ふむっ「技術書は,その長い冒頭の部分で文脈を掴むとより良く読めるように、編集されています」
https://twitter.com/golden_lucky/status/1024313003594866690
ふむっ「技術書は,その長い冒頭の部分で文脈を掴むとより良く読めるように、編集されています」
https://twitter.com/golden_lucky/status/1024313003594866690
やっぱ一頃おかしかったのはsidekiqの異常だったっぽいな,通知メールとかもちゃんと飛んでなかったしキューもちきんと捌けてなかったし.
参照させられた論文の掲載箇所が開始頁と終了頁ではなく開始頁のみでff.と略されていると「長さなんて関係ないよな,読むよな?」という圧を感じる.
𝙨a𝙭o𝙨u𝙨que 𝙨onan𝙨 Hypanis ...
《岩場を流れ音響かすヒュパニス河……》(ウェルギリウス『農耕詩』4.370)
ヒュパニス河はスキュティアを流れる河.
s音の連続が河の流れる様子という意味内容と関連している.《同子音反復consonance》の例としてよさ気なので拾っておこう.
#rhetorica
こういうのいいな
「1.発表者は資料を前日までに配布
2.ラボメンバーは事前に目を通しておく
3.セミナー当日はいきなり質問からスタート
4.質問がなければ発表者はなにもせず終了」
https://twitter.com/ryotaiino/status/1024666486885953537
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ほほー!|独ケルンで発掘された遺構が古代ローマ時代の図書館と判明 2万巻の巻物を収蔵か | カレントアウェアネス・ポータル http://current.ndl.go.jp/node/36427
滋賀の米原でバイカモが見頃というニュースをやってた.これは去年の6月に府立植物園で撮ったバイカモ.
https://twitter.com/ncrt035/status/875531288018468868
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嫉妬云々の話でいうとサッルスティウス『カティリーナ戦記』にはカエサルの言葉として「(父祖たちは)良いものに嫉妬するよりも模倣することの方を望んだimitari quam invidere bonis malebant. Sallust. Cat. LI, 38」というのがあって印象深いんですよね.
他の民族から武器や制度など優れたものを取り込んできたローマ人の同化吸収的路線を表している言葉(もちろん「吸収する側」の発する論理なので受け取る際には公正さの点で慎重さは要るけれども).
こう,明確な宛先なくいわば独り言の延長のようにSNSなどに流され受信側でフィルタリングできる言葉ではない,宛名がついた直接の文書・会話でさえも常に何かしら攻撃的な言辞を鏤めなくては気が済まない人々というのが居て,彼らは地上のストレス総量が一定の高水準を保ち続けることに貢献しているわけだが,どうせなら自然ももう少しマシな使命を与えてやればよかったのにと思わざるを得ない.
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このタイミングで酒orカフェインはまずいなと思ってグレープフルーツジュース飲んでる
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仕事で名古屋のときは新幹線だけどたしかに30分とかだから車中で何かしたりとかはできない微妙な時間…
「ちょっと必要があってフロンティーヌス『ローマ市の水道について』を見てたんですが,いっぱしの人間にとって任された仕事を補佐役の助言に従って行うほどの不面目はないので自分自身と後任者のためになるようこの仕事に関する覚書をまとめた,という執筆経緯を知って,かっこよさを感じました」
https://twitter.com/ncrt035/status/862292176394371072
in aliis autem libris, quos post experimenta et usum conposui, succedentium res acta est; huius commentarii pertinebit fortassis et ad successorem utilitas, sed cum inter initia administrationis meae scriptus sit, in primis ad meam institutionem regulamque proficiet. (Front. Aq. 2.3)
私が実務や経験の後に書いた他の書物は後任者の便益を図ったものだった.この覚書はおそらく後任者の役にも立つだろうが,しかし私の職務遂行の準備段階で書かれたものであるために何よりも私自身の手引きや指針のために役立つことだろう.
少なくともこの本に関しては自分自身のためという目的が主と取れるけれども,マニュアルを書くにあたって後任者の便利=事業の継続と属人化の回避という視点がちゃんとあるのは流石という感じがする.
フロンティーヌス『ローマ市の水道について』は,各水道の歴史や導水管の経路・規格,水道関連の法規などをまとめた淡々とした技術書なんだけれども,そういう中にあって壮大な水道アーチに話が及んだ際,
Tot aquarum tam multis necessariis molibus pyramidas videlicet otiosas compares aut cetera inertia sed fama celebrata opera Graecorum. (Front. Aq. 16.1)
これほどの水を伝えるかくも数多き必需の構造物を,明らかに無用なピラミッドやその他の,役に立たないが世評は高いギリシアの芸術作品と比べてみていただきたい.
というような言葉が聞かれるのはとても面白い.
「芸術より実務のローマ人」みたいなステレオタイプ感がなくもないが,およそ1900年近く昔のインフラ技術者の所感として興味深くはある.
あと言葉の点でmolesとoperaが対比されているのは注意を引く.molesというと『アエネーイス』の「ローマの民の礎を築くのはこれほどの難事業であったtantae molis erat Romanam condere gentem(1.33)」みたいなのが特に思い出されるので.
こうなると厳しい 「〆切を延ばしてくれませんかというお願いメールの文面を推敲している暇があったら何とか〆切に間に合わせるよう最善を尽くすべきであろうこと」
https://twitter.com/ncrt035/status/798534825074274304
Carocciから出てるローマ法の本買ったけど索引がないのでちょっと使いにくそう
コンビニで籤引いたらパピコもらえたんだけど持って帰るまでに溶けるんでないかと気が気でなかった(パピコ食べるの何年ぶりだ)
そうか別に名刺複数パターン持ってもいいんだよな,謎の固定観念にとらわれていた.
学んだこともないのに役に立たないものの代名詞としてラテン語を持ち出した人間を閉じ込めておくための部屋
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Let's EncryptがVerisignと棲み分けできる理由: SSL証明書の「DV、OV、EV」とは何か
https://techracho.bpsinc.jp/hachi8833/2016_09_23/26188/
>Let’s Encryptは「お前ら、パンツぐらい穿けや」とWebサイトの最小限の身だしなみを勧めてくれている
ここほんとすき
「とても難しい」「とても困難である」「非常に難しい」「非常に困難である」音読みが増えるほど微妙に硬く聞こえるようになっていく気がする.
漢字・ひらがな・漢字・ひらがな……が一文字ずつ反復したりするといわゆる串刺状態になって目にうるさいのでひらがなに開ける漢字があればそうするのがよいが,一連の文書中での表記揺れを招くことにもなるので悩ましいものがある.
多少進捗があって幾つかかたがついたように思えたので〆切一覧表を作り直して見たもののやべーという感想になった
world without endで《永遠に(= forever and ever, endlessly)》の意味になるのかっこいいけど詩でも書かないと使いどころがなさそう
短いけどこんなの見つけた.ギリシア文学の中に現れた「津波」について.
Smid, T.C.(1970), `'Tsunamis' in Greek Literature', Greece & Rome 17.1: 100-104.
https://www.jstor.org/stable/642332
ボローニャでの爆発事故,空港自体は被害に巻き込まれたりはしてないようだ.https://twitter.com/BLQairport/status/1026446571054030848
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インプレッションやフォロワーが一定数に達すると自動的に投稿が削除されアカウントも凍結される逆進性対策SNS
https://gnosia.info/@ncrt035/100507016299053629
「興味のないフォロワーからのフォローを積極的に切る」という方向でユーザが動くのかな
凍結されないために,鳥の公式がやったような空虚なアカウントの排除を各ユーザーが自分でやっていくインセンティブは生まれそう.
昨日の絵がちゃんと顔のところでトリミングできてたのもこの技術のおかげなのかな.
https://gigazine.net/amp/20180126-twitter-ai-auto-cropping
自分で調整できて事前チェックできるMastodonの方が便利には違いないが.
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ドイツ語やギリシア語のようにガンガン合成語を作っていく言語の場合,辞書は部分一致検索のできる電子媒体が圧倒的に強い感がある.
単語を後ろから引けると同じ後分を持つ合成語を調べるなどする際に便利で,その昔ギリシア語は紙の逆引き辞典とかもあったんですよ,すでに過去の遺物という感じですが……
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セネカの『自然研究』が自然学著作でありながら名宛て人としてルーキーリウスに語りかける形で書かれていることと,ストア派にとって自然学がそれ自体で独立しているのではなく倫理的な考察・教えと結びついていることとは関係がありそう.
Mastodonの長短がわかりやすくまとめられていてとてもいいスライドだ(個人鯖はさいつよ).|Mastodonの話 / osc18-kyoto-closing https://speakerdeck.com/unarist/osc18-kyoto-closing
自然現象を学問的に取り扱うだけならば不特定多数の読者を想定した論考という体裁で事足りる一方,倫理的な事柄に話が及べば個々人に誂えた言葉の方が強い力を持つわけで,例えば地震について書かれた第6巻がカンパーニアで実際に起きた地震災害の描写から始まっているのはカンパーニア出身のルーキーリウスに対して訴えかけるところがあったかもしれない.
こういう「個々人に誂えた言葉の効力」という点から哲学と書簡形式の関係を調べるのも良いかもしれない.学派が変わるがエピクーロス派の人々は手紙という手段を重視していたし,そうした影響はホラーティウス『書簡詩』の中にも散文と韻文というジャンルの枠を超えて及んでいそうだ.
この前の「『個別の11人事件』は現実に起こせるか」の記事にも,こういう個人への語りかけが持つ力を良からぬ目的に利用する手段が現実性を帯びてきた話が出てた.政治家本人の対話をAIに深層学習させるとか.
「政治家の街頭演説というのは,ある意味テレビの広告と同じで,不特定多数に同じ内容を流します.不特定多数に対して一度に話すということは,つまり1つの方向性しかしゃべれないということで,受け取る側には内容に高く共感する者もいればあまり共感しない者もいる……しかし,クローズドなトークルームで政治家本人だと思う者と一対一で会話し,内容も個々人向けの関心事や考え方にカスタマイズされていたら,説得力は格段に高くなります」|http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1808/06/news042_6.html
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MastodonはΜαστόδωνなので「マストドーン」PleromaはΠλήρωμαなので「プレーローマ」と読んでしまう(なおこの方針を突き詰めるとPythonを「ピュートーン」Kubernetesを「キュベルネーテース」と読み始める)
昔ルーカーヌスのラテン語をハウルの動く城のあのゴテゴテした城に喩えた人がいて,要するにいわゆる古典的端正さや均衡の美とは正反対の文体のことを謂っていてなるほどなぁと思ったのを思い出した
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ある作品を直接伝える写本資料の他に,その作品を他の作家(多くの場合文法家や注釈者,辞書編集者など)が引用していることによる間接的な伝承の仕方もある.
そういう場合,彼らは今の我々には知り得ない古代の資料に触れ得たわけなのでその引用が中世写本の伝承よりも優先されることがありうるが,そうした権威の軽重をどういう基準によって判断するかはなかなか難しい.
この点について碩学ハウスマンが一つの参考になる指針を示してくれている.「引用が行われた文脈において焦点が当たっている単語については信用度が高いが,そうした焦点から外れている語句が異なっている場合はその限りではない」というもの.
‘The authority of citation by a scholiast or grammarian or lexicographer is greater than the authority of a MS in respect of the word or words upon which the citation turns. ... But in words immaterial to the purpose of the citation the grammarian who quotes is more liable to error than the clerk who transcribes;’ (Housman, A.E., Classical Papers p. 801)
ハウスマンがここで例として引き合いに出しているのはルクレーティウス『事物の本性について』1.66, 1.306でNoniusが行なっている引用と写本伝承の相違で,前者では「dirigereの意味でtendere」と説明されているところで写本がtollereだから焦点語句が異なるケースだが,後者では「siccaturの意味でserescit」と説明するにあたってそれに隣接するcandenti soleが写本のdispansae in soleと異なるため写本の読みの価値を減じないケースとされる.
ところでルクレーティウスのこの箇所については比較的新しい研究からは異なるポイントが付け加えられている.つまりここで生じている読みの割れが原著者ルクレーティウスにまでさかのぼる可能性である.
新しいテクストを校訂したFloresはそういう可能性を示唆している(Flores E.(1980), Le scoperte di Poggio e il testo di Lucrezio, 85-91).この人はマーニーリウスに関しても近しい解釈をしている行があって(https://gnosia.info/@ncrt035/99698265437829546 ),こういう「著者による異読varianti d'autore」の問題にイタリアの学者が比較的よく携わっているのは,彼らが共有している研究文脈や歴史的経緯の影響が少なからずあると思う(https://gnosia.info/@ncrt035/99699268746932257 ).
作品制作や遂行の過程を物証によって復元することが困難な(それこそdiffが取れたらどれほど良いか)古典古代の作家について,著者が未決のままにした異読や改稿プロセスの議論をするのは危うくないかというのは確かにそうなんだけれども,ウェルギリウスなどについてはそれらがある程度辿れるものもあるため(https://gnosia.info/@ncrt035/99711021117004016 ),全く無視していい話では決してないのだよなぁ…
犬を見てもわざわざ「犬だ」とは言わないのに猫を見ると「猫だ」と言って「猫であるなぁ」という気持ちになる
ふむ,なんの本だろう.「先日読んでいた翻訳書,原注とか文献とかが,「ネット上にあげておきましたからそちらを参照してください」的な感じで書いてあって,ほほーとなった」
https://twitter.com/keisoshoboedit/status/1028564923498999808
Baldini Moscadi, L.(1981), `Per un'interpretazione di Manil. 1, 926: Una reminiscenza ovidiana', SIFC 53: 233-245.
マーニーリウス『アストロノミカ』第1巻最終行はアウグストゥスへの称讃で締め括られているが,表現の曖昧さのため複数の解釈が試みられてきた.大別するとそこにユーリウス・カエサルへの暗示が含まれているのか一貫してアウグストゥス(とその将来の神格化)が語られているのかの二方向に分けられる.
これまでの議論を整理した後,著者は主題・表現の類似性から問題の詩行にオウィディウス『変身物語』最終巻への取材があると見て,それを解釈の手がかりにする.結論的には「カエサルを神として天に送ったが,地上にはアウグストゥスという神がいるので嘆き悲しむことはない」という読み方になり,接続法の理解の仕方に差異はあるものの概ねGooldの英訳に近くなる.
ポストモーテムってpost mortemだからラテン語よなぁって思ったら英語でpostmortemとひとつに綴って「検死,事後分析」という意味で使われるのか.検死というとautopsyの方が先に浮かぶが,文字通りの意味は「自分自身で見て確かめること」だからこっちには「死」の意味は入ってない.
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そういえば古代における検死や死因解明についてはガルギリウス・マールティアーリス(紀元後3世紀頃)の著作に言及があるというのを何かしらで読んだ記憶がある.
「東京大人の読書会」という文字列を見て「選ばれし者たちの集いだ……」ってなったけどよく考えたら「東京大・人」じゃなくて「東京・大人」で切るやつだった
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Ax, W.(2005), Lateinische Lehrer Europas: fünfzehn Protraits von Varro bis Erasmus von Rotterdam, Göttingen.
古代からルネサンス期にかけて,ウァッローからエラスムスまでのラテン語学者15人の生涯や著作とその意義・影響をまとめた本らしい(各作家ごとに専門の学者が記事を執筆している).面白そう.
https://www.amazon.de/Lateinische-Europas-F%C3%BCnfzehn-Portraits-Rotterdam/dp/341214505X
『ランゴバルドの歴史』(Historia Langobardorum)で知られる8世紀のパウルス・ディアコヌスはドーナートゥス文法の解説もしていて(Ars Donati quam Paulus Diac. exposuitと題されている),ヴァティカン写本(Vat. Pal. Lat. 1746, foll. 27-40)によって伝えられている.
ここで閲覧することが出来る.
https://digi.vatlib.it/mss/detail/Pal.lat.1746
ポテチを開けて一服してる間に鳥を開けたら有権力者から有権力者に情報が与えられていく光景だったのでこういうのに抗っていかねばなという気持ち
この界隈だと atomic は不可分である性質を特に指すものになってしまうので、並列計算とかの文脈が……
ACID特性のatomicityって《原子性》よりも《不可分性》とか《分割不可能性》の方がわかりやすい気がする.トランザクション処理の反映が部分的なものであることは許容されないという意味なので..
atomicはやっぱ「それ以上分割できない」という原意がわかるような訳の方がいいケースが多い気がする(「原子に関する」という場合はともかくとして)
https://gnosia.info/@ncrt035/99758996022968069
イタリア文学の研究者からでも「ペトラルカってどういうところが面白いんですか」と尋ねられたりするのでペトラルカの面白さはあまり自明のものではないのだなぁという感じがある.
『カンツォニエーレ』134番とかは割と入りやすい詩かもしれないと思う.拙訳(https://www.stromateis.info/interpr/Petr/canz_134.html )とイタリア語原文(https://it.wikisource.org/wiki/Canzoniere_(Rerum_vulgarium_fragmenta)/Pace_non_trovo,_et_non_ò_da_far_guerra ).
(1)対句の連続,(2)構造・内容共に比較的理解しやすいところ,(3)後半3行詩連での脚韻語《叫ぶgrido》:《笑うrido》,《救いaita》:《生vita》,《他人altrui》:《貴女voi》の響き合いが特徴的.
あとフランツ・リストが曲をつけているのでそういう鑑賞アプローチもある(リストが作曲した当時は『カンツォニエーレ』各詩の配列順序が今と異なるので『ペトラルカのソネット 104番』と題されている).
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大学の後輩といっても、学部生とD学生は新田美波さんと川島瑞樹さんくらいのジェネレーションギャップあるんで……
ὀβελόςには《疑句標》という日本語があるようなのでὀβελίζωとかこれ関連の単語はそれを採用する方針でいこう.#Gloss_Gramm
Mazzucchi校訂の『崇高について』は随分句読点の打ち方が違うという話を聞いたので今度確かめよう.
なるほど,ニーカーノールは句読点の種別を従来の2種類から8種類にまで細かく割ったようで,στιγματίαςとあだ名されるのも宜なるかなという感じだ.
1. τελεία στιγμή
2. ὑποτελεία στιγμή
3. πρώτη ἄνω στιγμή
4. δευτέρα ἄνω στιγμή
5. τρίτη ἄνω στιγμή
6. ὑποστιγμὴ ἐνυπόκριτος
7. ὑποστιγμὴ ἀνυπόκριτος
8. ὑποδιαστολή ((βραχεῖα) διαστολή)
Cf. Blank 1983: 49-50.
#gloss_gramm
ニーカーノールについてほんの少しだけ調べたきりで古代の句読点学についてもっとちゃんと知るべきという感じはある.
面白かった.
「順接の「が」」は極端に嫌う人もいるようだけれども,むしろ「背景説明の「が」」という機能−−力点は後続の主文章にあるが,そのような言明に至る背景や補助的な情報を付加する−−を持つ場合もあるので,完全に排除するのは難しそう.|校正のバイトをしててよく直す箇所10選 https://note.mu/bxjp/n/na006741687b6
あと「8. 同じ表現・言葉が近い位置に出てくる」で「文法上の間違いではないので,校正者としては赤を入れなくていい箇所ですが,ワタシは語彙のなさが気になるので赤字を入れます」というのは多くの人が共有できる感覚だろうけれども,時間・空間的にどのくらい拡張できるものなのかはこのところ気になっている.
ある程度の格調を持つべき文章で同じ表現が連続すると拙い印象を受けてしまうのは事実としても,古典作品の注釈書の中で同一語句の反復に対してcareless repetitionと評が下されたり,時として誤写を疑い修正まで試みたりするのを見かけると本当にそこまで言えるのかという躊躇いを覚えることも少なくない.
また、TwitterのUserStream APIがいよいよ日本時間の16日(現地時間17日)に廃止されます。Mastodonを使う方が増える可能性があります
マストドン始める人が多いみたいなので、入門的な記事をサクッと書いてみました。/
マストドン入門 2018年夏版
https://ryecroft21.info/mastodon/
関宮ひかげ Official Website https://sites.google.com/site/hikagesekimiya/
"""みんなでつくる、VTuber"""
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通常の利用のほかに研究上のメモとかアイデアを記録する用途にも使うわけだけどそんな大事な外部記憶をTwitterなんぞに任せていいのかというのが大きい(現状はここに書いたものよりまとまったものをローカルと非公開のwikiに集約していっている).
本当にTwitter でよく見たオタクたちをこちらでも見かけるようになってきた
Halcomb, M.W.(2013), A Handbook of Ancient Greek Grammatical Terms: Greek-English and English-Greek (AGROS)
この本の存在を把握してなかったので今度手に入れてみよう.Amazonで読める序文に出てる範囲では他にAnderson, R.D.Jr.(2000), Glossary of Greek Rhetorical Terms Connected to Methods of Argumentation, Figures and Tropes from Anaximenes to Quintilian
がレトリック関係のギリシア語についてよくまとまっているらしいから特にチェックして見た方がよさそう.
#gloss_gramm
ふむっ | 高知県立大学蔵書の処分は適切だったのではないか|閻魔堂|note
https://note.mu/ennmado/n/n78e83498df25
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内輪ノリ,基本的にそれによって排除された経験しかないので,自分が行使できる立場になると嬉々として排除する側に回りかねないから,自戒していかねばならない.
今回の件、顛末を私からも説明します。まず、MisskeyがDDoS攻撃を受け、ConoHa(Misskeyのサーバーを提供していたサービス)からインターネット遮断の処置を受けました。それによりMisskeyへのアクセスができなくなりました。仮にサーバーが復活しても、また攻撃を受ければ再度インターネット遮断の恐れがあり、またアカウント自体の停止も考えられるため、どうすることもできずに困っていました。そこで、村上さんがサーバーを貸してくれることになりました。データもなんとか救出することに成功したので、データが失われることなく復活させることができました。
要するに村上さんのおかげなので村上さんを崇めてください
気象現象,「象」の字が重なってるけどとくに問題はないのに,重なっている事実に気づいて覚えた小さな違和感のせいで気づく前の感覚に戻れない.
Mazzucchi, C.M.(2010), Dionisio Longino: Del Sublime. Introduzione, testo critico, traduzione e commentario, Milano: Vita e Pensiero.
のpp. XC-XCIに書いてあるのによると,ディオニューシオス・トラークスの文法にしたがってτελεία στιγμή, μέση στιγμή, ὑποστιγμήの三種を用いる句読点を打ったという(+疑問符と付加挿入を表す線).
関連して2本の論文が挙げられていて,タイトルからして我々の関心に応えてくれそうなものなので是非参照すべき感じがある.
Mazzucchi, C.M.(1997), 'Per una punteggiatura non anacronistica, e più efficace, dei testi greci', Bollettino della Badia Greca di Grottaferrata LI: 129-143.
Gaffuri, A.L.(1994), La teoria grammaticale antica sull'interpunzione dei testi greci e la prassi di alcuni codici medievali, Aevum LXVIII: 95-115.
ところで『崇高について』のエディション一覧を見ていたらアウグスト・ロスターニが携わっていたのを初めて知った(Milano, 1947).
ロスターニは1920年代にピロデーモス研究も行っていて,ピロデーモスにクローチェ的直観主義美学の先駆を見るという解釈をしている.古代の文芸理論に対する関心が――同時代の美学理論との関係と共に――彼の内に存在していた気配がある.
https://twitter.com/ncrt035/status/959388755437043713
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Esse hominis partem nihilo minus ac manus et pes
Atq:(ue) oculi partes animantis totius extant.
Sensum animi certa non esse in parte locatum.
Verum habitum quendam uitalis(em) corporis esse.
[Memo: ルクレーティウス『事物の本性について』3巻96-99行(D=Laurentianus 35.25, fol. 48r; 1450年).uitalisに対して-emの修正が行間に行われている.また97-98行の欄外にquamuis multa quidem sapientu(m) turba putaruntという補いが入っている]
ところが近い時代のF写本(Laurentianus 35.31, 41v; 1451年頃)ではそのような補いの形跡は見られない.
そのもう少し以前(1400-1410, 1430年頃)のL写本(=Laurentianus 35.30, 52r)でもやはり同様.なおこちらでは99行がvitalemで伝えらえている.
Vat.Ott.Lat.1954はデジタル化されてないがここでは問題の1行の補いが行われているらしいとの情報がある.
https://digi.vatlib.it/mss/detail/Ott.lat.1954
ところで久しぶりにA.A.ロング『ヘレニズム哲学』を取り出してきて緒言を見ています.
ヘレニズム哲学に対する関心の浮き沈みを振り返る中で,1750年以降の西洋社会の世俗化・多元化の流れを考えるとヘレニズム哲学への関心が持続してもおかしくはなかったとしたうえで,
「しかし現実にはそうならなかった.……学界の関心はふたたび,プラトンとアリストテレスに集中するようになったのである.これはヘレニズム哲学の経験主義的・物質主義的な見方への共感を欠いた観念論に立つヘーゲルの影響によるところが大きかった.それとは別に,高等教育における階級と男性支配の傾向も,プラトンの『国家』や,アリストテレスの『倫理学』,『政治学』等の著作の内に強固な論拠を見出していた.これと対照的なのがカール・マルクスである.彼はエピクロス哲学の偉大な称賛者であった.エピクロス哲学は,デモクリトスとともに,旧ソヴィエト連邦において古代哲学の主たる研究対象だったのである」(p.x)
とあってほほーとなった.
マルクスの学位論文はデーモクリトスとエピクーロスの自然哲学に関する研究なんだよね.|マルクス・コレクション 1 学位論文・ヘーゲル法哲学批判序説
カール・マルクス 著 , 中山 元 翻訳 , 三島 憲一 翻訳
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480401113/
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前はアプデ作業中に鳥を開けて時間潰したり「assets:precompile重い」とか言ったりしてたけどglaros.xyzがある今となってはそれすらしなくなってしまった
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お |
「東京都立大学」復活へ 首都大学東京が2020年4月に改名を正式決定 - 弁護士ドットコム
https://www.bengo4.com/internet/n_8422/
ところで,ねらー気質の水割りに陽の者たちのノリが悪魔合体してTwitterが無理になってきた感じだったので,2chからTwitterへという流れは薄々感じていながらも,コミュニケーションの主軸の移動としてこういう風に言語化されてるのを見るとやっぱそういう推移なのかーとなった.
一部のアカウントのプロフィール画像の取得がうまくいってなかったので取り急ぎ処置した
デジタルで絵を描いてみて一番面白かったのは,板タブを買って直後は十数本も線を引くと肩がこってどうしようもなかったのがだんだんと慣れていく「道具の身体化」過程を実験できたことかもしれない.
「理論や仮説を確かめる」という意味ではなく「実際に体験・経験する」という意味で「実験」という語を使いがち(やや古い用法?)
ラヴクラフトというと,国書刊行会版の全集に入っている『ダンウィッチの怪』(鈴木克昌訳)は
「マサチューセッツ州の中北部を旅する人が,ディーンズ・コーナーのすこし先,エイルズベリーの峰の分かれ道で,道を間違えると,人里離れた奇妙な土地に出くわす」
と冒頭の一文からして怪しげな世界に引き込む力があって記憶に残っている.
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CiNii Books APIを使って洋書の翻訳の有無を調べる何か
https://github.com/ncrt035/CiNiiBooksAPI
今日はいつになくTポイントカードの作成を強く勧められたが鋼の意志で押し通した
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使い始めてから気づいたことですがSAIはペン先が自動で回転するのでカリグラフィ的なことをするのはむずかしい
増補改訂版出たから買わないと
LaTeX2ε辞典 増補改訂版(吉永徹美)|翔泳社の本
https://www.shoeisha.co.jp/book/detail/9784798157078
Dizionario delle scienze e delle tecniche di Grecia e Roma, Pisa-Roma, Fabrizio Serra, 2010.
2巻本1346ページのボリュームでギリシア・ローマの科学・技術関連の辞書が出ていた.400ユーロ越えはきついが(ペーパーバックはもっと安い)書評とか(http://agora.xtek.fr/UserFiles/Dizionario.pdf )を見てると超絶画期的な仕事っぽい.
……というか私は知ってないといけなかったし持ってないといけなかったものの気がする.
余裕(そんなものはない)があれば何かしらアジアの言語を勉強したいという気持ちがある
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新版アリストテレス全集第6巻の月報には「アリストテレスと占星術」と題して科学史家の山本義隆氏が寄稿している(マーニーリウスのことも少し出てくるよ!).
占星術とアリストテレスというとちょっと繋がりが薄そうだけれども,単なる迷信や神秘思想ではなく,自然の法則性を前提として天体の観測を通じ将来の出来事を予測しようとする一種の「疑似科学」としての占星術の成立に対するアリストテレス思想のはたらき,更には中世・ルネサンスに至るまで及ぶその影響を論じていて面白い.
黄道十二宮の分類に際して,「プトレマイオスの分類は明らかに宮の性質に基づいているが,マーニーリウスは絵画に見られる宮の姿勢に基づいている」とテスターが指摘しているのは,なるほど考えてみるとなかなか意味が深そうである.(山本啓二訳『西洋占星術の歴史』p.45)
●脱中央集権は企業インスタンスの存在と矛盾しない
・たとえば企業が自身や関連情報の PR のための公式インスタンスなどを持つのは理想的でさえある
●企業に限らず、個人や非営利組織による寄合所帯のインスタンスも、形態によるが脱中央集権に反する場合がある
・基本的に「人がいるから登録する」という方向性での登録は脱中央集権できていない場合が多い
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これは確かにそう…(そこへいくとうちは移るべきが移って9割くらい移住が完了している)
役所行きたくない感情でいっぱいだったが行かなくても済みそうなので元気出てきた
ふむっ「ダジャレというのは『一見何の関係もないところから共通の構造を見つけ出す能力』が必要で,実はあれは極めて高い抽象化能力の発露なのではないか」|https://twitter.com/takl/status/1033339794393161728
プラトーンとか読んでてもダジャレ的な表現が出てくる.『饗宴』(174B)ではアガトーン(Ἀγάθων)のところへご馳走になりに行くソークラテースが「よき人々がアガトーンの宴席にすすんで赴くἈγάθων᾽ ἐπὶ δαῖτας ἴασιν αὐτόματοι ἀγαθοί」と言うのがあって,「アガトーンのἈγάθων᾽(ι)」はアクセントを変えると「良き人々のἀγαθῶν」でもあるから「良き人々が良き人々の宴席にすすんで赴く」とも聞こえる洒落になっている(手元にちゃんとした校訂本がないが写本はἀγαθῶνらしい).
本当にただのダジャレというケースもあろうけれども,今の人間が感じる「ただの親父ギャグじゃん」という感想以上の何か神妙なものを古代人がこういう言葉の一致に読み取っていた可能性はあるので侮れないとは思う.
Snyder, J.M. (1980), `Puns and Poetry in Lucretius’ De rerum natura’, Amsterdam: B.G. Grüner.
ルクレーティウスにおいて洒落や言葉遊び的表現が作品全体にとっていかに重要な役割を担っているかを論じる.
第1章では言語の起源・発達に関する第5巻の記述とエピクーロス派の説との関わりを見る.第2章は,原子と字母の両方に用いうる語としてelementumが使われていることに着目する.ギリシア語のστοιχεῖονが「字母」として使われるのはプラトーンが初出で,エピクーロスがこうした言葉を使ったかは定かでないが,特にデーモクリトスが自らの原子論を説明するため言葉遊びを利用したことからこの考えがデーモクリトスまでさかのぼる可能性が指摘される.第3章ではルクレーティウス以前の言葉遊び表現をギリシア・ラテン語作品に求め分類する.第4章ではそれに基づきルクレーティウスの表現をfigura etymologica, paronomasia, double entendreの3つに分類していく.最終章ではそうした表現が個別の文脈・作品全体の中で持つ働きとして,論敵に対する皮肉,重要な論旨の強調,複合的な意味の付与といった点が挙げられている.
ルクレーティウスにおける同音反復については以前少し触れたことがあるんですが(https://speakerdeck.com/ncrt035/lucretius-analogy-between-poem-and-universe-jpn-1?slide=34 ),このスライドの26枚目で引いた
et quasi musaeo dulci contingere melle (DRN 1.947)
でもギリシア語の「蜂蜜μέλι」 「歌,調べμέλος」が念頭にある(musaea mele 2.412; Cf. Schrijvers 1970: 34-37)のでこういう掛詞がただの洒落以上になるのは珍しくない.
ルクレーティウスの「言葉遊び」についてはSnyderの研究がとてもわかりやすくまとめられていて良い(https://gnosia.info/@ncrt035/99522418360587447 ).
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「サイト名の由来はやっぱアレクサンドリアのクレメンスですか」と訊かれることが何度かあったけど,直接の着想はゲッリウスを読んでいたときに得たので返事が微妙になる(『アッティカの夜』冒頭には雑学や覚書を集めた著作にこれまで付けられてきたさまざまなタイトルが列挙されている).
Bartalucci, A.(1961), `Una fonte egizia di età tolemaica nella geografia zodiacale di Manilio', SIFC 33: 91-100.
マーニーリウス『アストロノミカ』4巻744-817行では,黄道帯の諸宮と地上の各地域の対応関係を綴った「占星地理学」が展開されている.F.Cumontの研究を拠り所としながらこの概念体系がエジプト起源であると推定し,マーニーリウスの記述の中で3つの宮に振り分けられているエジプトの位置づけを,その典拠が形成された時代の社会背景から説明することを試みる.結論的に著者は,この箇所でのマーニーリウスの典拠の大部分が前3世紀頃のプトレマイオス王朝下エジプトにおいて形成されたものであるとしている.
ピッタリ来る日本語がない外国語というとギリシア語のπαροινίαは大学書林の辞典では「酔払ったあげくの狼藉」と出ていた
@the_boss
κλειτορίς (kleitoris)でギリシア語ですね.
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ギリシア語の合字や別形は慣れないと結構しんどいのでアルド・マヌーツィオのΝεακαδημίας Νόμοςを読んだときもWilsonのテキストで疑問点がいろいろ出たからDigital Vatican Libraryで画像を見ながら確認した記憶がある.
https://www.stromateis.info/zib/neacademia.html
鳥の情操に悪い投稿はだいたい「〇〇さんがいいねしました」かプロモーションで流れてくるので度し難いな
1日に1ページ読むみたいなのは日のルーティンに組み込めるので出来ても,最寄りの郵便局で支払いをするみたいなのは着手のタイミングがつかめずギリギリまで延ばしてしまうやつ
言語を学ぶモチベーションが「それによって読みたいものがあるか」に依存している人間なので二次創作漫画を読むために韓国語・中国語を学ぶ気運が高まりつつある
もう少し早く生まれたら偉大な精神と交流できたし,もう少しおそく生まれたら水槽の脳になって一切の肉体コミュニケーションをせずに済んだのに,一体何なんだこの時代はという感じがある.
NHKに上原先生出てるけどインターネットで持ってた印象とはまたちょっと違う雰囲気だ
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サーバなんてほとんどLinuxだろうと勝手にイメージしてたのでWindows Serverがこれほどとは驚いた.前年比成長率では前者の方が高いとはいえ.
「2017年の国内サーバOS市場の実績は、Windows Serverが大手企業のプライベートクラウドやクラウドベンダなどの大規模データセンター向け販売が堅調で、市場シェアトップの52%。
Windows Serverに続くのがLinuxで、企業のWebシステムから基幹業務向けシステムまで幅広い領域で採用され底堅い需要があり、市場シェアは24.8%…」
2017年の国内サーバOS市場、Windows Serverが52%、Linuxが24.8%。クラウドによりLinuxが高成長を維持。IDC Japan - Publickey
https://www.publickey1.jp/blog/18/2017oswindows_server52linux248linuxidc_japan.html
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目覚ましかけるとほぼ必ずその2分前くらいに目がさめるけど別に特殊能力というわけでもないっぽい
さっきはじめてベクター消しゴム使ったんだけどあれ絶対みんな最初に使ったとき愕然とするでしょ…
例えば古代の地名を辞書で引いて「○○の都市」「○○の一地方」という説明が出てきても結局どこなのかすぐわからないし,巻末に地図とかついていても見つけるのに時間がかかるしで紙の資料の限界を感じるから何かしらWebベースで作りたい感じはある(もうあるかもしれない).
アリストテレス全集(今見てるのは第6巻)についている巻末の地図は地名に番号をつけて欄外に記す工夫をしているから探しているものや指示されたものがどこにあるか検索しやすい.でもこの方式も項目数が増えてくると限界がある.
誰かが言ってたけど、電子書籍だと「親の本棚」が形成されないのでアレみたいなのもありこっちもなるほどなあとなっているけど末代なので無問題わね
フライドポテト揚げながらペールエール片手に茄子とズッキーニの胡麻和えを食して大勝利
『世界の名著 アウグスティヌス』の付録に遠藤周作・山田晶対談が載っていてその中で遠藤周作が「ご自分で洗礼をおうけになったという方には,ぼくはなにかコンプレックスを感じますね.ぼくの場合は,いわば親が決めた許嫁と結婚したみたいなものですが,先生が二十五歳で洗礼をうけられたということは,恋愛結婚みたいなものですね」と言っている.
https://twitter.com/ncrt035/status/830939387307307010