17:22:26
ルクレーティウス『事物の本性について』3巻96-99行(D=Laurentianus 35.25, fol. 48r; 1450年)
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Esse hominis partem nihilo minus ac manus et pes
Atq:(ue) oculi partes animantis totius extant.
Sensum animi certa non esse in parte locatum.
Verum habitum quendam uitalis(em) corporis esse.

[Memo: ルクレーティウス『事物の本性について』3巻96-99行(D=Laurentianus 35.25, fol. 48r; 1450年).uitalisに対して-emの修正が行間に行われている.また97-98行の欄外にquamuis multa quidem sapientu(m) turba putaruntという補いが入っている]

Lucr. DRN3.96-99; D=Laur.35.25, 48r
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17:30:35
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ところが近い時代のF写本(Laurentianus 35.31, 41v; 1451年頃)ではそのような補いの形跡は見られない.

Lucr.DRN 3.96-99 Laur.35.31, 41v
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17:40:58
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そのもう少し以前(1400-1410, 1430年頃)のL写本(=Laurentianus 35.30, 52r)でもやはり同様.なおこちらでは99行がvitalemで伝えらえている.

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17:49:30
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Vat.Ott.Lat.1954はデジタル化されてないがここでは問題の1行の補いが行われているらしいとの情報がある.
digi.vatlib.it/mss/detail/Ott.

21:31:50
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ところで久しぶりにA.A.ロング『ヘレニズム哲学』を取り出してきて緒言を見ています.
ヘレニズム哲学に対する関心の浮き沈みを振り返る中で,1750年以降の西洋社会の世俗化・多元化の流れを考えるとヘレニズム哲学への関心が持続してもおかしくはなかったとしたうえで,

「しかし現実にはそうならなかった.……学界の関心はふたたび,プラトンとアリストテレスに集中するようになったのである.これはヘレニズム哲学の経験主義的・物質主義的な見方への共感を欠いた観念論に立つヘーゲルの影響によるところが大きかった.それとは別に,高等教育における階級と男性支配の傾向も,プラトンの『国家』や,アリストテレスの『倫理学』,『政治学』等の著作の内に強固な論拠を見出していた.これと対照的なのがカール・マルクスである.彼はエピクロス哲学の偉大な称賛者であった.エピクロス哲学は,デモクリトスとともに,旧ソヴィエト連邦において古代哲学の主たる研究対象だったのである」(p.x)

とあってほほーとなった.

21:36:50
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マルクスの学位論文はデーモクリトスとエピクーロスの自然哲学に関する研究なんだよね.|マルクス・コレクション 1 学位論文・ヘーゲル法哲学批判序説
カール・マルクス 著 , 中山 元 翻訳 , 三島 憲一 翻訳
chikumashobo.co.jp/product/978

筑摩書房 マルクス・コレクション 1 ─学位論文・ヘーゲル法哲学批判序説 / カール・マルクス 著, 中山 元 著, 三島 憲一 著