?id=y9Y55lZpklYC
どう(書|描)いているかのアートを見ているのに,何を(書|描)いているかのモラルで規制されるの納得いかないものがあるな.
なるほどね.「岡口裁判官は取材に対して『これはパワハラである』と述べているそうです.心痛は察して余りありますが,パワハラの問題と同時に,この岡口裁判官への処分騒動が司法権の独立(憲法76条3項)を侵害しているのではないかと庶民としては気になります……今回の岡口裁判官の事案は.司法権の独立の観点から,東京高裁が自分で自分の首をしめているように思われます.最高裁大法廷の理性のある判断が望まれます」
裁判官はツイッターの投稿内容で懲戒処分を受けるのか?-岡口基一裁判官の事案 : なか2656のblog
http://www.naka2656-b.site/archives/12091557.html
岡口さんみたいな人こそFediverseで個人鯖立てて活動してほしい感あるが,まぁないだろうな…
Grossmann, M.(1988), Colori e lessico: studi sulla struttura semantica degli aggettivi di colore in catalano, castigliano, italiano, romeno, latino ed ungherese, Gunter Narr Verlag.
Beta, S., Sassi, M.M.(a cura di)(2004), I colori nel mondo antico. Esperienze linguistiche e quadri simbolici. Atti della Giornata di studio (Siena, 28 marzo 2001), Fiesole, Cadmo.
古代の色彩語彙に関する研究が含まれているらしい文献が今世紀に入ってから出ていたようだ.
ラテン語の色彩語彙に関しては,
André, J.(1949), Étude sur les termes de couleur dans la langue latine, Paris, Klincksieck.
を見ることが多い.
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というか「サイバネティクスcybernetics」ってギリシア語の「舵取りをする,操縦するκυβερνάω」からくるものなんだよな(cf.「操舵術ἡ κυβερνητική (τέχνη)」)…
改めて両者のつながりを意識することがなかった.
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かつてラテン語講読の授業に工学部の学生が出席してたことがあったがよくできるし質問もするしでむしろ講座開いてる側がちゃんと関心に応えられているのかって感じもあった.
「男性と長年交流のあった元九大教授の木佐茂男弁護士は,男性の心中をこう推し量る.『彼は純粋に研究する場が欲しかったはず.労働と研究の両立が困難で,思いあまったのかもしれない.(学舎と)一緒に灰になってもいいと思っていたのではないか』」
九大箱崎キャンパス火災 元院生の男性 放火し自殺か 身元判明、福岡東署|【西日本新聞】
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/450029
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九大箱崎キャンパス放火・自殺事件~「貧困」という切り口から見えてくるもの(みわよしこ) - Y!ニュース https://news.yahoo.co.jp/byline/miwayoshiko/20180917-00097130/
本を読み始めたのですが、まえがきにあった
「はるか昔、JavaScriptはカーソルにキラキラ星を追尾させるのが主な仕事でした。」
という一節で腹筋が崩壊しかけた
Aeschyl. Pers. 994 Μυριόνταρχον] μυριόναρχον Rob. Vocabulum ex glossemate illatum. Scribi a poeta potuit μυριοταγόν. μυριάδαρχον Blomfieldus. (Dindorf 1841)
https://books.google.co.jp/books?id=Gm1HAAAAYAAJ&lpg=PA558&ots=l00HOtIz7_&dq=Dindorf%20Aeschylus%20Tragoediae%201841&hl=ja&pg=PA315#v=onepage&q&f=false
Pökelの古典学者辞書.
Pökel, W(1882), Philologisches Schriftsteller-Lexikon, Leipzig.
横のものを縦にしていく作業はどうしても「〇〇的」という訳が多くなってしまうので,どうしてもそうとしか訳せない・そう訳すべき箇所のために「〇〇的」は温存しておいて,別の選択肢があるところはなるべくそちらを採る方が無難.
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デジタルアーカイブで欧米に後れ 法制度化目指し弁護士らが骨子案を公表 - 弁護士ドットコム
https://www.bengo4.com/internet/n_8565/
書いている文章の中でものすごくナチュラルに「アクセシビリティ」とカタカナ語を使ってしまったが置き換えるとしたらどういうのがあるかな
ウィキペディアの冒頭には国立国語研究所の『「外来語」言い換え提案』から「利用しやすさ」というのが引かれていた.意味する範囲が狭まってしまう感があるので悩む.
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%B7%E3%83%93%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3
もとの『言い換え提案』の方を見に行くと意味説明として「情報やサービスなどが,高齢者や障害者も含めてどんな人にも利用しやすいこと」とあってその他の言い換え語例として「使いやすさ 接続しやすさ 近づきやすさ 利便性 交通利便性 交通の便の良さ」が挙がっている.
「近づきやすさ」が一番の直訳なので意味する範囲としては一番精度が高いので一票入れたいが,具体的な文脈に当て嵌めると表現としての自然さを犠牲にすることになる場合が出そう…
技術コンテンツの流通に「橋」をかける ── ITエンジニアが本を書き、そして作ること https://geek-out.jp/column/entry/2018/09/20/110000
Wiik, M(2002), 'The Excursus in the First Song of the Georgics and Vergil's Didactic Technique', Symbolae Osloenses 77: 114-127.
ウェルギリウス『農耕詩』第1巻結びに現れる予兆のカタログを取りあげ,詩人が用いたこのカタログという手法を教訓的な詩のジャンルという視野から分析する.宇宙への思索へと進むための出発点として農耕という具体的活動が据えられていると考える著者によると,この予兆のカタログはそうしたウェルギリウスの指針をよく表しているという(it(= the catalogue of portents) proclaims the intimate contact between the farmer’s knowledge and the all- pervasive cosmic forces.(p. 118)).また,凶兆によって示唆される戦争(内乱)と農耕の相反,更には重要なモデルであるルクレーティウスとの間の,「予兆」を巡る態度の違いも論じられる.
Lightfoot, J.L.(2008), 'Catalogue technique in Dionysius Periegetes', Ramus 37 (1-2) : 11-31.
2世紀頃にディオニューシオス・ペリエーゲーテースが書いた『世界の案内』という地誌学的内容の詩を取り扱う論文.この作品のおかれた文脈に関する主要な問題として(1)帝政期におけるヘレニズム文学の受容,(2)地誌学的著作の歴史という2点があり,『イーリアス』第2巻の軍船のカタログがディオニューシオスに及ぼした影響を考慮することでこの2点の問題に光を当てる.すなわち,ディオニューシオスによるホメーロスノカタログ受容は直接的なものではなく間接的で,それを後代のさまざまな地誌著作と混合させられているという.
「の」がカタカナになってる... (´・_・`)
同じ著者による本文・英訳・註釈書が2014年に出ています.
Lightfoot, J.L.(2014), Dionysius Periegetes
Description of the Known World With Introduction, Text, Translation, and Commentary, Oxford University Press.
https://global.oup.com/academic/product/dionysius-periegetes-9780199675586
是非はともかくとして「スマホに教え込む」というのはおもしろい感覚だ.
「このように投稿をタップすることは,自分の興味あるものをスマホに教え込んでいるという意識が直感的にあって,相手の投稿であれ、企業の広告であれ,自分に有益なものは平等にタップしている」
最近の10~20代は欲しい情報を都度、検索しない。若年層の中で流行っている情報収集術とは? – モジュールアップス – ModuleApps
https://moduleapps.com/mobile-marketing/13916rpt/
「コンピューター」より「コンピュータ」派.でも「プラトン」より「プラトーン」派.
……と言いつつも,古典語固有名詞の音引きをつけるのは何か拠って立つ思想があってというよりは,阿呆なのでよくどこが長いんだったか忘れるから調べ癖をつけるためにやっているに過ぎず,一文書の中で統一が取れてさえいればどちらでも構わないと考えている.
「プラトーン」くらいならまだしも「ソークラテース」とか「トゥーキューディデース」を繰り返されると目に煩いというのは尤もだし,字数の制限がシビアな場合は音引きを除けば後者なら3文字も削れる.
BibLaTeXの文献スタイルファイルでよさ気なのないかなと思ってCTANを検索してたら見つけた.
biblatex-philosophy – Styles for using BibLATEX for work in philosophy
https://ctan.org/pkg/biblatex-philosophy
今週も連休であることを今思い出した(´・_・`)
どっか行こうかな, 天気が不安だけど
絵とかの場合だと自作の見直しは割と楽しくて,ミスや改善点を見つけても「次描くとき意識しよう」って思える一方,文章に関しては不手際を見つけると「こう書くべきだった」という過去の義務ばかりが意識されて気持ちが塞ぐんでしょうね多分.
半年くらい前にこのように言っていたけれども最近は,以前書いた文章(の抜き刷りとか)に対する修正や補遺・追記を欄外に書き込んだり,書きつけた紙を挟んだりとかをし出したので,状況が変わってきたのかもしれない.
何か昨日のbiblatex-philosophyのサンプルを手許でタイプセットしようとしたらbiblatex-philosophy.bib内の\textsubscriptのところにundefined control sequenceと起こられが発生してアレ(そこだけ書き変えたら通った)
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ところでこの「イタリア式」の文献表書式は,イタリア学会の執筆規定(http://studiit.jp/studiitalici.html )にあるものもおおよそそのようになっているけれども,カッチリこの通りに書かれた文献表のついた本というのはそんなに見なくて本によってかなりバリエーションがある気がする(単に記憶に残ってないだけかも)
普通雑誌掲載論文は論文名を‘ ’で括って雑誌名をイタリックにするが,この方式だと論文名も書籍と同様イタリックにして雑誌名を« »で括るというやり方になるなど結構違いがある.
O.Weismantel, Die Erdbeben des vorderen Kleinasiens in geschichtlicher Zeit, Diss. Marburg 1891.
9ページに前500年から1890年までの小アジアでの場所ごとの地震の表がある.
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ガレーノス『自著について』第1章(キューン版14頁)に,ガレーノスがエラシストラトスの著作への反論を述べた際,ある友人がそれを記録したいので「記号を用いて速記する訓練を受けた人」(土屋訳)を送る云々という箇所がある.
速記法やそれに携わる人への言及の一例.
#Galenus
マーニーリウス『アストロノミカ』4巻にも,略記号を駆使して速記することを生業とする人々の存在が証言されている.
hinc et scriptor erit velox, cui littera verbum est
quique notis linguam superet cursimque loquentis
excipiat longas nova per compendia voces. (Man. 4.197-199)
ここ(=処女宮)からはまた速記者も生まれるだろう.この人には文字が語となり,
弁舌を記号で凌ぎ, 流れるように話す言葉を
真新しい略号によって書き留めることができるのだ.
ところでこの箇所を扱った論文にRubensohn, M.(1892), `Ein römischer Dichter über Stenographie (Manil. 4,197ff.)' Allgemeine Deutsche Stenotachygraphenzeitung 5, 169f.があるのですが雑誌名が『一般ドイツ速記者新聞』というような意味なので「そんな新聞があったの…」と思った.
SoftwareDesign最新号のGitHubの特集、OSSプロジェクトへの参加の仕方やPRの方法、Issueの書き方まで、手取り足取り解説されてて、初心者にとても有用そう。
tmuxの記事も、今まで読んだどの記事よりもわかりやすいと思う。
久しぶりに少しオランダ語の文章を読むので講談社のオランダ語辞典を出してきた.
序に日本における蘭日辞典編纂の略史があって読んでたら時間が経ってしまった.
長崎の通詞団の間で世襲的に伝えられてきたオランダ語の知識が,貿易の用途だけでなく医学をはじめとした洋学の摂取の契機となり18世紀後半から19世紀前半にかけてオランダ語の需要が高まる黄金期をなしたこと,大槻玄沢やヘンドリック・ドゥーフによってハルマの蘭仏辞典をもとに辞書(前者は『江戸ハルマ』後者は『ドゥーフ・ハルマ』)が編まれたこと,その後は主として鎖国時代の対外関係やインドネシア関連の研究に携わる人々が専門的にこの言語を学んできたことなどが書いてある.
読んでた.おもしろい.
【インタビュー】定理をいきなり思いつくってホント? - 「数学者」に話を聞いてみた - ライブドアニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/10995740/
「「○○ならば××」という形の証明の必要な主張を「定理」と呼びます。「定理を思いつく」というのは面白い仮定「○○」と結論「××」のペアに気づくことを言います。この段階では正確には「問題を思いついた」と表現すべきでしょうが、証明できたことにして、先走って「定理を思いついた」と言ってしまうことがあります。もちろん、ちゃんと証明もできた後は「定理を思いついた」と堂々と言っています。一方、「○○ならば××」という主張は先にあって、その証明をしようとするときに、計算の難しさなどの理由で、途中で行き詰まることがあります。その証明の困難を突破できたときは「定理が得られた」や「定理の証明を思いついた」という表現になりますね。」
岩波文庫(1995年)から原文です.
「数学が演繹的であるというが,それは既成数学の修業にのみ通用するのである.自然科学に於ても一つの学説が出来てしまえば,その学説に基づいて演繹をする.しかし論理は当り前なのだから,演繹のみから新しい物は何も出て来ないのが当り前であろう.若しも学問が演繹のみにたよるならば,その学問は小さな環の上を永遠に週期的に廻転する外はないであろう.我々は空虚なる一般論に捉われないで,帰納の一途に精進すべきではあるまいか」(『近世数学史談』「書かれなかった楕円函数論」p. 69)
栗原さんがシュティルナーの話ししてるじゃん.この本は把握してなかったので今度買おう.
「とにかく、「役に立たなければ」「評価される人間であらねば」という思いに縛られている。まるで奴隷のように。でも、それって本当にそれほど大切なことなのか?疑問に思いませんか?……『何ものにも縛られないための政治学――権力の脱構成』で紹介したドイツの哲学者、マックス・シュティルナー(1806‐1856年)は、100年以上も前にその疑問に答えています。かれは、いまいった問題について、「人道的自由主義」という言葉で批判をしています。」
昔書いたシュティルナー紹介のような何かです(もう4年前だよ,びっくりだね!)
https://www.stromateis.info/zib/stirner.html
これ「誰か『Mastodonとシュティルナー――個人インスタンス=唯一者(der Einzige)とその交通(Verkehr)――』みたいなタイトルで論文書いて」
https://twitter.com/ncrt035/status/943467108259708929
マンガで学ぶ AWS 『なな転び八起の AWS 開発日記』| AWS
https://aws.amazon.com/jp/campaigns/manga/intro/
AWSがこんな漫画連載をはじめていた。
なるほど🤔
「尾道宇宙漁業団 尾道には造船所が多くロケット技術への転用が即時可能だったため、水産省が「尾道宇宙漁業団」を設立した」|TVアニメ『ソラとウミのアイダ』2018年10月放送開始!
http://soraumi-anime.com/introduction/
慣用句の「なし崩し」6割超が別の意味で使用 | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180927/k10011645551000.html
セリーヌのMort à creditの邦題が『なしくずしの死』だったのを思い出した.
「題名Mort à creditのà creditとは,信用買い,いわゆるクレジットのことである.どなたの訳か不明なまま,すでに定着した名訳なので,そのまま踏襲させて頂いた」(高坂和彦訳『なしくずしの死 上』国書刊行会 1978年.訳者解説p.304)
ヒースのギリシア数学史は邦訳があるし買おうかなぁという気持ち
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784320015883
CA1935 - プロダクション・アイジーの現場から見たアニメーション・アーカイブの現状と課題 / 山川道子 | カレントアウェアネス・ポータル
http://current.ndl.go.jp/ca1935
久しぶりに植物園に行ったら台風の影響で針葉樹林などがダメージを受けていて立ち入れなくなっている箇所も少なくなかった
『現代数学』2017年8月号に載ってる三浦伸夫先生の「歴史から見る数学 数学から見る歴史」(第28回)が科学史家ノイゲバウアーの生涯と彼の数学史研究の変遷を扱っていてとても面白いですよ.
はじめこそエジプト数学を研究していたものの現存資料の豊富なバビロニア数学に興味を移していった彼は,当時の「近代科学の起源はギリシアにあり」という風潮に対して,ギリシア数学の始原はバビロニア数学まで遡るという衝撃的な議論を展開したらしい(今では,バビロニアからの影響は,資料的検証ができないので論じ得ないとされているようですが).
あとノイゲバウアーが,従来のギリシア数学史が幾何学偏重であるとして,知恵や幾何学より計算術を優れたものとしたアルキュタスの言葉を取りあげ,ギリシア数学の本領はむしろ計算法にあると考えていた,というのも興味深い.(p.74)
ちおちゃんの通学路,小見川さんが出てるわーって見始めたら,終始非常に面白くて楽しめましたね.
崇文荘から来たカタログにチェックだけ入れて結局買わないのをもう何遍も繰り返してる
革命には暴力が必要なので筋肉で勝利していく奴らを滅ぼすためにはそれ以上の筋肉が必要というアポリアがある
完全にゴジラと同じ扱いで笑った(笑えない)
[サマータイムとうるう秒と2038年問題]( https://www.slideshare.net/tetsutalow/2038-117246819 )
A.Forbigerの古代地理学ハンドブック
Forbiger, A., Handbuch der alten Geographie:
https://archive.org/details/handbuchderalte09forbgoog/page/n4
アイスキュロス『ヒケティデス』8行M写本(Laur. 32.9, 10世紀)
左の欄外にはγράφεταιの記述+本文の黒ずんだところは修正の痕跡で,-λα-の部分に認められるほかはじめは-ανの上にアクセントが振られていたらしい.
γρ(άφεται) φυξάνοραν ἀλλ᾽ αὐτογένητον φυλαξάνοραν
同じくアイスキュロス『ヒケティデス』31行(M 179r).ἀσώδειという語に行間・欄外で2種類の注がついている.
ἀσώδει πηλώδει ψαμμώδει· τ(ὴν) γὰρ ψάμμ(ον) οὕ(τως) φ(ησὶν) ὡς ὁ ποι(ητὴς) εἰλύσω ψαμάθοις·
τόσην οἱ ἄσιν:
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