20:19:07 @ncrt035@gnosia.info
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【再掲】Butterfield, D., The Early Textual History of Lucretius' De Rerum Natura (Cambridge, 2013)

ルクレーティウスの主要写本はO, Q, 断片的に伝わるGVU(著者はSという記号でこれらをまとめることを提案する)という9世紀頃のものと,ポッジョ・ブラッチョリーニによって発見された写本から発するイタリア写本群(Itali)に分けられ,これらのうちQとSは共通の本(ψ)から由来すると考えられるが,イタリア写本群とその他の写本との関係について色々議論がおこなわれてきた.
著者を含め最近の研究者は概ねイタリア写本群がOから派生したと考えていて,その場合これらのイタリア写本群はルクレーティウスのテクストを再建する上で独立した権威は持たないことになる.

20:43:37 @ncrt035@gnosia.info
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Housman., A.E., 'Application of Thought to Textual Criticism', PCA 18(1922): 67-84 = Classical Papers III 1058-1069.
アルフレッド・エドワード・ハウスマン,「本文批判への思考の適用」,『古典学論集』3巻(1058-1069頁)所収.

20:45:32 @ncrt035@gnosia.info
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19世紀末から20世紀はじめにかけての最大の古典文献学者の一人アルフレッド・エドワード・ハウスマンが本文批判における思考の重要性を説いた論文.

本文批判は秘儀的なものでもなければ数学や精密科学の如きものでもなく常識と理性の行使こそが肝要であるが,この学問分野では思考を放棄したかのような人々がしばしば見られる.
写本の重み付けを過度に簡略化したり「純粋な写本」を盲信したりする無思考を手厳しく非難する.
また本文の修正に関しても,古文書学的な可能性を虱潰しに探ったり,韻律や文法規則からの逸脱にばかり着目する手法に疑いの目を向ける.
彼によれば,重要なのは意味(sense)であり,「もし意味上の必要があれば,諸写本がoという一音節の間投詞しか持たぬところでもConstantinopolitanusと書く用意がある」というハウプトの言葉を賛意をもって引用している点は注目に値する.
過度の簡略化への危機感や問題の個別性の協調という点ではパスクァーリなどの視座にも通じるものがある一方,「本文批判」という一領域への集中と保守的な姿勢に対する過度の辛辣さがハウスマンの論調を特徴的なものにしている.

20:46:26 @ncrt035@gnosia.info
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500字ぴったりのトゥートをしたぞ