東海道ぅぐ
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ようやく『在野研究ビギナーズ』を入手したので読んでますが,荒木さんの第10章が,70年代にイヴァン・イリイチが『学校のない社会Deschooling Society』の中でプロメーテウスとエピメーテウスの神話を用いた教育論を行っているらしくとても面白い.
プロメーテウス(先に配慮する者)的教育は,社会人が身に着けるべきものをあれもこれもと事前にカリキュラムに組む学校制度に,他方のエピメーテウス(後から配慮する者)的教育は,時々に生じる必要に応じて臨機応変に学ぶ学習姿勢に準えている.イリイチとしては「学校に代替するものとして,誰もが無免許で先生になり,同じ人がまた学生にもなれる……ラーニング・ウェブの重要性」(p.168)を訴えていたらしく,「後知恵」の大事さを謂うことで尋常の価値観の転換を図っているように見える.それに,エピメーテウスと結婚したパンドーラーの箱には数多くの災厄が飛び出た後「希望」が残されたという話が付け加えられる.
パンドーラ―の箱(本来は箱ではなく壺ないし甕)に残された「希望」(ἐλπίς)は,日本語で「希望」と言ってしまうとポジティブなものにしか聞こえなくなってしまうが,ギリシア語としては「(どうなるか分からない将来への)見込み・予期」場合によっては「不安」という意味もあるので,この伝説の解釈と訳は難しい.
先を見通せない盲目的な人間は空しい希望を抱くだけだが,未来を隈なく見通す重圧には所詮耐えられないのだから,その希望ばかりが哀れな人間の生きる頼りとなる,ということと考えれば,「『希望』は善いものか悪いものか」をはっきりさせてしまうのも却ってこの物語の含蓄を損なうかもしれない.
「せっかくなので受け取ったら高額だった」ぜひとも使っていきたいフレーズだ
「せっかくなので受け取ったら高額だった」関電社長会見:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASM9W54P7M9WPTIL00V.html
索引としてPassages Citedを出すのに,巻数と行数ないし節数が羅列されるだけだから問題なかろうと思ったが,1巻の次に2巻じゃなく10巻が来てしまったりするのでソート法を工夫するか,何か対処がいる.
となりのヘルベチカ マンガでわかる欧文フォントの世界 https://www.amazon.co.jp/dp/4845918218/
このマンガがかなり気になっている
Helveticaの斜体はObliqueだけどNeue Helveticaの斜体はItalicというトリビアがある
Helvetica ObliqueとNeue Helvetica Italicを見比べたくて本を繰っていたら小林章『欧文書体2 定番書体と演出法』(美術出版社,2008)のpp. 84-85に解説と比較があった.
……がサンセリフ体でitalicとobliqueというのも極めて微妙でじーっと見比べてると確かにわかるが別々で見せられて区別できなさそう……
そういえば比較表現の中で用いられる簡約語法(brachylogy)の一種にcomparatio compendiaria(「簡略比較」)という名前がついているのを最近知った.『イーリアス』のκόμαι Χαρίτεσσιν ὁμοῖαι (Il. 17.51)「優美女神たち(のそれ)に似た髪」のようなやつで,日本語だと「カモシカのような脚」とかがそれに近い(論理的には「カモシカの脚のような脚」).
この種の表現は日常生活の中であまりにも当たり前に用いているけれども,なぜ省略しても大丈夫なのか,考え出すとよくわからなくなる.
学士試験に失敗して特許局に努めながら論文を書いていたハウスマンも(のちに大学教授にはなるので)その期間に関して言えば在野研究者と呼べるかもね.