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10世紀ビザンツ帝国で編纂された農事書『ゲオポニカ』の英訳が2011年に出ていた.
Geoponika: Farm Work. A Modern Translation of the Roman and Byzantine Farming Handbook by Andrew Dalby
https://www.oxbowbooks.com/oxbow/geoponika-farm-work.html
中央公論社『世界の名著』ヴィーコの巻に清水幾太郎の「私のヴィーコ」という文章が入っている.
ヴィーコの生きた時代がカトリック教会による異端審問の時代であったことに触れて自分自身の体験と部分的に重ね合わせているあたりを読んでいる.
「私は,今日とは違って,言論の自由の幅が狭かった時代,それが日を逐って狭くなっていく時代に,文章を書く以外に生きる道を知らぬ人間として暮らして来た.不注意に書いた一語によって,逮捕され,生命は兎に角,職業,地位,前途の一切を失いかねない,そういう時代を,只書くことによって生きて来た.進んで権力者の欲することを書くのなら別であるが,それから少しでも逸れたことを書こうとする場合,どんなに一語一語を大切に扱わねばならないか.ヴィーコの気持ちが私にはある程度まで判る……どんなラディカルなことでも,どんな破壊的なことでも,平気で言える,書ける,印刷される今日の日本の尺度でヴィーコ――だけではない――の著作に接したら,理解することも出来ず,また利益もないであろう.今日の私たちの手許にある自由は,歴史的に見れば,極めて新しいもの,地理的に見れば,極めて狭い地域にしかないもの,全く例外的なもの,甚だ脆いものである.それに気づかぬ人々は,言論の自由が失われ,万事が手遅れになった後に漸く悟るのであろう」(pp.24-25)