今日はМЖ(マケドニア鉄道)の旅ですね。1963年スコピエ地震後の復興都市計画において、丹下健三氏によるマスタープランの数少ない実現例であるЖелезничка станица Скопје(スコピエ中央駅)から出発しますね。
今日はМЖ(マケドニア鉄道)の旅ですね。1963年スコピエ地震後の復興都市計画において、丹下健三氏によるマスタープランの数少ない実現例であるЖелезничка станица Скопје(スコピエ中央駅)から出発しますね。
同じ丹下健三氏による旧香川県立体育館と同じく、メンテナンスがされず廃墟化が著しいですが、違うのはЖелезничка станица Скопје(スコピエ中央駅)の方は未だ閉鎖されずに使われていることですね…
マケドニア民族の高揚のために作られる?変な建物や変な銅像に費やす費用の一部でも、公共交通の高揚のために充てられないんですかねえ…
乗車中のМЖ(マケドニア鉄道)の列車、トイレが閉鎖されているようで、JR四国さまの普通列車と同じく、ヴィンテージな?駅のトイレで済ませねばならぬようですね…
Железничка станица Скопје(スコピエ中央駅)から約4時間程度でЖелезничка станица во Битола(ビトラ駅)に到着のようですね。
へぅ〜、重い荷物の下敷きにならず、生きてホテルにチェックイン。宿泊料金の安さで選んだようなものですが、鉄道駅やバスターミナルからはちょっと遠いですね。
Битола(ビトラ)、1912年までのオスマン帝国統治期にはバルカン半島支配の拠点としてСкопје(スコピエ)を上回る人口を有していたようで、街路が曲がりくねった昔ながらの市街が広大ですね。
Битола(ビトラ)市街、19世紀から20世紀前半に建てられたと思しき洋風の家屋が点在していて、昨日訪問したТетово/Tetova/Tetovë(テトヴォ)とは明らかに異なりますね。
Обединета Македонија(統一マケドニア)主義者のお宅なのか、Северна(北)が付加される前のかつてのМакедонија(マケドニア)で一時期国旗として使われていたСонце од Кутлеш(ヴェルギナの太陽)を掲げているようですね。
Северна Македонија/Maqedonia e Veriut(北マケドニア)の南の方に来ますと、偉大なる?古代マケドニア王国の領土に入ってくるようで、Александар III Македонски(アレクサンドロス大王)のお父上のФилип II Македонски(ピリッポス二世)の頃に建設された古代都市の遺跡であるХераклеја Линкестис(ヘラクレア・リンケスティス)に到着のようですね。
Северна Македонија/Maqedonia e Veriut(北マケドニア)、劇場がきれいに復元されていますが、出土された中世初期の様子を見ますと劇場が宅地化?されていて、いかにも文明の崩壊といったところですね。
Хераклеја Линкестис(ヘラクレア・リンケスティス)、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)初期に建てられた大聖堂のモザイクが売りのようで、日本語ソースでは敷地に入り放題モザイク踏み放題とのことでしたが、少なくともモザイクについては進入禁止のようですね。
Хераклеја Линкестис(ヘラクレア・リンケスティス)は犬さんや猫さんの憩いの場となっているようですが、彼らについては敷地に入り放題モザイク踏み放題なんですかねえ…
1847年にオスマン帝国の陸軍士官学校(Manastır Askerî İdadisi)として設立された建物を利用した博物館(НУ Завод и Музеј Битола)で、オスマン帝国統治時期にはManastır(マナスティル)と呼ばれヨーロッパ各国の領事館が置かれたことからKonsoloslar Şehri(領事の街)とも呼ばれた当地Битола(ビトラ)の歴史のお勉強としますね。
おやや、Битола(ビトラ)のこちらの歴史博物館(НУ Завод и Музеј Битола)、オスマン帝国の建物を利用しているのに、中世からいきなり19世紀後半のマケドニア民族云々に飛んでいて、オスマン帝国は完全スルーのようですね…
政府の出資を受けているのか、ここだけトルコ共和国が乗り移ったかのような、オスマン帝国陸軍士官学校(Manastır Askerî İdadisi)卒業生であるMustafa Kemal Atatürk(ケマル・アタチュルク)のコーナーがあるのに、オスマン帝国については完全スルーのようですね…
Северна Македонија/Maqedonia e Veriut(北マケドニア)の博物館において、Маршал(元帥)はお約束の登場人物のようですね。
Битола(ビトラ)の中心市街地にある南北約1kmの歩行者天国(Широк Сокак)、トルコ語(Şirok Sokak)で広い通りを意味するようですが、かつてはМаршал(元帥)の名前を冠した通りだったようですね。
Битола(ビトラ)の歩行者天国(Широк Сокак)、19世紀〜20世紀前半の豪華絢爛な洋風建築が断続的に建っていて、昨日のТетово/Tetova/Tetovë(テトヴォ)とは全然違いますね。
オスマン帝国統治時期にKonsoloslar Şehri(領事の街)とも呼ばれたБитола(ビトラ)、現在でも10か国程度の領事館が現役で存在しているようですね。
いやはや、Северна Македонија/Maqedonia e Veriut(北マケドニア)の鉄道を利用するついでに一泊ということで訪問したБитола(ビトラ)でしたが、エモい建築がいっぱいで全然見足りませんね…
パルチザンの襲撃に倒れず、生きてホテルに帰着。オスマン帝国統治期のБитола(ビトラ)は、陸軍士官学校以外にも、トルコ語やギリシャ語、ブルガリア語やルーマニア語など、各言語の学校が集まる地となっていたようで、かつてのトルコ語学校がМаршал(元帥)の名前を冠した地域の名門高校(СОУ „Јосип Броз - Тито“ - Битола)になり、未だそのままの名前で君臨しているようですね。