Kosovës/Косово(コソボ)、Србија/Srbija(セルビア)のНови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)と同じくらいか、それ以上に子供&若者が多いような気がしますね。
Kosovës/Косово(コソボ)、Србија/Srbija(セルビア)のНови Пазар/Novi Pazar(ノヴィ・パザル)と同じくらいか、それ以上に子供&若者が多いような気がしますね。
カトリック教会(Kisha e Shën Katarinës)が見えてきましたが、扉を閉めているようですね。
KFOR(コソボ治安維持部隊)でなく地元警察と思われる検問にパスポート不所持で連行されず、生きてПећка патријаршија/Patrikana e Pejës(ペーチ総主教修道院)に到着のようですね。
地元警察によるПећка патријаршија/Patrikana e Pejës(ペーチ総主教修道院)の牛さん他もろもろの防衛ご苦労さまですね。
Пећка патријаршија/Patrikana e Pejës(ペーチ総主教修道院)では観光バスを見かけますが、よくよく見ますとHISのツアーのようですね。https://tour.his-j.com/02A_10/TI-KLC0019
Пећка патријаршија/Patrikana e Pejës(ペーチ総主教修道院)そばを流れる川は清流ですが、下るにつれてだんだん怪しくなるような気がしますね…
Пећка патријаршија/Patrikana e Pejës(ペーチ総主教修道院)からPeja/Pejë/Пећ(ペヤ/ペーチ)市街に戻って、こちらのQebapa/Ћевапчићи(チェヴァプチチ)やさん(Qebabtore Te Zhara)で遅い昼食としますね。
こちらのお店(Qebabtore Te Zhara)には猫さんがいっぱいいますが、どうもQebapa/Ћевапчићи(チェヴァプチチ)を狙っているようで、取られぬよう防衛に励まねばなりませんね。
工事後に大変きれいな歩行者専用道になるのはいいんですが、工事中もちょっとはきれいに出来ないんですかねえ…
Çarshia e Pejës/Пазар у Пећи(ペヤ・バザール/ペーチ・バザール)に来ますと急に木造建築が並ぶ通りになりますが、観光客向けのお土産店やカフェとかで無く、地元民向けの日用品のお店が並んでいて壮観ですね。
Çarshia e Pejës/Пазар у Пећи(ペヤ・バザール/ペーチ・バザール)、1943年イタリア占領時と1998年コソボ紛争時に完全に破壊されているようで、そのたびに木造で復興されたようですね。
Çarshia e Pejës/Пазар у Пећи(ペヤ・バザール/ペーチ・バザール)の裏手の方に行くと、1998年コソボ紛争前からと思われる古い木造建築を少しながら見かけるようになりますね。
ほな、Peja/Pejë/Пећ(ペヤ/ペーチ)のバスターミナルからPrizren/Призрен(プリズレン)に帰りますね。バスターミナルの時刻表にあった最終のバスで帰りますが、時刻表が古くて早々に逝かず時刻通りに発車するようですね。
どうも、名前を言ってはいけないかもしれないあの疫病の変異株が蔓延しているのか、これまで訪問した国・地域と比べて明らかに繰り返し咳をしている人が多く、乗車バスのすぐ前の席でもノー○○○で咳き込んでいる人がいましたので、香港のドラッグストアで購入した減少病毒99.9%を謳うカナダ製の鼻スプレー(VirX)で応急処置をして離れた席に逃げますね。https://virx.hk/
へぅ〜、行き倒れせず、生きてゲストハウスに帰着。日々やっていることではありますが、各種感染症予防のため、帰着後は十分にシャワーを浴び、歯磨き、喉うがい、鼻うがいを念入りに行いますね。
これまで見てきたところでは○○○をしている(かつちゃんと装着出来ている)のはほぼ東アジア系観光客の女性で、極々極々たまに現地の人が○○○をしていてもほぼ鼻出しで、ティラナではN95相当のごついのを装着しているのに鼻出しの人を見かけて卒倒しそうになりましたね…
Kosovës/Косово(コソボ)はアルバニア語圏でありながら、Shqipëri/Shqipëria(アルバニア)のようなイタリアの影響が相対的に少なく、その分オスマン帝国の影響が大きい上に現在もトルコ系住民が少なからずいるとのことで、Prizren/Призрен(プリズレン)のオシャレカフェではアルバニア発祥のケーキであるTrileçe(トリレチェ)にKafja turke(トルコ・コーヒー)の組み合わせを愉しむことが出来ますね。
今日もAutobuska stanica Prizren(プリズレン・バスターミナル)から、昨日と同じ行先&発車時刻の都市間バスの旅ですが、昨日と異なり朝から晴れていますね。
昨日もでしたが、乗車中のバスは、日本語のWebサイトやSNS投稿によりますと小京都とか飛騨高山とか○○宿な風景が広がっているというGjakova/Gjakovë/Ђаковица(ジャコヴァ/ジャコヴィツァ)を通過しますが、果たしてほんまなんですかねえ…
昨日の目的地であるPeja/Pejë/Пећ(ペヤ/ペーチ)の手前、Deçani/Дечани(デチャニ)で降車しますね。
昨日のПећка патријаршија/Patrikana e Pejës(ペーチ総主教修道院)と異なり、地元警察でなくKFOR(コソボ治安維持部隊)が配備されているようで、比較にならないほど警備が厳重ですね。
Манастир Високи Дечани/Manastiri i Deçanit(デチャニ修道院)では、KFOR(コソボ治安維持部隊)にパスポートを押収されてしまいますが、ニセ軍人が紛れていて盗難されぬことを祈りますね。
外部からの手榴弾や流れ弾に倒れず、パスポートをニセ軍人に盗難されて途方に暮れず、何とか生きてПећка патријаршија/Patrikana e Pejës(ペーチ総主教修道院)をあとにしますが、KFOR(コソボ治安維持部隊)による牛さん鶏さん他もろもろの防衛ご苦労さまですね。
お腹ペコペコですので、Deçani/Дечани(デチャニ)から都市間バスでGjakova/Gjakovë/Ђаковица(ジャコヴァ/ジャコヴィツァ)に移動しますね。
オスマン帝国時代に由来するGjakova/Gjakovë/Ђаковица(ジャコヴァ/ジャコヴィツァ)のÇarshia e Madhe/Стари пазар(バザール)に到着したようですが、南北1kmに渡るようで、ヨーロッパでは最大と言われているバザールのようですね。https://en.wikipedia.org/wiki/Old_Bazaar_(Gjakova)
Peja/Pejë/Пећ(ペヤ/ペーチ)の地元民向けの小売店が並ぶバザールと異なり、Gjakova/Gjakovë/Ђаковица(ジャコヴァ/ジャコヴィツァ)の北の方はオシャレカフェバー通り?となっているようですね。
Gjakova/Gjakovë/Ђаковица(ジャコヴァ/ジャコヴィツァ)のオシャレカフェバーバザール?お店にもよるでしょうが、地域・地区の伝統的建造物に流れる思想を理解せず、現代的な要望のみに基づいた익선동(益善洞)な感じのリノベーションに見えなくもないですね。
Gjakova/Gjakovë/Ђаковица(ジャコヴァ/ジャコヴィツァ)のオシャレカフェバーが並ぶ通りから少し外れると、昔ながらと思われる小売店が点在する通りになりますね。
Gjakova/Gjakovë/Ђаковица(ジャコヴァ/ジャコヴィツァ)のバザール、南の方は閉まっているお店が多いようですが、この地区の木造建築を事細かに観察したり、建築の思想を垣間見たりできそうですね。
Gjakova/Gjakovë/Ђаковица(ジャコヴァ/ジャコヴィツァ)、オスマン帝国時代には銃器や銀細工に代表される各種手工芸品の生産と交易の中継地として栄え、そのことが現在に通じる伝統的な木造建築の厚みにつながっているようですね。
Gjakova/Gjakovë/Ђаковица(ジャコヴァ/ジャコヴィツァ)のバザールは、一角にあるモスク(Xhamia e Hadumit)もまた美しいですね。
Gjakova/Gjakovë/Ђаковица(ジャコヴァ/ジャコヴィツァ)では木造の隊商宿が多く作られたようですが、16世紀末期のオスマン帝国時代に建てられた当地で最も古い建物の一つ(Hani i Haraçisë)を改装したレストランで昼食兼夕食としますね。
Peja/Pejë/Пећ(ペヤ/ペーチ)と同じく、1998年コソボ紛争で被害を受けて復元された木造建築も多いらしいGjakova/Gjakovë/Ђаковица(ジャコヴァ/ジャコヴィツァ)ともお別れですね。バザールのオシャレカフェで遅くまでのんびりしたいところですが、幹線なのにPrizren/Призрен(プリズレン)への終バスが18時30分とえらい早いですので、路頭に迷う前に帰りましょう。
乗車バスを間違えて、終バスが出払ったPeja/Pejë/Пећ(ペヤ/ペーチ)のバスターミナルにほっぽり出されず、生きてPrizren/Призрен(プリズレン)のゲストハウスに帰着。どうも、Trileçe(トリレチェ)にハマってしまったようで、今夜も街角の菓子店で頂いてしまいましたね。
今日も今日とてAutobuska stanica Prizren(プリズレン・バスターミナル)から、都市間バスの旅ですね。首都Prishtina/Prishtinë/Приштина(プリシュティナ)のバスターミナル乗継で行きますが、首都発だから終バスは遅いだろうという希望的観測はもろくも打ち砕かれそうですので、暗いうちから出発しますね。
Prizren/Призрен(プリズレン)から首都Prishtina/Prishtinë/Приштина(プリシュティナ)までは高速道路でささっと行ってくれるだろうとの希望的観測はもろくも打ち砕かれ、下道をチンタラ走行し、適当な路上で乗降扱いし、給油ついでに煙草休憩するようですね…
Prizren/Призрен(プリズレン)から下道をチンタラ走り渋滞にはまり、約2時間で首都Prishtina/Prishtinë/Приштина(プリシュティナ)のバスターミナルに到着のようですね。
Prishtina/Prishtinë/Приштина(プリシュティナ)のバスターミナルのチケット窓口の人曰く、次の目的地のバスは4番で待てとのことで待ちますが、他の番号の乗り場は頻繁にバスの出入りがあるのに、4番の方は30分待ってもバスが来ませんね…
Kosovës/Косово(コソボ)では、バスの経路上で待って手を挙げれば乗れるというテクニックがありますので、確実に通過するであろうポイントまでと思い歩いていますと、何の目印もないところで目的地へのバスが客待ちしていて、煙草休憩している運転手曰くターミナルには止まらないとのことですね…
へぅ〜、やっとこさ今日の目的地であるMitrovica/Mitrovicë/Косовска Митровица(ミトロヴィツァ/コソヴスカ・ミトロヴィツァ)のIbër/Ibri/Ибар(イバル川)南側のバスターミナルに到着しましたが、Prizren/Призрен(プリズレン)から4時間もかかってしまいましたね…
Ibër/Ibri/Ибар(イバル川)南側のアルバニア系の市街地を歩きますが、街の写真を撮っていますとこれも撮れと絡まれてしまいますね。
Ibër/Ibri/Ибар(イバル川)南側は1998年コソボ紛争で壊滅的な被害を受けたとのことですで、Peja/Pejë/Пећ(ペヤ/ペーチ)やGjakova/Gjakovë/Ђаковица(ジャコヴァ/ジャコヴィツァ)のような木造建築のバザールは無いようですが、高層住宅が立ち並ぶ中心市街地があるようですね。
KFOR(コソボ治安維持部隊)が警備するIbër/Ibri/Ибар(イバル川)を渡る橋を渡りますね。
セルビア系のIbër/Ibri/Ибар(イバル川)北側では、当然のことながら、セルビア正教会が閉鎖されていたり警察やKFOR(コソボ治安維持部隊)が警備したりしていませんね。
Mitrovica/Mitrovicë/Косовска Митровица(ミトロヴィツァ/コソヴスカ・ミトロヴィツァ)北側の高台には、Jugosllavia/Југославија(ユーゴスラビア)時代の1973年に建てられたSpomenik(スポメニック)がありますが、アルバニア系・セルビア系関係なく炭鉱労働者が協力してファシストに立ち向かった歴史は顧みられぬようですね。https://www.atlasobscura.com/places/mitrovica-miners-monument
高台のSpomenik(スポメニック)は、これまでもこれからも、紛争と分断を見守り続けるんですかねえ…
Mitrovica/Mitrovicë/Косовска Митровица(ミトロヴィツァ/コソヴスカ・ミトロヴィツァ)は、Ibër/Ibri/Ибар(イバル川)南側だけでなく、北側にもバスターミナルがありますが、外国人に対する案内の分かりづらさは五十歩百歩のようですね…
建物は心なし古めに見えますが、Mitrovica/Mitrovicë/Косовска Митровица(ミトロヴィツァ/コソヴスカ・ミトロヴィツァ)のIbër/Ibri/Ибар(イバル川)北側も活気はありますね。
Србија(セルビア)の食べ物恋しさか、Ibër/Ibri/Ибар(イバル川)北側にいるうちにこちらのお店(Restaurant Duo Grill)で昼食としますね。幸い、ユーロの現金は使えるようですが、英語は通じませんね。
再び、KFOR(コソボ治安維持部隊)が警備するIbër/Ibri/Ибар(イバル川)を渡って、北側から南側に戻りますが、カフェ客業?の人の多さや耳に何かをつけた保護犬?の多さ、10代の学生グループの生態は、五十歩百歩のようですね。
Ibër/Ibri/Ибар(イバル川)の南側の方がショッピングモール等の商業集積が多いせいかは不明ですが、Ibër/Ibri/Ибар(イバル川)の橋を渡っている人は結構多いですね。
ということで、近年もIbër/Ibri/Ибар(イバル川)北部でデモに伴う衝突が起きているMitrovica/Mitrovicë/Косовска Митровица(ミトロヴィツァ/コソヴスカ・ミトロヴィツァ)ともお別れですね。
Mitrovica/Mitrovicë/Косовска Митровица(ミトロヴィツァ/コソヴスカ・ミトロヴィツァ)〜Prishtina/Prishtinë/Приштина(プリシュティナ)間の都市間バスは柔軟な?運用が大好きなのか、バスターミナルから中心市街地の歩行者天国のところまで進んで、前方で待っている別のバスに乗り換えさせられますね…
Mitrovica/Mitrovicë/Косовска Митровица(ミトロヴィツァ/コソヴスカ・ミトロヴィツァ)〜Prishtina/Prishtinë/Приштина(プリシュティナ)間の都市間バスは柔軟な?走行が大好きなのか、渋滞にハマると路肩を走行して前方の自動車を追い抜くようですね…
Prishtina/Prishtinë/Приштина(プリシュティナ)、幹線道路の交差点をラウンドアバウトで処理しようとするのも微妙ですが、それ以前に鉄道や路面電車、BRTなどの中量〜大量輸送の公共交通の整備を怠って道路交通のみに頼った反面教師の都市に見えますね…
Mitrovica/Mitrovicë/Косовска Митровица(ミトロヴィツァ/コソヴスカ・ミトロヴィツァ)〜Prishtina/Prishtinë/Приштина(プリシュティナ)間の都市間バスは柔軟な?乗り場設定が大好きなのか、Prishtina/Prishtinë/Приштина(プリシュティナ)側ではバスターミナル手前の適当なところで客を降ろし、バスターミナルの所定の乗り場には入らず適当なところで客待ちするようですね…
時間があればPrishtina/Prishtinë/Приштина(プリシュティナ)市街を散策と思いましたが、渋滞でMitrovica/Mitrovicë/Косовска Митровица(ミトロヴィツァ/コソヴスカ・ミトロヴィツァ)から2時間以上も要してしまいましたし、バスターミナルから中心市街地に向かうまともな市内バスはないようですし、ちょうどPrizren/Призрен(プリズレン)に向けて出発するところの都市間バスがありますので、そちらに飛び乗って再度渋滞見物の旅としますね…
Prishtina/Prishtinë/Приштина(プリシュティナ)〜Prizren/Призрен(プリズレン)はやたら多数の交通事業者が参入していて本数は多いんですが、交通事業者によって経由するルートが微妙に違うようで帰りの便は一部高速道路経由ですが、行きは乗れたのに帰りはルートが違って降りれなくて途方に暮れるとかないんですかねえ…
3日連続バスの旅疲れにより行き倒れせず、生きてPrizren/Призрен(プリズレン)のゲストハウスに帰着。身体がGaziantep(ガズィアンテプ)を求めているのか、Antepという名前のお店でお持ち帰りしてしまいますね。
Kosovës/Косово(コソボ)では、Prizren/Призрен(プリズレン)を拠点として近隣都市をバスで巡ってきましたが、国外行きバスの全貌を把握できず次の行先が決まっていないのと、拠点都市を全然見ていないことに気づきましたので、旅の纏め時間確保を含めて宿泊ゲストハウスを1泊延泊しますね。
宿泊ゲストハウスからバスターミナルの間にあるБогородица Љевишка/Virgjëresha e Ljevishkës(リェヴィシャの生神女教会)、2004年コソボ暴動で大きな被害を受けたとのことですが、扉はずっと閉じられたままですね。
第一候補の国外行きバスが実在するかを確認するのと運転手orその取り巻きに質問攻めするため、Prizren/Призрен(プリズレン)のバスターミナルに来ましたが、こちらの犬さんに惹かれたか、ずっとついてきて困りますね。
へぅ〜、第一候補の国外行きバスの行先が記載された乗り場で待っていたところ、客引きからここから出ないからと旅行会社の事務所に拉致され、その場で明日のチケットを買わされ、明日は事務所の前から出るからと言われて解放されますね…
Богородица Љевишка/Virgjëresha e Ljevishkës(リェヴィシャの生神女教会)に戻って周りをうろうろしていたところ、24時間警備している地元警察の人が手招きしてきて、神父ではなさそうですが教会関係者が扉を開けてくれるとのことで、写真撮影禁止ですが内部を鑑賞できますね。
自分が入ってから暫くしてスカーフをした女性が入ってきて、イスラム教徒ながらも彼女も見学者かと思っていましたが、扉を開けてくれた教会関係者の男性との会話が妙に長いと思って見てみると、仲睦まじい関係のようなんですね… もしや、教会関係者はアルバニア系の人!?と思いましたが、会話はスラブ系言語のようなんですね。
ということで、教会をあとにしますが、先程のスカーフの女性は、扉の鍵を持った男性により閉じ込められてしまったようですね…
СПЦ Саборни Храм Светог Ђорђа/Katedralja e Shën Gjergjit(聖ゲオルゲ教会)、今朝は扉が開いていて内部を観覧できますが、週末のためかセルビア系と思われる家族連れが来ていて、小さなお子さんの写真撮影会場となっているようですね。
今日は宿泊ゲストハウスの近くで道路工事をやっているようで水道を止められて困っていますが、休み休み工事が進められているようで復旧するまでお外で待つしかなさそうですね…
Prizren/Призрен(プリズレン)、昼間はトルコ がメインと思われるイスラム諸国からの観光客が多いようですね。
Prizren/Призрен(プリズレン)のXhamia e Sinan Pashës/Синан пашина Џамија(シナン・パシャ・モスク)に限らず、バルカン諸国のモスクはトルコ政府からの援助を受けて修復されているようですね。
Kalaja e Prizrenit/Призренски град(プリズレン要塞)からは、Prizren/Призрен(プリズレン)の街並みを一望できますね。
同じ山脈を挟んで麓に位置するPrizren/Призрен(プリズレン)とСеверна Македонија(北マケドニア)のТетово/Tetova/Tetovë(テトヴォ)、直線距離ではかなり近いようなんですね。
Kalaja e Prizrenit/Призренски град(プリズレン要塞)、肝試しが多いようですね…
Prizren/Призрен(プリズレン)の高台にあるKisha e Shën Spasit/Црква Светог Спаса(聖なる救い聖堂)のように、2004年コソボ暴動時の被害から復旧できていない正教会もあるようですね。
Prizren/Призрен(プリズレン)には、カトリック教会Katedralja Katolike e Zojës Ndihmëtare/Католичка катедрала Госпе Помоћнице(聖母大聖堂)もあるようですね。
トルコのチャイ文化はコーヒーが入手困難になったトルコ共和国初期からのはずでオスマン帝国由来ではないはずですが、なぜ故かPrizren/Призрен(プリズレン)にもトルコグラスのチャイやさんがありますので、構わずチャイのひとときを過ごしますね。
地域鉄道を存続させるにも相当の国力が必要と思われますが、美麗なる南の島の高雄方面のように鉄道駅跡を線路そのままで公園化し、ゴミだらけでなく綺麗に維持管理するのは、更なる国力が必要なんですかねえ…
中進国でもというより、むしろ中進国だから?新しい建物の外面がやたらいいような気がしますが、文字通り馬脚を現している建物も多いようですね。
国によっても都市によっても違いはあるとはいえ、ヨーロッパでは先進国になるほど都市計画的に公共交通システムや自転車走行インフラが整備され郊外商業抑制と併せて自動車交通が抑制される傾向がある一方で、中進国になるほど自動車交通一辺倒、郊外商業開発一辺倒な傾向があるように感じますね。
とはいえ、ショッピングモールの中に入りますと、今ヨーロッパの何処にいるのかを覆い隠す匿名性のようなものはあるんですね。
グローバル化の象徴であるところのショッピングモールにおいても地域性は現れますので、おかげさまでモール内のオシャレカフェでTrileçe(トリレチェ)を美味しくいただくことができますね。
Prizren/Призрен(Prizren)の郊外は、屋内型ショッピングモール(ABI Çarshia)だけでなく屋外型のモールもあるようで賑わっていますね。
ヨーロッパの何処にいるのか分からない煌びやかなショッピングモールから一歩外に出ますと、Prizren/Призрен(プリズレン)の現実が待っていますね。
食い倒れせず、生きて宿泊ゲストハウスに帰着。食文化の類似性は、民族間の和解をもたらしませんね…
需要ゼロと思われますが、Kosovës/Косово(コソボ)のPeja/Pejë/Пећ(ペヤ/ペーチ)バスターミナルの時刻表ですね(たぶん国外は含まれていない)。
需要ゼロと思われますが、Kosovës/Косово(コソボ)のPrizren/Призрен(プリズレン)バスターミナルの時刻表ですね(たぶん国外は含まれていない)。
需要ゼロと思われますが、Kosovës/Косово(コソボ)のGjakova/Gjakovë/Ђаковица(ジャコヴァ/ジャコヴィツァ)バスターミナルの時刻表ですね(国外も全部ではないにせよ入っていると思われる)。
需要ゼロと思われますが、Kosovës/Косово(コソボ)のMitrovica/Mitrovicë/Косовска Митровица(ミトロヴィツァ/コソヴスカ・ミトロヴィツァ)の南側(アルバニア系)バスターミナルの時刻表ですね(たぶん国外は含まれていない)。尚、北側(セルビア系)のバスターミナルは時刻表無しでしたね(ベオグラード行きの存在は確認)。
Prizren/Призрен(プリズレン)、Pejë/Пећ(ペヤ/ペーチ)やGjakova/Gjakovë/Ђаковица(ジャコヴァ/ジャコヴィツァ)にあるような独特の木造建築が無いわけでは無いんですが、オスマン帝国時代に地域政治の中心だったせいか、Северна Македонија(北マケドニア)のБитола(ビトラ)と同様に洋風建築に置き換えられているところが多いようなんですね。
Prizren/Призрен(プリズレン)、Marashという地区のようにオスマン帝国時代の建築が多く残っていて修復されたところもあるようですね。
Prizren/Призрен(プリズレン)は、アルバニア語正書法の会議が開かれた現Северна Македонија(北マケドニア)のБитола(ビトラ)と同様、アルバニア本国含めてアルバニア系の歴史では非常に重要な都市のようで、現Србија/Srbija(セルビア)のНиш/Niš(ニシュ)などでアルバニア系の人々が追放されているさなかの1878年にオスマン帝国側について帝国の下での自治を目指す政治団体Lidhja e Prizrenit(ブリズレン連盟)が発足した地のようですね。
昨日からSarajeva/Сарајево(サラエヴォ)が呼んでいるのか、昨晩のQebapa/Ћевапчићи(チェヴァプチチ)やさん(Qebaptore Sarajeva)に続いて、今朝はByreku/Бурек(ブレク)やさん(Burek Sarajeva)に吸い込まれてしまいますね。
お手頃価格なのに清潔な部屋で快適なひとときを過ごせましたので、結局5泊もしてしまったPrizren/Призрен(プリズレン)の宿泊ゲストハウス(Guesthouse Hotel My Home)を出発ですね。えらいイケメンおっさんなオーナーさんは世界中を渡り歩いてきたようですが、赤い星印の衣装を常に着用しているところを見ますと、Jugonostalgjia/Југоносталгија(ユーゴノスタルギヤ)な人だったりするんですかねえ。
こちらの方は、トルコの地方都市やパレスチナの都市の人々が愛おしく思えるほど、○ン○ャン○ン○ャン喧しい子どもの集団がいたり、一人では何も話しかけられないのに集まると気が大きくなって冷やかし気味に挨拶してきたりするティーンエイジャーの集団がようけいますが、日曜のせいかそういう素朴な?集団がたむろしてなくて歩きやすいですね。
Prizren/Призрен(プリズレン)のバスターミナル14番乗り場…ではなく、お近くの旅行会社(Atmaxha Trans)から出発するCrna Gora/Црна Гора(モンテネグロ)のUlcinj/Улцињ(ウルツィニ)行きに乗車しますが、Prishtina/Prishtinë/Приштина(プリシュティナ)発のようで結構混んでいますね。
一人だとジロジロ見ることくらいしかしないのに集団になると挨拶してくるティーンエイジャーに対して好意的に受け取れなかったのは、アルバニア系でもセルビア系でも無い外見的にKosovës/Косово(コソボ)のエスニックマイノリティ、Ashkalitë/Ашкалије,Hashkali/Хашкалије(アッシュカリーまたはアッシュカリーヤ)、egjiptianët ballkanikë/Балкански Египћани(コソヴォ・エジプシャン)に見える人に対し、あからさまな挑発や冷やかしの態度を取っていたのを見ていたからなんですね。
勿論、一人で挨拶してくる大人も複数いらっしゃいましたし、日本語WebサイトやSNS投稿などでKosovës/Косово(コソボ)を旅行した人が語る親切なエピソードもたくさんありましたが、子供やティーンエイジャーの社会は大人の社会の(ある意味露骨な)鏡であり、そういう側面もあるということではないかと…
アルバニア系の地区のみならず、セルビア系の地区でも同様でしたし、セルビア本国でも頻度はかなり少なくなりますがベオグラード以外の地方都市ではありましたね(北マケドニアやアルバニアでも同様かと思いきや全く無し)。https://social.vivaldi.net/@tecogonaz/113309475348121699
少なくとも、コソボ紛争は決して過去の出来事では無く現在進行形の事象であり(どういう形であれ)現状の変更はありうることだけは分かりましたので、今のうちにСрбија/Srbija(セルビア)やKosovës/Косово(コソボ)に行けたのは大変有意義であったと思いますが、とりあえずKosovës/Косово(コソボ)、セルビア的にはСрбија/Srbija(セルビア)を出国してShqipëri/Shqipëria(アルバニア)に再度入国しますね。
Shqipëri/Shqipëria(アルバニア)の高速道路の休憩所は巨大なガソリンスタンドのような外観ですが、レストランやバー、スーパーやホテルがあって充実していますね。
下手な街路樹よりも高い雑草が繁茂するShqipëri/Shqipëria(アルバニア)の平野部に戻ってきましたね。
事前に確認して聞いてはいたものの、Ulcinj/Улцињ(ウルツィニ)行きのバスは非情にもShkodër(シュコドラ)の市街地に入らず、ヴェネツィア共和国時代の城塞の麓でほっぽり出されてしまいますね。
ほっぽり出された皆さんは、ぼったくり?タクシーの誘惑を振り切って歩いているようですので自分も歩きますが、路線バスのバス停掲示も無いようですし歩いて正解のようですね。
Shkodër(シュコドラ)は1979年の地震で市内の大部分が破壊されたとのことで、幹線道路沿いは防火建築帯のような街並みが広がっていますね。
Shkodër(シュコドラ)の中心市街地の建物は復元と思われますが、えらい立派な洋風建築が並んでいて驚きですね。
へぅ〜、重い荷物を背負って50分も歩いて、何とか生きてゲストハウスに到着ですね。何といいますか、街を行き交う人々の雰囲気がKosovës/Косово(コソボ)と同じアルバニア系とは思われませんね。
次の目的地へのバスについて調べようと思ってShkodër(シュコドラ)市街に繰り出すも観光案内所も旅行会社も日曜定休のようで途方に暮れていますと、アルバニア語なので正直何を言っているのかは分かりませんが、旅行会社そばの売店のおばちゃんがあっちのホテルに行けば目的地行きのバス停が…みたいなことを大変親切に教えてくれますね。
Shkodër(シュコドラ)、市街をよくよく歩きますと結構朽ちた洋風建築があって木が茂っているのもありますが、1979年の地震で壊れてそのままという建物もあるんですかねえ…
Kosovës/Косово(コソボ)と異なり、良くも悪くもイタリアとの関係が深いShqipëri/Shqipëria(アルバニア)ですので、地方都市のShkodër(シュコドラ)でも相場がおかしい焼き立てピザ…ピッツァを愉しめますね。
当地の犬さんや猫さんのように路上で眠りにつかず、生きて宿泊ゲストハウスに帰着。夕食は歩行者天国でなく裏通りにあるレストラン(Traditional food)で頂きましたが、Kosovës/Косово(コソボ)で飲みそびれた軽い味わいのPeja/Pejë/Пећ(ペヤ/ペーチ)ビールも美味しくいただきましたね。
Shkodër(シュコドラ)は1泊しかしない予定ですが、思ったより見どころがありそうなのと、宿泊ゲストハウスも含めて居心地がいいですので、もう1泊することにしますね。
Shkodër(シュコドラ)中心部にあるこちらのモスク(Xhamia Ebu Beker)、真新しいのは1979年地震の被害によるものでは無く、無神国家時代にオスマン帝国時代に建てられたモスクが破壊されたからのようですね。
Shkodër(シュコドラ)中心部にあるこちらのカトリック教会(Kisha Katolike Françeskane)も、モスクと同じく無神国家時代に破壊され、後に復元されたもののようですね。
Shkodër(シュコドラ)中心部にあるこちらのカトリック教会(Kisha Katolike Françeskane)、Shqipëri/Shqipëria(アルバニア)の歴史に基づいた?宗教画が多いですね。
1858年のオスマン帝国時代に建てられたShkodër(シュコドラ)で最も大きいカトリック教会(Katedralja e Shën Shtjefnit)は、無神国家時代にはスポーツ神殿にされたとのことで破壊を免れたようですね。
こちらのカトリック教会(Katedralja e Shën Shtjefnit)では、共産党政権の時代に殉教したと思われる神父が祀られているようですね。
Shkodër(シュコドラ)市内各地にかつて存在した共産党政権時代の収容所の一つを利用した博物館(Vendi i Deshmisë dhe Kujtesës)を訪問しますね。
Shkodër(シュコドラ)、オランダ・デンマークなどのヨーロッパ自転車先進国の都市並みとはいかなくても、高松並みには自転車の利用が多いように見えますね。
需要ゼロと思われますが、Shkodër(シュコドラ)市街の路上にあるアルバニア国内都市行きバス乗り場の時刻表ですね。
Shkodër(シュコドラ)は、オスマン帝国時代の建物は著しく少ないようですが、全くないわけではないようですね。
昨日売店のおばちゃんに教えてもらったところに行ってみましたら、明日の目的地の時刻表が書かれたバス停があって、明日の目的地行きのバスの運転手に時刻表が合っていることと毎日運行することを確認しましたので、一旦宿泊ゲストハウスに帰りましょう。
おやや、高松も自転車カオスですので他所さまの都市をとやかく言える立場ではありませんが、さすがに歩行者天国では自転車には乗りませんね。
今度こそShqipëri/Shqipëria(アルバニア)最期…最後の夜ですので、お昼に訪問した博物館(Vendi i Deshmisë dhe Kujtesës)隣りにあるレストラン(Restorant Temali)でTasqebap(タスチェバプ)を頂きますが、焼肉料理の一種かと思いきや煮込み料理のようですね。
酔っ払って夜の街に消えず、生きて宿泊ゲストハウスに帰着。繁華街から外れますと、街灯が黄色みを帯びていて建物がえらい映えますね。
単なる住宅地のように見えても、カウンターだけのByrek(ビュレック)のお店や一つ窓の売店、露店があったりするんですね。
大変よく掃除されていて広くて快適な滞在だったShkodër(シュコドラ)の宿泊ゲストハウス(Guest House Zadeja)を出発しますね。
ということで、1日3便(毎日運行)の時刻表が記載されたバス停より、Crna Gora/Црна Гора(モンテネグロ)のPodgorica/Подгорица(ポドゴリツァ)行きに乗車しますね。
中心市街地でも自動車が平気で高速走行し、歩道やアーケード商店街に追いやられている高松より、自転車利用者にとっては走りやすそうな環境のように見えますね。
Crna Gora/Црна Гора(モンテネグロ)に入国して、Skadarsko jezero/Скадарско језеро(シュコダル湖)を左手に見ますね。
Podgorica/Подгорица(ポドゴリツァ)の社会主義リアリズムな団地が見えてきたところで、バスターミナルに到着のようですね。
行き倒れせず、生きてPodgorica/Подгорица(ポドゴリツァ)のバスターミナル近くのアパートに到着ですが、昔からの集落があった地区のようで道が狭いですし一軒家が多いですね。
前回の旧共産圏中〜北部の旅行ではロッカーやトイレチップ、ごく一部の店くらいしか現金を使わなかったのに、今回はやたら現金を求められてユーロ金欠状態になっていますので、Kosovës/Косово(コソボ)と同じく勝手にユーロを流通させているCrna Gora/Црна Гора(モンテネグロ)でクレジットキャッシングしたいところですが、ぼったくり両替レートでの引出を求めてきて、拒否するとカードを差し返されてしまいますね…
やむなく、ドル・ユーロなどの複数通貨口座を持てるデビットカード(Wise)を使って、比較的ましなレートで円口座からユーロ口座に資金を移し、再度引出を試みたところぼったくりレート引出は無くなりましたが、ATM手数料を取られるのは変わりないようですね… とりあえず、引き出した現金で、クレジット決済不可のバスターミナルで明日のバスチケットを購入しますね…
Podgorica/Подгорица(ポドゴリツァ)、誰が言い出したか、欧州で一番醜い首都と言われているようですが、変な銅像や建物をいっぱい建てていて歴史の冒涜たる?Скопје(スコピエ)や、モスクの背後に変な建物を建てていてこれまた歴史の冒涜たる?Tirana/Tiranë(ティラナ)よりはマシな気がしますね。
Podgorica/Подгорица(ポドゴリツァ)の中心市街地を流れる川、Shqipëri/Shqipëria(アルバニア)のヨーロッパとは思われない土砂だらけの濁った川と異なり、満々と水をたたえていて清流ですが、さほど距離が離れていないはずなのに何が違うんですかねえ。
Podgorica/Подгорица(ポドゴリツァ)では、中心市街地そばでも渓谷美を愉しめるようですね。
Podgorica/Подгорица(ポドゴリツァ)は、1878年までオスマン帝国による直接支配を受けていたということで、要塞跡(Ribnica/Рибница)が残っていますね。
オスマン帝国時代に地域の中心として栄えたShkodër(シュコドラ)と異なり、Podgorica/Подгорица(ポドゴリツァ)は辺境の要塞に付随する小さな町だったようですが、オスマン帝国時代の旧市街は単なる集落となっていてモスクが残されていますね。
Podgorica/Подгорица(ポドゴリツァ)のオスマン帝国時代の旧市街も壁画が多いですね。
Podgorica/Подгорица(ポドゴリツァ)で一番大きいと思われるショッピングモール(Mall of Montenegro)に来ましたが、えらい空きテナントが多くて薄暗いモールですね…
ショッピングモール(Mall of Montenegro)に隣接する伝統市場(Tržnice i Pijace)の方がまだテナントが埋まっているように見えますね。
Podgorica/Подгорица(ポドゴリツァ)の鉄道駅(Željeznički prevoz Crne Gore)に来ましたが、Kosovës/Косово(コソボ)やShqipëri/Shqipëria(アルバニア)と比べますと、鉄道が機能しているように見えますね。
需要ゼロと思われますが、Podgorica/Подгорица(ポドゴリツァ)の鉄道駅(Željeznički prevoz Crne Gore)の発着時刻表ですね。
Crna Gora/Црна Гора(モンテネグロ)最初にして最期…最後の夜になるかもしれませんので、Podgorica/Подгорица(Podgorica)のバスターミナルに程近いレストラン(Roštilj Nino Janković)に入っておきますね。
Podgorica/Подгорица(ポドゴリツァ)の名物をと思いきや無いとのことで、明日訪問する都市の名物?を美味しく頂きますね…
行き倒れせず、生きて宿泊アパートに帰着。ちょっと絡んでくる大人もいないわけではありませんが、少なくとも当地の子供やティーンエイジャーは文明市民として?洗練されているように見えますね。
Podgorica/Подгорица(ポドゴリツァ)のバスターミナルから程近い集落にある宿泊アパートを出発ですね。設備が充実している上にオーナーのお母さまが掃除した部屋は大変清潔で、1泊だけするのがもったいないくらいでしたが、お隣の鶏さんは朝2時3時から起き出すようで、その元気な鳴き声にうなされていましたね…
今日は移動日ですね。Podgorica/Подгорица(ポドゴリツァ)のバスターミナルよりマイクロバスに詰め込まれ出発しますね。
Crna Gora/Црна Гора(モンテネグロ)出国ですので、絶景の中で睡眠に勤しんでいた他の乗客も強制的に起こされますね。
Crna Gora/Црна Гора(モンテネグロ)からBosna i Hercegovina/Босна и Херцеговина(ボスニア・ヘルツェゴビナ)に入りますね。
Bosna i Hercegovina/Босна и Херцеговина(ボスニア・ヘルツェゴビナ)入国を拒否されて山中に取り残されず、生きてセルビア系主体のРепублика Српска/Republika Srpska(スルプスカ共和国)に入ることが出来るようですね。
Bosna i Hercegovina/Босна и Херцеговина(ボスニア・ヘルツェゴビナ)に入ってから急に道が悪くなり上下左右揺られますので、絶景でないのに皆さん起きてなければなりませんね。
エンストが治らずФоча/Foča(フォーチャ)の街に放り出されず、生きて代車に乗ることが出来るようですね。
ぎりぎりРепублика Српска/Republika Srpska(スルプスカ共和国)に位置するAutobuska stanica Istočno Sarajevo/Аутобуска станица Источно Сарајево(東サラエボバスターミナル)に到着のようですね。
需要ゼロと思われますが、ぎりぎりРепублика Српска/Republika Srpska(スルプスカ共和国)に位置するAutobuska stanica Istočno Sarajevo/Аутобуска станица Источно Сарајево(東サラエボバスターミナル)の時刻表ですね。
案内表示がなく、いつの間にかРепублика Српска/Republika Srpska(スルプスカ共和国)からFederacija Bosne i Hercegovine/Федерација Босне и Херцеговине(ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦)に入ったようで、バス乗り場から最新鋭のトロリーバスに乗車しますね。
どうも、前回も含めてこれまで訪問した都市と異なり、スリさんがうようよしているようで注意が必要のようですね。
へぅ〜、スリさんに惹かれず、生きて少し高台にあるゲストハウスに到着しましたが、オーナーさんからゲストハウスの案内やおすすめの飲食店や観光スポットについて20〜30分くらい熱心な説明を受けてしまいましたね。
Sarajevski ćevapi(サラエボ式チェバプチチ)の本場に来ましたので、夕食は宿泊ゲストハウスのオーナーさんのおすすめに従って超有名らしいお店(Ćevabdžinica Petica Ferhatović)で美味しくいただきましたが、今までさんざん旧Jugoslavija/Југославија(ユーゴスラビア)諸国で食べてきて大変美味しいお店もありましたので、うどん県内の大変美味しいうどん店のように他県の讃岐うどん店でさんざん食べてきても感激するようなことは果たしてあるんですかねえ…
Sarajevo/Сарајево(サラエヴォ)到着時点で未だKosovës/Косово(コソボ)の旅の纏めも終わらぬ体たらくでしたので、昨日は大変居心地のいい宿泊ゲストハウスで旅の纏めに専念しましたが、今日も専念まではいきませんが旅の纏めに励むことになりそうですね。
とはいえ、腹が減っては旅の纏めができませんので、Sarajevo/Сарајево(サラエヴォ)旧市街に降りてきてBosanska Kafa(ボスニアン・コーヒー)という名前の実質Turska Kafa(トルコ・コーヒー)のひとときを過ごしていますね。
昨晩はこちらのチェバプチチやさん(Ćevabdžinica Kastel)で大変美味しく頂きましたが、どうもベオグラードでも頂いてこれまた大変美味しかったBanjalučki ćevapi(バニャ・ルカ式チェバプチチ)のお店のようで、これは本場に行けとの神の御心ですかねえ。