念願の
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なんか前は東京の人混みは流れも速いし読みにくく動くし怖い怖いと思っていたがこの頃では大阪京都の雑踏の方が治安が悪い気がしてきた
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ロシア語,辞書を引きながら簡単なものが読めるくらいにはなりたさがあるものの,業務上求められることがまずないので自分の中で優先順位はあまり高くならないという難点がある.
「……エピクロス哲学は,デモクリトスとともに,旧ソヴィエト連邦において古代哲学の主たる研究対象だったのである」こういうあれがあるのでソ連が健在であってくれればという気持ちがある(ない)
https://gnosia.info/@ncrt035/100593900483709939
東ヨーロッパでの古典受容・古典研究の流れみたいなのが全然わかってないので知りたい感じはある.
北欧の場合も優れた学者を多く生んでいながら,一口で説明するのは難しいけれどもその学風はイギリス・ドイツ・フランス・イタリアなどとは異なっているので,東欧でも面白い独自な要素があって不思議は何もない.
えーglaros.xyz が証明書の期限切れを起こしてたので更新しましたorz
The Juilliard Manuscript Collection
http://www.juilliardmanuscriptcollection.org/
趣旨だけ入力したららいい感じに社交辞令を交えたメール本文を自動生成してくれる技術はまだですか
Fowler, R.L.(1997), `Encyclopaedias: Definitions and Theoretical Problems’, in Binkley, P.(ed.), Pre-Modern Encyclopaedic Texts: Proceedings of the Second COMERS Congress, Groningen, 1-4 July 1996, Leiden, Brill: 3-29.
百科事典(encyclopaedia)とは何か,それが例えば辞書やマニュアルのようなものとの間に持つ区別を捉えることを試み,その上で古代及び中世におけるこうした百科事典的著作を検討する論文.
大プリーニウスやボーヴェのヴァンサンの著作,ないしはより一般的に任意の分野についての全知識対象を包括的に提示しようとした著作に前近代における百科全書的性質の現れを認め,それらが古典期ギリシアからヘレニズム期を経てローマ世界へそして古代後期から中世に至るまでの学問教育の発展と関連して変容していく様子を描く.
任意の時代の百科全書的手法が一つのメタファとして表現されるという指摘は非常に面白い(pp. 23-24).曰く,初期ギリシアでは「系譜genealogy」として,古典期では「(秩序立てられた)宇宙κόσμος」として,ヘレニズム期では「図書館・文庫βιβλιοθήκη」として,そして中世では「鏡・鑑」として現れるという.
この最初のgenealogyというのがどうもピンとこなかったのだが,こうした系譜ないし血筋を辿りなおすことは過去を理解するための基本的な枠組みを与えてくれる点で重要で,古の英雄たちにまで遡る祖先の系譜に連ねられた数多くの名前には種々の物語や土地についての知識が紐づけられており,一種の「部族的百科事典tribal encyclopaedia」と呼ばれうるものになっているという説明を聞いてなるほどと膝を打った.
論文の冒頭に指示してある『イーリアス』の箇所.
ὅς ποτέ μ᾽ εἰρόμενος μέγ᾽ ἐγήθεεν ᾧ ἐνὶ οἴκῳ,
πάντων Ἀργείων ἐρέων γενεήν τε τόκον τε. (Il. 7.127-128)
(ペーレウスが)以前そのお屋敷で、わし(=ネストール)にアカイア勢全員の家系、出自を尋ねられたことがあったが、それを聞いて大層な御機嫌であった。(松平訳)
MSという文字列を見てMicrosoftを思い浮かべる界隈もあればManuscriptを思い浮かべる界隈もあるしMobile Suitを思い浮かべる界隈もある
“Adobe Typekit”が“Adobe Fonts”へ、複雑な利用制限をすべて撤廃してシンプルに - 窓の杜
https://forest.watch.impress.co.jp/docs/news/1148032.html
東京大学大学院法学政治学研究科附属近代日本法政史料センター、宮武外骨蒐集資料をオンラインで公開 | カレントアウェアネス・ポータル http://current.ndl.go.jp/node/36835
「『オープン化』と『収益化』は両立する」というのは全くその通りだと思うが自分の中である程度基準を明確化ないしは言語化しておくと悩まずに良さそう
あと営利を目的とする私企業の場合と大学などの公的な研究機関の場合とを考えておく
📰 ガイナックスの創立メンバーも 京都でアニメスタジオ相次ぐ : 京都新聞 https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20181013000126 #京都 #kyoto
イタリアの古本屋に注文したはずの本が全然別のドイツの本屋から届くという謎い事態になったので経緯を問い合わせるメールを書かなくてはいけない
返事きてた.
何でもイタリアから直接送ると料金が高くなるし高額な本だから確実に送りたかったのでドイツの友人を頼ったとのことで🤔 になったが,先方の意図した経路であることを示す文面が手に入ったのでまあよしとしよう.
「韻を踏む」という行為の楽しさを考えた場合,押韻語はむしろ同族間で呼応しない方が面白いというのはありそう.語源が同じなら音が同じになるのは自明の理なわけで驚きもなく発想力が問われることもないわけだしね.
日本語の詩は基本的に形式上脚韻を踏むことをしないため,外国の詩を読む場合に,たとえばペトラルカの詩の注釈に脚韻語のパターンや特徴,共有している母音・子音の分析が事細かに書かれているのを見てもなかなかピンとこないが,最近は日本語のポピュラーな楽曲でも押韻の工夫が認められるので,そのあたりのものに親しんだ人々にとっては鑑賞の障壁が大なり小なり取り除かれるのかもしれない.
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連続講座「明朝体の教室」第1回講座「漢字の教室1――錯視の回避」
https://visions.jp/b-typography/
iam vero Italia novis cladibus vel post longam saeculorum seriem repetitis adflicta. haustae aut obrutae urbes, fecundissima Campaniae ora;
さらにイタリアは未だかつてない,というよりも幾世紀もの長い間を経て繰り返された災害に打ちのめされた.この上なく豊かなカンパニア地帯の諸市は呑み込まれ,あるいは覆いつくされてしまった.(タキトゥス『同時代史』1,2)
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まさか私からリークするわけにはいかないので詳細はふせますが,界隈でよい出版物が進んでいるらしい報せを幾つか聞いているのでご期待くださいとだけ述べておきます.
これ,うまい表現だ.「関西ネイティブは一見感情豊かに見えるが,それはあくまでロールを演じる意味においてでしかない」| 日本版「文化の盗用」議論
https://anond.hatelabo.jp/20181012094032
国際高等教育院の略称の「KKK」への変更について
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/education-campus/cli/mail/documents/2017/a0167.pdf
京大のこういうところ好き(不謹慎)
cladesの意味がよく判らなくなったのでErnout-Meilletの語源辞典を引くと,例外はあるものの一般的に言ってcaedesが能動的な意味なのに対してcladesは受動的であるように書いてあった(généralment au sens passif, tandis que caedēs a le sens actif; toutefois, quelques exceptions, surtout poétiques).
なるほど.
ところで何の気なしに見てたけどもこのタキトゥスのcladesの用例はここに見たcaedesとの違いをつかむのに良いかもしれない.cladesの「災害」という意味はその受動性をよく表している.
https://gnosia.info/@ncrt035/28271
sakura demo https://oxal.org/projects/sakura/demo/
雑にHTML書いて1行当てるだけでいい感じになるsakuracssをよく使ってるよ
当日の質疑の要点:
(Q1)exstillatとin astraの動作方向の関係について
(Q2)ペルセウスの誕生譚との関連
(Q3)オウィディウス『変身物語』との関係
(Q4)exstillatと「結果のin」の相性
(A1)従来の解釈はin astraを物理的な方向と考えたためexstillatに通常とは逆の「下から上へ」の運動を認めることになった.in+acc.を結果と捉えるとその必要はなくなる.
(A2)ゼウスが黄金の雨と化してダナエーと交わり生まれたペルセウス誕生のイメージとの関わりは念頭になかったが,詩的効果という点では意識されている可能性はある.
(A3)この箇所でマーニーリウスの参照先の一つがオウィディウスであるのは間違いない(cf. Flores, E.(1966), Contributi di filologia maniliana, Napoli).語彙表現面でどのくらい類似ないし相違があるかはなお検討を要する.
(A4)文法書への指示はしたがコロケーションとして妥当か問う余地はある.Man.内なら専用辞典があるので近い例を調べるのは不可能ではなさそう.
「日本イタリア会館」ってウィトルーウィウスの翻訳者でもる森田慶一の作だったの知らなかった|
田路貴浩「構立てと生命 森田慶一の建築と思想」(所収:京都工芸繊維大学美術工芸資料館 建築アーカイヴ研究会『もうひとつの京都 ─モダニズム建築から見えてくるもの─ 展 カタログ』2011年) http://www.taji-lab.archi.kyoto-u.ac.jp/member/taji/column/2011_01.pdf
わかりやすいね
「研究者と一般の人との間には、ものを考える背景となる知識体系にかなりの『ずれ』がある,ということを意識しないといけません……
研究費はばら撒け>>研究者間の相互評価に任せろ
好きなことをやればよい>>研究者の『好きなこと』はイノベーション
役に立たなくてよい>>科学は総合力であり、幅の広さが力」
|「研究費をばら撒け、と言ってはいけない理由」 https://www.fbs-osaka-kondolabo.net/blog/baramaki
分けてたはずの線画レイヤにベッタリ色が塗られているのを発見した顔になってる
『現代思想 大学の不条理』号の与那覇さんの寄稿「大学のなかでこれ以上続いてはならないこと」ですが,外部資金獲得と大学評価の指標に振り回されて「尊厳のデフレ」まっしぐらな現状と個人が鬱病になった場合の「自己評価の底が抜けた状態」とがオーバーラップしててなかなか壮絶な記事になってる.
全然文脈も意味も違うんですけど,「間接話法というリテラシーへのハードルは,意外に高い」(p.108)というのは,ラテン語を学んだことのある人には全然違った共感を誘う文言だ.
ソポクレース『コローノスのオイディプース』のスコリアのG.A.Xenisによる校訂版が今年出たのでそれに対する書評が来てた(評者はP.J.Finglass).
ソポクレースのスコリアは全作通じて完結しているのはPapageorgiusによる1888年のもので,その後は劇毎に別々にエディションがちらほら出てるという状況.『コローノスのオイディプース』については1951年のDe Marco版があるのに今あえてXenisがこれを取り上げた理由はDe Marco版の誤りや読みの報告の不充分にあるらしい.書いてある通り,索引が充実しているのは使い勝手がよさそう.
http://bmcr.brynmawr.edu/2018/2018-10-14.html
音楽家のアントニン・ドヴォルザークって Dvorak 排列のドヴォルザークと親戚よね。大叔父とかだったか?
はじめに書いてあるのを見るとPapageorgiusのエディションはL写本(Laurentianus 32.9)に全面的に依拠しているようなのでなるほどそれはout-datedな感じだ.
L写本が重要であるのはそうとしてもしばしば他の系統の方が優れた読みを持っているということはLloyd-Jones & Wilsonによるソポクレース劇本体の校訂版(1990年)の序文にも書いてあった.`There are a number of passages where L's readings must be rated inferior to those of other families' (p. vii)
Xenisのエディションもちゃんと参照してここに取り入れたいけどできてない (´・_・`)
https://lggi.stromateis.info/abbrev.html
測量士ヒュギーヌス(Hyginus Gromaticus)のドイツ語訳付きテクストが出ていた.
Lindermann, J.-O., Knobloch, E., Möller, C., Hyginus - Das Feldmesserbuch: Ein Meisterwerk der spätantiken Buchkunst, Darmstadt, 2018.
https://www.wbg-wissenverbindet.de/12988/das-feldmesserbuch#
50年くらい前にドイツで出た博士論文を見たいけど何とかならないかなぁと図書館に掛け合ってみたら海外から現物貸借してくれたので聞いてみるものである
これの支払いを今日済ませてきましたが,日本円で5000円しない程度に収まりました.うちの大学は海外からの文献取り寄せに関してsubitoというドイツの図書館サービスを利用しているので,ドイツ語文献ならもしやと頼んでみてよかった.
ところでsubitoとvascodaについて書かれたこの記事(ドイツの図書館サービスの最新動向:subito(スビト)とvascoda(ヴァスコーダ) / ウーヴェ・ローゼマン|http://current.ndl.go.jp/node/8562 )のこの箇所は「そうだよなぁ」と思いつつ反省させられる.
「ほとんど全てのものがGoogleや他の検索エンジンで発見可能だと広く信じられています。2000年のドイツでの調査によれば,学生の64%は情報を捜すのに検索エンジンを使っており,たった5%しか特定主題の情報ゲートウェイを使っていませんでした。情報専門家は,検索エンジンが包括的な調査には効果的な意味を持たないことを知っています。なぜなら,いわゆる隠れたウェブ,ディープ・ウェブというのはGoogleなどにはインデックス化されませんし,高度に専門的なデータベースの方がいまだにウェブサイトの膨大なインデックスよりもよいサービスを提供できるからです。しかし,標準的な利用者はインターネットを通して利用可能な別の検索オプションがあることをよくは知りません」
当たり前なんだけどもドイツの図書館のサービスなので,ドイツ語でなくても向こうの図書館に蔵書があれば可能性があるわけだから,今回は79年にパレルモで出た80ページくらいの学術文献(多分流通はすごく少ない)を問い合わせたところ,テュービンゲン大学が所蔵しており無事取り寄せることができた.
金額も同じ程度,人間が直接行くよりはるかに安いっ
ふむっ |
プロ写真家の著作物を無断でツイッターアイコンに使用、発信者情報開示命じる…他の侵害ケースにも波及か - 弁護士ドットコム
https://www.bengo4.com/internet/n_8726/
第32回 京都大学地球環境フォーラム「人とオオサンショウウオとの関わり」 — 京都大学
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/social/events_news/department/kankyougaku/events/2018/181027_0940.html
三校までやって仕上がってきたものの文献表に誤植を見つけた日にゃ膝から崩れ落ちる気分だけれども,校正という作業自体は割と楽しいんですよね.これは決して単純労働ではない.
「誤植に気付きそれを修正するときいつも我々は本文批判(textual criticism)を実施している」
We exercise textual criticism whenever we notice and correct a misprint. (A.E. Housman, `The Application of Thought to Textual Criticism' CP III 1058)
タッソがフィチーノの翻訳を通してプロティノスを読んでいたというのは面白いが,その読書体験が問題の詩にどう表れているのか今ひとつよくのみ込めなかった.
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なるほど「ウェブテキストから情報をマイニングしてなにかする研究、というよりは、ウェブテキストからマイニングするための基盤技術の研究をしていて、前者と後者は、料理を作りたいか、それとも包丁を作りたいか、くらいの違いがある」 | 形態素解析器を作るのは包丁を作ったり研いだりする仕事 - 武蔵野日記
http://d.hatena.ne.jp/mamoruk/20111125/p1