いくら寝ても眠い
古代文献の中の専門用語(科学・技術系であれ哲学系であれ)はしばしば同じ語が複数のものを意味したり,日常的な意味で使われる場合と専門的な意味で使われる場合が混在していたりして,どういう意味なのかを考えながら読んでいるとややこしい限りだという感想になるが,そもそも専門用語という「特定の事象のために予約され整理された語群」が存在しない中でそのようなものを体系立てようという試みが行われている現場を追体験する視点で見ると別種の興味が湧いてくる.
この前ガレノスの評伝を訳された澤井先生(京大で解剖学史を研究された後,順天堂大に入り直して実際に解剖学を学ばれた方です)もあとがきで
「訳者自身が解剖の現場で見たことや解剖学書で読んだ多くのことを,ガレノスが精緻に,見事な表現で描写していることに圧倒されるようになりました.現在のように解剖図や確立された解剖用語もない時代に書かれたガレノスの記述は,一見すると意味が通らないように見えることもありますが,つぶさに検討してみると,ガレノスは実際に見たものを当時の語彙で的確に表現していることがわかってきます」(スーザン・P・マターン『ガレノス−−西洋医学を支配したローマ帝国の医師』pp.310-311)
と書かれていたのを思い出した.
このピッツァの画像は投稿直後はサムネイルが画面全体にトマトソース面が広がるものだったのに今見ると机が映ってピッツァであることがわかるように焦点調整されている
https://twitter.com/ncrt035/status/1067680865616982016
Romano, E.(1979), Struttura degli Astronomica di Manilio, Accademia di Scienze Lettere e Arti di Palermo, Palermo.
マーニーリウス『アストロノミカ』各巻の構成とそれらの相互関係を分析した研究.
この詩を特にルクレーティウスとの対照関係でのみ捉えようとする傾向を批判し,ヘーシオドス以来の「教訓叙事詩」が共有する構造上の特徴(全体ないしは各巻に附された序,随所に挿入される脱線・余談)という射程の広い文脈から見直すことを試みる.
『アストロノミカ』現存5巻を,従来行われていたような1-3巻+4-5巻という2部分構成ではなく,中心3巻をひとつのまとまりとして把握し,第1巻と第5巻の間に共通の要素を見つつも,むしろ両巻は独立した地位を持ち,しかも詩人の当初のプランには第5巻は含まれていなかった,という結論を与えている.
ただ校訂版と研究文献の区分は,文書内での実際的な扱いとしては必ずしも一貫して区別できない(注釈が附属していたり,前書で行われた議論に言及したい場合はある).そのような場合に\citeを使うとLucretius: 1947のような,まるでルクレーティウスが第2次世界大戦後に何か一書をものしたかのようなナンセンスな表記になってしまう.
なので参照名を別にした書誌データを登録してrelatedを指定して使うとこのあたりをうまく解決できる.
計算機科学だと数学寄りの理論的な分野以外だと 20 世紀前半の文献が出てくることはあんまなかったりするし大半の文献が電子化されてることも多いのでかなりラクな分野だよなと常々思う