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この記事に的外れな批判をしている人みたけど、実際「デザインは問題解決だ」っていう図式はここ20年くらいで浸透しているはずで、それの起源に人間中心設計とダブルダイヤモンドがあるんだけど、それより前がわからないんだろうな。デザイン史的な思考の欠如というか、それ以前の言語が切断されている。
この記事で肯定的に言及されているジョナサン・アイブとかはもろにモダニズムデザインなわけで、そういう文脈差についての言及なのはすぐわかるんだけど、それが読めないのは、(それがポジショントークでないのなら)デザイン思考とモダニズムとの切断にあって、前者によって「デザイン」の概念が書き換えられた人たちが読むとそうなるんだろうな。
あらためて読んでみても、読みまちがえる理由よくわからないな...。
ジョナサン・アイブがやった筐体デザインみたいな「象徴的な」仕事抜きにAppleは「デザインの力」を訴求できただろうか?デザイン思考からはそういう象徴的な仕事がでてこなかった、それはデザイン=問題解決という図式を作ってきたからだ。くらいしか言っていない。アイブの筐体デザインは問題解決ではなかったし、かつてデザインとされてきたものもそうだった、という主張にしか読めないんだけど。
これが共訳不可能性か...。
>ジョブズの有名な言葉で「アップルは、テクノロジーとリベラルアーツの交差点にある」というものがある。ここ10年、デザインはテクノロジーにより過ぎて、リベラルアートの側面をおろそかにしているのではないだろうか。
とあるけど、おろそかにしているというか、まさに「デザイン」というジャンルの起源にあるアートを切り離す作業が、認知科学によるデザインについての議論だとおもう(ノーマンがこういう文脈でフランク・ロイド・ライトを馬鹿にしている)。
アートという出自に戻るのがいいかというと、ぜんぜんそうは思わない。ジョナサン・アイブもそうだけど、アートとかモダンデザインひきずっていると、いまだとどうやってもシミュレーショニズムになる。
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これ、象徴にたいするテロリズムであって芸術作品の破壊ではないから平和的な活動だとおもっているんだけど、問題はメッセージがまるで伝わらないという
https://news.livedoor.com/article/detail/24428309/