「自由ヶ丘」「自由ケ丘」「自由が丘」の地名が各地に存在するのは何故だろう。戦前から戦後まで、さまざまな時代にネーミングされているようだが、公募で出てきやすい名称なのかな。
まあ、こういうポジティヴな命名はいくつあっても良いし、逆に「秩序が丘」とか「管理が丘」みたいな地名があったら嫌だけど。
「自由ヶ丘」「自由ケ丘」「自由が丘」の地名が各地に存在するのは何故だろう。戦前から戦後まで、さまざまな時代にネーミングされているようだが、公募で出てきやすい名称なのかな。
まあ、こういうポジティヴな命名はいくつあっても良いし、逆に「秩序が丘」とか「管理が丘」みたいな地名があったら嫌だけど。
日本はトンネルが多くて人々にも馴染みが深いし、身近なものに遊戯的なペイントを施す文化もあるというのに、大抵のトンネルの外観(坑口部分)は無愛想な素材剥き出しのままというのは、なんだか不思議に思えてきた。
cf. social.vivaldi.net/@odakin/111190904197915406
適当にweb検索してみると、景観デザインを意識したトンネルも存在するようだ。レンガや緑で覆っただけのものも、審美的意図で施されたデザインと言うべきだろうし、私がこれまで意識していなかっただけで、実際には結構多いのかもしれない。
kankyo-zoukei.com/tunnel/001.html
www.infra.kochi-tech.ac.jp/shige/LD1_2001/02/2-110.html
yanagi-design.or.jp/works/532/
firefoxも、一時期からコンテクストメニューやレイアウトがあんまり融通の利かない仕様になって残念だったのだけど、それでもそのポリシーなども含めて他よりは(私にとっては)ベターだと判断して、今でもメインブラウザとして使っている。一部のサイトでは「推奨対象外なので映像等が正しく再生されない可能性がある」と警告が出ることがあるけど、実際には不便なく利用できている。
ちなみにVivaldiブラウザも、なるほどたしかに使い勝手の良さそうなところが多いので、ちょっとずつ触っていろいろ試している。
あれはもはや「物体𝕏」扱いではいいのでは、という気分になっている。
過酷な世界を一緒に生き抜いていく仲間だったのが、攻撃的な怪生物に乗っ取られて次々に醜悪な存在に成り果てていき、さらに邪悪を伝染拡散させつつ、人々の相互不信をも生み出す。うん、合ってる。
何かしら行事があると「壇上にいる(おえらいさん)全員が高齢男性」という風景が、現代日本にありふれているのがねえ……。女性が数多く関わっているセクションですら、そういうことがある。
おぞましいことに大学教員ですら、そういう状況を「仕方ない」と肯定したり、それどころか「社会に出たらそういう理不尽なことがあるから(だから学内でも格差、差別、抑圧状況を放置する)」と口走る輩がおり、その都度できるかぎり抗弁するのだが、たぶん通じていないのよな……。)
・レジュメを配布して、そちらには議論全体の構成(見通し)や、くりかえし参照する情報(定義や統計データ)を記載する。そのうえで個別的な説明を、PP(プロジェクタ)上でじっくり提供していく。ただし、PP各ページは一定程度簡潔に、まとまりを確保する(※PPそれ自体も、後でDLできるようにする)。……ひとまずはこれが合理的だと思う。しかし、逆のアプローチの方もいるようだ。すなわち、
・PPはおおまかな流れを追わせるだけで、極力簡潔にする。細かな資料や説明は、配布レジュメにぎっしり書き込む。資料を持ち帰られることを考えると、こちらの方が情報提供としては良いのかもしれない。
対外的な報告などでは、後者のやり方のほうが受けが良いのかもしれない。大学の講義などでは、前者の方がやりやすいだろう。直前までの修正が利くし。
夏場の入浴はひたすら熱いだけで気持ち良くなかったけど、ようやくお風呂で寛げる季節になってきた。
入浴時は漫画単行本を読んだり、カットフルーツを摘まんだりしている。いささか品のない行動だけど、しっかりお湯に浸かっているためには良いかなと。
・BANDAI →既存コンテンツからのプラモデル化ばかり。30MM/30MMはあくまで例外。
・PLAMAX →既存キャラばかり。フィギュアメーカーらしいアプローチ。
・KOTOBUKIYA →オリジナルシリーズ(自社コンテンツ)と、原作付きプラモが半々くらい。オリキャラ路線を追求しているのは好印象。
・Good Smile Company →主力シリーズのchitoceliumは完全オリジナル。ただし、Moderoidやact modeシリーズとしては既存キャラのキット化が多い。
・AOSHIMA →散発的なキットリリースだが、既存キャラを利用したものが中心。スケモ系メーカーらしいとは言える。
・VOLKS (FIORE) →徹底的なオリキャラ路線が好ましい。カラバリが多いのは仕方ない。
・Alphamax (Dark Advent) →オリキャラシリーズだが、18禁というセールスポイント(?)で維持しているようだ。
しかし、チュアチュリーさんまでガールプラモになって出てくるとは思わなかった。
というか、あのデザインだと「頭が重たすぎて首のジョイントが折れないか」と心配に……。
最近のガールプラモは、メディアミックス展開に組み込まれる事例が増えてきた。特にBANDAIでは、ほんの数年前のタイトルや、連載中/放映中のタイトルからも、若年女性キャラクターがプラモデル化されていく。そのくらい、ガールプラモが普及し、そして拡大してきたということかな。
(※下記リンクは、うちのブログのガールプラモ年表。一人で更新するのは手間なので、wiki形式などでシェアしていってくれたら助かるのだが……。)
https://gardenatdawn.blogspot.com/2019/10/girlplamodels.html
うーん……このアカウントは、こんなふうに「趣味の話題メインの」+「ミニブログ的な書き残し」の使い方にしようかなあ、と考えているのだけど、こういうアプローチでいいのだろうか……。
熊遭遇ネタだと、漫画『ラストカルテ』にもそういうシーンがあった(※悲惨なことにはならず、無事に回避できた)。
この作品は「法獣医学」という分野を扱っており、野生動物の死骸を調べるのを起点にして、そこからその個体が辿った生涯の成り行きに思いを馳せたり、あるいは人間社会と野生生物の接触によって生じている複雑な問題に光を当てたりと、繊細な情緒のある物語になっている。これも好きな作品。
人里に出てしまった熊は、まあ、そうするしかないよね……。
(※ちなみにこの有名な本は、文章も端正明晰だし、それでいて自然の手触りを鮮やかに感じさせてくれるし、構成面でも村ごとの立場の違いや意識の違い、区長さんの心の揺らぎなどにきれいな見通しを与えていて、読み応えがありました。)
美少女ゲームメーカーが名を連ねてアニメ制作協力したのは、有名どころだと『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(2010年版のアニメ)もありました。
ただしその時は「18歳未満がアダルトゲームをプレイしている内容だったのに、18禁メーカーがぶっとおしで制作協力した(※具体的には自社製品パッケそのものをアニメに出させた)」という状況が、かなり非難を浴びていたのよね……。つまり、18禁の建前を守るべきメーカー自身が、フィクションの中とはいえそれを破っている描写を堂々と肯定してしまってはまずかろう、という意味で。
『ちおちゃんの通学路』は、原作(漫画)の方を読んでいて、個人的にかなり好きな作品。
身体能力が妙に高い学生が、通学途中の様々なトラブルを強引に乗り越えていくコメディなんだけど、身体運動の演出に力が入っていて読み応えがあるし、キャラ造形も筋運びも類型を脱していて新鮮味がある。いきなりカバディ勝負を始めたりしていたっけ。
ちょっと似たような趣向で、『踏切時間』(全8巻)も秀逸。踏切前限定というシチュエーションに限定したオムニバスコメディだが、ラブコメからホラーから萌えから青春まで、里好氏のイマジネーションの豊かさが素晴らしい。
えっ……ほんとだ、このvivaldi.socialサーバーって、そんなに若かったんだ……。(※下記記事の日付は、昨年11月15日)。
https://vivaldi.com/ja/blog/vivaldi-social-a-new-mastodon-instance/
『Vivaldia2』をチャレンジモードでもクリア。難所はステージ13で、10人ほどお亡くなりになったが、次のクローンが上手くやってくれたので、なんとか最後まで行けた。
ここまでプレイすれば、この作品を完食したと言ってよいかと思う。……激辛だけど美味しかった!
I finished #Vivaldia2 on the Challenge version, though the Level 10, 12, and 13 were difficult among all.
精密なレジンキット(たぶん)を一日でハイクオリティに全塗装で仕上げられたらしい……すごい。
木材、帆布、レンガ、石積み、金属それぞれの質感も巧みに表現されているし、パーツそれ自体もリアリステッィクにディテールが彫り込まれているのが見て取れる。サイズもかなり大きいのにほぼ一日で完成させるとは、よほど取り組み甲斐があって楽しかったんだろうなあ。
social.vivaldi.net/@sneaky4oe/111173531196774613
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禁止条件は他のまっとうなサーバーとだいたい共通。
性的コンテンツに関しては、ポルノはもちろん禁止であり、暴力的な性行為や同意の無い性行為を肯定的に扱ったり、性的な事柄に関して他のユーザーに嫌がらせの会話をすることも禁ずる。ただし、部分的な素肌露出(水着やランジェリー)を禁ずるものではなく、いくらか緩めではあるようだ。胸部露出は、a)映されている当人の同意があり、b)ポルノに由来するものではなく、c)未成年者を映したものでないかぎり、許容されるとしている。
招待制のベータ版ながらアカウント数は700近くまで増えてきた。Local TLは英語投稿7割、日本語3割くらい。
Mozilla社としては、どういう運用を想定しているのだろうか。「広報手段の一つ」、「ソーシャルメディアの技術的実験場」、「自社製品ユーザーへのサーヴィス(※firefoxアカウントが必要)」などで、ひとまず数千人を抱えるサーバーになれば成功と言える感じなのかな。
概要欄では、「あらゆる訪問者に開かれた、安全できちんと整備されたmstdn空間を作り上げていきたい(Eventually we hope to build a safe, well-organized space within Mastodon that is open to all audiences)」、そして「Mozillaのポリシーを踏まえ、人間の尊厳、社会的包摂、安全、個人の表現と協力(human dignity, inclusion, security, individual expression, and collaboration)」を目指して運用するとのこと。
社労士試験の合格発表か。専門的な知見を持って社会関係(労働関係)をサポートできる人が増えるのは、ありがたいことだと思う。
漢字が連続しすぎたり、逆に仮名が連続しすぎると読みづらくなるので、それを避けるために、漢字とカナを使い分けることはあるかも。例えば「新鮮卵多数」or「新鮮タマゴ多数」とか、「きれいなたまごをあげる」or「きれいな卵をあげる」のように。
フォーマルな文章では統一するのが望ましいですが、SNSでは可読性優先で柔軟に書き分ける人もいるかなと思います。
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『Vivaldia2』は、PC環境をちょっと変えたら動作がやたらスムーズになった。ゲーム進行も楽になったし、蓮の葉にもちゃんと乗れた。今までの苦労は何だったのか……というくらい。
・あるソーシャルメディア(のサーバー)が生まれ出てから成長していく、最もダイナミックな瞬間を経験できる。
・あるサーヴィスのローンチ当初の試行錯誤の生々しい動きが見て取れる(※ユーザーのリアクションも含めて)。
・新たなソーシャルメディアに即座に反応して進出していく、きわめてアクティヴな人が集まっているという意味でも、ホットな空間になっている。
そういった活力ある空気をちょっとでも味わえるのは、たいへん貴重だと思う。今のところアカウントを作ってはいないけど、心情的には「影ながら応援」といった気持ち。私自身、長年のfirefoxユーザーでもあるし。
・文法が一通り入っていなければ売れない →一冊の中に助動詞から接続詞(複文)から仮定法まで全部詰め込むので、難しい要素も平気で入ってくるし、個々の説明も薄くなる。
・その一方で初学者向けや現場向けは、会話例文ばかりを乱雑に並べるので、応用が利かないし、学習もストレスフルになる。
・試験対策を過度に重視する →例外をも漏れなく紹介しようとするので、基本となるパターンを把握しきれないままになる。
・語彙のフォローが少ない →文法を学ぶのと語彙を調べるのの両方で、学習目標がとっ散らかる。
カラーが多いので一冊が高価になりがちだし、「掲載写真に出ているのが金髪白人の若者ばっかり」という、わりとおぞましい本だったりすることも……(※他文化や他地域への偏見を強化するなよ……)。
twitter.comのユーザー数が多いといっても、FBやinstagramやtiktokの数分の一しかなくて、しょせんワンオブゼムにすぎないのだよね……。もちろん注目度や広告効果はまた別だし、データの採取形態や評価基準はいろいろあるけど。以下は一例として、総務省のサイトより引用(ただし2022年のアクティヴユーザー統計)。
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r04/html/nd236200.html
いつもの有名な、『自分以外の全員が犠牲になった難破で岸辺に投げ出され、アメリカの浜辺、オルーノクという大河の河口近くの無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に海賊船に助けられたヨーク出身の船乗りロビンソン・クルーソーの生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述』(※日本語にして127字)。wikipedia頼みの情報なので、本当かどうかは知りませぬ。
00年代前半の同人誌では、表紙の四隅にタイトルを散らした「ラブひな」風レイアウトが大量に発生していた。美少女ゲームでも、AUGUSTなどが略記呼称を牽引していった(例:2003年の『月は東に日は西に』→平仮名だけを取って「はにはに」)。
ただし、商業作品で四文字タイトルが増えたのは、実際には2004年以降のようだ。そして00年代末には、ネット小説風の説明的タイトルが現れてくる。……だいたいこんな感じだったかな。
『保母さんといっしょっ!』というタイトルを隠語化して「≒3」と書かれたというのが……。
(つまり、ほぼ3といっしょ)
今日は仕事が遅くなったので、ハーフ・プライス・ラベルド(半値印証)ベン・トーを買ってきた。
半額ベン・トーを買うのは、何年ぶりだろう……。
「バンシィ」というのは、こんなロボット(写真参照)。左側は、一見するとシンプルで飾り気のないロボットだが、ナンカスゴイパワーを開放するとともに、各部外装の一部が開いてキラキラパーツが露出するらしい(※原作未視聴なのでよく知らない……ごめん)。
3Dロボットプラモ/ロボットアニメは、3Dモデリング(3D-CAD/CAM、3DCG作画)の恩恵を大きく享受している分野で、ロボットデザインもいよいよ技巧的に複雑化、緻密化している。
モノクロのガンプラ写真、格好良い……。
mastodon.social/@carlos_burges/111166400007685788
キットそのものは、MG「バンシィ」の制作途中かな。元が黒一色のロボットなので、モノクロにしたときにもトーンの統一感がある、ということかもしれない。
ログを拝見すると、細やかなデジタル迷彩のザクウォリアーや、スケールモデル風にリアリスティックな塗装を施した宇宙戦艦ヤマトもあって、なるほどと感心した。
京都時代は、夜中によく自転車で市内を走り回っていたけど、当時はカメラも何も持たずにただフラフラしていて、記録としては何も残していない。
夜間でも境内に入れる寺社もわりとあって、もちろんそうした時間帯は観光客の賑わいも消えているので、しっとりした雰囲気を楽しめる。明け方の清らかな空気とともに体験するのも良い。
(※ただし、場所やタイミングによっては、身の危険が生じる可能性もある)
夜景写真って良いよね。有名な観光地でも、夜間と日中でガラリと趣を変える施設は多い。ただし、夜景を実際に訪れて(撮って)くるのは難しくて、SNSでも目にする機会は乏しい。そういう写真はたいへん貴重だと思う。
せっかくなので私も、手許にある夜景写真を……と探したけど、あんまり良いのが無かった。
昔たまたま撮った、サギ(鳥)とカモ(鳥)の写真。
いや、駄洒落を意識して撮ったわけではないんだけど。
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「砂の家」コンビ、いいなあ。SnailShell社は、うちには「幻鬼機殻」(蛍のペア)がいるくらい。肘の二重関節がちょっと作為的だったけど、着衣デザインであればそのあたりも解消されていると思う。
胴体がスケルトンだったり油圧シリンダーが剥き出しだったりするサイバーガール路線は、中国のフィギュア/プラモデル/ゲームで大人気のようで、日本とは違った新鮮味がある。良い感じの棲み分けと言えるかもしれない。
スケールモデル関係のハッシュタグは# scalemodelling や scalemodelsがあるけど、散発的な投稿があるという程度で、まだまだ寂しい状況。とはいえ、ハッシュタグフォローしておくのにはちょうど良くて、たまにhome TLにユニークな投稿が流れてきて面白い。
さしあたり、どぎつくないものは、このサーバーの賑やかしとして出していって良いかなと考えている。ここでも、例えばMarcoさんがたまに航空機プラモの端正精密な完成写真を出しておられるし。
mstdn界隈に限って見れば、モデラーとしてどのサーバーで活動するかは大差ないように思える。模型特化したmsdtnサーバーも存在するが、私はしょせん片手間の素人なので、そちらにわざわざ行くほどではないし……。
私の投稿は、ver.4.2で検索対象になることを許可しているので、当該キットの完成写真を探している人がいれば発見できるだろう。ちょっとでも参考になったらいいなという気持ちで放流している。
プラモデル専用のweb投稿サーヴィスがいくつも存在し、多数のモデラーがそこで活動している。完成写真だけでなく、評価ボタンやフレンド/フォローなどのソーシャル機能もある。日本国内(日本語ベース)のサーヴィスが多いが、海外にもいろいろある。
それに対して汎用ソーシャルメディアでは、模型写真などの投稿は非常に少ない。twitter.comなどはまだ投稿人口が多いけど、mstdnではかなり稀だ。
私自身、模型/フィギュア写真は定期的にアウトプットできるネタなのだが、どこに公開するかで困っている。
1: 自分のブログ:アーカイヴとしては有効だが、めったに検索ヒットしない。画像アップロードに手間が掛かるのも厄介。
2: 汎用SNS:投瓶式に参考情報を公開しておくには良い(特にmstdnの全文検索は大きな前進)。しかし、サーバーごとに適不適があり、特にミリタリープラモやガールプラモはちょっと気を遣う。
3: 専用サーヴィス:ハイレベルな作品が多いし十分賑わっているので、「ここで私が作品を出さなくてもいいかな」という気分。検索性も今一つ。
……どうしようかなー。
@ottoto2017 重ね重ね、ありがとうございます!
各サーバーのユーザー数やヴァージョン情報や一部のmetadataなども、(公開されている範囲で)正確なデータを直接取れるのですね。fedibirdさんは独自のsoftwareだったりして、見比べてみて面白いです。
@ottoto2017 misskey.ioのデータに関して、ご教示ありがとうございます。
(※誤情報になってはいけないので、元投稿にも追記しておきます。)
以前にも述べたように、「個別サーバーが、特定の利用目的のみを標榜し、それに反するユーザーを好まない姿勢を示したときに、社会的な公平性とサーバー開設者の裁量権の間でどのような調和が図られるべきか」という問題に突き当たる。そういう部分社会の特殊性は、保護されるべきなのかどうか……。
「○○趣味のためのサーバーです。それにそぐわない人は来ないで下さい」というインスタンスがある(存在し得る)のと同様に、「○○語話者のためのサーバーです。それ以外の言語では投稿しないで下さい」というポリシーのインスタンスが存在することは、はたして許容/正当化されるのだろうか。分からない。
例えばmastodon.cloudでも、当初は仏語/英語向けだったのが、日本語ユーザーが多数流入し、local TLの日本語比率に不満を持つ他言語ユーザーが出た……という出来事があったらしい(※下記ページを参照)。うん、まあ、そういうことも起きうるよね……。
なお、現在の.cloudは、mstdn.jpと同じ会社が所有しており、多言語環境が維持されている。日本語投稿は20~30%くらいの模様。
cf. hisubway.online/articles/mstdnwiki/Mastodon.cloud.html
各サーバーのアクティヴユーザー数のメモ。データは本日時点での[ fedidb.org ]に準拠。
・mastodon.social : アカウント160万 / 月間アクティヴ28万(全体の17.5%)
・mstdn.jp : 40万 / 4万(10%)
・misskey.io : 39万 / 3000(0.76%……本当か?)
・social.vivaldi : 38000 / 7500(20%)
・fedibird.com : 37000 / 15000(41%)
・mastodon-japan.net : 15000 / 5300(35%)
日本語話者の多い汎用インスタンスだと、このあたりだろうか。ちなみに、pawoo.netは検索で出なかった。
嫌味や当てこすりや皮肉に頼って何かを言おうとするのは、たぶん「上手いことを言ってやった」という満足感があるのだろう。しかしそれは、論証的にも実践的にも過ちを呼び込みかねない危険な道だ。
格好良いレトリック(何かの比喩とか誇張表現とか)で相手を貶めようとするとき、議論の主題とは別に、当人の偏見を露呈してしまうことがある。ある不正義な慣行を批判するときに、安易に「田舎者」呼ばわりをして地域差別を助長してしまったり。愚かな行動を難じようとして、相手を「(知的)障碍者」に喩えてしまったり。そういう悲しい実例を、嫌と言うほど目にしてきた。
実践上も、皮肉や嫌味を使うべきではない。そういった毒のある表現は、むしろ発言者当人に対する嫌悪感を引き起こすからだ。つまり、味方を離れさせ、中立に嫌われ、そして敵対党派には通じない。やめるべきだと思う。
cf. fedibird.com/@gucchi_penguin/111154214581999874
ただし、この方の論拠は興味深い。要約すると、「余計な表現を入れることは、議論の本題から焦点を逸らす作用を持ち、そしてそれはとりわけ権力者に対して逃げ道を提供することになってしまう。そして議論をうやむやにすることは、『現状維持(これまで通り)』、つまり批判を無効化することを帰結する」という。なるほど……。
私見では、政治的-社会的言論の大喜利化は、
1: 原理原則の問題を見えにくくする。面白い主張をするために、理屈を歪める。
2: 不満のガス抜きで終わってしまう。
3: ステレオタイプな把握(敵味方の固定化)。過激(極論)化しやすい。
4: 批判の本題とは別のところで、不正義を持ち込んでしまう。ルッキズムとか地域差別とか。今回のも、眼鏡着用者に対する顧慮が欠如していてきつい。
批判(とりわけ政治批判)は、本題に的を絞り、民主社会の原則に立ち返りつつ、正面からの議論で展開すべきだと思う。
私だったら、例えば:
・a certain place : 「ある場所」「一定の場所」。一つに決まってはいるが具体的には言わない。
・some place:「どこかの場所」「何かしらの場所」。かなり不明瞭。
・a/the specific place:「特定の場所」「決まった場所」。条件の具体性が強く、その場所でなければいけない話。
・a/the particular place:「(ある)特定の場所」。particularは、特定性(個体識別性)を示す最も基礎的な単語だから、アレンジしにくい。
えーと、こんな感じかなあ。いずれにせよ、あんまり無理に訳し分けなくてもよいとは思う。
・certainは、話者が特定の対象を想定しているけれど、基本的には対象を言葉で明示しないことにウェイトがある。冠詞はaが普通。
・specificは、おおむねparticularと互換的かな。Longman英英辞典では「particular; fixed, determined, or named」とあり、明確に特定され確定され限定されている対象。他のものではいけない。
・someは、明らかに非-特定を向いている。
・particularは、他からきちんと識別されたある一つのものであること。まあ、つまり「特定の」。
昨日完成した書きものが、提出後に〆切を確認したら「9月末」ではなく「11月初頭」だったときの自分の顔を見てみたかったよ……。(おばか)
まあ、10月は執筆の時間が取れそうにないから、早めに仕上げておいて正解だったんだけど。
昨日まで8月でしたから、暑くて大変でしたよね。そして今日からは9月……うっ、頭が。
あんまり雑に歴史を切り分けてもいけないけど、「こういう傾向が存在した」という手掛かりを形成しておかないと何が何だか分からなくなってしまうし、「当時はこんな見方があった」「こういう気風もあった」という話は書き残しておきたい。