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冬場は塗装作業がしづらくなるので、制作予定のものは11月中に手掛けておきたい。寒さそれ自体もさりながら、湿度や乾燥速度をコントロールしにくくなるので、吹き付け塗装、とりわけグロス塗装はやりたくないのよ……。

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(模型関係の話題は余所のインスタンスで書いた方が良いのかもしれないが、しかし、どこのアカウントを使うかを決めかねている。他に適当なところが、なかなか無いのよ……。)

ガールプラモ「30MS:櫻木真乃」の話(約1000字)。
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ゴールドのみ塗装しつつ、ざっと組んでみた。
 パーツ構造は、同社のfigure-rise LABO「南ことり」(2020年)のダウンサイズ版といった印象。スカート周りの多重構造といい、ラメ入りパーツといい、パーツ分けによる多色衣装の再現といい、「南ことり」での実験の手応えを見事にフィードバックしている。さらに、スカートにはPVC素材の極薄(塗装済み)パーツを投入するという新機軸もある。「南ことり」が約23cmだったのに対して今回の「櫻木真乃」は約14cmだから、60%ほどに縮んでいる計算だが、にもかかわらず衣装の構造的な再現はしっかり出来ている。
 ただし、可動範囲はかなり狭い。デリケートな衣装を丁寧に再現しているぶん、これはやむを得ないだろう。それに、四肢と首をそれなりに動かせれば、だいたいのポージングは再現できるのだし。

 ガールプラモとして見ると、まずは膝頭の造形が素晴らしい。以前からBANDAIキットは脚部の立体感や曲線美に優れていたが(ちなみに、もっと凄いのはVOLKS)、膝関節をここまで自然に表現できたのは初めてだろう。膝蓋までモールドしているキットなんて、初めて見たよ……。ただし、ジョイントの位置関係のせいで、やや脛が短すぎる(太腿が長すぎる)ように見える。
 頭髪表現がいよいよ細やかになってきたのも見どころ。2023年のガールプラモ界は、Annusの「宝多六花」「新条アカネ」とともに、今回のBANDAIの意欲的な取り組みによって、「精緻な頭髪表現が一般化していった時期」になるかもしれない。脆くなってもいいから、頭髪パーツは細く、鋭く、細やかに成形する。それが要求されるくらいモデラーの目が肥えてきたし、そしてまた、それを受け入れられるくらいモデラースキルが成長してきたということでもあるだろう。ガールプラモをリードしてきたKOTOBUKIYAは、髪型表現のためにパーツ分割を頑張っていたのは確かだが、どうしてものっぺりしたヘルメット頭部になってしまいがちだった。そこが大きくクオリティアップする傾向が見えてきたのは歓迎したい。
 四肢の素肌パーツも、スライド金型による一体成形を推し進めている。これも、今後のガールプラモで採用例が増えていくと思われる。
→ bandai-hobby.net/item/3477/ (南ことり)
→ bandai-hobby.net/item/5868/ (櫻木真乃)

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local TLでチェス関連の投稿を見かける度に、高校時代に囲碁部に入ってチェスばかりやっていた頃を思い出すけど、言い換えればチェスに関する経験はその程度であって、とうてい他人とお手合わせ願える腕ではありません。
 ちなみに次の年は、新聞部へ移籍しつつ写真部室に入り浸るばかりだったりして……本当に何をやっていたんだろう。

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Marcoさんの新作。扱いの難しいREVELLキットを、ここまでの完成度に仕上げられるとは……。
 過剰なウェザリングなどの外連味に頼らず、各部のディテールを誤魔化しなしに誠実に作り込み、パーツごとの機能的な意味に応じて丁寧に塗り分けて、端正な姿に完成されるアプローチは、ものすごく好み、というか、尊敬する。
cf. @ Moaske/111317632229796861

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関西以外の地方議会などでも侵蝕が進んでいて、ところによっては第二党勢力になっていたりして、怖いんだよなあ……。

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(大阪府民と国民のお金を手痛い犠牲として、これを機に有権者が維の字の危険性と無能さを明確に理解して、あの勢力が政治の世界から一掃されてくれたら、差し引きはプラスで収まるかなあ……などと考えている。) ((これはこれでちょっと邪悪な発想だよ!))

ここ一年間のtwitter.comは、億単位のユーザーを抱える大規模webサーヴィスとしては信じられないほどのスピードで様々な機能を実装しまくっていて、その速度には素直に驚いている。
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もちろん、そのスピードにも問題はあって、
1) 慎重な検証や合理的設計によらず、リーダーの恣意専断に発している、
2) 速度重視でサーヴィスの安定性が犠牲にされている(※実際に不具合も多発)、
3) 内容面でも公共的プラットフォームとしての性格を喪失する方向に向かっている
といった深刻な要素につきまとわれているし、実際、今のところほぼ全ての仕様変更がマイナスに作用しているように見える。

 しかし、そのスピード感は驚異的だし、そうした大量の実験を繰り返して走り続ける中から大きな飛躍のチャンスが生まれる可能性もあり(※テック系でも「あの人物は邪悪だが一種の天才ではある」と認める人がわりといるようだ)、そうでなくとも、ずっとネットの話題の中心であり続けているというだけでも相当な効果があるのだろうし、依然として多数のユーザーを掌握している(8割以上が留まっている)ことに鑑みても、まだまだ大きなポテンシャルを持っていると思う。
 十数年を経たオールドメディアを、すでに地位を確立した人物の下で、あれだけ元気に若々しく向こう見ずに挑戦を続けているのは、それはそれで、まあ、ある種、立派と言えるのかもしれない。いや、やっていることは邪悪なので、まるで褒める気にならないけど。

サッカー観戦者の乱暴事件が多発しているという話について。
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 1) コロナ明け(※明けていない)で開放的に暴れてしまうというのは、うーん、考えにくいかなあ。もしもそうならば他のところでも乱暴事件が多発していておかしくないが、そういう傾向は(国内でも海外でも)見当たらない。
 2) 貧困者増加による暴走という見方には、賛同できない。「低所得者=低モラル」というのは無根拠な階層的偏見だと言わねばならない。もちろん、「生活のための窃盗が増える」といったようなことは起きるかもしれないが、わざわざチケット代と旅費を支払って現地観戦しに来るほどの客が、その会場で暴れるという事例には、当てはめられない。
 3) 素人の私見では、無観客試合の時期があったため、ファンの間で「良き観戦文化」を継承することに失敗しつつあるのではないかと思う。例えば大学サークルなどでも、リモート授業中心だった数年の間に様々なノウハウや人脈や慣習が途絶えていったと思われる。コロナ下におけるコミュニティの喪失は、様々なところで社会を弱め、あるいは上記のように不安定化させているのではないかと危惧している。
cf. nordot.app/1087313421389758627?c=39546741839462401

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ひとまず、向こう一週間の準備が出来たのでグータラする、じゃなかった、積んであった懸案に取り組んでいこう。

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がうがう。
(※アニメ版の氷柱バードとの戦いは、福圓美里氏がすさまじく気迫のこもった芝居を披露されていました。アニメ声優史上屈指の、とびきりの名演と言いたいです。福圓氏自身、現在でもSNSのヘッダーにイギー画像を置いておられて、それだけ手応えのある経験だったのかなと思います。)

BANDAIのフィギュア「Fluffy Puffy イギー(Bタイプ)」の写真です。  人間キャラのフィギュアはアップロードしない方針だけど、犬キャラの写真ならば縫いぐるみと同じようなものだからOKと判断しています。
Attach image
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外部サーバーのページを直接開けないのは、mstdnの標準仕様の使いづらいところですね。フィードTLや検索でも、基本的には「このサーバーが取得してきた、このサーバー上で再現されているページ」にすぎない。「元のページを開く」ことは可能だけど、一手間必要になる。
 もちろん、相手方サーバーの設定が異なっていてそのままでは再現できない場合も多いし、データ取得コストの問題もある(リアルタイム更新するわけにもいかない)けど。★の数とか、投票の途中経過などは、あくまで「このサーバーが取得してきた時点での、取得してこられたかぎりでの情報」にすぎない。

 その観点で言うと、「外部サーバーにいるアカウントも「直接」 で見られる」というのは、なかなか画期的かも。 cf. @ nibushibu/111315779268752279

戦争と映画についての大雑把な印象。
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現代的な戦争のイメージは、前世紀(1980年代~90年代)の間は、「いきなり核爆弾が降ってくる」という感じの、一種牧歌的なものがまだまだ多くて、だから映画でも『サクリファイス』(1986)のように静かな情緒や祈りと結びつく余地があったり、『アイアン・ジャイアント』(1999)のようにシンプルな破滅の象徴として描かれていたりした。『フルメタル・ジャケット』(1987)ですら、アメリカ国内にいる新兵の内面に焦点を当てたり、ベトナムでも陽気な音楽を流し続けたりするほどの余裕があった。『地獄の黙示録』(1979)にも、オリエンタリズム的な距離感の遠さがあった。
 市街戦の過酷さや戦場での大量死がストレートに描かれるようになったのは、世紀が替わる頃だっただろうか。『プライベート・ライアン』(1998)ではノルマンディー上陸作戦の(冗長なほど長尺の)生々しい光景があり、『ブラックホーク・ダウン』(2001)ではソマリアでの市街地ゲリラ戦を取り上げた。徒労感のある陰惨な戦争描写、あるいは戦争/平和がきれいに切断しきれない泥沼のイメージが、映画表現でも急激に前景化してきたように思う。
 もちろん、遡ればモノクロ時代の戦争映画からいろいろあるし、映画文化内部の表現のレベルと現実世界の戦争や紛争は別物ではあるけれど、まあ、なんか、こう、いろいろと、映像メディアとの付き合い方として、いろいろ考えてしまう。

中東関連の投稿が……きつい……。
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関連情報はできるだけ真面目に見るようにしているが、local TLにも崩壊した都市や、泣き叫ぶ少女や、血飛沫(?)を浴びた少年の写真が並んでいるのは、精神的にこたえる……。
 世界的に重大な事態が起きていることに、向き合っていくべきであることは確かだ。しかし、惨禍の雰囲気に私たちの心が飲み込まれてしまわないように、まずは自分を保てるようにすることも大事だ。
 一昔前の東日本震災でも、目を覆いたくなるような被災地映像が連日流されていた。安全な他地域で、ただ見ているだけの私でもつらかった。だから、ショッキングな映像からは距離を取るようにしたし、SNSでもそれを促した。「悲惨な光景に長時間晒されるのは大変だから、つらい方はあまり見ないようにしてね。二次的被害(=私たち自身の精神的ダメージ)を防ぐのも重要だよ」と。
 事態は見守っていくつもりだし、寄付など出来ることがあればしていきたい。そして、「数千人の被害者」や「市街地への砲撃や爆撃」や「検問所で起きている様々な問題」と記述されることがらが、現実にどのような有様であるかを理解するうえで、写真や動画はきわめて有効だ。それは分かる。でも……視覚的にきついものは、記事サムネや写真投稿に際して、せめてワンクッション置いてもらえるとありがたいです……。