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大原さやか氏と言えば、こんなディスクもありまして(※画像)。大原氏が20世紀の著名な艦船について、その歴史や技術を紹介していくというもので、全13回、計4時間もの長尺で名優大原氏の語りをひたすら聴けるという贅沢な一品。
 元々はYoutubeで公開されていたものを一部BD化したもので、現在もYTに残っているようだ。なかでもウォースパイトの回( www.youtube.com/watch?v=dh1_tTvhERY )あたりは名演で、明晰な語り口のなかにも豊かな情緒を滲ませて、たいへん聴き応えがある。

BD「三笠大先輩と学ぶ 世界の艦船 ぶるーれい」の写真です。日本の軍艦三笠を擬人化したと思われる軍服姿の眼鏡女性キャラクターが大きく描かれています。
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アニメで早口というと、『スクラップド・プリンセス』の次回予告の台詞は、文字数が回を追ってどんどん増やされていき、最終話の予告――ちなみに2クールもの――まで全話完璧に滑らかな読み上げをこなされたのは、大原さやか氏でした。

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プーさん(の縫いぐるみ)が木の洞に嵌まっている……まさに原作再現。
持ち主が見つかるといいですね。
@ catonoire/111278645075049740

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神戸市だとこんな感じ。絵柄といい、人物の配置といい、公的機関らしい配慮の行き届いたデザインだと思います。

神戸市交通局と兵庫県による痴漢撲滅ポスターです。cf. https://www.city.kobe.lg.jp/a89954/tikanbousi.html
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声優さんのことは、フォーマル&ニュートラルに「~氏」と書くことが多いのだけど、これはこれで00年代オタク的な「○○氏」呼称っぽく見えてしまいそうで、その都度一人モヤモヤしている。

漫画『ふぉとくら(1)』、50頁より。タイトルどおり、大学のフォトクラブ(写真サークル)の物語。部長がメンバーに対して二人称的に「~氏」呼びをしている。
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『ふぉとくら』単行本1-2巻の書影です。京都市内とおぼしき大学サークルのコメディ漫画で、お色気要素も多少あり。全3巻。
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「~くん」「~ちゃん」呼びについて。
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男女問わず、アイドル界隈の「~くん」「~ちゃん」呼びに対しては、局外者ながらモヤモヤを感じる。アイドル声優分野にもそれは及んでいる。ただし、当事者の意識としてはパーソナルな親しみを持つことの表明だろうから、それを「大人/子供」の二分法に回収するのはあんまり適切ではないように思う。

 むしろ、習い事や芸道関係で「生徒さん」と呼ぶことの方が、個人的にどうにも受け入れにくく感じる。「さん」という敬称を付けてはいるものの、そこには絶対的な上下関係の存在を見出してしまう。例えばミニチュアハウスの展示会などでも、「○○塾の生徒さんの作品」というような表現が用いられているが、それは作者を自立した個人として扱わず、インティメットに囲い込まれた権力関係を作品の前に貼り付けられたような感覚があって、私はどうも苦手だ。いや、「素人はあくまで素人」「指導を受けてようやく成立したにすぎない作品」というのは確かなんだけど。
 (※ちなみに、隣接分野のプラモデル界隈では、剥き出しの指導関係(上下関係)を前景化することは稀なのだが、そちらはそちらで水平的な内輪ノリが時折感じられて、そちらも苦手。というわけで、私自身はずっと孤独のモデラーであり続けてきた。)
 同様に、宝塚出演者の「生徒」扱いも、うーん、よく分からない。そうなっている事情は、ひとまず通り一遍の説明で理解してはいるのだが、組織に紐づけられた従属性の表現を堂々と使い続けていることに、当惑せざるを得ない。

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両幅の狭いホームをweb検索したら嵐電山之内駅が挙げられていたけど、まあ、さすがに路面電車のホームは別枠でしょう。
 岐阜市の路面電車も、自動車道のど真ん中が白線で囲われているだけのホームだったし(※昔、廃止前に乗ったことがあって、うっすら憶えている)。

嵐電山之内駅の写真です。路面電車なので、自動車道の一部に盛り上がったところがあるだけで、それが駅ホームとして位置づけられています。
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ホームが狭いと言えば、関西だと阪急線の中津駅(※梅田の隣)と、春日野道駅(※三宮の隣)が有名かなあ。
 どちらもターミナル直前の各停駅で、中心街にごく近いので十分な面積を確保できず、左右幅の狭い高架駅になっていて、しかも両側を急行/特急が走り回るという、なかなか怖い空間。ただし、春日野道はホームドアが設置されて安全性が増した。

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「ボランティア」という形で、大学生が自発的な社会参加をする気風は、この十数年で大いに高まってきたので、その方向性をもうちょっとだけ変えて、かれら自身のための社会参加をしていってもよいと思うのですよね……。

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各国の大学生たちが、中東問題についてデモ行進をしたりしているのは偉いなあ。
 日本の大学生たちは、大人しすぎるのよ……。バイトを含めた多忙とか、就活の不当な締め付けとか、いろいろたいへんな事情はあるし、もちろんけっして火炎瓶で何かしろというわけではないけど。海外の問題じゃなくても、奨学金を増やせデモとか、搾取的なインターンに対する反対のデモを、もっとしてもいいのよ? その分、境遇が良くなる可能性は高まるわけで、「活動のコストと成果のリターン」の期待値は明白にプラスになると思うのだけど……。

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(つづき:)そういった堅苦しい読み方をしなくても、ショ○神父くんが可愛いとか、容赦のない異能バトル(相手の詠唱を待ったりしない)とか、派手な攻撃エフェクト表現とか、○ョタ神父くんが可愛いとか、キリスト教教義を丁寧に取り込んでいるところとか、様々な楽しみ方ができる作品だし、実際そのようにエンタメとして楽しまれているのが大多数のようだ。その中に、上記のような問題関心もごく普通の一部として取り込まれ、受け止められていくなら、それはそれで良いことかなと思う。

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私は漫画については、コマ組み分析などの技術論的側面に注目しているのですが、しかしまあ、テーマ論の方が語りやすくはあるよね……。

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『エクソシストを堕とせない』(2021-)にも、それらと通底する社会的な意識が見出される。
 ストーリーとしては、七つの大罪を象徴する強大な魔王たちが現世に現れるのを、エクソシストたちが叩き返していく異能バトルものだが、例えば「強欲」の魔王は人々の権力欲を煽りたてるマッチョだし、「嫉妬」の魔王リヴァイアサンは「母性」の軛から逃れようとしているといったように、現代的な問題意識に引きつけて解釈されている。主人公の属する教会(すなわち人間的-神的な正義を体現する側)それ自体についても、内部の虐待体質が示唆される。
 主人公側の先輩格キャラクターが「ヒスパニック+中年女性+たぶん義肢」であるのも、エンタメで不可視化されがちな属性群を露骨なまでに詰め込んでいる(画像2~3枚目)。さらに、魔女たちの詠唱「母と娘と悪霊の名において」(4枚目)も、既存の男性中心的体制全体に対する異議申立のカウンターであることは明らかだ。

 「差別」や「マイノリティ」というと大袈裟で厄介なテーマのように感じられがちのようだが、90年代の漫画やゲームでしばしば「環境」が納得のいくモティーフとして共有されていたように、2010年代以降のサブカルチャーに対してリアルな切実さや、物語を動かす動因や、読者たちの共感を生み出す重要な手掛かりになっていると思う。

漫画『エクソシストを堕とせない』単行本3,4巻の写真です。
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同、4巻108頁。投稿本文で述べたキャラクター「マザー・ローザ」の登場シーンです。
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同、4巻113頁。これもマザーローザのコマです。
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敵側の雑魚魔女たちが揃って、「母と娘と悪霊の名において」と詠唱しているシーンです。6巻177頁。
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漫画『天幕のジャードゥーガル』は、私も読んでいます。
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モンゴル帝国の帝室に入り込んで、国家転覆の復讐をしようとするイラン系少女が主人公という意欲的なシチュエーションの作品。民族的-文化的に入り組んだ社会状況を設定して、さらにそこで複雑な政治劇――主人公は多重スパイをしている――を説得力ある形で展開しているのがすごい。画風それ自体は5頭身くらいにデフォルメされているが、それがむしろ全身の衣装をフレームインさせることにもつながっている。
 今世紀の(少女)漫画では、歴史上の特定状況を舞台にしてそこに生きる女性たちの生活文化や精神文化を広く緻密に描き出すアプローチがしばしば試みられていて、森薫(『エマ』[2002-2006]、『乙嫁語り』[2008-])や、よしながふみ(『大奥』[2004-])あたりから男性読者にも読まれるようになっている。
 上記『ジャードゥーガル』(2021-)も、モンゴルの相続様式や遊牧民の服飾デザインの描写に力が入っているし、日之下あかめ『エーゲ海を渡る花たち』(2020-21)は、15世紀の地中海を旅する女性2人の物語で、当時の国際情勢や家族文化(の因習性)、そして食文化もダイナミックに描いている。同じ著者による『河畔の街のセリーヌ』(2022-23)も、19世紀パリに引っ越してきた少女が、当時の都市空間の様々な側面――女性職業人たちの活動もフィーチャーされる――を体験しながら自らの人格形成の過程を振り返っていくという繊細な作品。
 さらに佐藤二葉の『アンナ・コムネナ』(2021-)は、東ローマ帝国の皇女を主人公としており、フルカラーで当時の服飾美術を彩り豊かに再現しつつ、宮廷の政治闘争――もちろん女性である主人公は多大な困難にぶつかるのだが――をドラマティックに描いている。同じ著者の『うたえ! エーリンナ』ともども、明白に女性のエンパワーメントを意識した作品になっている。
 漫画界では依然として「男性向け/女性向け」が大きく分かれていて(漫画賞などでも分断されていることが少なくない)、そういう分離については思うところもあるのだが、歴史女性漫画がその独自の魅力と力強さによって風穴を空けつつあるという意味でも、頼もしく興味深い。

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日本語圏でも、数千人のユーザーのいるmstdn/misskeyサーバーがいくつも出てきているし、ユーザー数はかなり増えているんじゃないかなあ。
 「統計上は、アクティヴなユーザーは増えていない」という話もありますが、アクティヴユーザー数の情報を公開していないサーバーもあるので、表面上の統計よりも実態は大きいと思われます。
 とはいえ、今後はスパムbotや(詐欺的)企業の宣伝アカウントが流入してくることも予想されるので、あまり楽観視していられないけど。今のところは生身+善意のヒューマンアカウントが大半なので、素直に「人口規模の拡大=fediverseの豊かさ」として喜べるのですが。

30MSはコラボの相乗効果を最大限に引き出している感じ。
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【模型メーカー側】:元々の30MSシリーズは、「ガールプラモとしては安価」+「組み替えが売り」だった。言い換えれば、キャラデザは大人しくて味気ないものが多かった。しかし今回、既存キャラクターコンテンツのコラボキットを大量リリースすることによって、「洗練されたキャラデザを取り込める」という成果を得た。ユーザーによる自由な組み替えを前提にしたシリーズなので、美少女キャラとして非常に高品質なフェイスパーツやヘアスタイルパーツを一気に持ち込んだことになり、30MSのコンテンツ全体の価値を大きく高めた。もちろん、キャラクターのファンたちを模型側に取り込める機会にもなる。

 【ユーザー】サイドでも、既存の30MSモデラーは上記のメリットを丸々享受できるし、その一方で元のキャラクターファン(アイマス)にとっても、「かなりの安価で」+「簡単に作れるガール立体物」を入手できることになる。高額なスケールフィギュアが2万~3万円台になっているところ、4000円程度でプラモ版のキャラを購入できるのはありがたいだろう。その価格帯だとプライズフィギュア(2000円前後)もあるが、「キャラ数が限られる」「入手経路が限定される」という限界があった。しかし、30MSのような組み替え前提のプラモだと、本体キットと、フェイスパーツなど一部のパーツを別売りするだけで、26人全員を網羅して発売することができる。特にマイナーキャラのファンにもありがたい企画だろう。

 【元コンテンツ】のホルダーにとっても、ライセンス製造にすぎないので、自社負担はほぼ無く、それでいて、プラモデル市場という新規分野で大規模展開してもらえるのは大きなメリットだろう。家電量販店などにも並ぶし、モデラー層を取り込める機会になる。……魔改造(※卑猥な加工や組み替え)に使われるというリスクもあるけど、アイマスシリーズならばダメージにはならないだろう、たぶん。

 SNSにもユーザーたちの完成写真がたくさん上がっていて、実物を見てみるとコラボ効果の絶大なインパクトを感じられる。これは確かに、やる価値のある企画だ……。

たしかに、日本人だと「実名アカウントはThreads」志向になっていきそう。
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mstdnは、1)分散マルチサーバーという性質上、本人証明もしづらいし、2)治安面の安全性保障も無く、3)ソーシャルメディアとしての知名度も普及度も低いので、避けられがち、あるいは実名で運用する意義の乏しい場、という認識になりそうです。例えば政治家アカウントは、mstdnよりもThreadsに集まるんじゃないかなあ(※海外では、すでにそうなりつつある模様)。
 とはいえ、なりすましなどの危険性が低い個人は、実名でmstdnに来ている方も増えていますね。例えば研究者やジャーナリスト、クリエイター系の人は、偽物が真似をして投稿活動をすることが困難ですし。既存の外部コミュニティを介して本人確認が取れるというのも大きいです(※例えば、研究者相互間でフォローし合っていたら、本人アカウントであろうことがほぼ確実視できる)。

 他国では、ソーシャルメディアでも完全に実名という方が多いので、プラットフォームの選択にはあまり拘らないかも(※ペンネームとか、フェイクのスクリーンネームという可能性もあるけど)。文化的な違いは大きいなあと、local TLを眺めていて痛感します。
cf. @ proton334/111276375682476462

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「書く」、つまり自分の頭を通して情報を評価~整理~出力したら、それだけでもかなり深く覚わりますよね。「白紙から自力でノートを取る(ノートを作る)」ことが重要である所以でもある。
(※ところで「覚わる」が尾張地方の方言だというのを最近まで知らなかったよ。「(自然に/完全に)覚えられる」という意味なのだけど、適当な代替的表現がなかなか無いので、つい「覚わる」を使ってしまう。)

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高校時代は、ノートの各ページを左右2分割して、左に授業内容、右に独自注釈や補足資料や図表整理などを大量に書き込んでいた。……紙面がぎっして詰まって、まるで映画『SE7EN』に出てくる確信的犯罪者くんの日記みたいな感じだよ! 「必要そうなものは系統立てて全部覚える」というスタイルだったので、色ペンでの局所強調とかはしていなかった。
 大学時代は「ルーズリーフで大量に授業速記(※)を取って、後でデジタル整理する」という手法になった。キーボード入力よりも手書き速記の方が速かったので。  (※正式な速記ではなく、ただの速書き。)

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ここでは予約投稿(時間指定投稿)は出来ないのかと思っていたけど、機能それ自体はmstdn標準で実装されているのか……。対応しているクライアントアプリを使えば、個別ユーザーでも予約投稿を実用できるとのこと。fedibirdのように、UIで明示しているサーバーもあるようだ。