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‪バーチャルコミケ参加実績解除だ‬

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14:56:58 @ncrt035@gnosia.info
2018-08-11 11:53:06 Keᷟiͣzᷤoͭuͦ@6ͩ4ͦ0ᷠ0の投稿 keizou@mstdn.guru
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17:15:54 @ncrt035@gnosia.info
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ある作品を直接伝える写本資料の他に,その作品を他の作家(多くの場合文法家や注釈者,辞書編集者など)が引用していることによる間接的な伝承の仕方もある.
そういう場合,彼らは今の我々には知り得ない古代の資料に触れ得たわけなのでその引用が中世写本の伝承よりも優先されることがありうるが,そうした権威の軽重をどういう基準によって判断するかはなかなか難しい.

17:23:00 @ncrt035@gnosia.info
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この点について碩学ハウスマンが一つの参考になる指針を示してくれている.「引用が行われた文脈において焦点が当たっている単語については信用度が高いが,そうした焦点から外れている語句が異なっている場合はその限りではない」というもの.
‘The authority of citation by a scholiast or grammarian or lexicographer is greater than the authority of a MS in respect of the word or words upon which the citation turns. ... But in words immaterial to the purpose of the citation the grammarian who quotes is more liable to error than the clerk who transcribes;’ (Housman, A.E., Classical Papers p. 801)

17:34:54 @ncrt035@gnosia.info
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ハウスマンがここで例として引き合いに出しているのはルクレーティウス『事物の本性について』1.66, 1.306でNoniusが行なっている引用と写本伝承の相違で,前者では「dirigereの意味でtendere」と説明されているところで写本がtollereだから焦点語句が異なるケースだが,後者では「siccaturの意味でserescit」と説明するにあたってそれに隣接するcandenti soleが写本のdispansae in soleと異なるため写本の読みの価値を減じないケースとされる.

17:48:27 @ncrt035@gnosia.info
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ところでルクレーティウスのこの箇所については比較的新しい研究からは異なるポイントが付け加えられている.つまりここで生じている読みの割れが原著者ルクレーティウスにまでさかのぼる可能性である.
新しいテクストを校訂したFloresはそういう可能性を示唆している(Flores E.(1980), Le scoperte di Poggio e il testo di Lucrezio, 85-91).この人はマーニーリウスに関しても近しい解釈をしている行があって(gnosia.info/@ncrt035/996982654 ),こういう「著者による異読varianti d'autore」の問題にイタリアの学者が比較的よく携わっているのは,彼らが共有している研究文脈や歴史的経緯の影響が少なからずあると思う(gnosia.info/@ncrt035/996992687 ).

17:56:52 @ncrt035@gnosia.info
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作品制作や遂行の過程を物証によって復元することが困難な(それこそdiffが取れたらどれほど良いか)古典古代の作家について,著者が未決のままにした異読や改稿プロセスの議論をするのは危うくないかというのは確かにそうなんだけれども,ウェルギリウスなどについてはそれらがある程度辿れるものもあるため(gnosia.info/@ncrt035/997110211 ),全く無視していい話では決してないのだよなぁ…