ザッハリヒカイトっていままでよくわかってなかったけど、デザイナーが装飾排除の美学を言及するために言っていた評価か
ザッハリヒカイトっていままでよくわかってなかったけど、デザイナーが装飾排除の美学を言及するために言っていた評価か
そうか、ストレートフォトもおなじ美学のうえにあるのか
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%83%91%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A5
だがベートーヴェンの第九交響曲を聴きにコンサートに出かけ、帰宅した後、仕事机に向かって壁紙の図柄のデザインに取りかかるような男は、詐欺師か変質者のどちらかである。
アドルフ・ロースの装飾と犯罪、おおむねひどいテキストだけど、ここ笑ってしまう
いま読んでる本、活版ではなさそうなんだけど、「エ」の字が上下反転していたりして、どうやったらこういう誤植が発生するのかちょっと気になる。
自然の表面的外観の模倣と対立する自然の精神、およびさらにずっと広い意味での自然、すなわち人間の独立性と対立する宇宙の力としての自然、これが1890年頃のヨーロッパ絵画における新運動のモットーの一つであった。それは、ゴーガンやゴッホの場合のように、本能と自己抛棄に還ることを意味してもよく、あるいはセザンヌのように幾何学的基本形に還ることでもよい。それはやがて、表現主義になって行くか、あるいはまた立体主義になって行くかも知れない。
20世紀初頭のアヴァンギャルドは、ここでいう「自然」から離れることになるけど(それが表現主義であれ、立体主義であれ)、セザンヌにいわせると「絵画とは自然と並行するもうひとつの調和」だけど、自然から離れてしまって絵画だけで一本立ちしてしまえば、調和の原理を探しようもなく壊れていくもんだとおもう。マティスはそれでも絵画の調和を探そうとしたが、彼の絵からみんな強烈な不調和を嗅ぎとっていた。それはともかく、20世紀のヨーロッパ芸術・文化の特徴は「自然」からの決定的な離脱とみなしても、やっぱりよさそうな気はする。メルロ=ポンティの「眼と精神」もそんな感じだったし。
にしても、このペヴスナーの本は、美術・デザインの動向が手際よくまとまっていて読みやすい。文庫化すればよいのに。
「大住宅ではないが、デザインにおいて存在理由と近世がすばらしく保持されており、理に適ったすべての要求に合わせて取り決められ、しかも至る所に豊かな空間の印象を残している」
ウィリアム・モリスのレッドハウス、彼の友人に言わせると大住宅ではない。大住宅とは。 https://www.nationaltrust.org.uk/visit/london/red-house
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人文系のクソナガPDF、どうやっても画面上で読む気にならないから書物にしてほしい。
デザイン思考のようなほとんど詐欺といっていい物言いが20年も続いてしまったことのほうに興味がある
https://designing.jp/what-if-design-isnt-problem-solving
ノーマンの「誰のためのデザイン」の第二版にデザイン思考の章があり、英国デザイン協議会が2005年に人間中心設計とダブルダイヤモンドモデルを採用していて、これが「問題解決のデザイン」そのものだから、そこらへんが起点だとするとたしかに20年くらいなんだな。
ダルムシュタット芸術家村、絵に描いたような悪趣味だな...。1900年前後ってこんなんか。
https://kenchikuchishiki.jimdofree.com/2017/08/11/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%88-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB/
クラフツマンシップとエンジニアリングの対立ってモリスの時期から変わってないな
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うーん、おもしろそうだけど、本っていちいち高いなぁ
https://www.keisoshobo.co.jp/book/b627626.html
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MIT Press、15ページくらいのPDFのダウンロードで$19とかだった。そんなの買わない。
住所正規化の話はこれが元ネタかな
https://twitter.com/kota_sugihara/status/1665353753573330944
河野太郎にはなにも期待していないけど、住所正規化の複雑さの本質はあっている。政府が統一記法をだして済む問題ではないのは、郵便システムが別途独立して存在していることと、慣習的な住所表記と正規の住所表記の違いを一般人には区別できない。住所表記の揺らぎは人間の多様性に由来してしまっているとおもう。
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「土偶を読む」と「土偶を読むを読む」は読みたいけど、なかなか時間がない
イコノロジーが間違って利用されているっぽいけど、そこ興味があって読みたい
https://twitter.com/tanajun009/status/1654064096109809664
デザイン史がこんな体たらくだから、デザイン業界での批判的な視点が育たないんだなという気がする。ドナルド・ノーマンの説とかなんの批判もなく教科書っぽい体裁の本に、まさに教科書的に説明されるし。
雑誌というスタイル、現在のインターネットにおけるテキストの永続性が完全に怪しくなってきているので再検討されてほしいが、ビジネスとしてはもう死に体になってしまった。小部数でも無になるよりぜんぜんいい。
そもそもアートやデザインが学校のような教育システムによって教育できるのかっていう問題があるけど、実際に教授からは受け取ることができるものってたぶんほとんどなく、むしろ対立するほうが通常なんだとおもう。むかしのような師弟関係みたいなものにならないから、非連続性があり、それを埋める装置として学校では歴史が必要になってくる。などというようなことを思った。
デザイン史の話。しかし、そういう意味ではまったく役にたっていないという気がする。
@derelictio わたしの場合はほぼ論文を書きたくて進学しようとしているのですが(ひとりで論文を書いたところで然るべき場所に展開されなければ無意味なので)、論文が意味を持って読まれる場を獲得するために数百万かかると考えると、なかなかすさまじい価格だなと感じております笑
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BT まさにそれこそが問題で
すべて単一の行政システムにのっているわけじゃないから、行政がわで単一のルールにそった情報の表現を強制するわけにいかず、結果としては多様な表現が維持される。
人間は、郵便局が提供する配送システム上の情報と、総務省が提供する行政管理上の地理情報を区別できない。郵便局の住所情報は行政システムではないのに、慣習的には通用してしまう。行政的には扱いが難しいポイントだとおもう。
そもそも住所ってのは領域をいかに切って同一視するかを問題領域に含むのだから、ポイントしか指せない座標なんて使ったら却って正規化がダルくなるのは明らか
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ジンカルチャー、ちょっと前に読んだ思想の2023年3月号がおもしろかった
https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7022
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あれ、モホリ=ナギって観察者の系譜で触れられていないんだっけ...?モホリ=ナギ読んでたら、写真機にとって本質的なのは感光層であって、カメラ部分は二の次だっていう議論があり、まさに観察者の系譜っぽいなとおもったけど。観察者の系譜巻末のインデックスには名前がない。
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マノヴィッチ、ニューメディアの言語積んだまま文庫がでることになってしまった。
Software takes command の抄訳とインスタグラムのやつを読んだけど、マノヴィッチを使うためのいくつかの文脈が欠落しているとは感じる。
バウハウスの教育科目のなかに「簿記、契約、請負の基本概念」があるのなかなかいいな。
ゴットフリート・ゼンパーが1851年のロンドン万博を見て書いた論文に「機械は縫い、編み、刺繍をし、彫り、描き、人間の手わざの領域に深く入り込み、あらゆる人間の熟練を顔色なからしめている」と書いて、新技術が適切に使用されていないと論じているそうなんだけど、170年たってほぼ同じような議論やっているのは、なんだろうな...。