ἐναντιοδύναμοςには文法的な意味はないようだ.ἰσοδύναμοςとかと比べて類推で《対立した意味を持つ》と考えたくなる気持ちはわかるけれども.
https://github.com/ncrt035/lexiconGrammaticum/issues/44
ἐναντιοδύναμοςには文法的な意味はないようだ.ἰσοδύναμοςとかと比べて類推で《対立した意味を持つ》と考えたくなる気持ちはわかるけれども.
https://github.com/ncrt035/lexiconGrammaticum/issues/44
ところでしてみると古典語には類義語(πολυώνυμος, συνώνυμος)や同音異義語(ὁμώνυμος)みたいな概念はあっても対義語(antonym)相当の表現というのは見つからない気がする.
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接続詞に関して条件を表すものと理由を表すものとではずいぶん違う感じがしてしまうけれどもσυναπτικός (continuativus)とπαρασυναπτικός (subcontinuativus)という原語を見ると関係性が判る(?)
メーゲンベルクのコンラートの翻訳がある
https://ci.nii.ac.jp/naid/110009760120
カントが1755年のリスボン地震を受けて地震の原因に関する自然科学論文を書いていたのは知らなかった.翻訳もある(!)|田中豊助/原田紀子/大原睦子 訳/I. カント 著『地震の原因他五編』(内田老鶴圃)
http://www.rokakuho.co.jp/data/books/3117.html
原題が長い.Von den Ursachen der Erderschütterung bei Gelegenheit des Unglücks, welches die westlichen Länder von Europa gegen das Ende des vorigen Jahres betroffen hat『昨年末頃に西ヨーロッパ諸国を襲った災害の折の地震の原因について』(1756年)
最近「何語で書かれているか」よりも「書いている人間の頭がはっきりしているか」の方が読みやすさの上で重要なファクターの気がしてきた
「頭のはっきりした非母語話者の英語」「頭のはっきりした母語話者の英語」「頭のはっきりしていない非母語話者の英語」「頭のはっきりしていない母語話者の英語」の順でどんどん読みづらくなっていく感じ
「(書籍などについて)同一版に属する,複数ある実物のうちのひとつ」を指す適切な日本語が思い浮かばなくて難儀している.「〇〇という本の△△図書館が所蔵する一冊」のようなものをいうのに不便する(イタリア語ならesemplareでいけそう).
「新刊1部ください」とか言う時の「部」が指すものとしては近いけれども「〇〇の一部」と書くと「部分」の意味と紛らわしい感がある.
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なるほど “「自分が主体でありたい、自分への影響をコントロールしたい。でも一人は寂しい」というインサイトにたどり着きました” | 気兼ねなくアクティビティを書き留められるTrickleというサービスをリリースしました http://blog.h13i32maru.jp/entry/2018/11/12/092904
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げっと思って確認したが幸い対象外だった
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1811/12/news043.html
サラマンカ大学出版から出ているこの本面白そう.自然科学や各種専門技術に関する古代ローマの文献を概説してくれているらしい.
https://books.google.co.jp/books?id=oRGyg-TFR8AC
Dizionario delle scienze e delle tecniche di Grecia e Roma, Pisa-Roma, Fabrizio Serra, 2010.
2巻本1346ページのボリュームでギリシア・ローマの科学・技術関連の辞書が出ていた.400ユーロ越えはきついが(ペーパーバックはもっと安い)書評とか(http://agora.xtek.fr/UserFiles/Dizionario.pdf )を見てると超絶画期的な仕事っぽい.
……というか私は知ってないといけなかったし持ってないといけなかったものの気がする.
こっちはこの前ようやく注文したので届いたらなにか書くかも.
https://gnosia.info/web/statuses/100610858185915468
Fabrizio Serraの新刊一覧今見てたら,前にセネカの悲劇が出てたのは覚えているけれども(https://gnosia.info/@ncrt035/100163703357333718 ),エウリーピデース『メーデイア』の註釈書(本文・翻訳付)も年初に出ていたのに気付いた.しかも3巻本だっていうのでヤベー本が出てるな……という感じ
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ここ最近,E.Flores校訂のエディションと比べながらルクレーティウス『事物の本性について』を読んでいると,本文の修正箇所に関して古いエディションがラッハマン(K.Lachmann)などのものとしている読みがCipellariusなる人物に帰せられているケースが目について気になっている.
調べて見るとフランチェスコ・ベルナルディーノ・チペッリという人文主義者のことのようである.今度新しいルクレーティウスのエディションを出すDeufertさんが論文を書いている.
Deufert, M.(1998), `Die Lucrezemendationen des Francesco Bernardino Cipelli', Hermes 126: 370-379.
ピアチェンツァの図書館に保存されている写本(Codex Placentinus Landi 33)が1507年に作られた彼の自筆稿で,これは1486年に出版されたヴェローナ版を基にした写しであるから,ルクレーティウスの本文を写本系統図から復元するにあたっては無価値だけれども,そこには多くの(優れた)本文修正案が含まれており,その報告と,巻末に納められた読者宛のエレゲイア詩が収められている.
Cipelliの修正案が,同時期の16世紀前半に現れた諸版の編集者の誰にも知られることなく,その後実に500年近くにもわたってピアチェンツァの地に眠ったままになっていて,それが今になってようやくその名前と功績が知られるようになったというのは−−学問的なことをしていながら「感動した」とかそういうことを言うのは慎むべきだが−−ある種の感慨を覚えずにはいられないものがある.
新しいエディションの注釈に逐一「すでに先んじてチペッリがiam antea Cipellarius」と書き込むのは,同じ課題に取り組んだ先人への然るべき敬意の表明であるなとしみじみ思う.
何か最近検索エンジン汚染を強く実感する機会が増えた気がする(いや今に始まった話でないが)
フォイエルバッハが古代の教父たちをよく研究し取り上げたことについて。
「しかし、なぜ教父であったのか。それは当代の堕落したキリスト教を批判しても無意味だからであり、むしろその源泉にある古典としてのキリスト教を取り上げ、根底においてキリスト教の神なる存在が実は人間存在をモデルにしたものであることを証明しようとしたからである」土井健司『司教と貧者 ニュッサのグレゴリオスの説教を読む』p. 14.
@ncrt035
エウリーピデースのスコリアはMastronardeによるオンライン版も進行中.
http://euripidesscholia.org/
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ところで少しずつ出ている新しい『オデュッセイア』のスコリア,あんまり大学などで買っている気配は無さげなので,手に入るうちに買っておくのがよいかもしれませんね.
今シリーズの3冊目(第6巻)まで出ている.
Pontani, F., Scholia graeca in Odysseam. I-III.
http://www.storiaeletteratura.it/catalogo/scholia-graeca-in-odysseam-i/1022
http://www.storiaeletteratura.it/catalogo/scholia-graeca-in-odysseam-ii/1821
http://www.storiaeletteratura.it/catalogo/scholia-graeca-in-odysseam-iii/1339
ゾンビランドサガOPの「死んでも夢を叶えたい……死んでも夢は叶えられる」は一つ目の「死んでも」が「命に代えても」で二つ目が「死んだ後でも」だから,修辞用語で言うところの意義反復の効果的な作例として採取しておこう.
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お
平成30年11月9日の警察への通報について — 京都大学
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/events_news/office/kyoiku-suishin-gakusei-shien/kosei/news/2018/181109_1.html
デーモクリトスの断片に関する一番評価の高いテクストは何と1970年にレニングラードで出たLuria (Соломон Яковлевич Лурье)によるロシア語訳付きのものらしい.2007年にイタリア語訳が出ている(https://www.amazon.it/Democrito-interpretazione-commentario-appendice-multilingue/dp/8845258041 ).
ところで久しぶりにA.A.ロング『ヘレニズム哲学』を取り出してきて緒言を見ています.
ヘレニズム哲学に対する関心の浮き沈みを振り返る中で,1750年以降の西洋社会の世俗化・多元化の流れを考えるとヘレニズム哲学への関心が持続してもおかしくはなかったとしたうえで,
「しかし現実にはそうならなかった.……学界の関心はふたたび,プラトンとアリストテレスに集中するようになったのである.これはヘレニズム哲学の経験主義的・物質主義的な見方への共感を欠いた観念論に立つヘーゲルの影響によるところが大きかった.それとは別に,高等教育における階級と男性支配の傾向も,プラトンの『国家』や,アリストテレスの『倫理学』,『政治学』等の著作の内に強固な論拠を見出していた.これと対照的なのがカール・マルクスである.彼はエピクロス哲学の偉大な称賛者であった.エピクロス哲学は,デモクリトスとともに,旧ソヴィエト連邦において古代哲学の主たる研究対象だったのである」(p.x)
とあってほほーとなった.
古代原子論はいわば唯物論の元祖なわけなので,エピクーロス哲学などヘレニズム期の思想の再評価が進む前にソヴィエトでの研究が盛んであったのは(https://gnosia.info/@ncrt035/100593900483709939 )前に読んだけども,ならば当然デーモクリトスについても熱心にやっていたとしてもおかしくないわけで実際研究してたんだね……という感じ.
ところでデーモクリトスとレウキッポス,Olschki社から出ているこれはコンコーダンスとかが入ったCD-ROMが付いているみたい.
Leszl, W.(2009), I primi atomisti. Raccolta dei testi che riguardano Leucippo e Democrito. Con CD-ROM.
https://www.amazon.it/dp/8822258517/
Homer Multitext Project
左上からDocumentation > Key references > look up URN valuesといくとfolio番号からホメーロスのヴェネチア写本A(Venetus Marcianus Graecus [Venetus A])の画像が見られる.
小アジアの黒海に接する北側の地域Παφλαγονίαのひとつめのαは長いので「パープラゴニアー」
パウサニアースやストラボーンなどの翻訳が手許にあるとちょっとした調べものなどがすごく捗るんですよね(どっちも手許にない)
入場料のある本屋「文喫」2018年12月11日 六本木にオープン https://www.nippan.co.jp/news/bunkitsu_20181115/
オープンしたら行ってみたい。