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『Vivaldia』。ノーミス時にハートを取れば50点になる(※ハートが減っているときは点数にならない)ので、それもスコアになる。全部で28個くらい出現するので、ノーミス進行をすれば+1400点。というわけで、理論上はおそらく1万点を超えることも可能。
 ちなみに、もう一度プレイしたら7140点でクリア。私自身は8000くらいが限界かな。つまり、ここから雑魚敵+10体撃破、ハート10個追加くらい。

ゲーム『Vivaldia』のゴール画面です。
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ハイスコアは、8700点を超えるらしい。
cf. forum.vivaldi.net/topic/61057/

雑魚敵を撃破してもせいぜい数十点だが、それらを40体分ほど丁寧に積み重ねればプラス2000点になるから、上記スコアは十分理解できる。敵弾をひたすら相殺して稼ぐというのもありかも。

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vivaldiブラウザのゲーム『Vivaldia』をクリア。ゴールまでのプレイ時間は25分くらい? スコアは6600点。
最後にトニー君が出迎えてくれたのが微笑ましい。
cf. vivaldi.com/ja/game/

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Vivaldia Game: Arcade game from Vivaldi browser
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vivaldiブラウザのゲームをプレイしてみた。数回試したが、結構難しい。
・市街地(砲台に注意)→地下道(ここは楽)→高架(穴だらけで危険)→市街地……
・一部の設置敵は、破壊可能。ハートを出すこともあるので積極的に破壊。
・斜め攻撃をしてくるUFOは、前(右)に出て即破壊。撃破しないかぎり延々攻撃してくる。
・垂直落下の火炎は、地面を破壊する(※ここで挫折した)。
BGMは、グリーグの「山の魔王の宮殿にて」。

vivaldiブラウザにデフォルトで入っているゲームです。スタート画面のスクリーンショット。
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コロナの数年間で、大学サークルや大学祭などでもノウハウや機材やコネクションが、きちんと伝えられずに失われていったんだろうなあ……。大きな文化的損失と言わねばならないが、当時の判断としてはオンライン化すべきだったのは確かだ。
 もちろん現在でも、接触や密集を極力減らすべきだし、それを所与として新たな文化様式を形成していく方が良いのだが、むしろ現実はそれを無視した単純なコロナ前への復古思考になっていて、衛生面でも危険だし、文化としても退嬰的だ。

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『シムーン』、つらい……。引き込まれるけれど、いたましい。

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とはいえ、ドイツ人のWand(ヴァント)さんのことを、NHKなどで「バント」と表記するのは、うーん……ちょっとモヤモヤした。

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他言語由来の表記について。翻字の正確性にはどうしても限界があるので、私はわりと規約主義的な姿勢、つまり、「大多数の人がその対応関係を認識可能である(誤解や混同のおそれが低い)ならば、その限りでは自由にしてよい」と考えている。なので、先述のHabermasも「当該集団の中で誤解なく特定可能であれば、誰がどう表記しても文句をつけまい」という感じ。
 嫌らしい人は、表記の違いで学派識別をしたりするけど……。法学上の「遺言」も、「ゆいごん」でも「いごん」でもどちらでもいいよねと。実際、「『ゆいごん』でもよい」と明言する民法学者もいる。

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『シムーン』DVDを発掘してきたので、今月はこれに向き合うことにする。

アニメ『シムーン』DVDボックスの写真です。
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アクセントについても、「できるだけ原語に忠実に発音する」というのも一つの姿勢だが、その一方で「ある単語を別の言語の中で使うときはアクセントの置き方が変化するのはむしろ自然なことだ」という考え方もできる。
 例えばMesserschmidtは、最初の「Me」にアクセントが来るが、日本語の中で言及する際にはフラットに「メッサーシュミット」で構わないと思う。

Schrödingerをできるだけ忠実にカタカナ翻字するとしたら、öを「オェ/ォェ」で表記して、「シュロェーディンガー」とするのもありだろうか?
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そもそも発音体系が異なるので簡略化してもよいと思うけど、原語の綴りや発音を意識させるうえでは有用かもしれない。Jürgenを丁寧に「イュルゲン」と書く研究者さんも、いないではないし……。

また、長音「ー」を入れるかどうかも人によって解釈が異なる。例えばHabermasを、
・ハーバマス:アクセントのあるところを強調する(※こう表記する研究者も多い)
・ハバーマス:アクセントも無理には伸ばさない。erは伸ばして表記:(※わりと昔からの表記)
・ハーバーマス:両方やる(※一般メディアはだいたいこれ)
・ハバマス:両方省略(※かなり稀)
があり得る。フランス人名のBoulez(ブーレーズ、ブレーズ)なども表記揺れを引き起こすし、最近では「ソークラテース」と書かれることも増えた。

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昨晩言及した『シムーン』は、第1話だけの配信だった。(全話配信だと思い込んでいた……)
第1話を視聴してからずっと意識がそちらに引っ張られているので、久しぶりにDVDを取り出して見返していこうかな。

3D余談。3D CGは、当然ながら空間表現との相性が良い。例えば:
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空を飛ぶ魔法少女もの『放課後のプレアデス』(2011/2015)は、それをきれいに活用したお手本のような作品だった。プレアデス=スバルということで、SUBARU車を模したメカ箒に乗って、エンジン音をブォンブォンと吹かしながら飛び回るという風変わりなデザインだが、空と宇宙を飛ぶ5人の少女たちの姿は2D/3D混用で気持ち良く描かれていた。
 最新調査を踏まえた精密な土星描写をしたり、飛行練習でインメルマンターンの説明をしたり、最後は宇宙の果てまで行ったりしつつ、ジュブナイルSFとしても意欲的だった。好きな作品。

日本のTVアニメでの3D CGは、
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2000年前後に本格導入されるようになっていたが、その当時はまだまだぎこちなく、手書き部分から浮いていた。『らいむいろ戦奇譚』(2003)が、主人公たちの乗る軍艦をフル3Dで緻密に造形して使い回したのは、わりと上手いアプローチだった。
 00年代後半になってようやく、見られるレベルにこなれた3D取り込みが出てきた。先程言及した『シムーン』(2006)や、『コードギアス』(2006-2007)がこの時期に当たる。OVA『星の海のアムリ』(2008)のようなフル3Dアニメも現れてきたし、『ストライクウィッチーズ』(2008/2010)は2D/3Dをきれいに馴染ませていた。海外だと『ファイアボール』(2008)がリリースされた頃。技術史的観点では、だいたいこんな時代だったと思う。

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「シムーンは神の乗機なんかじゃない。ただの機械だ」。精神的価値を巡る争いでもある。
 主人公たちが属する「宮国」の風景はカラフルで豊かに描かれているが、敵対国の空は工場の煤煙まみれで暗く汚れている。しかし、工場で簡素な有人機を大量生産することにより、シムーンの超自然的的(宗教的)な力をも打ち破ろうとしている。見返してみると対比はあからさまだが、瞑想的で内省的なモノローグの連なりがそこに劇的な説得力を与えている。

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シムーンは、「光の航跡で、空に模様を描く」ことにより、それぞれ特定の超自然的な作用が発動する(例えば、敵機を攻撃するビームが降り注いだりする)。視覚的表現としても、戦争アニメらしからぬ幻想的な演出だし、物語的には悲愴な美しさ、アルカイックな神秘性、そして可憐な脆さを印象づけることにも繋がっている。