icon

Битола(ビトラ)と異なり、Охрид(オフリド)はハイパー一般的な観光地のようで、欧米系団体観光客を見かけますね。

Attach image
Attach image
Attach image
Attach image
icon

偉大なる古代マケドニア王国のフィリップ2世によって作られたと主張されていて、これまた偉大なるОхрид(オフリド)を拠点とするСамоилово Царство(サムイル王国、ブルガリア視点では第一次ブルガリア帝国)のСамоил(サムイル王)によって現在の形になったと主張されているСамоилова тврдина(サムイル要塞)に来ましたが、20世紀初めの写真を見ますといかにもオスマン帝国な雰囲気の要塞で、今世紀になってからの修復で上部のギザギザが付加されているようなんですね。

Attach image
icon

Самоилова тврдина(サムイル要塞)、輝かしき時代に合わせて修復された?上部のギザギザのおかげで景色が見にくいですね…

Attach image
icon

Самоилова тврдина(サムイル要塞)、予算が足りないのか、上部のギザギザが復元?されていないところがあったり、要塞内部はほったらかしのようですね。

Attach image
Attach image
Attach image
Attach image
icon

古代マケドニア王国から?の悠久の歴史を有するОхрид(オフリド)は、中世には正教会が林立し、キリル文字が発明された地と言われるなどバルカン半島における文化の中心地になっていたようですが、オスマン帝国の時代には一時期キリスト教徒が激減し正教会が廃墟となっていた時期があったようですね。

Attach image
icon

Охрид(オフリド)の大聖堂の遺跡であるПлаошник(プラオシュニク)に到着のようですね。

Attach image
Attach image
Attach image
Attach image
icon

Охрид(オフリド)のПлаошник(プラオシュニク)、Битола(ビトラ)の都市遺跡Хераклеја Линкестис(ヘラクレア・リンケスティス)と同じく、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)時代のモザイクが発掘されているようですね。

Attach image
Attach image
Attach image
Attach image
icon

Плаошник(プラオシュニク)の一角にあるЦрква Свети Климент и Пантелеjмон(聖パンテレイモン修道院)、どうもオスマン帝国時代に廃墟になった後に同じ場所に建てられたモスク(İmaret Camii)が取り壊され、2002年に輝かしき時代に合わせて?復元されたもののようですね。kulturenvanteri.com/tr/yer/ima
x.com/karatasgokhan_/status/11

Attach image
icon

復元された修道院の真新しいフレスコ画ですと、ありがたみが薄く感じられてしまっていけませんね。

Attach image
icon

Плаошник(プラオシュニク)の一角にあるモスク建設の助成者であるSinan Çelebiの墓だけが、オスマン帝国時代の唯一の痕跡のようですね。

Attach image
Attach image
Attach image
Attach image
icon

Охрид(オフリド)のСвета Софија(聖ソフィア教会)もオスマン帝国時代にモスクになっていたようですが、廃墟になった時期が無く取り壊されていないのと、スルタンの御慈悲かイスタンブールと同じくフレスコ画を蹂躙せず白く塗って保護したおかげで?現在でも古めかしいフレスコ画を拝むことができますね。

Attach image
Attach image
Attach image
Attach image
icon

Охрид(オフリド)の旧市街、Eskişehir(エスキシェヒル)のようなオシャレリノベーションオスマン様式の街並みを想像して来ましたが、新築も混ざっているような気もしますが建物がえらい高いですね。

Attach image
Attach image
Attach image
Attach image
icon

ややっ、お昼を食べていなくお腹ペコペコですので、Охрид(オフリド)旧市街のレストランに入りますが、国際観光地なのにクレジットカードアウトで現金のみとのことで困りましたね。

Attach image
icon

Охрид(オフリド)旧市街のこちらのレストラン(Вива Ксантика кај Танја)、観光地のど真ん中なのにお手頃価格で、手持ちの現金でСеверна Македонија/Maqedonia e Veriut(北マケドニア)のお豆のスープであるТавче гравче(タフチェ・グラフチェ)とギリシャやトルコなどの周辺諸国にもあるМусака(ムサカ)を美味しく頂けてしまいましたね。

Attach image
Attach image
Attach image
Attach image
icon

犬さんに見とれて自動車に惹かれず、生きて宿泊レジデンスに帰着。Охрид(オフリド)の夜景は美しいですが、ライトアップはもうちょっと慎み深く出来ないんですかねえ…

Attach image
Attach image
Attach image
Attach image
icon

身体がGaziantep(ガズィアンテプ)を求めているのか、Охрид(オフリド)旧市街北部のイスラム教徒向けのお店が多い通りにAntepというお店を見つけ、持ち帰りしたバクラヴァの朝食ですね。

Attach image
Attach image
Attach image
Attach image
icon

Охрид(オフリド)は昨晩から風が吹いていましたが、今日も生ぬるい南風が強く、午後からは風雨のようですね。

Attach image
icon

宿泊レジデンスの周辺は、ヴィンテージな自動車がやたらと停まっていますね。

Attach image
Attach image
Attach image
Attach image
icon

昨晩はОхрид(オフリド)旧市街北部のイスラム教徒向けのお店が多い通りに繁盛したレストラン(Ќебапчилница Вкусно)をチェックしていましたので、今日はそちらで昼食としますが、欧米系観光客も入ってくるようですね。

Attach image
Attach image
Attach image
icon

こちらのお店(Ќебапчилница Вкусно)のЌебап(チェバプチチ)、お手頃価格なのに肉がえらいようけ入っている上にえらい美味ですね。

Attach image
icon

先程のレストラン(Ќебапчилница Вкусно)のお向かいにトルコオーラを放つお店(İstanbul Çay Ocağı)を見つけ、午後のチャイとしますね。

Attach image
icon

1912年バルカン戦争の結果、Охрид(オフリド)周辺を含めオスマン帝国領土に住んでいた多くのトルコ系などのイスラム教徒がMuhacir(難民)として現在のトルコに避難したようですが、Охрид(オフリド)ではトルコ系の人々が少数民族として暮らし続けているようで、トルコからの旅行者がトルコ系店主のチャイ店(İstanbul Çay Ocağı)に集っているようですね。

Attach image
Attach image
Attach image
Attach image