東京の人が気に入らない人間を「田舎者」呼ばわりしてるの面白い
誰が書いたかよくわからない本について,その著者である可能性のある人々のことがmögliche Autorenと言われており,このmöglichを何と訳したものか少し悩んだ結果,「候補となる」に落ち着いた.「著者候補」
そうか,今日からこれですね.|
秋の古本まつり: 京都古書研究会ブログ
http://koshoken.seesaa.net/category/8767185-1.html
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オランダ大学協会(VSNU)、オランダの14の大学による査読論文の半数がオープンアクセス(OA)と発表 | カレントアウェアネス・ポータル
http://current.ndl.go.jp/node/36946
ウェルギリウスがギリシア語式の格変化を好んだというマクロビウスの証言:
adeo autem et declinationibus Graecis delectatur ut "Mnesthea" dixerit pro "Mnestheum", sicut ipse alibi:
nec fratre Mnestheo,
et pro "Orpheo" dicere maluerit "Orphi" Graece declinando, ut ...
さらにまた彼(=ウェルギリウス)は,ちょうど自身他の箇所で"nec fratre Mnestheo"としたように"Mnestheum"とはせず代わりに"Mnesthea"というようにギリシア語式の格変化を好んだ[Mnestheoという奪格の形を使ったようにMnestheumとラテン語式の対格を使っても良さそうなところをそうはしていない,という意味と思われる].そして"Orpheo"の代わりに"Orphi"とギリシア語式に格変化させて言う方を好んだ,ちょうど…… (Macr. Sat. 5.17.19)
さっき買ってきた『辞書の世界史』(ジョナサン・グリーン著,三川基好訳)第1章が「最初の編纂家と最初の「辞書」」でギリシア・ローマ世界の辞書について簡潔に概要をまとめてあって良い.
「ギリシアでは、辞書はある特定の目的、古代ギリシア文学の劈頭を飾るホメロスの二作品『イーリアス』『オデュッセイア』を読み解くために作り出された。紀元前八世紀のものとされるホメロスの両作品は、プラトンが『国家』の中で述べているように「ギリシア人を教育した」。しかし、その教育が功をそうするためにはホメロスの使った言葉が理解できなければならなかった。その語彙の多くが四百年の間に理解不能になっていたのだ。何らかの形の注釈が必要だった。そしてここでもまた初期の辞書編纂作業は、学問的文化的遺産を受け渡すものとしての責務を担うことになった。難解な語に注釈をつけることが初期のギリシアの辞書編纂家の職務だったのだが、同じことが千五百年後に、今度はラテン語の様々な筆写本に対して行なわれ、難解な語の上に説明的な訳が書き込まれた……」(pp.53-54)
そういえばと思って青空文庫を見に行ったらContribution Graphが完全に板チョコになってた
https://github.com/aozorabunko
Macías, C. (2011), Los terremotos a la luz de la ciencia antigua: el testimonio de Apuleyo, Mund.18.329-332, Cuadernos de Filología Clásica. Estudios Latinos 31, núm. 1 37-67.
擬アリストテレース『宇宙について』とアープレイウスによるそのラテン語版に現れる地震区分の仕方を検討し,『宇宙について』のそれをストア派に起源を持つものであるする論考らしい.スペイン語はちゃんと読めないのでとりあえずアブストラクトだけ見た.
https://revistas.ucm.es/index.php/CFCL/article/viewFile/36970/35779
もしかすると文学部にいる人でも自分は「文学の部」にいると思っている人たちと「文の学部」にいると思っている人たちがいるのかもしれない
それで前者の人たちが各々の「ぼくのかんがえたこうしょうなぶんがく」を考え出して,何が文学であり何が文学でないかを頼みもしないのに議論してくれているのかもしれない.