訂正: アラートスが3番から,マーニーリウスが2番からだ
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
κρᾶσιςが発生した場合に母音の上に打つ記号をκορωνίςという.
ἰστέον ὅτι ἡνίκα γίνεται κρᾶσις ἐν ἁρμογῇ δύο λέξεων, τίθεται κορωνίς· οἷον τὸ ἐμόν, τοὐμόν· τὰ ἐμὰ τἀμά· προέστη, προὔστη· πρόοπτον, προὖπτον· (EM.763.10-12) #gloss_gramm
この他に本や章の終わり・区切りにこのκορωνίςを打ったらしく,より一般的に広がって《終わり》の意味に使われる例がある.
ピロデーモスのエピグラム(試訳:https://www.stromateis.info/interpr/Philod/Philod_17.html )に出てくる用例は両者の中間的なケースで面白いかもしれない.
「両者の」というのは具体的な記号としての意味と,比喩的な「終わり」としての意味との.
人生を書物になぞらえるという珍しい比喩を持つこのエピグラムに出てくる単語とその解釈は,以前少し調べたことがある.
https://speakerdeck.com/ncrt035/lucretius-analogy-between-poem-and-universe-jpn-1?slide=51
「世界には始まりがあること,世界には終わりもあるであろうこと」ぱっと訳した訳文が随分調子に乗って聞こえるのでよく見たら後半が575だった.
どうにも何かしら専門家面したことをし始めると,自分のところに知見を求めてくる素人が,しかし社会の他の分野では何かの専門家であることを忘れて,不遜な態度をとろうとする気持ちの流れが生まれるのでよろしくない.
ルクレーティウス『事物の本性について』の6つある巻をどのような構成としてまとめるかは色々な考え方があるけれども,そのうちの一案として2巻ずつを3つのグループに分けるものがある.
そうすると,原子と空虚の性質を扱った1-2巻,魂の成り立ちや感覚理論,性愛について扱った3-4巻,世界の成り立ちや文明史,星々・天と地の様々な自然現象を扱った5-6巻という具合に,小さなものから大きなものへと順次進んで世界全体を叙述するような構成になっていると考えることができる.