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СПЦ Саборни Храм Светог Ђорђа/Katedralja e Shën Gjergjit(聖ゲオルゲ教会)、今朝は扉が開いていて内部を観覧できますが、週末のためかセルビア系と思われる家族連れが来ていて、小さなお子さんの写真撮影会場となっているようですね。

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今日は宿泊ゲストハウスの近くで道路工事をやっているようで水道を止められて困っていますが、休み休み工事が進められているようで復旧するまでお外で待つしかなさそうですね…

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Prizren/Призрен(プリズレン)、昼間はトルコ がメインと思われるイスラム諸国からの観光客が多いようですね。

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Prizren/Призрен(プリズレン)のXhamia e Sinan Pashës/Синан пашина Џамија(シナン・パシャ・モスク)に限らず、バルカン諸国のモスクはトルコ政府からの援助を受けて修復されているようですね。

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Kalaja e Prizrenit/Призренски град(プリズレン要塞)からは、Prizren/Призрен(プリズレン)の街並みを一望できますね。

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同じ山脈を挟んで麓に位置するPrizren/Призрен(プリズレン)とСеверна Македонија(北マケドニア)のТетово/Tetova/Tetovë(テトヴォ)、直線距離ではかなり近いようなんですね。

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Kalaja e Prizrenit/Призренски град(プリズレン要塞)、肝試しが多いようですね…

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Prizren/Призрен(プリズレン)の高台にあるKisha e Shën Spasit/Црква Светог Спаса(聖なる救い聖堂)のように、2004年コソボ暴動時の被害から復旧できていない正教会もあるようですね。

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Prizren/Призрен(プリズレン)には、カトリック教会Katedralja Katolike e Zojës Ndihmëtare/Католичка катедрала Госпе Помоћнице(聖母大聖堂)もあるようですね。

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斬新な古蹟の有効活用ですね…

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トルコのチャイ文化はコーヒーが入手困難になったトルコ共和国初期からのはずでオスマン帝国由来ではないはずですが、なぜ故かPrizren/Призрен(プリズレン)にもトルコグラスのチャイやさんがありますので、構わずチャイのひとときを過ごしますね。

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地域鉄道を存続させるにも相当の国力が必要と思われますが、美麗なる南の島の高雄方面のように鉄道駅跡を線路そのままで公園化し、ゴミだらけでなく綺麗に維持管理するのは、更なる国力が必要なんですかねえ…

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中進国でもというより、むしろ中進国だから?新しい建物の外面がやたらいいような気がしますが、文字通り馬脚を現している建物も多いようですね。

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国によっても都市によっても違いはあるとはいえ、ヨーロッパでは先進国になるほど都市計画的に公共交通システムや自転車走行インフラが整備され郊外商業抑制と併せて自動車交通が抑制される傾向がある一方で、中進国になるほど自動車交通一辺倒、郊外商業開発一辺倒な傾向があるように感じますね。

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とはいえ、ショッピングモールの中に入りますと、今ヨーロッパの何処にいるのかを覆い隠す匿名性のようなものはあるんですね。

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グローバル化の象徴であるところのショッピングモールにおいても地域性は現れますので、おかげさまでモール内のオシャレカフェでTrileçe(トリレチェ)を美味しくいただくことができますね。

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Prizren/Призрен(Prizren)の郊外は、屋内型ショッピングモール(ABI Çarshia)だけでなく屋外型のモールもあるようで賑わっていますね。

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地名と方角が全然合っていませんね…

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ヨーロッパの何処にいるのか分からない煌びやかなショッピングモールから一歩外に出ますと、Prizren/Призрен(プリズレン)の現実が待っていますね。

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食い倒れせず、生きて宿泊ゲストハウスに帰着。食文化の類似性は、民族間の和解をもたらしませんね…

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需要ゼロと思われますが、Kosovës/Косово(コソボ)のPeja/Pejë/Пећ(ペヤ/ペーチ)バスターミナルの時刻表ですね(たぶん国外は含まれていない)。

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需要ゼロと思われますが、Kosovës/Косово(コソボ)のPrizren/Призрен(プリズレン)バスターミナルの時刻表ですね(たぶん国外は含まれていない)。

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需要ゼロと思われますが、Kosovës/Косово(コソボ)のGjakova/Gjakovë/Ђаковица(ジャコヴァ/ジャコヴィツァ)バスターミナルの時刻表ですね(国外も全部ではないにせよ入っていると思われる)。

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需要ゼロと思われますが、Kosovës/Косово(コソボ)のMitrovica/Mitrovicë/Косовска Митровица(ミトロヴィツァ/コソヴスカ・ミトロヴィツァ)の南側(アルバニア系)バスターミナルの時刻表ですね(たぶん国外は含まれていない)。尚、北側(セルビア系)のバスターミナルは時刻表無しでしたね(ベオグラード行きの存在は確認)。

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Prizren/Призрен(プリズレン)、Pejë/Пећ(ペヤ/ペーチ)やGjakova/Gjakovë/Ђаковица(ジャコヴァ/ジャコヴィツァ)にあるような独特の木造建築が無いわけでは無いんですが、オスマン帝国時代に地域政治の中心だったせいか、Северна Македонија(北マケドニア)のБитола(ビトラ)と同様に洋風建築に置き換えられているところが多いようなんですね。

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Prizren/Призрен(プリズレン)、Marashという地区のようにオスマン帝国時代の建築が多く残っていて修復されたところもあるようですね。

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Prizren/Призрен(プリズレン)は、アルバニア語正書法の会議が開かれた現Северна Македонија(北マケドニア)のБитола(ビトラ)と同様、アルバニア本国含めてアルバニア系の歴史では非常に重要な都市のようで、現Србија/Srbija(セルビア)のНиш/Niš(ニシュ)などでアルバニア系の人々が追放されているさなかの1878年にオスマン帝国側について帝国の下での自治を目指す政治団体Lidhja e Prizrenit(ブリズレン連盟)が発足した地のようですね。

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昨日からSarajeva/Сарајево(サラエヴォ)が呼んでいるのか、昨晩のQebapa/Ћевапчићи(チェヴァプチチ)やさん(Qebaptore Sarajeva)に続いて、今朝はByreku/Бурек(ブレク)やさん(Burek Sarajeva)に吸い込まれてしまいますね。

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お手頃価格なのに清潔な部屋で快適なひとときを過ごせましたので、結局5泊もしてしまったPrizren/Призрен(プリズレン)の宿泊ゲストハウス(Guesthouse Hotel My Home)を出発ですね。えらいイケメンおっさんなオーナーさんは世界中を渡り歩いてきたようですが、赤い星印の衣装を常に着用しているところを見ますと、Jugonostalgjia/Југоносталгија(ユーゴノスタルギヤ)な人だったりするんですかねえ。

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こちらの方は、トルコの地方都市やパレスチナの都市の人々が愛おしく思えるほど、○ン○ャン○ン○ャン喧しい子どもの集団がいたり、一人では何も話しかけられないのに集まると気が大きくなって冷やかし気味に挨拶してきたりするティーンエイジャーの集団がようけいますが、日曜のせいかそういう素朴な?集団がたむろしてなくて歩きやすいですね。

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Prizren/Призрен(プリズレン)のバスターミナル14番乗り場…ではなく、お近くの旅行会社(Atmaxha Trans)から出発するCrna Gora/Црна Гора(モンテネグロ)のUlcinj/Улцињ(ウルツィニ)行きに乗車しますが、Prishtina/Prishtinë/Приштина(プリシュティナ)発のようで結構混んでいますね。

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一人だとジロジロ見ることくらいしかしないのに集団になると挨拶してくるティーンエイジャーに対して好意的に受け取れなかったのは、アルバニア系でもセルビア系でも無い外見的にKosovës/Косово(コソボ)のエスニックマイノリティ、Ashkalitë/Ашкалије,Hashkali/Хашкалије(アッシュカリーまたはアッシュカリーヤ)、egjiptianët ballkanikë/Балкански Египћани(コソヴォ・エジプシャン)に見える人に対し、あからさまな挑発や冷やかしの態度を取っていたのを見ていたからなんですね。

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勿論、一人で挨拶してくる大人も複数いらっしゃいましたし、日本語WebサイトやSNS投稿などでKosovës/Косово(コソボ)を旅行した人が語る親切なエピソードもたくさんありましたが、子供やティーンエイジャーの社会は大人の社会の(ある意味露骨な)鏡であり、そういう側面もあるということではないかと…

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アルバニア系の地区のみならず、セルビア系の地区でも同様でしたし、セルビア本国でも頻度はかなり少なくなりますがベオグラード以外の地方都市ではありましたね(北マケドニアやアルバニアでも同様かと思いきや全く無し)。social.vivaldi.net/@tecogonaz/

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少なくとも、コソボ紛争は決して過去の出来事では無く現在進行形の事象であり(どういう形であれ)現状の変更はありうることだけは分かりましたので、今のうちにСрбија/Srbija(セルビア)やKosovës/Косово(コソボ)に行けたのは大変有意義であったと思いますが、とりあえずKosovës/Косово(コソボ)、セルビア的にはСрбија/Srbija(セルビア)を出国してShqipëri/Shqipëria(アルバニア)に再度入国しますね。

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Shqipëri/Shqipëria(アルバニア)の高速道路の休憩所は巨大なガソリンスタンドのような外観ですが、レストランやバー、スーパーやホテルがあって充実していますね。

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下手な街路樹よりも高い雑草が繁茂するShqipëri/Shqipëria(アルバニア)の平野部に戻ってきましたね。

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事前に確認して聞いてはいたものの、Ulcinj/Улцињ(ウルツィニ)行きのバスは非情にもShkodër(シュコドラ)の市街地に入らず、ヴェネツィア共和国時代の城塞の麓でほっぽり出されてしまいますね。

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ほっぽり出された皆さんは、ぼったくり?タクシーの誘惑を振り切って歩いているようですので自分も歩きますが、路線バスのバス停掲示も無いようですし歩いて正解のようですね。

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後ろの方から警笛が喧しい自動車が近づいてくると思いきや、結婚式の隊列のようですね。

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Shkodër(シュコドラ)は1979年の地震で市内の大部分が破壊されたとのことで、幹線道路沿いは防火建築帯のような街並みが広がっていますね。

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Shkodër(シュコドラ)の中心市街地の建物は復元と思われますが、えらい立派な洋風建築が並んでいて驚きですね。

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