ほな、スーパーでサラダ用葉野菜パックなどなど買い物を済ませましたし、路面電車で宿泊ゲストハウスに帰りましょう。バルカン半島の他所の国もそうですが、レストランのサラダは胡瓜が入っていることが多く怖くて頼めませんね。
ほな、スーパーでサラダ用葉野菜パックなどなど買い物を済ませましたし、路面電車で宿泊ゲストハウスに帰りましょう。バルカン半島の他所の国もそうですが、レストランのサラダは胡瓜が入っていることが多く怖くて頼めませんね。
路面電車の車内でスリさんに惹かれず、生きて宿泊ゲストハウスに帰着。Sarajevo/Сарајево(サラエヴォ)旧市街のこちらのお店(Buregdžinica BosnaBurek)で、Burek(ブレク)の夕食を美味しく頂きましたね。
トルコやアルバニアと同じく、神の御心に従わぬ銀行ばかりなのか、先の国々と比べても高額なATM手数料を徴収するところばかりで困っていましたが、複数通貨口座を持てるデビットカード(Wise)でEUR口座に資金を入れておきますと、指定レートでの両替(JPY→EUR,EUR→BAM)は発生しますがATM手数料はゼロになることが分かりましたので、そちらでキャッシングしますね。
1990年代だけが当地の歴史ではありませんので、Zemaljski muzej Bosne i Hercegovine/Земаљски музеј Босне и Херцеговине(ボスニア・ヘルツェゴビナ国立博物館)で人類の誕生からの当地の歴史のお勉強としますね。
Zemaljski muzej Bosne i Hercegovine/Земаљски музеј Босне и Херцеговине(ボスニア・ヘルツェゴビナ国立博物館)、オーストリア=ハンガリー帝国時代の建物が壮麗ですし、展示品のディスプレイも洗練されていますね。
カトリックと正教会の布教の最前線となっていた当地では、中世ボスニア王国が存在している間、カトリック・正教会双方から異端とされていたボスニア教会やブルガリア発祥のボゴミル派が広く信仰されていて、そのことがオスマン帝国時代のイスラム教改宗の背景にあるようですね。
Zemaljski muzej Bosne i Hercegovine/Земаљски музеј Босне и Херцеговине(ボスニア・ヘルツェゴビナ国立博物館)、他所のオスマン帝国の支配を受けた国々の博物館と同じく、オスマン帝国時代はほぼスルーのようですが、オスマン帝国時代の家屋が再現された空間があって衣装や調度品の展示がありますね。
Zemaljski muzej Bosne i Hercegovine/Земаљски музеј Босне и Херцеговине(ボスニア・ヘルツェゴビナ国立博物館)にはオスマン帝国時代の装飾された銃器が展示されていますが、バザールの木造建築で知られる現Kosovës/Косово(コソボ)のGjakova/Gjakovë/Ђаковица(ジャコヴァ/ジャコヴィツァ)で多く製造され、当地Sarajevo/Сарајево(サラエヴォ)を含むヨーロッパ各地に流通していたようなんですね。https://en.wikipedia.org/wiki/Old_Bazaar_(Gjakova)
Zemaljski muzej Bosne i Hercegovine/Земаљски музеј Босне и Херцеговине(ボスニア・ヘルツェゴビナ国立博物館)には発掘品とその発掘風景の写真を展示するコーナーがありますが、19世紀後半〜20世紀初頭のオーストリア=ハンガリー帝国時代は皆さんちゃんと服を着て発掘作業にあたっているのに、1950年代以降になりますと上半身裸になる人が出てくるのはTitoizam/Титоизам(チトーイズム)の影響なんですかねえ…
Zemaljski muzej Bosne i Hercegovine/Земаљски музеј Босне и Херцеговине(ボスニア・ヘルツェゴビナ国立博物館)近くに、Југославија/Jugoslavija(ユーゴスラビア)時代に設置されたものとは思われないSpomenik/Споменик(スポメニック)がありますが、2007年に設置された有名なもの(Spomenik međunarodnoj zajednici)のようですね。
Zemaljski muzej Bosne i Hercegovine/Земаљски музеј Босне и Херцеговине(ボスニア・ヘルツェゴビナ国立博物館)観覧で疲れましたので、お近くのカフェ(Caffe Tito)に入りますが、近隣のJugonostalgija/Југоносталгија(ユーゴノスタルギヤ)な人々?で賑わっているようですね。https://www.instagram.com/cafe.tito.sarajevo/
スタッフの募集広告がNezavisna Država Hrvatska/Независна Држава Хрватска(クロアチア独立国)のUstaše/Усташе(ウスタシャ)政権の通告を模していて、えらい手が込んでいますね。
お腹が空きましたので、Maršal/Маршал(元帥)の名を冠した通りにあるSarajevski ćevapi(サラエボ式チェバプチチ)のお店(Ćevabdžinica Zmaj Titova)でお昼としますが、こちらは観光客というより市民が多く集っているようで、Maršal/Маршал(元帥)の名に恥じない?味わいで美味しく頂きますね。
週末のSarajevo/Сарајево(サラエヴォ)は晴れ間も見えて、旧市街でも市民が多くカフェのひとときを過ごしているようですね。
当地Sarajevo/Сарајево(サラエヴォ)の過去の栄光であり、Jugoslavija/Југославија(ユーゴスラビア)にとっても最後の栄光だったと思われる1984年冬季オリンピックの記念館(Olimpijski muzej)に入りますね。
どこかしらから放たれた銃弾により行き倒れせず、生きて宿泊ゲストハウスに帰着。そういえば、今日はカフェで休憩したところ店内から日本語が聞こえてきましたが、話していたのが東アジア系ではあるものの日本人オーラを放たない女性とスカーフをした明らかに現地の女性で、空耳だったんですかねえ…