宿泊アパートのお向かい、砲弾を受けた跡が未だ残っているように見えますね…
Neretva/Неретва(ネレトヴァ川)左岸のイスラム教徒が多く住む地区では、昔ながらの金属容器でコーヒーを飲むことが出来ますね。
Mostar/Мостар(モスタル)のオスマン帝国時代に作られた有名な橋であるStari Most/Стари мост(スタリ・モスト)は、トルコをはじめとするイスラム系観光客と南方な顔立ちの中華系観光客に溢れていますね。
Stari Most/Стари мост(スタリ・モスト)は自○志願者が多いのか、当局の作った柵を乗り越えて身を投げては勝手に手足が動いて自力救助される人を見かけますね。
Stari Most/Стари мост(スタリ・モスト)では、パレスチナの旗色に髪を染めたアラブ系観光客と思われる人がパレスチナの旗を持って歩いていますね。
Neretva/Неретва(ネレトヴァ川)右岸は、1990年代以降はカトリック教徒(クロアチア系)ばかり住んでいるものと思っていましたが、川に近い旧市街はイスラム教徒が多いようですね。
Neretva/Неретва(ネレトヴァ川)右岸の観光客が歩いていない通りにあるこちらのお店(Buregdžinica Rođeni)でBurek(ブレク)を美味しく頂きますが、店内に赤い星が輝いていて、Jugonostalgija/Југоносталгија(ユーゴノスタルギヤ)な人が経営しているんですかねえ。
観光公害予防の観点か、Stari Most/Стари мост(スタリ・モスト)から少し離れた観光客で溢れていないこちらのモスク(Karađoz-begova džamija/Карађоз-бегова џамија)でも高額の入場料を徴収するようですね。
Mostar/Мостар(モスタル)はJugonostalgija/Југоносталгија(ユーゴノスタルギヤ)な人が多く住んでいるのか、Maršal/Маршал(元帥)の名を冠したこちらの通りではMaršal/Маршал(元帥)を慕う?落書きを見かけますね。
Mostar/Мостар(モスタル)には以前は正教徒(セルビア系)の人々もかなり住んでいて、19世紀後半に建てられた当時はバルカン半島一の大きさを誇ったという正教会(Saborna Crkva Svete Trojice/Саборна Црква Свете Тројице)が再建中のようですね。
再建中の正教会(Saborna Crkva Svete Trojice/Саборна Црква Свете Тројице)の隣りにある古くからある小さな正教会(Stara pravoslavna crkva/Стара православна црква)も、1990年代に破壊されて2004年に再建されたもののようですね。
Mostar/Мостар(モスタル)、死去された人の告知板に、その人の信仰を示す三日月や十字架のマークでは無く、薔薇とかStari Most/Стари мост(スタリ・モスト)などのマークを複数見かけるんですね。
Stari Most/Стари мост(スタリ・モスト)、Hrvatska(クロアチア)からシェンゲン圏の壁を越えて日帰りするツアーもあるようで、昼間だけ混んでいる日本国内の観光地のようですね。
Stari Most/Стари мост(スタリ・モスト)近くにある観光客向けと思われるレストラン(Aščinica Balkan II)で夕食としますが、当地の煮込み料理のミックスが大変美味ですね。
Stari Most/Стари мост(スタリ・モスト)から少し離れた観光客が少ない通りの菓子店(Caffe slasticarna Amir)に、アルバニア語圏を離れてもうありつけないかと思っていたTrileçe(トリレチェ)が置いてありましたので、ありがたく頂きますね。
気が触れてStari Most/Стари мост(スタリ・モスト)からダイブせず、生きて宿泊アパートに帰着。集団間の争いがサッカーチームの枠組みで収まっているうちは平和なのかもしれませんね。
今日は路線バスでMostar/Мостар(モスタル)近郊の村への旅ですが、他所の都市と異なり、バス停に時刻表があっていいですね。
Blagaj/Благај(ブラガイ)、バスや自動車で周遊する人々のつまみ食い観光地となっているようですね。
Blagaj/Благај(ブラガイ)、とりあえずスーフィズムの修行僧が修行に励んでいたという建物(Blagaj Tekke)を見学しますが、水の確保には困らなさそうですが、水面近くは結構虫さんが飛んでいて修行の邪魔になりそうですね。
Blagaj/Благај(ブラガイ)はローマ帝国以前からの悠久の歴史を有しているようで、中世〜オスマン帝国時代の要塞があるとのことで行ってみますね。
Blagaj/Благај(ブラガイ)の山道では普通に山羊さんが放牧されていて取っ組み合いの決闘をやっていますので、巻き込まれて一突きされぬよう注意が必要ですね。
要塞へのトレイルコースは整備されていますが、Google Mapsの口コミを見ますとMostar/Мостар(モスタル)周辺のトレイルコースには普通に毒蛇さんがいて格闘エピソード?も見られますし、コースから外れた山中には未だ地雷が埋まっているようなんですね…
遠くの方で複数頭の保護犬…野犬と思われる鳴き声が聞こえていますが、その鋭い鼻で格好の獲物を見つけて歓喜しているんですかねえ…
へぅ〜、ようやくBlagaj/Благај(ブラガイ)の要塞に到着のようですが、どうも修復の手が入っているようで、誰も来ないわりにえらい立派な城壁ですし、ライトアップ設備までありますね。
気が触れて要塞から断崖絶壁にダイブせず、毒蛇さんや山羊さん、犬さんの襲撃に倒れず、資材搬入用のショートカット経路で下山を試みて滑落せず、何とか生きてBlagaj/Благај(ブラガイ)の麓にたどり着けたようですね。
Blagaj/Благај(ブラガイ)にもカトリック教会や正教会があるようですが、カトリック教徒(クロアチア系)や正教徒(セルビア系)は数人しか住んでいないようで、教会の扉は固く締められていますね。
Mostar/Мостар(モスタル)もそうですが、Blagaj/Благај(ブラガイ)でも1990年代のお墓が多いようで、祈念碑が建てられていますね。
ほな、行きと同じく路線バスでMostar/Мостар(モスタル)に帰りましょう。Mostar/Мостар(モスタル)からBlagaj/Благај(ブラガイ)方面に向かう10・12系統のうち、10系統は終点まで乗っていればいいですが、12系統は1つモスタル寄りのバス停から降りないといけないのと(帰りも同様)、バス停に掲示されている時刻が最新でないようで公式Webサイトの記載と一部異なりますので注意が必要ですね。https://mostarbus.ba/timetable/?lang=en
こちらのバスの運転手、運転中に紙幣やコインの整理をしていて大変危なっかしいですが、路上や対向車の車内に目ざとく知り合いを見つけてクラクションで合図をする能力はプロフェッショナルのようですね…
へぅ〜、今日も気が触れてStari Most/Стари мост(スタリ・モスト)からダイブせず、生きて宿泊アパートに帰着。当地に限らず、ヨーロッパ各地におけるGoogle Mapsなどの飲食店口コミサイト評価は日本国内より高めのように見えますが、ぼったくり有無や店員さんの水準を調べるのには役立つとしても、対象の食べ物の水準がどうかを調べるのは至難の業ですね。
うどん県のうどん店に限らず、地域食系の比較的客単価が低いお店であれば、その食べ物を頻繁に食べていてかつ他店も回って比較して…のような解像度の高いレビュワーが多く、好みかどうかはともかく行って試してみてもいい水準かどうかの目安にはなりますね。https://maps.app.goo.gl/xZWdeZqaoRZJiDso6
今朝も気が触れず、Stari Most/Стари мост(スタリ・モスト)からダイブせずに対岸に渡れるようですね。
Mostar/Мостар(モスタル)にもかつてシナゴーグがあったようですが、入口の扉しかその痕跡がないようですね。
一昨日のTrileçe(トリレチェ)が美味しかった菓子店(Caffe slasticarna Amir)に再訪して、Pistacija Baklava(ピスタチオ・バクラヴァ)を美味しく頂きますね。
Neretva/Неретва(ネレトヴァ川)両岸を繋ぐ架け橋を渡り、清潔で快適なひとときを過ごすことができた宿泊アパートに戻り、荷物をまとめて出発しますね。
今日は移動日ですね。Mostar/Мостар(モスタル)の鉄道駅に隣接する、改札はあるのに脇から入り放題で心なし物乞いの人が多いような気がするバスターミナルから乗車しますが、Sarajevo/Сарајево(サラエヴォ)始発のバスは30分遅れてやってきましたね…
目的地に向かうバス、1日1便しかないせいかみっちり乗っている上に、LCCが楽園に思えるほどシートピッチが狭いのに前の人はリクライニングをめいいっぱい倒していて限界バス感が強いですね…
窓側席に座れただけでもありがたく思わねばならぬようですね…
こちらの限界バス、Mostar/Мостар(モスタル)から南東に進んでFederacija Bosne i Hercegovine/Федерација Босне и Херцеговине(ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦)からРепублика Српска/Republika Srpska(スルプスカ共和国)に入りますが、平地でもかなりの人口希薄地帯のようですね。
こちらの限界バス、Mostar/Мостар(モスタル)発車時点で30分遅れていたのに、かなり余裕のあるスケジュールのようで、Требиње/Trebinje(トレビニェ)という都市のバスターミナルで1時間も休憩するようですね…
何とか上手く、Bosna i Hercegovina/Босна и Херцеговина(ボスニア・ヘルツェゴビナ)の独自通貨(BAM)を使い果たすことが出来ましたね。
Требиње/Trebinje(トレビニェ)のバスターミナルからは、親分国家?の首都方面以外にРепублика Српска/Republika Srpska(スルプスカ共和国)東部の都市を経由して8時間近くかけて親分国家?国境そばの都市Зворник/Zvornik(ズボルニク)に行く便もあるようですね。
残念ながら?シェンゲン圏のゆりかごには入れず、再びCrna Gora/Црна Гора(モンテネグロ)に入国しますが、この辺りの国境地帯には山猫さん?が生息しているようですね。
Kotor/Котор(コトル)という港町で結構下車しましたので、ようやく限界バスから脱することができますね。
限界バスを脱したバスは、Jadransko more/Јадранско море(アドリア海)沿いを南に下っていきますね。
Bar/Бар(バール)という港町では、Србија/Srbija(セルビア)からの鉄道と交差しますね。
太陽がJadransko more/Јадранско море(アドリア海)に沈んでいきますね。
へぅ〜、Mostar/Мостар(モスタル)から約8時間で、Crna Gora/Црна Гора(モンテネグロ)最南端の都市Ulcinj/Улцињ(ウルツィニ)に到着ですね。
へぅ〜、自動車に惹かれず、生きてUlcinj/Улцињ(ウルツィニ)郊外の宿泊ゲストハウスに到着しましたが、道中の景色がKosovës/Косово(コソボ)郊外とそっくりですし、横断歩道に立っても自動車が止まりませんし、川がヘドロ臭いですし、子どもの集団がKosovës/Косово(コソボ)で見かけたような(悪い意味での)素朴さですし、Jadransko more/Јадранско море(アドリア海)のリゾート都市とは思えませんね…
Crna Gora/Црна Гора(モンテネグロ)のこちらのスーパー(VOLI)、お野菜パックのラインナップが充実していて文明の存在を感じますね。
少数の外国人観光客のレビューしか無いような気がしますが、Google Mapsの口コミ評価が高いのとレビューを見る限りぼったくりは無さそうですので、スーパーの帰り道にあるこちらのいかにもイタリアンな名前のお店(La casa)に立ち寄りますね。
Shqipëri/Shqipëria(アルバニア)の相場がおかしいピッツェリアと異なり、観光地価格が入っているように見えますね。
ややっ、こちらのお店のマルガリータ、生地のモチモチ具合と生地自体の味わいが、見た目は全く違いますが美味しいうどん店の麺を彷彿とさせて、あっという間に消滅してしまいますね。
Ulcinj/Улцињ(ウルツィニ)の宿泊ゲストハウス周辺は、民泊ほか各種個人商売も可能なように設計された?3〜4階建ての住宅が多いようですね。
Ulcinj/Улцињ(ウルツィニ)のバスターミナルに明後日の目的地行きのバス発車時刻を確認しに来ましたが、同じCrna Gora/Црна Гора(モンテネグロ)の海沿いの都市同士なのに1日3便しかなく、7時15分の後は19時30分のことですね…
Ulcinj/Улцињ(ウルツィニ)は1878年までオスマン帝国の支配下にあり、当時も今もアルバニア系の住民がほとんどとのことで、市街地にはモスクが点在し、カトリック教会にはアルバニア系の名前が刻まれたお墓が広がっていますね。
信仰関係なく横断歩道の前では歩行者に道を譲る文明市民?ばかりのBosna i Hercegovina/Босна и Херцеговина(ボスニア・ヘルツェゴビナ)からUlcinj/Улцињ(ウルツィニ)に来ますと、Shqipëri/Shqipëria(アルバニア)やKosovës/Косово(コソボ)に舞い戻ってきたかのように感じますね…
Ulcinj/Улцињ(ウルツィニ)、お近くのShqipëri/Shqipëria(アルバニア)のShkodër(シュコドラ)と同様、1979年の地震で潰滅的な被害を受けたようで、ほとんどの建物はその後に建てられたもののようですね。
Ulcinj/Улцињ(ウルツィニ)、1979年の地震の影響か、お近くのShqipëri/Shqipëria(アルバニア)のShkodër(シュコドラ)と同様、目抜き通りは防火建築帯のような建物が並んでいるんですね。
Ulcinj/Улцињ(ウルツィニ)の防火建築帯な建物が並ぶ一角に、おそらくこの建物が建てられた1984年から営業しているという菓子店(Pasticceria Holiday)がありますので休憩としますが、何ともJugonostalgija/Југоносталгија(ユーゴノスタルギヤ)な店内ですね。
わーい、アルバニア系の住人が多いUlcinj/Улцињ(ウルツィニ)ですので、Trileçe(トリレチェ)にありつけますね。
Ulcinj/Улцињ(ウルツィニ)には1878年以降にやっていたスラブ系(セルビア系?モンテネグロ系?)向けと思われる正教会がありますが、まさかKosovës/Косово(コソボ)あたりからヴァカンスにやってきたイスラム教徒が水着で来るとかあるんですかねえ…
Ulcinj/Улцињ(ウルツィニ)はローマ帝国以前からの悠久の歴史を有しているとのことで、ローマ帝国〜東ローマ帝国、中世セルビア王国、ヴェネツィア共和国、オスマン帝国などによって維持されてきたStari grad Ulcinj/Стари град Улцињ(ウルツィニ旧市街)に入りますね。
Ulcinj/Улцињ(ウルツィニ)旧市街、日本語Webサイトを見ますと半分ボロボロとか市民の生活の匂いが…とか書いていますが、オシャレリノベーションが進行していてその割に観光客が歩いていなく生活感が全くといっていいほどありませんね。
旧市街にある博物館(Zavičajni muzej u Ulcinju/Завичајни музеј у Улцињу)では、古のUlcinj/Улцињ(ウルツィニ)の写真をみることが出来ますね。
Ulcinj/Улцињ(ウルツィニ)にも、第二次世界大戦の犠牲者を追悼するためにJugoslavija/Југославија(ユーゴスラビア)時代に建てられたSpomenik/Споменик(スポメニック)がありますね。https://www.spomenikdatabase.org/ulcinj
行きと同じ道では面白くありませんので、帰りは海沿いの遊歩道を歩きますが、Jadransko more/Јадранско море(アドリア海)ですのでオリーブやブドウの並木が広がっているものと思い込んでいましたが、普通に松林や灌木が広がっているようですね。
リゾート都市のせいかGoogle Mapsの口コミ評価が低めで、自分がセルビア人たから…云々なレビューも見られる当地Ulcinj/Улцињ(ウルツィニ)のレストランの中から、ぱっと見で変なレビューを見かけないイタリア料理店(Porto Belvedere)を選んでお魚のスープとシーフードパスタを頂きますが、ポルトガル方面のタコさんと異なりこちらのイカさんやタコさんは適度な弾力を残していていいですね。
山猫軒と異なりレストランで美味しく食べられず、生きて宿泊ゲストハウスに帰着。Ulcinj/Улцињ(ウルツィニ)では、海でも川でものんびり食糧確保に励む人々が見られますね。
昨日は、オフシーズンでも過剰使用の極みなUlcinj/Улцињ(ウルツィニ)の砂浜に沈む夕日を見に行った以外は、宿泊ゲストハウスでMostar/Мостар(モスタル)の旅の纏めに励んでいましたね。
昨日は、Google Mapsのレビュー件数が少なくてガラガラなのに何でこの水準の…なUlcinj/Улцињ(ウルツィニ)郊外ロードサイドのピッツェリア(La Casa)に再訪してお魚のスープとマリナーラを頂きましたが、美味しいうどんと同じく美味しいピッツァも消滅するのが早くていけませんね。
かなり早いですが、清潔で広くて快適な上にシャワートイレも愉しめたUlcinj/Улцињ(ウルツィニ)郊外の宿泊ゲストハウス(Guest House Koliqi)を出発しますね。
オスマン帝国の直接支配はUlcinj/Улцињ(ウルツィニ)北方のBar/Бар(バール)辺りまでで、オスマン帝国支配の影響が色濃い都市周遊はこれにて終了のようですね。
ひぇ〜、Kotor/Котор(コトル)のバスターミナルで下車しますが、同じリゾート都市であるはずのUlcinj/Улцињ(ウルツィニ)とは全く雰囲気が異なり、欧米系バックパッカーの巣窟となっているようですね。
宿泊予定のアパートに荷物を預けましたので、これからハイパー一般的な?Kotor/Котор(コトル)観光としますね。ヴェネツィア共和国時代に作られたという城壁の頂上から市街や湾を見下ろすのが定番のようですが、宿泊アパートの人曰く、15ユーロの道と無料の道があるとのことですね。
無料ほど高いものはないということで、断崖絶壁をよじ登り、足元や落石に気をつけつつ壁沿いに這って移動…では無く、整備された歩きやすいトレイルルートですね。
トレイルルートは標高900〜1000mほどの峠まで続いているようですが、この先は登りが緩やかになり森林になるようで下界の景色は望めなさそうですので、この辺で勘弁しておきますね。
はるか高台からKotor/Котор(コトル)の絶景を愉しみましたので、今から要塞に入る意欲が失われていますが、とりあえず無料の入口まで行っておきますね。
Kotor/Котор(コトル)の要塞の無料入口?、有料化前は正規のトレイルルートだったような形跡がありますし、Google Mapsの口コミを見ますとハシゴがかけられていて入れるとのことですが、今はハシゴなどは無いようで身長2メートルくらいはないと入場?は困難のようですね。
断崖絶壁に滑落せず、落石の下敷きにならず、Kotor/Котор(コトル)要塞に潜入…無料入場を試みて係員に見つかって連行されず、生きてKotor/Котор(コトル)旧市街近くのアパートに到着ですね。Kotor/Котор(コトル)旧市街、かつてオスマン帝国支配下にあった観光都市と異なり、欧米系観光客の巣窟かと思いましたが、よくよく見ますとトルコからがメインと思われるイスラム系観光客がかなり混じっていますし、中華系の団体観光客も見かけますね。
都市間バスは、えらい峠道を登って、かつてヴェネツィア共和国が支配したJadransko more/Јадранско море(アドリア海)沿岸を脱出するようですね。
かつて正教会の主教が神政政治を行っていたというCetinje/Цетиње(ツェティニェ)に到着のようですね。
Cetinje/Цетиње(ツェティニェ)、街並みがえらいゆったりしていてかつ建物が豪勢で、Ulcinj/Улцињ(ウルツィニ)と同じCrna Gora/Црна Гора(モンテネグロ)の都市とは思われませんね。
Cetinje/Цетиње(ツェティニェ)、都市公園もえらい広々としていて、紅葉と相まって大変綺麗ですね。
Cetinje/Цетиње(ツェティニェ)の一角にJugoslavija/Југославија(ユーゴスラビア)時代から存在すると思われるホテルがあって、Google Mapsにはモンテネグロ航空のフライトがキャンセルになったあわれな外国人旅行者によるホラーなレビューが見られますが、休業扱いになっていて予約や飛び込みで泊まれぬようですね。
Cetinje/Цетиње(ツェティニェ)の人々、歩道に駐車しないと死ぬ病にでも罹っているんですかねえ…