今年のニューイヤーはリッカルド・ムーティだ | ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート2018 http://www4.nhk.or.jp/P2992/
δηλονότι (δῆλον ὅτι)
すなわち,つまり(釈義や補うべき語句を説明して用いる).
φυγεῖν δῆλον ὅτι 《(Ξέρξης ... πεζῷ παραγγείλας ἄφαρ στρατεύματι《クセルクセースは歩兵部隊にすぐさま指示を出して》という本文に対して)すなわち逃げるように(指示を出して)》
Schol. in Aeschyl. Pers. 469[472 ed. Wecklein-Vitelli]
δηλονότι ------ 明らかに,すなわち(lat. scilicet).
τύχην ] τὸν οἰωνὸν δηλονότι (schol. Aeschyl. Ag. 1653 (in F))
#gloss_gramm
小辞のδέは時に理由・説明を導入し「γάρ代用のδέ」(cf. Denniston, Greek Particles, p. 169)として用いられる.
ἀλλ' ἄγε, Πέρσαι, ... φροντίδα κεδνὴν καὶ βαθύβουλον θώμεθα, χρεία δὲ προσήκει
《さあペルシア人たちよ……賢明で思慮深き考えを案出しよう,必要が迫っているから》(Aeschyl. Pers. 140-143)
ὁ δέ ἀντὶ τοῦ γάρ· ἡ γὰρ χρεία προσῆκον ποιεῖ τὸ βουλεύεσθαι. 《γάρの代わりのδέ. なぜなら必要が思案することを適切なものにするから(という意味).》Schol. in Aeschyl. Pers. 143[146 ed. Wecklein-Vitelli]
βραχυπροπαραληκτέω ------ 最後から3番目(antepaenultima)に短い音節を持つ.
※LSJにもDGEにも再録されていない単語だがE.A. Sophocles, Greek Lexicon of the Roman and Byzantine Periods (From B.C. 146 to A.D. 1100)などには入っている.
#gloss_gramm
出典をタグで括って文献表とリンクさせる作業は早めに方針決めて着手した方がいいな
ominaとomniaの間に生じる混乱の例.ウェルギリウス『農耕詩』3巻456行.
abnegat et meliora deos sedet omina poscens.
(Verg. Georg. III 456)
omina M: omnia PR
M写本(Laur. lat. 39.1; http://opac.bmlonline.it/Record.htm?record=625112444339)ではominaだがP写本(Vat. pal. lat. 1631),R写本(Vaticanus lat. 3867)ではomnia. https://gnosia.info/media/jLHcv29HMimAhe-znwY https://gnosia.info/media/6gvTxvcEDuBVhXlUjw4 https://gnosia.info/media/DKnJPrV2UC1UzJgvK6A
Tarrant, R.J., 'The Reader as Author: Collaborative Interpolation in Latin Poetry', Grant, J.N.(ed.), Editing Greek and Latin Texts, New York, Ams Press, 1989: 121-162.
ラテン文学における改竄(interpolation)の発生メカニズムを扱った論文.著者は改竄を(1)訂正(emendation),(2)註解(annotation),(3)共作あるいは競作(collaboration, emulation)の3つのカテゴリに分けて考えることを提案する.特に第三の区分では読者が「共著者」(co-author)のごとき役割を果たしていると考えられる.
この研究は著者のOCT版『変身物語』の校訂にも活かされ,また現在ルクレーティウスのトイプナー版を準備しているDeufertがこの詩人の改竄問題(Pseudo-Lukrezisches im Lukrez, 1996)について論じる際にも参照した議論なので重要である.
Tarrant, R., Texts, Editors, and Readers: Methods and Problems in Latin Textual Criticism, Cambridge University Press, 2016.
オックスフォードからオウィディウス『変身物語』の校訂版を出した著者が古典研究のうちでも重要でありながらなかなか近づきがたい本文批判(textual criticism)について書いた本.
附録として校訂版に附属しているapparatus criticiの読み方(ラテン語の略号)や写本名に用いられるラテン語の地名表記一覧が付いていて便利.
『変身物語』におけるinterpolationの問題については以前紹介した論文があったが(https://gnosia.info/@ncrt035/721 ),この本の第5章(interpolations, collaborations, and intertextuality)でも論じられているから,これからはこちらも見たほうが良いかも.
Blank, D. L. (1983), 'Remarks on Nicanor, the Stoics and the Ancient Theory of Punctuation', in Glotta LXI : 48-67.
『句読点について』(Περὶ στιγμῆς)という著作で知られる句読点学者のニーカーノールの文法理論をホメーロスの古註を通して探る.特に彼の理論体系がストア派のそれから発するものであることが論じられる.
Dähnhardt, O.(1894), Scholia in Aeschyli Persas, Leipzig, B.G. Teubner.
デーンハルト校訂アイスキュロス『ペルシアの人々』の古註のエディション.『ペルシアの人々』に関しては古註の参照に困ることが多い.
sic aliis in rebus item communia multa
multarum rerum cum sint primordia, uerum
dissimili tamen inter se consistere summa
possunt
こうして他の事物においても同様に,多くの事物に
共通の原子が数多くありはするが,それでも
互いに異なる全体を形成することが
できる.(ルクレーティウス『事物の本性について』2巻695-8)
696行のuerumはPontanusによる修正とされ,実はO写本やQ写本ではrerumになっている.同行前半に出てきたrerumからのdittography(同じ語を二度書いてしまうこと),また《アトム》を指す用語としてルクレーティウスが頻繁にprimordia rerumを用いることから発生した可能性があるケース.
διτονίζωという単語を調べる.LSJによるとaccent in two waysという意味でソポクレース『アイアース』733行へのスコリアに見える単語らしい.
『アイアース』の古註は1977年にChristodoulouによるものが出たが,さしあたり参照できる範囲としてはPapageorgiusによるもの(https://books.google.co.jp/books?id=qe9PnQEACAAJ&hl=ja&pg=PR1#v=onepage&q&f=false )とDindorfによるもの(https://archive.org/details/scholiainsophocl00elmsuoft )がある.しかしいずれもそもそも733行への註釈など存在しない…
こちらの辞書(https://books.google.co.jp/books?id=9_Q1AQAAMAAJ&lpg=RA5-PA6-IA1&ots=5LBmRvlLfm&dq=%CE%B4%CE%B9%CF%84%CE%BF%CE%BD%CE%AF%CE%B6%CF%89&hl=ja&pg=RA5-PA6-IA1#v=onepage&q=%CE%B4%CE%B9%CF%84%CE%BF%CE%BD%CE%AF%CE%B6%CF%89&f=false )だと参照させる行が748行のうえアリストパネースの古註も付け加えられている.
古いエディションだと劇の行番号付が異なる場合もあるのでもうちょっと調べて見なくてはいけないかもしれない.
διτονέω ------ ふたつのアクセントを持つ.E.A. Sophoclesの辞書によるとΝεάπολιςの代わりにΝέα πόλιςと分けて書くようなケースが例に挙げられている.
#gloss_gramm
【訂正】Dindorfのものと言って貼ったリンクが間違っていてElmsleyのものになっています.
Dindorfのものはこちら(https://books.google.co.jp/books?id=TnBJAAAAYAAJ&hl=ja&pg=PR1#v=onepage&q&f=false )
こっちにはちゃんと載ってた.p.145以下にあるscholia recentioraの方なのを見逃してた…(+ElmsleyとDindorfのを取り違えてたのもアレ)
https://books.google.co.jp/books?id=TnBJAAAAYAAJ&hl=ja&pg=PA347#v=onepage&q&f=false
διτονίζω ------ 二通りにアクセントをつける.
τὸ ἡμῖν οἱ τραγικοὶ διτονίζουσι, ποτὲ μὲν περισπῶντες, ὅτε καὶ μακρὰν ἔχει τὴν λήγουσαν, ποτὲ δὲ ὀξύνοντες, ὅτε καὶ βραχεῖαν αὐτὴν ἔχει. (Scholia recentiora in Soph. Ai. 733)
ἀπέλευσις ------ (字母の)脱落.LSJ, GI共にエウスタティオスの用例のみ拾っているが,DGEはCorpus glossariorum Latinorumからabicioというラテン語で説明されている例も加えている.
https://archive.org/stream/corpusglossario04leipgoog#page/n289/mode/2up
tum quoque marmorea caput a ceruice reuulsum
gurgite cum medio portans Oeagrius Hebrus
uolueret, Eurydicen uox ipsa et frigida lingua,
a miseram Eurydicen! anima fugiente uocabat;
ウェルギリウス『農耕詩』4巻523-526行.
F写本(Vat. lat. 3225)では3行目から4行目にかけてuox ipsa ... Eurydicenが飛ばされてVOLVERETEVRYDICENANIMAFVGIと続いており,行間にVOXIPSAETFRIGIDALINという書き足しが確認できる.
3行目と4行目でEurydicenが同じ位置にあって筆写の際に眼が滑って脱落が発生した可能性が考えられる.
テクストの脱落を推定する場合や更に進んでそれを補綴する場合にこういう現象を根拠にして説得的に議論を展開できることがある. https://gnosia.info/media/CAvjbKNALVCDtalcoWQ
ウェルギリウスF写本
Vat. lat. 3225
https://digi.vatlib.it/mss/detail/Vat.lat.3225
何気なく見てたけどもLSJの現代ギリシア語版はただの翻訳ではなくて独自に新しい語彙や用例を足しているようですね.πολυσύμφωνος《子音を多く含む》という語を探していたらπολυσύλλαβοςとπολυσύνδεσμοςの間にπολυσύνακτοςと一緒に追加されていた.
用例はPhotiusのBibliothecaから(Bekker版のページ数でp.97.40).
#gloss_gramm
ν-movableはギリシア語でν έφελκυστικὸν (EM 438.50 etc.). この形容詞はνを引き寄せる母音とかの方にも使えるので一寸ややこしい.
τὸ ε ἐν τοῖς ῥήμασι γίνεται ἐφελκυστικὸν τοῦ ν, ὡς ἐν τῷ ἔτυπτε ἔτυπτεν... (Chroerob. Theod. 2.38).
#gloss_gramm
プラトーンのスコリアはとりあえずHermannのやつ(Teubner)が利用できる.
https://archive.org/details/platonisdialogi06plat
s/Chroerob/Choerob/
Choeroboscusのこと.
最近タイプミス(+それに気づかないこと)が多いなぁ…
ἐπιζευκτικός ------ 接続法の.
ἰστέον δὲ ὅτι τὰ ὑποτακτικὰ ἓξ ὀνομασίας, τρεῖς ἀπο τῆς σημασίας, καὶ δύο ἀπὸ τῆς συντάξεως, καὶ μίαν ἀπὸ τῆς φωνῆς ... ἀπὸ δὲ τῆς συντάξεως ὑποτακτικὰ καὶ ἐπιζευκτικὰ καλοῦνται· καὶ ὑποτακτικὰ μὲν καλοῦνται, καθὸ ὑποτάττονται τούτοις τοῖς συνδέσμοις, φημὶ δὴ τῷ ἵνα, τῷ ὄφρα, τῷ ὅπως, τῷ ἐάν· ἐπιζευκτικὰ δέ, ὅτι ἐπιζεύγνυνται τούτοις τοῖς συνδέσμοις. (Choerob. Theod. 2.275)
※ὑποτακτικάには名称が6つあって,3つは意味から,2つは構文から,1つは音声から由来するという話の中で,構文由来のもののひとつがこれ.
oxymoron 対義結合(撞着語法,矛盾語法とも)
τοκέες δ᾽ ἄπαιδες δαιμόνι᾽ ἄχη ὀᾶ, δυρόμενοι γέροντες τὸ πᾶν δὴ κλύουσιν ἄλγος.
《子を失った親たちは,ああ,神より送られた苦しみを嘆きつつ,痛ましい報せを耳にしてはやすっかり老いさらばえる.》
アイスキュロス『ペルシアの人々』580-584行.
《親たち》τόκεες (<τίκτω《産む》)とἄπαιδες《子のない》との間のぶつかりが対義結合になる.
hendiadys 二詞一意(二語一想)
nunc etiam pecudes umbras et frigora captant
《今や家畜らは涼しい木陰を探し求める》
ウェルギリウス『牧歌』2歌8行.
文字どおりには《木陰と涼しさ》で,《涼しい木陰》や《木陰の涼しさ》と言い換えうる.一概念をなすものを二つのものの並列によって表している.
‘An instance of hendiadys, the figure by which the head and subordinate parts of a complex idea, e. g. umbras frigidas or umbrosa frigora, are presented as discrete items equal in status’ (Coleman, ad loc.)
ルクレーティウス『事物の本性について』第2巻679,681行
denique multa uides, quibus et color et sapor una
reddita sunt cum odore, in primis pleraque poma;
更にまた色や味が香りとともに与えられているものが
数多くあることが判る,とりわけ大抵の果実がそうだ.
《果実》pomaはBrunoの修正案で,写本では《贈物,供物》donaになっている.
Floresのエディションでは文献表にBruno, Bemerkungen zu einigen Stellen des Lucretius, 1872が示されているけれどもnon sono però riuscito a trovarloと断り書きがある.
この箇所は4-5ページにかけて論じられていて5ページ目の上の方にSchreiben wir also poma statt dona, so bietet die Stelle keinen Anstoß mehrとあるのが確認できる.
多分Floresの注記は場所がわからなかったのではなくて文献そのものにアクセスできなかったということだろう.
デーンハルトのアイスキュロス『ペルシアの人々』スコリアですが,このリンク先のものは後半にページの脱落が見つかったのでリンクを貼り直します.
ただどういうわけか原本とページの左右がひっくり返ってスキャンされているのでその点要注意.1ページに2カラム印刷されている方が本来は右ページで,左カラムが行間註,右カラムがMスコリア,反対のページはΦ(A)スコリアになっている.
αἱμαχθεῖσα δ᾽ ἄρουρα] ἡ ἄρουρα δὲ καὶ ἡ γῆ καὶ ἡ χώρα τοῦ Αἴαντος ἡ περικλύστα καὶ περικλυζομένη, τῇ θαλάσσῇ δηλαδή, νῆσος, ἤγουν ἡ Σαλαμίν (Σαλαμὶς P(Dd.)), ἔχει τὰ σώματα τῶν Περσῶν. (ASch. Aeschyl. Pers. 598, ed. Dähnhardt)
註釈の中で《すなわち》という説明の際によく使われるのがδηλαδή, ἤγουνなど(ラテン語ならscilicet, id est相当).
ここではπερικλύστα《周りを洗われた》という語に《海によって》を補い,《アイアースの島》を《サラミース》と説明してあり,その導入に上記2語が使われている.
Archai誌の昨年9月号にマーニーリウスに関する論文が載っている.
Boechat, E. M. B.(2017), The concept of the Sun as ἡγεμονικόν in the Stoa and in Manilius’ Astronomica, Archai 21: 79-125.
タイトルの通り,『アストロノミカ』における太陽とストア派のヘーゲモニコン(統轄的部分)との関係を扱った論文.
初期・中期ストア派におけるこの概念についての検証と,『アストロノミカ』中での扱われ方の考察(p.97以下)という2部から成る.
http://periodicos.unb.br/index.php/archai/issue/view/1706/showToc
πλαγιάζω
語形変化に関する意味のほか,
《皮肉な・ひねった表現をする》というような意味が受動態でソポクレース『オイディプース王』のスコリアの中に確認できる.
πεπλαγίασται δὲ πἀλιν ὁ λόγος καὶ τὴν ἀλήθειαν αἰνίττεται τῷ θεάτρῳ ὅτι αὐτὸς δράσας τὸν φόνον ὁ Οίδίπους καὶ ἑαυτὸν τιμωρήσεται.
Sch. Soph. OT 137
εὖ πεπλαγίασται ὁ λόγος ὡς τὴν πήρωσιν αἰνιττομένου ἀλλ' ἐπὶ τὸν θάνατον αὐτῷ ὁ λόγος· ἀπορήσας γὰρ ξίφους ἑαυτὸν ἐτύφλωσεν.
Sch. Soph. OT 1183
φράσις ------ 言い方,表現,(慣用的)言い回し.
ἀμέλει καλῶς: ἀντὶ τοῦ "μὴ ἀθύμει". ἀττικὴ ἡ φράσις.
Sch. Aristoph. Nub. 488b-c.
ποδοῖν ἐνήλου
[Memo: アイスキュロス『ペルシアの人々』516行(Q = Par.gr. 2884; 13世紀)
行間註としてποδοῖνの上に恐らくἐν τοῖν(手段の意味であることを示す意図か),ἐνήλουの上にἐπηδήσας(意味上の言換え)とω(ἐνήλουという第2アオリストではなくἐνήλωという第1アオリスト形の意味)が書き添えられている]
#exerc_palaeogr_gr
https://gnosia.info/media/u_150gMZ_mQ7DIh2Hp8
Santini, C.(1993), `Connotazioni sociologiche in margine ai paranatellonta maniliani', in Liuzzi, D.(a cura di), Manilio: fra poesia e scienza, Galatina, Congedo: 109-125.
マーニーリウス『アストロノミカ』第5巻は黄道十二宮とともに昇る星座(paranatellonta)とその影響を取り扱う.
それらの星座にちなんで地上の人々の性質や携わる職業が多岐に亘って描かれており,そこに認められる当時の社会や経済との関わりが分析される.特にそうしたカタログ的描写のひとつひとつがun vero e proprio quadro di vita sociale(p.113)になっているという指摘は興味深い.
この論文がペルセウスとアンドロメダの挿話にウェルギリウス『農耕詩』第4巻におけるオルペウスとエウリュディケのepillio(小叙事詩)との類似を認めているのはなるほどと思った.
ところでウェルギリウス『農耕詩』4巻のこのエピソードについてはセルウィウスが興味深い情報を与えてくれている.
sane sciendum, ut supra diximus, ultimam partem huius libri esse mutatam: nam laudes Galli habuit locus ille, qui nunc Orphei continet fabulam, quae inserta est, postquam irato Augusto Gallus occisus est. (Serv. in G. 4.1)
つまり当初ガッルスへの称讃が含まれていたはずが,彼がアウグストゥスの怒りゆえに殺された後オルペウスの伝説に置き換わったという.
G.B.Conte校訂の『農耕詩』の新しいテクストは4巻291行(et uiridem Aegyptum nigra fecundat harena)の取り扱いに関してこの話に触れていて,エジプトの名を出すこの詩行はその地の総督を務めたガッルスの没後,彼への言及を消すため変更された可能性を示唆している.
litotes 緩叙
ある事柄を言うのにそれと反対の事柄を(否定と共に)用いて言う.
κτύπον δέδορκα· πάταγος οὐχ ἑνὸς δορός.
《凄まじい音が見える,ひとつならざる槍の音》
アイスキュロス『テーバイ攻めの七将』103行
包囲されたテーバイの町の女たち(合唱隊)の台詞.《ひとつならざる》と表現された城外の敵軍が放つ物音は,実際には夥しい数の武器が立てる恐ろしい轟音.
hypallage (enallage) 形容語転移
この語そのものは《代換》としてより広い意味を持つが,多くの場合,形容語がその本来一致すべき対象から別のものへ転移した現象を指すのに使われる.
numquam Tyndaridis forma conflatus amore
ignis Alexandri Phrygio sub pectore gliscens
clara accendisset saevi certamina belli,
《テュンダレオースの娘の美貌への恋心により灯された
炎がプリュギアのアレクサンドロスの胸中に沸き上がり,
激しい戦の白熱した闘いを燃え立たせることもなかっただろう》
ルクレーティウス『事物の本性について』1巻473-475行
《プリュギアのアレクサンドロス》とはパリスのこと.文字どおりには《プリュギアの》という形容詞が《パリス》ではなくその《胸》の方に一致してしまっている.
もっとも近代語に直訳した時に不自然なだけでこうした現象が古典語として特別な意匠を凝らした表現かどうかは必ずしも確かではない.
D.J. Mastronardeによるエウリーピデースの古註のオンライン・エディション(進行中).
http://euripidesscholia.org
同著者によるPreliminary Studies on the Scholia to Euripides (2017)もここから読めます(PDFのダウンロードはまだできない)
http://calclassicalstudies.org/?page_id=219
Dindorfのエウリーピデース・スコリア.4巻.
vol.1
https://archive.org/details/scholiagraecaine01dind
vol.2
https://archive.org/details/scholiagraecaine02dind
vol.3
https://archive.org/details/scholiagraecaine03dind
vol.4
https://archive.org/details/scholiagraecaine04dind
ταὐτοσήμαντος ----- 同じ意味の.
LSJなどにエウリーピデース『ヘカベー』への古註の用例が指示されていて,それはディンドルフのエディションで確認できる.
ὅτι δέ ἐστιν ταυτὸν καὶ οὐχ ὡς ἐκεῖνοί φασι, μαρτυρεῖ τὸ "ἐπεὶ δὲ Τροία," ὃ ἐπέφερε πρὸς τὰ δύο, δηλῶν ὡς ταυτοσήμαντά ἐστιν.
(Sch. Eur. Hec. 16)
https://archive.org/stream/scholiagraecaine01dind#page/224/mode/2up
Schad, S. (2007), A Lexicon of Latin Grammatical Terminology, Pisa/Roma, Fabrizio Serra.
古代の文法家や註釈家についての研究は地味ではあっても色々と進んでいるもので,ラテン語の文法関連語彙の意味・用例をまとめた辞書としてこういう便利な本がある.特に有難いのはギリシア語の対応語彙も拾ってくれていることで,巻末のインデックスを使えば英語及びギリシア語から引くこともできる. https://gnosia.info/media/InhwC3kqH7RFj9l5OO0
ταὐτοσυλλαβἐω ------ 同数の音節を持つ.EM 193.53.
Dickeyは拾っていないけれども採録すべきかな
#Mastodon v2.2.0 is out:
https://github.com/tootsuite/mastodon/releases/tag/v2.2.0
✅ Pretty templates for all e-mails
✅ Welcome e-mails
✅ Improved digest e-mails
✅ Fixed home timeline bugs for returning users
✅ Number of follow requests displayed in a badge
✅ And more!
古典語文献を組むのに必要な記号をいい感じにアレしてくれるteubnerパッケージがXeLaTeXだとどうもそのまま使えないので微調整を繰り返していた.
画像はMangoni版のピロデーモス『詩学』第5巻の一部を試験的に組んでみたもの.
行番号の位置などは完全に再現してないがブラケットや行区切りの字間調整に関してはオリジナルより見やすくなった(かも?)
【再掲】Butterfield, D., The Early Textual History of Lucretius' De Rerum Natura (Cambridge, 2013)
ルクレーティウスの主要写本はO, Q, 断片的に伝わるGVU(著者はSという記号でこれらをまとめることを提案する)という9世紀頃のものと,ポッジョ・ブラッチョリーニによって発見された写本から発するイタリア写本群(Itali)に分けられ,これらのうちQとSは共通の本(ψ)から由来すると考えられるが,イタリア写本群とその他の写本との関係について色々議論がおこなわれてきた.
著者を含め最近の研究者は概ねイタリア写本群がOから派生したと考えていて,その場合これらのイタリア写本群はルクレーティウスのテクストを再建する上で独立した権威は持たないことになる.
Butterfield, D. (2013), The Early Textual History of Lucretius' De Rerum Natura, Cambridge University Press.
この序文の中でButterfield先生は目下ルクレーティウスのテクストや註釈なども準備中ということを書いておられるので楽しみに待つ.
`I am currently preparing a new Oxford Classical Text of Lucretius, to replace Bailey's outdated text of 1922; in its wake I intend to produce a full-scale commentary on De rerum natura' (p. x)