ABEMAで『インコーポレイテッド』の第1話を観た。第1話しか無料で観られないとは知らずに。世界が階層化されていてっていうよくある話だけど、ドラマの中のグリーンゾーンとレッドゾーンをなんだかイスラエルとパレスチナに重ねて見てしまい、見ていてとても心が掻き乱された。
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2025年断酒・ストレッチ記録
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この本で生殖補助医療の倫理学について書いています。https://amzn.to/3Z0JZfo
近年は小児の身体拘束について研究しています。
ABEMAで『インコーポレイテッド』の第1話を観た。第1話しか無料で観られないとは知らずに。世界が階層化されていてっていうよくある話だけど、ドラマの中のグリーンゾーンとレッドゾーンをなんだかイスラエルとパレスチナに重ねて見てしまい、見ていてとても心が掻き乱された。
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喉から胸のあたりにかけて痰が引っかかり、咳をしては黄緑色の痰が出るということを起きてからしばらく繰り返していたので、かかりつけ医に。前の前の人は新型コロナで陽性、前の人は同居人が昨日インフルエンザで陽性、本人も体調不良で検査に来ていたけどインフルエンザBで陽性。
ぼくは新型コロナもインフルエンザも陰性だった。いままで一度として陽性になったことないのよなあ、インフルエンザ(記憶の限りでは)も新型コロナウイルスも。風邪はよくひくのだけど。今回の体調不良はもらい事故みたいなものだからあきらめている。
ぼくの場合、検査は別にしてもらわなくてもいいかなと思っていたのだけど、まあ検査する形になって、今日のお会計は3830円だった。けっこうな負担よね。
正直、検査してお薬もらうだけで4000円弱かかると思うと、受診を控える人はけっこういると思うぞ。どうなっとるんや、この国は。何から何まで。
いま50頁の記述で線を引いているところが目にとまったけど、引用をしていなかった。
「何らかの輪に入らなければならない(属さなければならない)」、もしくは入るべきである(属するべきである)」といった独特の感覚は、震災後、被災地内外を問わず、またさまざまな場面において「同町圧力」としてわたしたちの生活をくまなく覆い続けた。そして、挙句の果てにはその調子に与しないものを一気に裁くといった、なかば偏執狂的な〈視線〉へと巧みにその性格を変化させてゆく。たとえば、その〈視線〉は『自粛』といった姿で顕れてきた」(50頁)
ぼくもSNSなどでは人のことを言えた立場ではないけど、それこそ〈公的な場〉での作法は別にあるべきだとは思っていて、その点、西村先生は個人的にいろいろと思っていることはあるのだろうけど、これまでに指摘してきたこともそうだし、ここでは「偏執狂的」と表現していて、ちょっとことばがきついよなあ。
65頁の話に戻るけど、当事者の問題と当事者性の問題というのはけっこう難しいのよね。
それこそ今日タイムラインで見かけたノーマン・フィンケルスタインが2011年にウォータールー大学で行った「クロコダイルの涙」とも称される演説でも、彼自身が当事者性の問題に言及していた。
65-67頁までの一般参加者の発言内容を読んでいて気付いたことをふたつ。
ひとつは、哲学カフェの場で参加者が発言をするときには当然に発言したことばに山括弧や鍵括弧はついていないのよね。もちろん本人が発言しながらダブルクォーテーションを示すジェスチャーをして「ここからここまではダブルクォーテーションでくくりますよ」と明示するようなことはあり得るけど。
それにもかかわらず、引用された発言には著者が山括弧や鍵括弧をつけているのよね。つまり、私たち読者が読んでいるものは、言うまでもなくだけど哲学カフェの参加者が話したことそのものではないということ。それは、本書の著者が自分にとって重要だと思ったことやキーワードになると思ったことに鍵括弧や山括弧をつけたものであるということ。
最初に書いたことだけど、鍵括弧と山括弧の意味を最初に定義してもらわないと、どういう意味でそれらを使っているのかわからないのよなあ。
もうひとつ。山括弧がついているものには「負い目」や「疚しさ」といった表現がこの引用箇所に限らずよく登場するのだけど、確かに他の参加者の発言に登場したキーワードを手がかりに他の参加者も同じ表現を使って発言するということはあるものの、あまりにもその頻度が高いのはなぜなのかと思っていたら、あることを思い出した。
これはこれまでのところ本書ではまだ直接触れられていないことだけど(写真で確認することはできるにはできるけど、それが何を意味するのか知っている人でなければたんに写真を見るだけでその意味を理解することは困難だろう)本書で言及されているせんだいメディアテークで行われていた哲学カフェではファシリテーターが黒板を使って参加者の発言の中からファシリテーターがキーワードと考えるものを書き出していき、それらを図式化するのよね。
私が進行役を務める哲学カフェでは基本的にこれをしないのだけど、それは進行役が発言の内容を誘導することにつながるから。つまり「負い目」がこれから私たちが注目するキーワードですよというメッセージを進行役が発して、それにつられて参加者が発言することになるということ。
当該一般参加者の発言内容の引用から引用する。
「〈語る〉という営みは〈言葉にする〉こと、つまりは〈言語化〉という契機を抜きにしてはあり得ません。さきほど発言された方が言葉による『一般化』という表現をされておられましたが、そもそも被災という個々人にとっての特異な経験を〈語る〉すなわち〈言語化〉するということは、本質的なところでその『一般化』や抽象化といった契機を孕んだ営みです。なぜなら、あらためて言うまでもなく、言語とはそもそもの最初から不特定の他者へと開かれてゆくものなのであって、『一般化』や抽象化という手続きをあらかじめ含み入れた営みに他ならないからです。だからこそ、震災を〈語る〉ということ、すなわち〈言語化〉というアプローチそれ自体が個々人の被災の特異性を削ぎ落し、さらにはそれらを『一般化』もしくは抽象化してしまわざるを得ないといった不本意さへとわたしたちの気分を向かわせ、自身の逆説的な行為に対して強い〈負い目〉を感じることにもなるわけです」(67頁)
まあそのまんまのことなんだけど、「一般的な言葉遣い」と「個別の言葉」の問題をどう西村先生は決着させるのかなと。
これは臨床哲学にもずっとつきまとう問題であり、ずっと私が批判してきたことでもあるのだけど「個別の言葉」に寄り添うとしても私たちはどこまで一般化や抽象化や普遍化を避けるというのか否定するというのか批判するというのかわからないけど、そこから逃れることができるのかなってことはとても難しい問題だと思うし、いまのところ私はそれに対する納得のできる主張には出会ったことがなく、西村先生もこのあとどうこの問題に決着をつけていくのか、あるいはこのまま決着しないままさいごまでいくのか、気になっているところ。
能登半島地震に対する岸田政権下での政府の対応は本当に目にあまるものがあり、率直に言うならば国家が被災者を見捨てる「棄民」があからさまに行われていると言わざるを得ない。被災したのは日本国籍をもった日本国民だけではないが、ともかく、私たちが政治や社会のことをまともに考えずにこういう国民ないし被災者を見捨てるような政治家や政党を惰性や利害関係や怠慢で選んだら、結果的に自分たちが見捨てられることになるということなのよな。
本当に本当に、みんな早く目を覚ましてほしい。現実を見てほしい。早くこのことに気づいてほしい。現に被災して苦しんでいる人に追い打ちをかけるようにいま言うつもりはないけど、そうでない人は自分たちのやってきたこと、洗濯してきたことがどういう結果をもたらしているのか、思い当たる人には猛省してもらいたいし一生かけてそのことを償ってもらいたい。
[TOEIC L&R TEST受験勉強記録]2023年12月28日(勉強日数16日、次の試験まで73日)金フレ2周目で61から130までの単語を学習した。
[TOEIC L&R TEST受験勉強記録]2023年12月29日(勉強日数17日、次の試験まで72日)金フレ2周目で131から180までの単語を学習した。
[TOEIC L&R TEST受験勉強記録]2023年12月30日(勉強日数18日、次の試験まで71日)金フレ2周目で181から190までの単語を学習した。
[TOEIC L&R TEST受験勉強記録]2023年12月31日(勉強日数19日、次の試験まで70日)金フレ2周目で191から220までの単語を学習した。
[TOEIC L&R TEST受験勉強記録]2024年1月1日(勉強日数20日、次の試験まで69日)金フレ2周目で221から240までの単語を学習した。
[TOEIC L&R TEST受験勉強記録]2024年1月2日(勉強日数21日、次の試験まで68日)金フレ2周目で241から270までの単語を学習した。
[TOEIC L&R TEST受験勉強記録]2024年1月3日(勉強日数23日、次の試験まで67日)金フレ2周目で271から300までの単語を学習した。
[TOEIC L&R TEST受験勉強記録]2024年1月4日(勉強日数24日、次の試験まで66日)金フレ2周目で301から310までの単語を学習した。
[TOEIC L&R TEST受験勉強記録]2024年1月5日(勉強日数25日、次の試験まで65日)金フレ2周目で311から370までの単語を学習した。
Mastodonをはじめて間もなく投稿しようしようと思ってそのままになっていたことなんだけど、私は2017年ぐらいから苔(コケ)に興味をもって採集したり調べたりしていたのだけど、そのときは苔関係の本も情報もそんなになくて、それが原因というわけではないのだけどそのうち私の中での苔ブームは去ってしまったのよね。
当時、周りからは変人扱いされて、別に私はそのことを気にするような性格ではないけど、みんな調子のいいもので、苔ブームがやってくると苔好きの地位も一気に向上したのよね。
2022年にはNHKで苔テラリウムを中心に物語が進行していくドラマが放送されたり(私は観ていないけど)Mastodonで苔好きの人がいたりして、また苔の収集や研究をやりたいなと思ったということ。
ちなみに2016年7月には産経新聞で「苔ガール」というのが増えてきているという記事があるのよね。私が苔に興味を持つようになったのはこういうのとは独立だけど、2016年ぐらいにはちょっとしたブームがあったのよね。
RT: 現在増殖中の〝苔ガール〟って? https://www.sankei.com/article/20160720-C6RCNM4UFFIZVK53DZXWFAA5OU/
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[TOEIC L&R TEST受験勉強記録]2024年1月5日(勉強日数25日、次の試験まで65日)昨日、第346回TOEIC Listening & Reading公開テスト(2024年3月10日午前)に申し込んだ。
みなさん、一緒にTOEICを受けましょう!
68頁について。65-67頁で引用されている哲学カフェの一般参加者の発言を受けて西村先生の考えが書かれているのだけど、そのあとで引用されている辺見庸の主張も含めてぜんぶ「一般的な言葉遣い」というか通り一遍のことしか言っていなくて、正直こういう言い方をするのを許されるならば、というのも西村先生自身が非常にきつい言い方をされているのでそのままのトーンで言うならば、非常に薄っぺらいんだよなあ。なんなんだろう、この薄っぺらさは。ぼくが薄っぺらい人間であるとの批判は甘んじて受け入れるけど、これだけ厳しいことをあれこれ書いていて「え?それでこれ?」という感想以上のものが思い浮かばない。
「メディアなどを通して、被災の状況を〈離れて見る〉という営みが孕む根本的な〈負い目〉。上記のようなものとしてメディアの性格を捉えるなら、そもそもそれが加工や編集を経由して届けられる、『一般化』もしくは『抽象化』された報せであるといった受け取りが必要になる。この参加者の発言は、そのように訴えかけている」(68頁)
まあこれは一般参加者の発言を要約したものだから、西村先生自身のことばというのとは違うだろう。このあとで西村先生は次のように書いている。
「メディア技術の効用はまさにこういった〈いま〉性(時間制)や〈ここ〉性(場所性)を無効化したところでこそ存分に発揮される。なぜなら、あらためて言うまでもなく、メディアとはもともと繋がっていない時間や異なった場所、そして離れた人々を繋ぎ、媒介(メディア)するものとして機能したときにはじめてその意味をもち得るものだからである」(68頁)
メディアの特性について触れた上で、西村先生は脚注で「このような問いかけを受けて、わたしたちは、2014年11月30日に開催した第39回『考えるテーブル てつがくカフェ』において、『震災とメディア技術』というテーマ設定のもと、〈震災以降〉を生きるわたしたちが、いま、上記のような特徴を備えた『メディア』にたいしてどのように臨むべきか、その可能性も含めて対話の場を設けてもいる」(69頁)と説明しているのだけど、もうテーマ設定の経緯や内容からして啓蒙的なんだよなあ。
少なくとも私の考える哲学カフェ、そして現に私が進行役を務めている哲学カフェとはまったく違うよな。
昨日注文したローアルコールビール「ブローリ―プレミアムラガー(BREWRY PREMIUM LAGER)」が届いたのでさっそく飲んでみたのだけど、まずかった。90年代によくスーパーなどで見かけたTaKaRaバービカンの味そのものだった(記憶の限りでは)。炭酸が強めでビールのコクはほとんどなし。2010年以降に日本国内で販売されるようになったビールとは別物の人工的な風味しかしないノンアルコールビールとは違うので、スーパードライのようなキレのあるドライなビールが好きな人にはいいのかもしれない。
やはり「ウエストエンド エイキストラライトラガー(WEST END EXTRA LIGHT LAGER)」は偉大だった。
オーストラリアの低アルコールビール「ウエストエンド エイキストラライトラガー(WEST END EXTRA LIGHT LAGER)」を輸入販売していたウエストエンドジャパン株式会社は、2021年6月29日に登記記録の閉鎖等 (清算の結了等)という情報が見つかった。
会社がなくなっていたんだな。オーストラリアのウエストエンドドラフトという会社はまだあるみたい。輸入していた会社がなくなったんだな。残念。なんとか輸入できないものだろうか。
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「『後ろめたさという十字架』。震災からほぼ1年後の2012年3月、仙台市内の書店で震災後1年を区切りにまとめられたある雑誌を立ち読みしていると、ふとこのような見出しが添えられた文章が目に留まった。/『後ろめたさ』を『私の十字架』として背負う。この言葉は、わたしたちの心を妙に騒つかせ、なんとも言えない居心地の悪さへとわたしたちを引き摺り込む。しかしながら、もしかすると上記の参加者が発言してくれた〈負い目〉の肯定的な側面と、この『私の十字架』という言葉に込められている意味とは密接に関わるものなのではないのか、その文章に触れたとき、わたしは直感的にそう感じ取った」(74頁)
ここでも「わたしたち」が出てきたけど、この「わたしたち」って誰のことをさしているのだろうか?著者である西村先生以外の誰の心をこのことばがざわつかせたのだろうか。少なくともこのあとに「わたし」が出てくるので、西村先生以外の誰かを含むわけよね。
適当に「わたしたち」と書いているだけだったらそれは気持ち悪いし、誰か具体的にざわついた人が西村先生以外にいるのだったら、主体が明示されていないところが気持ち悪い。