「9時回ってるな,ところで今何時だ?」というわけわからん自問をしてしまった
ドイツ語やギリシア語のようにガンガン合成語を作っていく言語の場合,辞書は部分一致検索のできる電子媒体が圧倒的に強い感がある.
単語を後ろから引けると同じ後分を持つ合成語を調べるなどする際に便利で,その昔ギリシア語は紙の逆引き辞典とかもあったんですよ,すでに過去の遺物という感じですが……
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セネカの『自然研究』が自然学著作でありながら名宛て人としてルーキーリウスに語りかける形で書かれていることと,ストア派にとって自然学がそれ自体で独立しているのではなく倫理的な考察・教えと結びついていることとは関係がありそう.
Mastodonの長短がわかりやすくまとめられていてとてもいいスライドだ(個人鯖はさいつよ).|Mastodonの話 / osc18-kyoto-closing https://speakerdeck.com/unarist/osc18-kyoto-closing
自然現象を学問的に取り扱うだけならば不特定多数の読者を想定した論考という体裁で事足りる一方,倫理的な事柄に話が及べば個々人に誂えた言葉の方が強い力を持つわけで,例えば地震について書かれた第6巻がカンパーニアで実際に起きた地震災害の描写から始まっているのはカンパーニア出身のルーキーリウスに対して訴えかけるところがあったかもしれない.
こういう「個々人に誂えた言葉の効力」という点から哲学と書簡形式の関係を調べるのも良いかもしれない.学派が変わるがエピクーロス派の人々は手紙という手段を重視していたし,そうした影響はホラーティウス『書簡詩』の中にも散文と韻文というジャンルの枠を超えて及んでいそうだ.
この前の「『個別の11人事件』は現実に起こせるか」の記事にも,こういう個人への語りかけが持つ力を良からぬ目的に利用する手段が現実性を帯びてきた話が出てた.政治家本人の対話をAIに深層学習させるとか.
「政治家の街頭演説というのは,ある意味テレビの広告と同じで,不特定多数に同じ内容を流します.不特定多数に対して一度に話すということは,つまり1つの方向性しかしゃべれないということで,受け取る側には内容に高く共感する者もいればあまり共感しない者もいる……しかし,クローズドなトークルームで政治家本人だと思う者と一対一で会話し,内容も個々人向けの関心事や考え方にカスタマイズされていたら,説得力は格段に高くなります」|http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1808/06/news042_6.html
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MastodonはΜαστόδωνなので「マストドーン」PleromaはΠλήρωμαなので「プレーローマ」と読んでしまう(なおこの方針を突き詰めるとPythonを「ピュートーン」Kubernetesを「キュベルネーテース」と読み始める)
昔ルーカーヌスのラテン語をハウルの動く城のあのゴテゴテした城に喩えた人がいて,要するにいわゆる古典的端正さや均衡の美とは正反対の文体のことを謂っていてなるほどなぁと思ったのを思い出した