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テクノロジーの進歩にもかかわらず家事労働が長時間化していくことについては,そのものずばり『お母さんは忙しくなるばかり』という研究書があったはず.
技術が発展したのに労働や家事に追われ続けているのはなぜか? - GIGAZINE https://gigazine.net/news/20200116-3-theories-have-no-time/
「19世紀以来の工業化、20世紀の家庭電化による家事労働の再編は、主婦の仕事を本当に楽にしたのだろうか? かつては夫や子どもたち、さらには使用人も含めて分担していた家事労働が、テクノロジーの進化とともに主婦に集約されてゆくアイロニカルな過程、今日まで強固に存在する「男女別領域」の教義が確立される過程を、社会史・技術史の視点から描いた家事労働論の基本文献」
お母さんは忙しくなるばかり 家事労働とテクノロジーの社会史
http://www.h-up.com/bd/isbn978-4-588-36414-3.html
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複合語の分類はギリシア語やラテン語の文法の場合でもインドの文法家の分類法に倣って行うことが多いが,その6つのカテゴリには一応漢字訳がある……が却って覚えにくい気もする.
「相違釈」(dvaṃdva),「依主釈」(tatpuruṣa),「持業釈」(karmadhāraya),「帯数釈」(dvigu),「有財釈」(bahuvrīhi),「隣近釈」(avyayībhāva)
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%85%AD%E5%90%88%E9%87%88
bahuvrīhiとkarmadhārayaあたりは割とすぐ覚えるが,avyayībhāvaがいつも思い出せなくて「六合釈だから6つあって~」と数えていってあとひとつが思い出せなくなる.
dvaṃdva(並列複合語)をこの調子でズラッと並べたものは何度も見たことがあるけど,考えてみるとギリシア語やラテン語でdvaṃdva相当の複合語というのはかなり稀なのでこの違いは面白い気がする.
そういえばルクレーティウスはしばしば接続詞なし(asyndeton)で名詞を連打して一行くらい埋めることがあるけど,ああいうのはもしかしたらdvaṃdvaで長い複合語を作るようなのと似た感覚なのだろうか.だとすると,校訂者によっては「わかりやすさ」のためにそれらを全てコンマで区切るということをする人がいるが,詩行が持つ大事な効果を損なうことになる判断かもしれない.
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解体の「最古級」京町家、築500年の伝承裏付け 跡地から室町期の柱穴|社会|地域のニュース|京都新聞 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/114482
「都民税で牛飼うぞ」これすき
五輪マラソン工事費を北大が負担に「都民税で牛飼うぞ」怒りの声 - まぐまぐニュース! https://www.mag2.com/p/news/435456
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