寝とった
言葉と文字とヨッシーアイランドが好き。たまごっちやここたまのアニメを見ます。たまに絵を描きます。フォントを作ったりします。2023 年 1 月から https://mofu.kemo.no の副管理人です(いきなり権限を付与されたけど受け入れました)。
ソーシャルメディアの中では ここが常駐場所です。大体全ての活動をここに集約します。ActivityPub 対応サーバーからリモートフォローしてください。なおフォロー外からの非公開返信は受け取らない設定にしてます。
日本語の研究で博士号を持ってるけど、離れて長いし、自信ない。キーボードは新 JIS‐配列(JIS X 6004)微改変版です。今のプロフィール画像は『スーパーマリオブラザーズワンダー』の一般ポプリンの絵です(二次創作)。
全ての #絵 を見るにはこちら :
https://mofu.kemo.no/@sayunu/tagged/%E7%B5%B5
ここたまに興味がある人は、ここたまアンテナ(@cocotama_antenna)をフォローしてね。
@tizerm ところでどれぐらいの頻度で色を更新してる ? requestAnimationFrame みたいな事をされると、見た目の変化と不釣り合いな負荷が発生するのを心配するけど。
地図投影器の再描画が高負荷なのは「目的上しょうがない」ので、その中でできる範囲の最適化をしています。静態的な文書を表示するのが主目的である時とは水準が違う。
@tizerm しかし対数って特定の値に漸近するわけではないから、しばらくすると赤に戻って来るのでは ? その式で計算してみると、六日後には色相が 353.79 度になる。まあ、そもそもこの関数を直近 24 時間しか呼ばないようになってるのかしら。
ツイッターの跡地には、「サムネイル」と称する極端に縮小した絵を置く事にしました。これまで mofu.kemo.no へのリンクだけ書いていた投稿には、自己返信でぶら下げる。今後は先頭にサムネイルを貼る。これまでの投稿へのぶら下げを一気にやったら「連投」が目立ち過ぎるので、間隔を置きながら追い付くつもり。
「何が描かれているかは分かるが、そのまま鑑賞するのが困難な程度」を意図して解像度を調整した結果、目立つ人物が描かれた絵についてはその顔の直径が 40 画素ぐらいになった。
ツイッターの跡地に次のような投稿をしました :
Mastodon や Misskey にアカウントを作ったあと、リモートサーバーにいる知人をフォローするのがちょっと面倒だとは思いますが、そこは頑張ってください。一度やったら片付きますから。やらなかったらそりゃ閑散とするでしょう。
@tizerm そういう場合もある。Fediverse が満たし得ないような需要を持つ人もいる。「こういう場合もある」「ああいう場合もある」などと長々書いても響かないし、色々な切り口で短く書くようにしたい。
色々な人がいる。
主に独り言を書く人(一人でも話したい事があって反応を必ずしも求めない人)は、周りを賑やかにする必要があまりない。
既存の仲良しグループを重視する人は、そのグループが一度に移植されさえすれば新たな場所で引き続き仲良くできるだろう。
「情報収集」をしたい人は、まあツイッター跡地がいいんぢゃないですかね。劣化してるけど、代わりが Fediverse にあるとも言えない。でも収集用アカウントにあなたが投稿する必要性もないよ。
ツイッター跡地から弾き出された性的な絵描きに興味がある人は、あれにしがみ付くより Misskey.io とかに住んで適宜リモートをフォローした方が実りがあるんぢゃないすか。知らないけど。
元々サムネイルが並ぶ文脈(メディア一覧)で見ると、まるで鑑賞可能な絵が投稿されているかのように見える。クリックしても詳細が現れない。詐欺的で面白い。
『映画大好きポンポさん』なる作品は、ウエブで読んだような覚えがあるけど、作中で「すごい人だ、すごい作品だ」みたいな事を言うものの読者にとってはすごく感じられないという感想だった。
こういう場合に「すごいって言ってるからすごいんだろう」というように他人に評価をお任せできる人もいるんだろう。私は「誰がそう言おうと私がそう考えない限りそうではない」という人です。
ツイッター跡地の「メディア」のタブは、投稿に添付された画像のうち一枚目しか表示しないみたい。つまり現状「メディア一覧」と呼べない。それは良くないんぢゃないかな。まあ遺跡の事だし知らんけど…。
『えいがでとーじょー ! たまごっち : ドキドキ ! うちゅーのまいごっち !?』を「たまごっち映画 2007」と、『映画 ! たまごっち : うちゅーいちハッピーな物語 !?』を「たまごっち映画 2008」と呼び習わしてますね。内容に結び付かなくて分かりにくいけど、題名を略するのも安定しないので…。
15 年ぐらい遡ると、私は元々筋肉とか骨とか消化器みたいな内臓を「現実が現実に縛られた中で身体機能を実現する為だけに存在する複雑性」のように捉えているので、絵に描こうと思ってないんだ。絵には「胴があって、腕がある」という概念さえ表されていれば充分であって、裏方を表に出すのは簡潔さに対し有害という態度。但し「人間が絵を見て解釈する際に不自然にならない程度の説明的な描写」は必要だからその分の複雑さを描いてる…という事だったと思う。今はそこまで尖ってないのでナアナアだけど。
たまごっちの体の中に筋肉があるとは必ずしも思ってないが、人間の筋肉を模したような形に描くと鑑賞者たる人間にとってはそれっぽく見えるから必要な範囲でそうするという感じ。
ウォッチパーティーの招待というのはタダで乗れるわけではなく各自買う必要がある感じかしら。(見たいかというと、面白いならいつか見てもいいけど今眠いなという気分。)