「学生の信頼を損なう恐れのある大学教員の行動」25箇条
https://twitter.com/_sotanaka/status/1207586104842436614
NOSIGNER代表・太刀川英輔さんが、生物系統学者・三中信宏さんに聞く、「系統樹思考の応用可能性」|INTERVIEW|Qonversations https://qonversations.net/interview/2814/
この三中先生は,系統樹的な思考の研究の中で,その一例として古典文献学における写本系図の作成法についても扱っており,この分野以外の人でティンパナーロについて触れておられた研究者でもあります.
というかティンパナーロについては肝心の古典学から触れる人が少なくて,系統樹思考研究のほかは,エンゲルスの哲学的貢献を評価する西欧マルクス主義者の一人として着目されたとかがある.
そういえば9月にこんな雑誌が出ていた
書物学 第17巻 編集文献学への誘い [978-4-585-20717-7] - 1,650円 : Zen Cart [日本語版] : The Art of E-commerce https://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=101047&language=ja
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『5人目の旅人たち──「水曜どうでしょう」と藩士コミュニティの研究』|執筆ノート|三田評論ONLINE https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/literary-review/201912-4.html
『メギド72』というゲームのベリアルというキャラクターが非常に刺さるデザインなのですがエアプ勢なので描くのが躊躇われる
この関係で言うと2015年にはこんな本も出てましたね
慶應義塾大学出版会 | テクストとは何か 編集文献学入門 | 明星聖子 納富信留 https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766422801/
どちらも執筆陣は(納富先生,伊藤先生を除くと)わりと英文学・ドイツ文学を専門にしている人たちなので,イタリアでクローチェ,パスクァーリらがどういう議論をしていたかについては,こういう論文が簡単な紹介をしています.
http://hdl.handle.net/2433/233698
表紙の英題はWhat is a Text? An Introduction to Textual Scholarshipなので「テクスト研究入門」でもよかった気がしないでもないですがそれだと目新しさに欠ける難がある.
西洋古代の文献の伝承についてはScribes and Scholarsという古典的名著があるけれども,邦訳は国文社が品切れのまま放置している(http://www.kokubunsha.co.jp/archives/ISBN4-7720-0419-X.html )ので古書化が高騰したりして入手困難というアな状況になっている. https://global.oup.com/academic/product/scribes-and-scholars-9780199686339
というか邦訳は1996年で,原著は2014年に第4版が出ているから,もう素直に英語を読んだ方がよいな……
この本に近い趣旨で,しかし書記媒体の変化と古典文学の受容史とに力点を置きつつ現代までカバーした書物としてStok, F., I classici dal papiro a Internet, Roma: Carocci editore, 2012があり(https://gnosia.info/@ncrt035/455 ),少し前に英訳も出ているので,誰かこちらを新しく訳さないものかと思ってもう2年以上経つ.
細かく論じ出すと底なしに深い古典の伝承史について非常に手際よく纏められていて,巻末の文献表も充実しているので,関心のあるトピックについてはそこから更に読み進めることができる行き届いた本.
とくに19世紀~20世紀にかけての文献学やその方法論を巡る議論も取り上げて纏めていて,且つかなり新しいところ(Tarrantのオウィディウス『変身物語』(2004年)やHeyworthのプロペルティウス(2007年)あたり)までカバーして校訂者がどのような流れの中に位置づけられるかなどが記述されているのは類書には珍しい面白さかと思います.
http://amzn.asia/21q2C8m
イタリア語原書裏表紙の紹介文を訳してみた.
「ギリシア・ラテンの古典は,パピルスの巻物から羊皮紙写本へ,印刷本からデジタルライブラリへと時代により異なる書記媒体を介して長い道筋を経由してきた.写字生たちの時代には,文献学者や読者はめいめいの必要にしたがって古代のテクストの複製や抜粋,翻案といった仕事に絶えず従事した.こうした継承作業は喪失や分散をもたらしこそしたが,しかしまた思想や科学,文学や芸術を育むことでヨーロッパの文化に本質的な貢献を果たしもした.
本書は,古代後期から「新旧論争」へ,そしてインターネットにより火蓋を切られた画期的な変容に至るまでの古典作家の受容を最大限幅広く描き出すことにより,テクストの継承ならびにそれを可能にした物質的媒体の歴史を視野に収め西洋の歴史における古典伝承の変遷をたどりなおしたものである」
(出版社のページにも同じもの有 http://www.carocci.it/index.php?option=com_carocci&task=schedalibro&Itemid=72&isbn=9788843065325)
「かつて本が広く読まれていた頃は、有名作家にとって大学教員になることに魅力など何もなかった……今や、芥川賞作家であっても文筆だけで生活するのは厳しく、文学部の教員になられている方は少なくない」
https://twitter.com/noricoco/status/1086049388827357184
文学部の教員と研究活動の話になったときに作家と創作活動が引き合いに出されることがしばしばあるけれども(多分そういう人は「文学部」を「文学の部」と考えている?),実際には,人文科学の根幹をなす文献学的研究の性格はむしろ編集とか,ことによると校正とかに準える方が適切だと思われる.
でも,文学研究に対する世間一般の理解を考慮すると(https://gnosia.info/@ncrt035/101434960280682983 ),「編集文献学」というのは――学問分野の呼称としてはともかく――一般読者への訴求の点では割と良いネーミングの気もしてきた.
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コミュニストお嬢様「人民という大地と繋がっている限り共産主義はアンタイオスのように幾度でも甦りますわ~!」#コミュニストお嬢様
このまえロシアにおける古典研究の歴史に関する論文を読んだときに,スターリンが演説か何かの中でアンタイオスを引き合いに出した話を読んだので.
仮に「博士号を取ったら年収1500万」という世界だったらそれはそれで別の地獄が現出しそうな気はするが…