オリジナルアニメが少ない(新作のわずか1割)のは、たしかにいびつだと思うけど、何がどう問題なのかについては議論の余地がある。私見では、
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・個々の作品のクオリティについては、悪影響は非常に小さいだろう。供給される原作も大量かつ多様なので十分に選択の余地があるし、ただストーリーとキャラデザを縛られるだけならば、アニメーション表現はかなり自由に創意を発揮できる。
・アニメ制作会社に、企画立案やストーリー発案を担える人材が乏しくなり、原作依存体質を脱却できない。アニメ産業の創造性のポテンシャルが小さくなってしまう懸念がある。
・視聴者サイドの安定志向(安心志向)にも原因があるというのは首肯できる。しかし、ユーザー側の意識を変えていくのは非常に難しい……。

 10年代のオリジナルアニメは、『ソラノヲト』『輪るピングドラム』から、『たまこまーけっと』『幻影ヲ駆ケル太陽』『放課後のプレアデス』(『終末のイゼッタ』まで優れた作品が多くて、私も当時はオリジナルアニメに期待していろいろ視聴していた。『シンフォギア』シリーズは長く続いていたし、『勇者である』シリーズのようにアニメ版主導で(?)展開されていったコンテンツもある。20年代のアニメも意欲的な独自企画がいろいろ試みられてほしいという点はまったく同感。

https://img.amiami.jp/images/product/main/182/FIGURE-038378.jpg
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「御座候」や「七越焼」は、商品名(固有名詞)であって一般名詞ではないので、nintendoとしても勝手に使うわけにはいかない……ということかなあ。
(※実際には、ゲーム内イベントで使うぶんには、商標に引っかかることはおそらく無いと思うけど。)

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動物系マスコットキャラというと、長野駅の「ながも」くんが可愛いんですよね。
j-town.net/2022/08/14337284.ht

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ぎゅ~って抱きしめたい...! 長野駅の新キャラ「ながも」が可愛すぎて、全国進出してほしいレベル【全国駅キャラ図鑑】(全文表示)|Jタウンネット
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昔も今もポピュラーな妖怪ものや怪異ものも、和風ファンタジーの王道じゃないのかなあ。「いくらでも存在するし、ヒット作も多数存在する」というのが結論になると思うのだけど……。
 無意識の予断に引きずられて、例えば子供向けを除外してしまったり、超有名タイトルを枠外扱いにしてしまったりするのは、ジャンル語りをする際に誰しも(もちろん私自身も)陥ってしまいやすい。それを錯誤というか、偏見と呼ぶか、あるいは不見識なり不勉強なりデマなり盲点なり空論なりのレッテルを貼るかは、ものによるけど。

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troublesomeだと、-someが「性質」を指すので、客観的に実在する厄介さに使われ、それに対してtroublingは現在分詞なので、自分に対して働きかけてきそうな(≒心理的に嫌な)厄介さ……ということなのだろうか。
 だとすると、worrisome/worrying、tiresome/tiring、boresome/boringとかも、似たようなニュアンスの違いとしてネイティヴに認識されているのかなあ。例えば、「tiresomeは対象それ自体が一般的客観的にダルくて、tiringは自分が実際に経験したダルい作業に使う」という感じ?

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マウスの手持ちラバー部分も加水分解でダメになっていくので、同じ型番のマウスを何個も買い込んでいます。もちろんストックの方も劣化していきますが、未使用のままであればかなり保つので。

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キャラクターフィギュアも、加水分解でやられることがあります。特にソフトビニール(ソフビ)人形やカプセルトイなどは、影響を受けることが多いようです。ゴワゴワになったり、崩壊したり……。
 可塑剤のせいで表面がベタベタしてくることもありますし、長期間放置するとフィギュアが歪んだり(※直立していたフィギュアが、斜めに大きく傾斜してしまう)、室内灯だけでも塗装が色褪せしたり……。うちにあるフィギュアは、十数年前のものでも大半はきれいな状態を維持していますが、プライズフィギュアでは激しく褪色しているものもあります。儚い文化です……。

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サルミアッキも一度食べてみれば、結構いけるという人は多いんじゃないかなあ。
 甘さは無いけれど、「硬めのリコリス昆布飴」みたいなものだと思えばいいわけだし、舌の上にじっと置いておくと作業にも集中しやすい。私自身は、年1回くらいのペースで買って食べています。どこかのアニメのフィンランド人キャラからの影響なのですが。

サルミアッキのパッケージを写した画像です。
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加古川駅の直前(画像1枚目、日岡駅のあたり)でも単線のままで、住宅街の間をまっすぐ走って行くのはちょっと不思議な気分。加古川市は人口26万人とのことだが、駅前はしっとり落ち着いていて、なんとなく清らかな感じだった。瑞々しい4月の雨天だったおかげかもしれないけど。
 というわけで、なんとなく昔の写真を貼ってみました。

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加古川線話(つづき)。北部(谷川寄り)は2~3時間に一本という状況で、小高い山々の間を進んでいくが、西脇市駅-加古川駅は毎時1本通じていて、明るく開けた田園地帯を走って行く。並行して見え隠れする加古川の流れもゆったり広がる。
(投稿はもうちっとだけ続くんじゃ)

西脇市駅で乗り換えるところ。北部は昔ながらの瓦葺き一軒家が多かったが、このあたりになると今風の住宅も増えてきます。
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西脇の南あたり。平野がかなり開けていて、畑と住宅が混じり合っています。
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粟生駅では、神戸電鉄(写真左側)に乗り換えて神戸中心部へ向かうこともできます。
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雄大な加古川。橋を渡る最中に撮影した一枚です。
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加古川線は、一度だけ乗ったことがある。兵庫県西部の山中を南北に走る路線で、小さく開けた川沿いのルートをのんびり運行していく。駅舎は古いところもあるが、ターコイズグリーンの車両はかなりきれいで乗り心地も良かった。(つづく)

加古川線、谷川駅の写真です。周囲は民家が点在するばかりで寂しいですが、車両はきれいなグリーンで、いかにもモダンな雰囲気です。
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加古川線の車内風景。赤色のシートが整然と並んできれいです。車内広告が事実上皆無というのが、都市部の住民としては驚きです。
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加古川の流れに沿って運行しています。川向こうには住宅街も見えます。
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遠景には、低めの山々が複雑に重なり合っている様子が見えます。兵庫県らしい風景? 平地部分は、このあたりでは田んぼが多いようです(西脇あたりになると畑が増える)。
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グラソーのペットボトルジュースは、よく飲んでいたなあ。ヴィヴィッドな色合いのわりに、味は薄めでベタつかず、広口なのも飲みやすかった。ピンク色のドラゴンフルーツ味や、色の濃いアサイー味が特に好きだった。残念ながら、2018年頃に日本での販売を終了したとのこと。

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(きつい画像をTLにいきなり出してしまわないように、httpは削りました。)

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Adobe Stockで、現在の中東関連の画像が大量に提供されており、しかもその大半はAI生成によるものだという話。
 1) まさに今起きている紛争を商売のネタとして使うことが許されるのかという問(※それなら無料ならいいのか?という話も)。2) AI生成による非-現実の画像なので、誤情報を拡散させかねないという問題。3) これらのAI画像は、実際の紛争地域で実際に撮影されたものに依拠しているが、それらの撮影者には金銭的な見返りが為されていないという問題。うーん、深刻すぎる……。
petapixel.com/2023/11/07/adobe-stock-is-selling-ai-generated-images-of-the-israel-hamas-conflict/

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うわあ……イスラエル、やっちゃったのか……。

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原寸の14倍スケールのキーボードとは。(※3Dプリンタで作ったらしい)
via: schleuss.online/@itnewsbot/111372122650963053
hackaday.com/2023/11/07/we-lik

昨日買った漫画の中に、こんな作品(※画像参照)があって、読みながら頭を抱えてしまった。
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べったりした3段のコマ割で、しかも左側のページは走行中の自動車のバックショットを3連続で描き続けるだけという。漫画表現技巧として無策な作品は、読んでいてつらく、悲しくなる。作画それ自体は、非常に丁寧に手を掛けているだけに、もったいない。
 媒体に応じて表現文法を選び取ることの難しさ、という話でもある。例えば、これが実写映像作品であれば、同じようなカメラ構図で数秒間映し続けても、不穏な緊張感を演出したり、あるいはBGMの付け方によっては楽しい長旅の表現になったりすることは可能だっただろう。しかし、漫画で(いわゆる)映画的なコンテをそのまま再現しても、映像同等の面白味が再現されるとは限らない。この漫画は、まさに媒体間の断絶と失敗を示す好例になってしまっている(※本作は先月公開された映画作品のコミカライズとのことで、漫画家自身が撮影現場に同行したといった話も記載されているほどであり、この漫画が実写寄りの見せ方に引きずられているのは明らかだ)。
 このページの他にも、拙いところが非常に多い。コマ割が無頓着に機械的だったり、空間的位置関係が把握しづらい構成だったり(※作画そのものは、背景まで緻密に描かれてはいるのだが)、場面ごとの時間的なつながりも説明不足だったりする。絵の描き込みばかりに頼って、漫画としての構成が疎かになっているように見受けられる。おそらく作者自身の頭の中には、生き生きした(映像的にリアルな)風景が浮かんでいるのだろうけど、それが読者に伝えられる紙面表現へときちんと変換されていない。
 言い換えれば、優れた漫画たちをスムーズに読めて、ドラマティックな迫力を楽しめるのは、それだけ巧緻な表現技巧が凝らされているからなのだ。ページごとのレイアウト効果。コマ組みによってリズムを付ける演出。漫画媒体特有の省略表現。文字表現と視覚的表現の適切な役割分担。デフォルメなどの作画的抑揚。等々。漫画ならではのアーティスティックな洗練をこそ、評価していきたい。

うたうろくにんのおんな、という映画のコミカライズ版(第1巻、第1話)です。
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twitter.comがデマの巣窟になっているのをきちんと分析すべきだというNature記事(11月7日付)。
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以下大意。
 twitter.comには、ウクライナやイスラエル関連の投稿で極度に大きな注目を集めるいくつかのアカウントが、いきなり出現しているという、これまで見たことも無い現象が起きている。しかもそれらは反ユダヤ主義だったり、ロシア系プロパガンダやポーランド極右メディアに乗っかったりしている。こうした大変動が起きているのに、ソーシャルメディア研究者たちは注目していない(or注目できていない)。
 以前のソーシャルメディア研究者たちはtwitterを過大視していたが、この一年間はむしろtwitter.comから目を逸らしすぎではないか。依然として影響力の大きなプラットフォームではあるのだし、来年の米国の(大統領)選挙にも大きく関わるであろうから、デマや誤情報(disinformation/misinformation)の研究者たちは、手遅れになる前に、きちんと研究対象として取り組むべきだ。

……と、まあ、こう言われているのだけど、うーん……もう手遅れじゃないかなあ、いろいろと。
nature.com/articles/d41586-023

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The new Twitter is changing rapidly — study it before it’s too late
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『ティアムーン』のアプローチ、つまりデッドエンドを回避するように努力する物語というと、『俺の死亡フラグが留まるところを知らない』(※私は漫画版で読んでいる)も良い作品ですね。『ティアムーン』がコメディ基軸でその都度ハッピーな変化を明示するのに対して、『俺の死亡フラグ』はシリアス路線で、張り詰めた孤独さと悲愴な切実さがあってなかなか個性的です。
 もちろん、これらは昔ながらの「ループもの」の文脈下にあり、そのジャンルには先行作品も多数存在しますが、しかし姫キャラのサバイバル物語だったり、ゲーム知識で問題解決していったりするあたりは、さすがに10年代半ば以降の異世界もののコンテクストからの影響も感じられます。00年代~10年代前半だと、死に戻りの試行錯誤が目立っていましたが(PC美少女ゲーム『3days』『腐り姫』『蒼色輪廻』や小説『Re:ゼロ』など)、死なないままの過去改変ドラマの方が物語としてははるかにスムーズです。
 残念ながら『俺の死亡フラグ』漫画版は、途中から電子書籍版オンリーになってしまったのですが……かなり楽しんで単行本を買っていたのに……悔しい。

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いつもながらTargrusさんはニコニコして幸せそうだなあ……。

(維の字や参の字でない)まっとうな対抗的政党が、選挙できちんと得票できるようになってくれたら、政治状況はましなものになると思うのですが……。
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しかしこれは循環論法のような構造になってしまっているのが難しいところです。つまり、「政党として信用されていない(※と見做されているらしい)から、信用されていない」、「対抗的政党を作るような投票行動をしないから、対抗的政党が確立されない」という……。
 他国でもZ世代は政治(的公正さ)への関心が高まっていると言いますし、若年層を中心に投票率が高まれば、それだけでもかなり変わるんじゃないかなあと思っています。要するに、その都度の是々非々をきちんと見て行動する浮動層が、しっかり投票するようになっていくのに期待するということですが。

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私が今いるサーバー(vivaldi.social)のユーザーは現在4万人弱。ということは、世界人口から平均的に取れば日本全体で500人程度(※実際にはその数倍かもしれないけど)。ということは、一県あたり十数人から、多くて100人程度。つまり、確率はごく低いものの、「電車内などで知らないうちに行き違っている」くらいの可能性はあるわけで、そう考えると、道行く人々やバスの乗客や店員さんたちにも、もっと優しい目を向けられるようになるかも。