07:31:53 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 あえて「白票について」と見出しをつけておく。長くなってひとつの投稿(500字)に収まり切らなくなったので。よくある白票についての主張とは違う話です。以下本文。

 「白票を投じてきた」と先日投稿した選挙。維新の新人を自民・公明推薦の現職が約7割得票し(あえてざっくり書いている)3期目の当選を果たした。白票についていろいろ言う人がいるけど、まったく無意味というわけではない。白票にもきちんと意味があるということを以下に書きたい。

 確かに、積極的に支持できる候補者がいなくても、戦略的に投票するということはあるし、投票しないことや白票を投じることが消極的な現状維持につながることもある。しかしながら、今回の私の選挙区のような場合、白票はまた違った意味をもつ。それがじっさいどれだけ可視化されどれだけ社会的影響力をもっているのかと問われれば、ほとんどまったくないと言っていい。でもそれは効果があるかどうかという話であって、意味があるかどうかという話とは別。どう転んでも効果がないのなら意味のある使い方を、ということで、貴重な選挙権、貴重な1票なので、積極的主体的に意思表示をするのに使いたい。

07:43:54 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 (続き)だいたい、維新の候補者なんて話にならないけど、だからと言って自民・公明推薦の候補者に票を投じるかと言われれば、現在の状況における地方選挙に限って言えば、維新の候補者が当選するのを回避するためにどうしても仕方なくという特殊な戦略的状況でもなければ、自民・公明の候補者なんかに投票なんてできるはずがない。

 じっさい、自民・公明の現職が維新を破ってほぼ当選しそうな場合、つまり、場合によっては維新の候補者が当選するかもしれないという現実的な可能性があってどうしても仕方なく自民・公明の候補者に投票するのでない限り、わざわざ自民・公明の候補者に票を投じて得票数を積み増すことで「得票によって積極的な支持を得た」という口実に使わせるのは馬鹿げている。かといって、投票しなければ投票率が下がり、そのことがまた別の意味を持ってくる。

 確かに、投票しても白票を投じれば、結果に対する消極的な支持につながる点では投票しないことと同じだが、厳密には意味は異なる。単に投票しないことは、投票するけど白票を投じることよりも有権者の意思に関して持っている情報量が決定的に少ない。

07:49:49 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 (続き)「確かに、投票しても白票を投じれば、結果に対する消極的な支持につながる点では投票しないことと同じだが、厳密には意味は異なる。単に投票しないことは、投票するけど白票を投じることよりも有権者の意思に関して持っている情報量が決定的に少ない。」の続きから。このことが、「白票は無意味」とか「白票を投じているのは馬鹿げている」みたいな主張からは見落とされているよね。繰り返すけど、意味があるかどうかということと、結果につながるとかその行動の意味が理解されるかどうかという意味で効果があるかどうかということとは別の話。

 確かに、投票しても白票を投じれば、結果に対する消極的な支持につながる点では投票しないことと同じだけど、たんに投票しないことからは、そもそも選挙や政治に関心がないだけなのか、積極的に支持できる候補者がいないのかなど、投票しない理由が特定できない。ところが、白票を投じた場合、その行動には少なくとも選挙には関心があるという情報が含まれている。つまり、情報量が違うし、投票するしないの行為や意思表示の意味も異なるということ。

08:15:44 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 (続き)でも、白票を投じるという投票行動の意味は数字の上でも本当に見えにくいものだし、その行動の意味がどれだけ理解され社会的に影響力があるかと言えば、最初にも書いた通りほとんどない。

 だから、当選する見込みが低くても戦略的に投票するとか、戦略的に投票しても当選する見込みが低い場合でもそれが一定の票数につながるという有権者の意思表示をするとか、あるいは積極的に支持できる候補者がいなくてもその中で最もましな候補者に消極的に投票するとかいう選択肢・可能性がある場合には、そちらの方がより目に見える形で社会的影響力もあるので意義があるとされ、逆に白票を投じることは無駄だ、無意味だ、馬鹿げていると言われることになる。

 翻って、関西の地方選挙で維新か自民・公明かですよ。それでも維新が勝つかもしれないというときには、私でも鼻をつまんで体をのけぞって顔を背けてでも目をつぶって自民・公明の候補者に投票するだろうけど、ほぼ確実に自民・公明の候補者が当選しそうな状況なら事情は異なってくる。先ほども書いたように、そこに消極的にであれ票を積み上げるのはまた別の、有権者のひとりとして望まない結果を伴うと。

11:44:03 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 宮本むなしもいろいろなところで閉店しているし、うちの近所のようにリニューアルして少しだけ明るくてきれいになったところもあるけど、さすがに500円で食べられてたランチのサバの塩焼き定食はなくなってしまったようで「自家製タルタルのアジフライMIX定食」690円がランチの統一価格で下限になってしまっていた。「アジフライMIX」なので写真では見えにくいところに安い冷凍の白身魚フライが隠れている。

 小さな冷奴とかポテトサラダのような小鉢もつかなくなって、約2割の値上げ。アベノミクスだとかリフレだとかトリクルダウンみたいなわけのわからないたわごとを抜かしてこんな日本にしてきた〈愛国心のある〉〈普通の日本人〉たちに思いっきり課税してもらってご負担いただきたいわ、ほんま。

12:25:23 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 徳島で徳島のことをディスるという森さん( @moriteppei@* )じゃあないけど、私なんて大阪のどこにいても誰が相手でも維新のこと、維新の政治家、目の前にいる人がかなりの確率でそうかもしれない維新の支持者のことを徹底的に批判しているのよね(そんな私でもさすがに大阪で阪神のことはディすらない)。

 確かに、しごくまっとうなことでも何か自分の考えを批判されれば、言われたほうの気分がよくないということ、そのせいでいっそう頑なになってしまうということはあるだろう。そのことをもって正論でもそのままぶつけるべきではないという人もいる。実践的な観点で言えば、私もそうした意見を部分的には理解できるし、じっさいそれに従っているところもある。

 しかしながら、維新、あるいは自民や公明がやっていることって、ど直球の民主主義の否定であり、憲法違反であり、基本的人権の蹂躙であり、人命の軽視や殺人なわけで、それについて直接批判したら分かり合えないから批判しないなんてことはありえないわけ。その結果がロシアでありプーチンなわけでしょう。『十二人の怒れる男』で差別的な発言をした陪審員がどうなったかよね。

12:55:32 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 結局これだもんなあ。暗澹たる気持ちになるよなあ。 RT: 「裏切り者」今井瑠々氏、中傷の選挙戦 「仕事したい」貫き初当選 | 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20230409/

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「裏切り者」今井瑠々氏、中傷の選挙戦 「仕事したい」貫き初当選 | 毎日新聞
13:05:33 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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@Panda そうなのです。

16:33:48 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 政策について立場が異なるのであれば侃侃諤諤とやれるしやればいいのよね。質疑や議論を重ねてよりよいものにしていけるし、そうすればよい。ほんらい民主主義社会における政治というのはそういうものだし、国会だって地方議会だって少なからずそうしてきたわけ。

 でも、これが成り立つにためは、少なくとも答弁や政府によって示されたデータに嘘がないということが前提になるし、憲法その他法令に定められた手続きに政府や政治家をはじめとする公務員が従うということが前提になってくる。そして憲法違反や基本的人権の蹂躙がないということも大前提。

 繰り返すけど、政策であれば侃々諤々と論争すればいい。お互いのいいところ悪いところを認め合って、相手に対する配慮もしつつ、相手の感情も考慮しながらより巧妙に自らの主張を政策に反映させていくことが求められ、また実際そういうことが行いうるし行われている。

 だけど、虚偽を繰り返したり遵法精神のない組織や人に対してそうしたことは成り立たないし、基本的人権を蹂躙するような者に対してそのお気持ちに配慮して説得する必要はなく、ダメなものはダメだと訴え続けなければならないということ。

16:58:20 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 だってね、罪のない人を拷問して命まで奪う人に話を聞いてもらえるよう私たちはお気持ちを考えたり説得しなければならないのだろうか。それでも話を聞いてもらえなかったら、それは話を聞いてもらえる努力や説得力が足りなかった私たちの責任なのだろうか。違うだろう。

 こうした問題について私たちは、問題のある人や組織に対して政治的、社会的、法的、倫理的非難をこそするべきであり責任追及をするべきなのであって、それが相手に伝わるかどうかは問題ではないのよね。問題のある人や組織に責任を十分に果たさせることができないのだとすれば、それは社会の仕組みに問題があるのであって、責任追及する人たちの追及の仕方に問題があるわけではない。

 翻って、維新や自民党、公明党が何を行ってきたかということなわけで、こうした政党やそこに所属する政治家が行ってきたさまざまな虚偽や不正や人権の蹂躙をそうと知りながら肯定し支持するならば、当然先ほど触れたのと同様の非難と責任追及を受けるわけで、そこにお気持ちへの配慮や説得の必要性は微塵もないということなんだよね。「あなたはそうした不正を肯定するのですか?」ってことやん?

19:17:24 @mrmts@mstdn.mrmts.com
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 なんだか、社会に対して年中怒りをぶちまけている怖い人のように思われているかもしれないけど(じっさい怒ってはいるけど、怒るべきところに怒っているだけで)中身はお酒とカレーが好きな人間味のあるとてもやさしい人なのです。このアカウントも日常系の投稿が大半で、政治、経済、社会についての投稿はたまになので、もしそういうのを期待してフォローしてくださった方がいたとしたらすみません。