このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
「対話的なグループ学習が増えた総合学習世代に『真摯な議論による民主主義的解決』への忌避感が高いのは何故だろうか」
「実は総合学習の中での議論が、教師の手に余らないような範囲での予定調和的だったから、『そんな結論だったら最初からそう言ってよ』だったのか」
https://twitter.com/noricoco/status/1082147641713090560
https://twitter.com/noricoco/status/1082155019313438720
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
上手い人の制作工程を見るのが楽しいのは,何か未だはっきりしないところから洗練されたものが現れ出てくる面白さだけでなく,達人といえども最初から完成されたものを作り出すことができるわけではないことがわかるという,自他を比べずには居れない人間らしい安堵に由来する面もあるのだろうか.
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
たしかに不要な画像やデータを手軽に選んで消去できて容量を一定に抑えられると個人鯖では非常にうれしいと思う
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
古典の難解な文章を読んでいると,非常に複雑な解釈や深読みを目にしたりあるいは自分でしたりすることになる場面があって,そういうときに「いや,そこまで考えて書いてないのでは」という内なる声が聞こえるが,そこで「それもそうか」と流れると一気に白けてしまう感があるので厳しい.
アルカイックな時代のものに対してあまりひねったアプローチをするのは如何なものかというのはあっても,ヘレニズム期以降の作品に対してはむしろ適切,みたいな年代の差もありそう.
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
この頃の鳥では偉い大学の先生が他人を馬鹿呼ばわりしたり「馬鹿は相手にしないのがコツ」など乞うてもいない有難いご高説を垂れているのが特に目について,いやはや賢い方々のご苦労の程は菲才の身には計りかねますな,という感じだ.
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
「人を見て法を説け」を関口存男がうまいことドイツ語で表現していたのを読んだ気がしたので探してみた.『接続法の詳細』の冒頭部分で,Sieh dir den Mann an und richte dich nach ihm《人を観察し汝自身をその者に合わせよ》だった.
https://books.google.co.jp/books?id=uc_nFOzGJTQC&hl=ja&pg=PA20#v=onepage&q&f=false
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
清水先生の論文から(「イタリア哲学界の現況――ルネサンス哲学研究を中心として――」).
イタリア哲学界の3つの流れ(ドイツ観念論,カトリシズム,マルクス主義)と並んで,文献実証を重んじる歴史的文献学的研究の精神を挙げ,ルネサンスの人文主義者からヴィーコやクローチェに繋がる伝統の存在を指摘している(pp. 72-73).
後で読む…
L'Umanesimo dell'outsider Zabughin - Il Sole 24 ORE
https://www.ilsole24ore.com/art/cultura/2011-07-31/lumanesimo-outsider-zabughin-081743.shtml?uuid=AaSMdesD&refresh_ce=1
クラシック音楽館,指揮者のノセダのイタリア語はとてもクリアで聞きやすい.イタリアとロシアの共通性とか面白い話をしている.
エピクーロスは神々の存在を否定することはせず,ただ彼らは不死にして憂なく至福の存在であるから我々人間に対してはいかなる干渉もしないものであると考えた.この「人事に無関心な神々」という考え方は,徹底した無神論にまでは到達しなかったという否定的な意味で捉えられるべきものではなく,むしろその対偶から導かれる,「憂いや心労を払い幸福に到達した人間は神々にも等しい」という命題に至るための大事な役割を担っていると考えるべきなのかもしれない.
「人間を疎外するものとしての宗教を批判すること」と「宗教的感情自体の存在を認めること」とは両立するが,その点を混同していると,たとえばルクレーティウスが人間を虐げる宗教(religio)を攻撃する一方で作中において神話を多分に利用していることとが矛盾しているように思われてしまう.
掃除してたら布団から「著者 謹呈」と印字された紙が出てきた(著者謹呈の布団とは)
湖の上を歩くイエスの話はマタイ,マルコ,ヨハネに見えるが(Mt 14.22-33; Mc 6.45-52; J 6.16-21),ペテロがイエスの方へ向かって歩み出し,風に恐れを抱いて溺れかける出来事はマタイ(28-32)にのみある.
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
古典の意義とか価値について考えてみようという場合には,単に古典とされているものを読むというだけでなく,それが古典とされ今に伝えられている経緯――言い換えると,古い時代の文物が段々に判らなくなってきて,にもかかわらずそれらを失われるがままにするのは忍びないと思い収集と研究に勤しんだ人々の歴史――を知る必要もある.
ノイゲバウアーの態度は,『古代の精密科学』の中で,ギリシア数学史におけるプラトーンの影響が強く言われていることに対して反対し,
「プラトンやアリストテレスが引用している数学の内容が極端に初歩的なことをみても,テアイテトスやエウドクソスがプラトンから学ぶものがあったという仮説は支持できない.プラトンが研究を『指揮』したとしばしばいわれているのは,幸いなことに事実から出たことではない.彼は観測を思弁でおきかえるように天文学者に忠告したが,(実現されていたら)精密科学に対するギリシア人の最も重要な貢献を台なしにしていたことだろう.たしかにプラトンの教義は,ギリシア科学を現代的に解釈する上で大きく影響を及ぼした.しかし,近代の学者達がプラトンやその後継者に払ったのと同じくらいの関心をガレノスやプトレマイオスにも払っていたならば,全く異なった結論に達していただろうし,いわゆるギリシア精神が,実験や経験的事実に頼ることなく科学的な理論を発展させる驚くべき資質をもっていたなどという神話を生み出すこともなかったであろう」(矢野・斎藤訳pp.139-140)
と言っているところなどにも読み取れる.
京大吉田寮の写真展「百年の光跡」開催、ドキュメンタリー関連企画 - 映画ナタリー
https://natalie.mu/eiga/news/315031
とりあえずまとめてみましたと言われてもTogetterのケバケバしい画面を見たくないというのがあります
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
ZOZO前澤社長「採用面接で有給消化率を聞くのは可愛げない」、じゃあいつ聞けばいい?(弁護士ドットコム) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190112-00009099-bengocom-bus_all
一蘭のオーダー用紙みたいなの出して、どのマナーを気にするか相手に聞いたら良いんだよ。マナーとかいうのが嫌いな人もいるわけで、そういう人に余計なマナーを披露すると、また不快にさせちゃうじゃん。相手が何を失礼と思うか聞けないからマナーみたいなのがあるわけで。聞いちゃえば良いんだよ。すべてはコミュニケーション不足から発生するものだ。
ギリシア語で「特に,とりわけ」という意味にはἄλλως τε καἰという初歩的な熟語があってそれはそういうものとして覚えていたけれども,ἄλλωςが《他の仕方では》で,A τε καἰ Bが《AもBも》だから,それらの組み合わせで文字どおりには《他の点でもそうだがBも〜》として後のものを取り立てて言う意味になっていると気づくのに少し間があった.
知識として持っているか覚えているかして実運用上問題なく振舞えていても,仕組みや原理に理解が及んでいないor本当のところで腑に落ちていない物事は数多くあって,そういうのを潰していくのがちゃんとした勉強なのだろうが,一定期間内に成績を出して勝利していくという観点からすると甚だ費用対効果が悪いのが厳しい.
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
コインハイブ事件 高木浩光氏が公判で証言「刑法犯で処罰されるものではない」 - 弁護士ドットコム
https://www.bengo4.com/internet/n_9111/
interdum volgus rectum videt, est ubi peccat:
si veteres ita miratur laudatque poetas,
ut nihil anteferat, nihil illis conparet, errat;
時として大衆は正しい判断をするが,誤る場合もある.
古の詩人たちに驚嘆しこれを讃えるあまり,
勝るものは何もなし,彼らに匹敵するものは何もなしとするなら,間違っている.
(ホラーティウス『書簡詩』第2巻第1歌63-65)
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
mnemonicがギリシア語のμνημονικός《記憶の良い,記憶に関する》(μνήμη《記憶》)に由来することを知っていればニモニックコードの意味も自ずとわかる(?)
なるほど.「東京は、何かのレベルが高いというだけでなく『その価値観を,メディアを通してあたかも普遍的なもののように発信する』ことに長けたところです」
地方出身、関東の有名私大卒で、地方(出身地ではない)国立大の教員(工..
https://anond.hatelabo.jp/20190114214653
「しかし現実は,あるオープンソースプロジェクトが人気になると,コミュニティにはまったく,あるいはほんの少しだけしか貢献していない大規模クラウドベンダがあっさりとその大部分を獲得していくのです」
Redis、MongoDB、Kafkaらが相次いで商用サービスを制限するライセンス変更。AWSなどクラウドベンダによる「オープンソースのいいとこ取り」に反発 - Publickey
https://www.publickey1.jp/blog/19/redismongodbkafkaaws.html
過去の知識を伝えるものとしての書物が流布・普及することよってそれを享受する知識階級が確立されると,そうした人々のうちには,それ以前の知識や学者,権威や規範への精神的なつながりが形成されていく.
当たり前のことなんだけど,宇宙を神の愛という糸で綴じられた書物になぞらえる比喩(ダンテ『神曲 天獄篇』第33歌85-87)は,ものとしての冊子本が周知の存在になった世界でないと生まれ得ないのだなと不図思った.
誤:天獄篇
正:天国篇
なぜ天獄という謎変換が生じたのか(編が篇であることは確認したがそこで安心して見落としたらしい?)
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
コクヨのキャンパスノートのベーシックタイプA5をずっと使っていたのに普段使う文具屋が置かなくなって困る(代わりにドット入り罫線ノートとかいうのを置くようになったが,罫線上に小さな点が並んでいるのは激しく見辛い).他所へ出かけていく間もないのでやむなくAmazonを利用してしまった.
「空間をのびのび使って大きく字や絵をかく」というのが不得意で小さなスペースにぎっしり書くという傾向が強かったが,絵に関してはデジタルだとこの傾向が相当程度薄れるのは何故だろう.
文や語を論理的・時間的に自然な順序と逆に並べ替える修辞技法に《先後倒叙hysteron proteron》というのがあり,時折見かけるが,その修辞上の効果というのがもうひとつわかりにくくて首を傾げることが多かった.
せいぜい「後の出来事の方が重要だから前に持ってきて強調する」くらいかしらんと思って佐藤他編『レトリック事典』(p.40)を見るとそこに引いてある説明のひとつも大体そのような内容で,挙げてあるウェルギリウス『アエネーイス』の,
...moriamur et in media arma ruamus.
una salus uictis nullam sperare salutem(Aen. 2.353-354)
死のう,そして戦いの只中へ突撃しよう.
敗者にとっての唯一の救いはいかなる救いも望まぬこと.
は効果的に用いられている例というのが納得できる.
タグを付け忘れた.
先後倒叙 hysteron proteron
#rhetorica
ルーカーヌスの,
petitis Romam Rhenique feroces | deseritis ripas (Luc. 1.464-465)
汝らはローマを目指し,凶暴なレーヌス河の岸辺を後に残していく
も一例なんだけど,Gettyの註釈は序文にレトリック関係の解説が出ていて,そこでの引用によるとPostgateが今日的な「線状のlinear」思考にはこうした倒置がナンセンスに見えても,それらを全体として見て「環状のcircular」思考で捉えると不自然でない,という思考形式の違いの可能性に触れているのは注意すべきことかもしれない.
Flaws in Classical Research, p.6-7.
https://archive.org/details/flawsinclassical00postuoft/page/6
逆に「大麻を栽培しているに違いない」と睨んで倉庫に踏み入ったら謎のサーバ群が唸りを上げていたとかだと別方向の恐怖があるかもしれない
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
ドゥルーズの21世紀 :檜垣 立哉,小泉 義之,合田 正人|河出書房新社
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309248967/
読みました.
セバスティアーノ・ティンパナーロ(Sebastiano Timpanaro)『唯物論についてSul materialismo』(1970年)の趣旨の紹介とマルクス主義思想の流れの中での位置付けを確認する内容.
様々な形で「マルクスの補完」を目指してきた西欧マルクス主義に属する思想家たちがおおむね一致してエンゲルスの哲学上の業績を否定ないし嫌悪するという傾向を持つのに対して,ティンパナーロはこの著作で例外的にエンゲルスを擁護する立場をとっていて,この時代のマルクス主義において独自の位置を占めている.
アンダーソンによるティンパナーロ評価として引用してある,「ティムパナーロ」自身の作品の最も顕著なテーマは,歴史にたいする人間の,ではなくて,人間にたいする自然の究極的勝利の不可避性にある……今世紀の他のどんな社会主義思想家よりも,或古典的悲哀をおびつつ,最終的にはペシミスティックなものになっている」は非常に興味を引く.
驚くべきことに論者の黒沢先生は「私は本書の全訳を法政大学出版局から刊行の予定である」と述べていて,しかしそのような訳書が出た形跡はないから,幻の企画として潰えたらしく残念なことこの上ない……
著者の『疎外と教育の思想と哲学』(理想社,2001年)に付章として同じ論考が収められているようだ.
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784650902150
昔を振り返ってみると,おじさんたちが「若者よマルクスを読め」みたいなことを言っていたせいであまり真剣にマルクスを読もうという気持ちにならなくて,でもそのおかげでむしろ他のヘーゲル左派の人たち(フォイエルバッハやシュティルナーなど)を読む機会に恵まれたという経緯がある.
マルクスを擁護・再評価するために,都合の悪いあたりをエンゲルスに帰してしまう議論を読んで「それでいいんだろうか」と思った経験があるので,エンゲルスの哲学的継承を擁護するというティンパナーロの独自のスタンスは非常に面白いし,彼の「ペシミスティックな」思想形成にはおそらく古典学者としての研鑽(あるいはレオパルディ研究も?)が多分に影響しているはずなので,「古典文献学者が本業とは全然別個に書いた政治的著作」というようなものでは全然ないのだろう.俄然興味が湧いてきた.
インスタンス間の連絡は取れているけれども何らかの(おそらく受信側の)原因によって,投稿が取得できない,購読に失敗しているアカウントがいくつかあったがフォローし直すことで解決したっぽい.
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
「失敗から学べ」新入試にもプログラミング…相模女子 : KODOMO : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
https://www.yomiuri.co.jp/kodomo/jyuken/information/CO006799/20190109-OYT8T50004.html
結構頑張って書いた英文の添削結果が返ってきたが「やはり冠詞を全廃してくれ…」という感情になってしまった
実務上生じる煩瑣のために言語現象としての面白さを感じるための心がすさんでいくの,よくない.
傘連判状だ! 「21世紀の教員たちが、江戸時代の農民一揆の知恵から学んで、理事長という権力者に対峙しているのだ」
私学教員ストライキで新展開 農民一揆に学び、“傘連判状”の提出へ(今野晴貴) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/konnoharuki/20190117-00111438/
「DQNネームは就活に不利」「15歳からは改名可能」「20歳からは分籍時に名字変更可能」を悪魔合体させると「就活に有利な名前が出回って新卒が全員同姓同名になる」ができあがる。
「脱中央集権化したネットワークは検閲に対してもより抵抗力があります……営利企業は、ビジネスを進めたいと思っている市場のために政府の要求に対抗するのです。例えば、Googleの中国における検閲へのぱっとしない反対や、Twitterがトルコ人活動家を定期的にブロックすることを考えてみてください」
なぜ脱中央集権(decentralization)が重要なのか? - Official Mastodon Blog
https://blog.joinmastodon.org/ja/2018/12/why-does-decentralization-matter/#fnref:dark-pattern
「かつて本が広く読まれていた頃は、有名作家にとって大学教員になることに魅力など何もなかった……今や、芥川賞作家であっても文筆だけで生活するのは厳しく、文学部の教員になられている方は少なくない」
https://twitter.com/noricoco/status/1086049388827357184
文学部の教員と研究活動の話になったときに作家と創作活動が引き合いに出されることがしばしばあるけれども(多分そういう人は「文学部」を「文学の部」と考えている?),実際には,人文科学の根幹をなす文献学的研究の性格はむしろ編集とか,ことによると校正とかに準える方が適切だと思われる.
古典語・近代語間の辞書データがあればTesseraeのような仕方で,たとえばペトラルカとかが古典を模倣している思われる箇所を抜き出したりできそう(データの用意や類似度合の評価方法の定義とかが大変そうだけど).
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
大プリーニウスのNaturalis Historiaは『博物誌』という定訳があってそれで思考が止まっていたが,これは文字通りに訳したら『自然史』じゃないか,という重要な気付きがあった.
アホなのでparadoxographyという単語をpara-とdoxographyに分解して「擬学説誌」と理解して文脈に合わずしばらく首を傾げるなどしていたがparadox + graphyで「驚異譚,奇聞集」だった…
自分の文章で「~することができる」にチェックを入れられたので,そういえば前に似た記事を読んだなーと思って辿ってみた.
「することができる」は有害と考えられる(https://qiita.com/takahi-i/items/a93dc2ff42af6b93f6e0 )
エンジニアのための、いますぐ使える文章校正テクニック(https://ics.media/entry/19096 )
二つ目の記事に「英語のbe able toを直訳したような」という形容が出ていて,自分が「~することができる」としたのはドイツ語のsein + zu不定詞(可能・必然を表す)を訳した箇所だったので,翻訳をしていると起こりやすいのかもしれない.
「川添副学長は『寮生には賢明な判断をしてほしい。(実際に提訴するかどうかは)事態の推移をみて決める』と述べた」|京大・吉田寮に仮処分 大学側「明け渡し訴訟排除せず」
https://mainichi.jp/articles/20190118/k00/00m/040/075000c
ところで副学長についてはちょうど去年の今頃に出てた立看板の巨人風似顔絵が傑作なので御覧下さい
西洋の句読点法の歴史はこの本がよさそう.
Parkes, M.B., Pause and Effect: An Introduction to the History of Punctuation in the West.
同じ著者でこっちも.
Their Hands Before Our Eyes: A Closer Look at Scribes.
WEB特集 九州大学 ある“研究者”の死を追って|NHK NEWS WEB
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190118/k10011781811000.html
『上野さんは不器用』,面白い30分アニメが体感15分に感じるくらいの体感時間の15分アニメだ.
外国語の参考書はやはり英語が一番豊富に出ているので見ていると色々参考になって,特に「目的に言及する」や「疑念を表明する」のように機能表現から逆引き的に言い回しが検索できる本は便利だなーと思った.
古典語でもそういうのを作ると急なラテン語作文の必要ができたときとかに助かりそう(急なラテン語作文の必要とは).
確認したところ,2001年の理想社から出た本のあとがきでは「ティムパナーロの原書は,廣松渉氏の推薦で法政大学出版局か邦訳,出版の予定で責任者の稲義人氏にお引き合わせの労もとっていただいたのであったが,主として私の怠惰のために結局出版に至らなかった」(p.355)とあったのでやはり邦訳の出ないことは確実らしい.残念極まりないことだ.
ティンパナーロの多岐にわたる著作が色々なタイミングで英語に訳されているのと比べると日本に紹介される機会の乏しかったのは惜しまれる
「哲學の動機は「驚き」ではなくして深い人生の悲哀でなければならない」
『場所の自己限定としての意識作用』(『西田幾多郎全集』6巻116)だった.