おはよう。井戸宇宙…。
言葉と文字とヨッシーアイランドが好き。#たまごっち や #ここたま のアニメを見ます。たまに #絵 を描きます。#フォント(#書体)を作ったりします。2023 年 1 月から、https://mofu.kemo.no の副管理人です。(いきなり権限を付与されたけど受け入れました。)よろしくお願いします
日本語の研究で博士号を持ってるらしいけど、離れて長いし、自信ない。キーボードは新 JIS‐配列(#JISX6004)微改変版です。
ソーシャルメディアのアカウントのうち、ここが常駐場所です。さゆぬの活動は大体ここに集約されます。
今のプロフィール画像は『ヒミツのここたま』のミシルの絵です(二次創作)。
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@octopus 中に文字を浮かばせるという部分については、平面が一層だけあればいいので比較的容易な気がします。核になる部分を作って、その表面に印字して、それを同じ素材に沈めて固める感じ…知らないけど。
ツイッターは宣伝をする場ではなかったから、そういう使い方をしに来た新参はうるさいなあと思っていたけど、最近のツイッターは性質が変わってしまったので「勝手にしてくれ」に接し方も変わった。
裏から読ませるのではなく図のように宙に浮かばせるなら、裏側を透明にする必要はないんだ。例えば不透明の小さな球に数字が四個書いてあって、それが透明な材料の中に埋め込まれているというような作りでも成り立つ。(その方が余計な裏返しの字が目に入らなくて読みやすいかも。)
サイコロの乱数性の由来は大きく二つの要素に分けられる。
(1) 手に持った時点で向きを把握してない
(2) 飛び方や転がり方を制御できない
仮に、手を放した時の向きのまま着地してビタッと止まってしまうような変なサイコロであっても、(1) が保証されるなら乱数にはなる。でもそれはサイコロのお陰の乱数ではない。振る人の善意に依存し、不正を防ぎにくい。
ただの正四面体は転がりにくいので、投げ方を工夫しないと (2) による乱数性も得にくい。どんな形にすれば転がりやすく使いやすいかについて興味がある。
現代の複雑化した CSS について「完全に理解した」という発言が真である場合はほぼあり得ないので(誰もそんな事言えないので)、話者の熟達度を問わず、その言葉は自動的に自信過剰の滑稽を表すという感じがする。
CSS 2.1 という時点のスナップショットでよければ、ほぼ完全に理解したと言えたかも知れない。
今は何やらいつの間にか機能が増えてるし、ブラウザーの対応状況や普及率も絶えず変動するし…。これを常に完全な体系として頭の中に維持してる人っているのかしら。
ウエブ技術って、後方互換性を気にする限り、自信が発生するタイミングがないよね。常に誰かを切り捨てて妥協を書いてる。まあ、業務で「対応ブラウザーはアレとソレ」と定義しちゃってるなら自信を持って切り捨てられるのかも知れない。最良のワールドワイドウエブを理想に据えるなら、そこには永久に到達できない。
@octopus 三次元プリンターも それはそれでいいけど、サイコロは安価に量産できるような設計が理想だなあ。検索結果の画面写真に写ってる商品とか百円ぐらいですし。
スタートボタンを押すと一時停止してメニューが出るビデオゲームでは、もう一度スタートボタンを押せばメニューを閉ぢてゲームが再開するのを期待するけど、そうなってない作品が任天堂製ですら時々あって困る。統一してほしい。
『スーパーマリオサンシャイン』のメニュー画面では、スタートボタンは「メニューを閉ぢる」ではなく「選択を確定」の機能を持つ(A‐ボタンと同じ)。メニューを開いた直後は「つづける」が選択されてるので結果が同じだけど、「コースからでる」に選択がずれた状態で、再開するつもりでスタートを押してしまった事がある。(百枚コインか何かをしてる時で損失が大きかった。マーレのいりえの高い位置にいたのを覚えてる。)
『スプラトゥーン 3』のメモリープレーヤーなどでは、スタートを押すとメニューが開き、再度スタートを押すと何も起きない。これは腹立たしい。桜井政博さんなら許さないだろう。
…という事を連想したのでした。 #スーパーマリオサンシャイン #スプラトゥーン3 #Splatoon3
「健康診断のあと事務所に行こうかと思いましたが、業務の為の諸々を持参して診療所をウロウロするのも無用なセキュリティーリスクなので、去年と同じく直行・直帰する事にします」というメッセージを送った。
iPhone の日本語キーボード(フリック入力)は、数字へ切り替えるキーを押下したままスライドして文字キーで指を放すと、数字を一個入力しつつ仮名モードを維持するようになってる事に気付きました。英字も同様。
ゲーム機の性能の向上は、プレイヤーの体験に直接影響する面と、開発者が楽できるという面がある。開発者はプログラムの最適化に手間を掛けないで済む。「ベイク」しないで済む要素が増える。中間層となる技術の「オーバーヘッド」が響かなくなる。
最適化が不充分だと、間接的にプレイヤー体験の悪化として表れる。どこまでが「最適化をサボった開発者のせい」で、どこからが「性能不足のゲーム機のせい」かという境界は人の評価次第で、自明ではない。
私は「馬力」よりもスマートで効率的なシ組みに魅力を感じる。一々計算する必要のない情報は先に準備してある方が良い。先に作ってある部分にはアートの余地があるし。(計算によるアートというのもなくはないけど。)
消費電力を変えないでハードウエアの計算能力を改善するのもスマートさを含んではいる。
健康診断の待ち時間が長い。受診してる人が多いんだろうなあ。
尿を提出する窓口に紙カップが四個ぐらい渋滞してたし。あれはあまり気持ち良くない。
「十年の時を得て」と書いてるのを見掛けた。〈経〔へ〕る〉について確かに「本当にヘルでいいのかな」という気分になるのも分からないではない。でも別に〈減る〉に迷う人はいない。
一段活用が「難しい」のかしら。「弓を射〔い〕て」も間違われがち。あと、 YouTube の動画で常に「見らずに」と言ってる人がいた。
他人と時間帯をずらすのが良いと刷り込まれている。12 時から 13 時までに飲食店に入る事になるような制度を持つ会社は全部変だと思う。
これ、Apple の話をしてはいない。(Apple というのは例でしかなく、Microsoft に置き替えても同じ。)色々な側面のある大きい物について「嫌いだ」としか言わないなら、分解して考える能力がないのだという話。
製品機能を評価する前に「嫌い」という立場を定めているなら、その人は製品を触ってないので(触ったとしても中立的に評価しようとする態度を持っていないので)、嫌いという非理性的な要素から有用な知見が抽出できるとも期待できない。
一般的に「自分が採用してない物」の理由付けは雑になりがち。採用してないからよく見てないし、よく見てないにも関わらず(※)自分の選択の正しさを追認する目的があるので、事実や評価基準を歪めて「いかに悪いか」を語るようになる人がいる。
※ 〈拘らず〉と書くなどというこだわりは持たない。
会社というのは好き嫌いを言うには大掴み過ぎる。製品の話? 職場環境の話? 広告の話? 製品の話だとして、どの製品のどの部分? それは全ての製品に(少なくとも大半に)当てはまる? 過剰一般化ではない?
私は会社について好きだとか嫌いだとか思った事ないな。いや、経営者の性質の悪さが露見した場合とかはあるかしら。でもそれは「某社の経営者が嫌い」という事だよな。経営者が嫌な奴で、その人が作ったと言えるような会社なら、嫌いな会社ではあり得る。まともに指揮が取れてないっぽいとか、顧客対応の態度が悪いとかで全体的な印象が悪い事はある。製品の作りが自分の用途に合わないとか、粗悪であるといった事で会社が嫌いにはならない。