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「忘れられる権利」は「忘れさせる権利」ではないし、そう解釈されてはならない
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黄色とかピンクの髪に水色をいい感じに差すと紙絵師っぽくなる気がするがいい感じの差し方がわからん
callumは動物や植物の分厚く硬い皮をさす言葉で,派生語には更に比喩的な意味合いがそなわる.
calleoについてはErnout-Meilletの辞書が引く『アエトナ』からの
noctes atque dies festinant arua coloni; | callent rure manus ... (Aetna 259f.)
《夜も昼も農夫は忙しく畑を耕し,手は野良仕事で硬くなり…》
という用例を見るとcallum本来の意味と《経験を積んで心得がある》という意味との繋がりがイメージしやすくなる.
またそうするとそこから派生したcallidusという形容詞が単なる《賢い》という意味ではなくて《巧みな,抜け目のない》とか時に否定的なニュアンスを帯びて《ずるい,狡猾な》となりうることも納得がいきやすい.
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ナウシカの「働き者のきれいな手」をふと思い出したけどあれは意味と文脈がちょっと違うな…
派生したり転じたりして意味の幅が広くなると辞書に項目立てされて出てくるものだけ見ていては判らなくなる場合がある.
ためしに羅和辞典でcalleoを引くと《無感覚である,冷淡である》と《熟練している,心得がある》のような一見反対っぽい意味が併記されてこの部分だけ見ると全体像が掴みにくくなる.
この手のものを相手にする場合は,単語の歴史・古代人にとってどのように意識されていたかを重点的に説明してくれるErnout-Meilletの語源辞典が助けになるのでこまめに参照すると理解が深まる.
Mastodonに普及してほしいというよりは、いろんなサービスが個別にActivityPubに対応して相互にコミュニケーション取れるようになってほしいかなあ。既存の大手インスタンスが全てという考え方だと、そりゃ先がないよ
端的にいうと、もしTwitterがActivityPub対応してくれるなら割ともうそれでいい
ラテン語の語源辞典はde VaanのものがBrillから出ている(オスク語やウンブリア語など他のイタリック語派もカバー)ので言語学的な最新情報をキャッチアップしたい場合はこれを見るけれども(https://brill.com/view/title/12612 ),古典のテクストを読んでいてその理解を深めたいという用途ならErnout-Meilletを依然として推します.
前もこんな話をしたところなので読んでるものとその読み方によって知りたい情報は結構変わってくる.
「先日もちょうど,語源などに関して今の言語学が与える説明よりも,たとえ間違いだとしても古代人や中世人にとってリアルに感じられた繋がりがどのようなものかを知る方が作品の理解に資する場合がある,という話になった.
探究するものが真理か世界観かで随分事情が違ってくる」
ラテン語の「語源」ではなくて「語源に関しての古代人の(いわゆる民間語源も含めた)考えや結びつけ」について調べたい場合,必ずしも網羅的なものではないがMaltbyの辞典が非常に便利(タイトルに注目!)
Maltby, R.(1991), A Lexicon of Ancient Latin Etymologies, Leeds: Cairns.
のらきゃっとさんのかわいさは何かこう純化されたそれというか原液そのままのかわいさという感じ
ローマ法関係の原典の邦訳一覧とかないかなと思ったらあった.これは助かる.
http://www.law.kyushu-u.ac.jp/~tanaka/yaku.html
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Giuseppe Morelli (ed.)(2006), Nomenclator metricus graecus et latinus. Vol. I: A-Delta.
こういう本が今世紀入ってから出ていたの知らなかった.ギリシア語・ラテン語の韻律関連語彙のインデックス(Α-Δ)まで.
うちのLGGIの収録語彙でも出典確認などに使えそうなので参考文献に挙げたいが,まず現物を見てみないことにはな…
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本当にこれなんですよ「なぜ科研費報告書のような公的ものに商用ソフトの使用を強いるのか」
https://twitter.com/AkiraOkumura/status/993716123815194624
おやつ食べながら一気に読んだよ| アニメウマ娘の視聴者に送る、サイレンススズカの史実 http://ch.nicovideo.jp/yumemura/blomaga/ar996682
ウマ娘見始めたのはそんなに強い動機づけがあったわけではなかったのだけれども,キャラの表情とか仕草とかの描写がすごく丁寧だし小ネタは多いし展開も熱いしで毎週すごく楽しみに見てる.
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メディア受けする奇行や特別な機会に見せる衒いとかとは別のもっとナチュラルに物音ひとつ立てず日常生活に紛れ込んでいる狂気がこの大学らしさな気がするけどいかんせん電波に乗せられない内容になりそう…
ダブルスタンダード人間なのでえもちゃんの登場により「エモい」の使用が許可されたわけだが今のところまだ使いどころがない
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「マツコの知らないTLDの世界」って読んで、さすがマツコ、ドメインの話までするのか〜と思った。 #dtp
QT:[https://mstdn.jp/@TaiseiMiyahara/99993379562290925]
Sprechen Sie Attisch?がGitHubにあるのちゃんと把握してなかったorz
https://github.com/na4zagin3/Sprechen-Sie-Attisch
今日(というかもうすぐ昨日)は割とよく働いたので褒めてやりたいが毎日このくらいはやっているべきなので真顔に戻るな…
めちゃ面白い話だ
「某所の原稿をgoogle docsで書いて編集者に送ったら、
勝手にgithubに取り込まれて、
プライベートレポジトリにinviteされ、
編集者がいじりまくった原稿がプルリで送られてきて確認を求められ、
github issueで方針相談
これだよこれ、現代の編集者は」
https://twitter.com/tokoroten/status/993953861105668096?s=21
面白いどころの騒ぎじゃないので是非やってほしいな
「よく考えたら、生原稿の価値というものと同時に、プロの編集者が何をやっているのか、という情報も非常に高い価値なので、
実はgithubのコミットログを販売するのが、おもしろいんじゃないのか?
生原稿、コミットごとのdiff、修正済み原稿
という、三つが付いた、電子書籍」
https://twitter.com/tokoroten/status/993976111074717697?s=21
コミットログのような形で修正結果と修正意図とが紐付いて残されていないと,なぜ手を入れたのか(あるいはあえて入れていないのか)わからなくなって,校正段階で折らなくていい骨を折ることになりがち…
あと複数人で同じものを編集するにあたっての利用という本来の観点からすると,共訳の仕事とかはGitHubのプライベートリポジトリを使ってやれると良さげ(なのだがうちの業界でそんなことができるようになるのは一体いつの未来の話なのか…)
私が部誌を編集するときも、メールで送られてきた tex ソースを私が git に取り込む感じでやっていた(ので履歴が残っている)
プログラムを,「動作している完成状態のもの」としてだけ理解するのではなく「その段階に至るまでに修正された不具合や追加された諸要素とその履歴を含めた総体」として捉えるから,ログを残すことへの意識が培われバージョン管理に関する技術が発展してきたのかなと思う(※素人が推測で書いています)
消費者というか使うだけの立場からすれば前者で十分なわけで,なんらかの意図で自分もそこに手を加えよう思ったりその対象の生成過程に対する関心を持っていたりすればこそ後者の視点が生まれるはずだから,そういうスタンスで臨む人が多いということでもあるのかしらん.
バージョン管理システムはRCSの時代から徹頭徹尾開発者自身のために作られてきたと思う。利用するだけのユーザーは念頭になかったはず。
ペトラルカ『カンツォニエーレ』の成立過程を,決定稿(Vat. lat. 3195 https://digi.vatlib.it/mss/detail/Vat.lat.3195 )と草稿(Vat. lat. 3196 https://digi.vatlib.it/mss/detail/Vat.lat.3196 )の比較から跡付ける文献学的な仕事も,別の言い方をすればコミットログを再建していくようなものかもしれない.
ソフトウェア開発以外の人にまでバージョン管理の考えが広まったのって、ここ数年な気がする
去年のじんもんこんで仏文と情報学の人がバージョン管理システムの話をしていたのでそのあたりからはすでに耳にしていた印象です.
「午後.東大の佐藤さんと京大の太田さんの発表.IIIF対応ビューアーMiradorの実演有.
フランス文学,情報学両分野の共同研究というのでもアツいが,着想の経緯を聞いていると,gitのようなバージョン管理システムとテクスト生成論の話になって興奮で鼻血出そう.」
https://twitter.com/ncrt035/status/863265561379196929
鳥を遡っても出てこないので思い違いだったらアレなんだけれどもこのときフランス文学の人とはロマニストのジャンフランコ・コンティーニについても話した記憶がある.
この人はある作品の成立過程を跡付ける「草稿批判 critica degli scartafacci」でも知られる人なので,そういう生成研究に馴染みのある側からするとバージョン管理の考えは取っつきやすいと同時に刺激的でもあるのかもしれない.
Stoppelliのイタリア文献学の本からcritica degli scartafacciについて.
https://gnosia.info/@ncrt035/99743789805379024
このStoppelliの本(https://gnosia.info/@ncrt035/99743707183439979 )からcritica degli scartafacciについての説明を見てみよう.
「ジャンフランコ・コンティーニに負うこの表現は原著者の文献学(※写本の筆写などで伝わる作品の文献学と対照して)の目的を上首尾に言い表している.草稿を再整理し,ある作品の生成過程を再構成することで理念的に著作者の製作現場へと入っていき,生き生きとした形で創造的メカニズムの動きを観察し,テクストとの最も近い接触を確立することができるようになる.」
Liber glossarumのデジタル版あるなんて知らなかったんですけどぉ…
http://liber-glossarum.huma-num.fr/index.html
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開催報告が来た|
東京大学学術機関リポジトリ-UTokyo Repository
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/index.php?action=repository_view_main_item_detail&item_id=49369&item_no=1&page_id=28&block_id=31
enumerate環境で
1. hoge
1.1 fuga
1.2 fugafuga
1.2.1. ...
みたいに箇条書きしたかったので
\renewcommand{\labelenumii}{\arabic{enumi}.\arabic{enumii}}
\renewcommand{\labelenumiii}{\arabic{enumi}.\arabic{enumii}.\arabic{enumiii}}
とした.#latex
同人誌…は作ったことないが自分用の註釈書や語彙集みたいに1部だけ作れば足りるものについてはLaTeXでpdf作成・面付けして印刷・糸で綴じて製本したものを実用している.
画像は去年作ったギリシア語小語彙集第1分冊(なお続巻の作成にはまったく着手していない…)
#dtp
裁断しないので天の部分が袋とじのように繋がっていてペーパーナイフで切り開いて読む.ちゃんと8つ折にできると小口側にも閉じたままの箇所が残されてフランス書やイタリア書によくあるアンカット(こんな感じ:https://gnosia.info/@ncrt035/99827361799922879 )になるのだが…
αὐχέωはαὔχη《自惚れ》から来るので《自信を持って広言する,強く信じる》というのが本来的な意味だが,場合によってはもっと弱まった意味で《思う,推測する》程度のこともあるらしい.修辞疑問や否定のなかでそういう意味になるとFriis-Johansen & Whittleのアイスキュロス『ヒケティデス』330行への註釈に論じてある.
結局、他人のプロジェクトを良くするのも自分のプロジェクトを書くのも、大抵は自分のためなんですよね。他人に公開するのは“おこぼれ”で世界が豊かになればいいと思っているからなので、他人に使ってもらうことは重要な目的とは捉えていない
ラテン語のigiturは≒ギリシア語のοὖνと理解しておくと感じが掴みやすいけれども,必ずしも前後が論理的・推論的な接続でない場合にも使われることがあるのでその場合に《それゆえ,それなので》と訳すと「?」になってしまう.
どうもこれは根本には時間的意味合いのある語のようなので《それから,それで》くらいにとった方が良いケースもある.#GramLat
igitur: nunc quidem pro conpletionis significatione valet, quae est ergo. Sed apud antiquos ponebatur pro inde et postea et tum. (Fest.(ed. Lindsay) 93. 7-9)
《今は「従ってergo」がそうであるところの完遂(※充足?)の意味に働くが,古い作家では「それからinde」や「その後postea」や「それでtum」に代わって置かれていた》(フェストゥス『語の意味について』)
ギリシア語のparticleについてはDennistonのThe Greek Particlesが何につけてもとっかかりになる一方,ラテン語は「まずこの一冊」みたいなのがないのでこういう文献表から個別に調べる感じになる.
Bibliography of Latin Invariables/ Particles
http://latinparticles.userweb.mwn.de/
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