とはいえ、オスマン帝国の支配を受けた他所の地域の博物館はオスマン帝国時代スルーのところが多いのに、Музеј Републике/ СрпскеMuzej Republike Srpske(スルプスカ共和国博物館)はセルビア視点とはいえちゃんと向き合っている?ようですね。
とはいえ、オスマン帝国の支配を受けた他所の地域の博物館はオスマン帝国時代スルーのところが多いのに、Музеј Републике/ СрпскеMuzej Republike Srpske(スルプスカ共和国博物館)はセルビア視点とはいえちゃんと向き合っている?ようですね。
Музеј Републике/ СрпскеMuzej Republike Srpske(スルプスカ共和国博物館)、限られた予算で選択と集中を実践しているのかどうかは不明ですが、第二次世界大戦の展示がえらい充実していますね。
Музеј Републике/ СрпскеMuzej Republike Srpske(スルプスカ共和国博物館)、Nezavisna Država Hrvatska/Независна Држава Хрватска(クロアチア独立国)のUstaše/Усташе(ウスタシャ)政権によってЈасеновац/Jasenovac(ヤセノヴァツ)などに設置された強制収容所に関して、特設コーナーを設けているようですね。
Hrvatska(クロアチア)側のJasenovac(ヤセノヴァツ)強制収容所跡に併設されている博物館と比べて、展示に使われている写真があからさまなのが多いように見えますね。
Музеј Републике/ СрпскеMuzej Republike Srpske(スルプスカ共和国博物館)、1989年以降の展示は存在しないようですね…
急いでБања Лука/Banja Luka(バニャ・ルカ)北部郊外の団地にある、オーナーさんのお母さまによってきれいに清掃されて快適なひとときを過ごすことができた宿泊アパートに戻って、荷物をまとめて出発しますね。
昨日Бања Лука/Banja Luka(バニャ・ルカ)のバスターミナルにチケットを買いに行く時に気になっていたお店(Obelix)でBanjalučki ćevapi(バニャ・ルカ式チェバプチチ)の食べ納めとしますが、うどん県のうどん店と同じく、郊外の住宅地の中にあっても皆さん自動車などで来ていて賑わっていますね。
ということで、今日は移動日ですね。Бања Лука/Banja Luka(バニャ・ルカ)のバスターミナルからパルチザン聖地?方面に向かうバスに乗車しますが、1日1便しかないせいか結構乗っていますね。
パルチザン聖地?方面に向かうだけあってか断崖絶壁の山々が続いて…と思いましたが、Google Mapsの地形を見ますと川のそばだけ険しい岡山方面の高梁川流域のようですね。
1943年11月にAntifašističko veće narodnog oslobođenja Jugoslavije/Антифашистичко веће народног ослобођења Југославије(ユーゴスラビア人民解放反ファシスト会議)の第2回会合が開かれ、パルチザンのボスのおっさんが晴れてMaršal/Маршал(元帥)に就任した地であるJajce/Јајце(ヤイツェ)を通過しますが、1990年代には支配勢力や住民構成が二転三転したようなんですね。
Република Српска/Republika Srpska(スルプスカ共和国)だけでなく、Federacija Bosne i Hercegovine/Федерација Босне и Херцеговине(ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦)でも荒れ地と空き家が広がるところを見かけますね。
これまで通過した国と異なり、Bosna i Hercegovina/Босна и Херцеговина(ボスニア・ヘルツェゴビナ)のまちなかでは野犬…保護犬を見かけませんでしたが、田舎の方はいるようですね。
第二次世界大戦の激戦地でパルチザン聖地なJablanica/Јабланица(ヤブラニツァ)に近づいてきましたが、えらい崖崩れですね。
へぅ〜、犬さんの胃袋に収まらず、生きてMostar/Мостар(モスタル)旧市街のアパートに到着のようですが、Sarajevo/Сарајево(サラエヴォ)やБања Лука/Banja Luka(バニャ・ルカ)と異なり、野犬…保護犬がうようよしているようですね。