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ウェブサイト
https://mrmts.com
2025年断酒・ストレッチ記録
https://docs.google.com/spreadsheets/d/1i8IDRQNzp7hGpoYc1VZwCccrA5GHUimhU0sD_ejkZpA/edit?usp=sharing
この本で生殖補助医療の倫理学について書いています。https://amzn.to/3Z0JZfo
近年は小児の身体拘束について研究しています。
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「〔西村〕:〈所属意識〉に関するお話をうかがいながら、わたしがとくに面白いなと思ったのが、それが『他者からの承認』、さらには〈所属意識〉がしっかりと保たれていることによる〈安心〉感とすごくリンクするものではないのか、というご指摘です。自分が何者であるかとか、どういった人間であるのかといった事柄が、他者から、あるいは幅広くコミュニティの全体からしっかりと承認されていることで、自分という存在の再確認が果たされる。だからこそ自分が落ち着く、安心するのだろうと思います。そういった流れから、わたしたちは、他者やコミュニティからの承認に基づく『自分の再確認』といった一連のやりとりを〈ふるさと〉という場に求めているのかもしれません。わたしたちが〈ふるさと〉にこだわる理由の一つが、もしかするとこのあたりにも潜んでいるような気がします。」(205頁)
ちょっと頭の中で想像してみたことを整理のために書いておく。生まれ育った土地に家族がいなくなり、住んでいた家がなくなり、友人知人や仕事仲間なんかもいなくなったら、ふるさとは失われるって感じかな。
ぼくはロスジェネど真ん中だけど、ミソジニー全開のネトウヨレイシストになっていた可能性は大いにあり、そうならなかったのはいろいろ自分で勉強した努力の結果とも言えるけど、決してそれだけではなくてたまたまそうならなかっただけという運の要素も小さくないはずだし、なにより努力できたかどうかも究極を言えば運なので、結果的に闇の世界に堕ちてしまったロスジェネ世代の人たちには怒りや非難の感情も覚えるけど、もしかしたらぼくがその立場だったかもとしれないという反省と、それゆえにもっと違う仕方ではあり得なかったのかなあという悲しさのような感情も抱くのよね。
これは自分自身の中に悲しさのような感情がわいてくるというもので、対象に向けられる憐憫みたいな感情ではないの。というのも、対象に向けられたあわれみの感情は、それと自分自身を重ねたときこちらにも返ってくるわけで、人をあわれむようなそんな資格がぼく自身にはないと思っているから、あわれむことすらできないわけで、ある意味、「Je suis ミソジニー全開のネトウヨレイシスト」なのよね。
悲しくなってきた。
人のことを非難するのは簡単なんだよね。誰だってできるから。不正の限りを尽くしてきた自民党の国会議員が野党時代に政府与党だった民主党の国会議員に対して不正かどうかもわからないことを舌鋒厳しく批判して非難していたように、自分が当の不正を行なっていても他人のことは何食わぬ顔して批判し非難できるのよね。
私は、いちおうカントで卒論を書いて倫理学徒を志した者として、誰かのことを批判したり非難したりするときには必ず、本当にこれは必ず(もう反射的にそうするようになっているのだけど)立場を交換して自分が同じ立場だったら違ったように行為することができたかどうか想像するようにしていて、自分でも同じようにしたかもしれないとか、あるいはそうせざるを得なかっただろうというときには、そういうものとして批判するし非難するようにしているのよね。そのことを表には出さなかったとしても、内心ではそのことを必ず心に留めている。
もしかしたら私が/あなたが何か重大な事件の犯人だったかもしれないし、そうでなかったと自信をもって言える人は、逆にその犯人があなたと同じ境遇だったら犯人にならなかったかもと想像してみればよい。
「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」(「ヨハネによる福音書」第8章第7節、新共同訳)には従わず、私は罪があっても石を投げているけど、いまの日本なんて、(聖書でイエスが言うような意味ではなく、目下責任を問われている事柄に関して)罪のない者が、世俗の罪にまみれた者によって咎められ、そこに罪にまみれたネトウヨという野次馬が集まってきて最初の罪びとと一緒になって石を投げつけているような状態だもんなあ。
ゆうパックと速達の配達が半日から1日遅くなるということについての投稿がずいぶん共有(ブースト)されていて、気になる投稿もいくつか目についたので補足しておきますね。
まず、私はすべてのゆうパック、速達が今回のサービス改定で翌日配達されなくなるとは考えていなくて、離島は翌々日配達になる可能性があるだろうけど、たとえば大阪で午前中に出した速達が現在は翌日の午前に東京に届いていたところ、これからは届くのが午後になるといった感じかなと思っている。まあ、サービスの劣化はこれにとどまらないだろうから、速達が翌日に配達されない日は遠からず来るだろうと思うけど。それでも大阪-東京間だったり都市と都市のあいだの郵便は翌日配達をなんとか維持するだろう。
続く。
続き。
日本の郵便は、価格や配達の迅速さ、正確さ、安定性という点で世界的にも優れていたし、いまでもその地位は健在だと思う。
何度も書いてきたことだけど、こうした郵便を支えてくれている人たち労働者の身分がきちんと保証されて、余裕のある暮らしを送り、将来に不安を抱えることなく暮らしていけるだけの十分な待遇を維持するのに必要とあらば、郵送料が現在の数倍になってもいいとすら私は思っているのよね。じっさい、郵便が届くのに数日かかろうが、翌週になろうが基本的にはそれでもいいと思っている。そうすると事業者の負担は格段に大きくなるだろうけど、それはちゃんと経費に上乗せしてやっていくのが筋だし、それをやりづらい立場の人がいるならば、そうならないようにするのは政治の責任であり、このようにして物価が上昇していくのがほんらいあるべき経済成長というものでしょう。
小泉政権による郵政民営化や新自由主義でそれが実現しましたか?安倍政権のもとアベノミクスで景気の好循環は実現しましたか?長年の自民党、公明党による自公連立政権で国民の生活は豊かになりましたか?って話。
続く。
続き。
それで、そもそも郵便という社会的インフラを誰の責任のもとで維持していくのかという話で、もう結果を見たら明らかなように、交通も水道も郵便も、自由主義経済のもとで民営化して民間企業に担わせるのには根本的になじまないわけよね。
つまり郵便の値上げやサービスの改悪は、決して郵便を支えるトラックの運転手などが無理していたという話ではなくて、これまでどおりの待遇では人手が集まらなくなったという話だし、2024年問題の働き方改革は、無理な働き方を強いることのないように適正な労働環境を整えなさいという話であって、ただそのためには現在の物価高騰、トラック運転手の引退などを含む人手不足の状況でこれまでどおりの待遇では人が集まらず、かと言って待遇をよくして雇い入れる人数も増やして事業をまわそうと思えばかなりの値上げをするなどしないと採算がとれず、それでいてそこまでの値上げは市場に受け入れられないだろうから(それがそもそもおかしくて、けっきょく景気の循環が正常な形で起こっていないということなのだけど)そこそこ値上げしつつサービスは改悪しますよというところに落ち着くという話なのよね。以上。
あびこのアジアンバーラマイ大阪あびこ店に来てみたら、今日は開いていた。実は土曜日にこのテナントが入るビルのオーナーさんとお会いする機会があって「スープカレー好きでちょくちょく行ってます」と話を振ったら特に何の反応もなかったので、そもそも賑わってもいたし閉店ではないだろうなとは思っていたのだけど、そうすると公には臨時閉店などの案内もなかったので、厨房の責任者の体調不良が人手不足によるものかと勝手に想像していた。
それで今日来てみてお店が開いていたのはよかったのだけど、入り口のドアにスタッフ募集の掲示がしてあって、やっぱり人手が不足しているのかなと。でもね、心がかき乱されたのは、以前作ったものをそのまま使い回しているのかもしれないけど、募集している時給が大阪府の最低賃金以下なのよ。2023年10月1日以降の大阪府の最低賃金は時給1064円だけど、この募集には1040円からとある。以前は1000円だったスープカレーが今や1350円に35%も値上がりしているけど、ちゃんと働く人に支払う給料も上げないと、もう来るのがつらくなるし、改善されなければ来れなくなる。よろしくお願いします。
厚生労働省が出している「公正な採用選考の基本」( https://www.mhlw.go.jp/www2/topics/topics/saiyo/saiyo1.htm )で就職の選考時に家族構成などがわかるような質問をすること自体が就職差別につながるということで配慮すべきこととされているのに、どういう人権感覚をしているんだろうね、この企業は。少なくも就職面接等で家族について尋ねることの問題は、不真面目な私でも高校生のときに学校で教わって1990年代に知っていたこと。1972年設立の割に知名度が低いかどうかよりも、1972年設立でその人権感覚であることの方を心配した方がいいんじゃないだろうか?
RT: 学生優位の新卒採用、親の存在感が台頭…内定辞退恐れる企業が「オヤカク」に注力 : 読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20240131-OYT1T50071/
マクドナルドあびこ店でしばらく仕事。ここもアルバイトを(クルーという名称で)募集していて、一般も高校生もともに時給は1080円、深夜帯は1350円。
ノートPCでワイヤレスイヤホンとマウスを同時に使おうとするとBluetoothの干渉で音が途切れ途切れになる。
厚生労働省が出している「公正な採用選考の基本」( https://www.mhlw.go.jp/www2/topics/topics/saiyo/saiyo1.htm )で就職の選考時に家族構成などがわかるような質問をすること自体が就職差別につながるということで配慮すべきこととされていることについて、当該箇所が示された画面キャプチャをつけるのを忘れていた。
何年も前から多方面に声をかけまくっていたもので、新型コロナウイルス感染症の影響などでなかなか実現できないでいたアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(現アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館)に行こうという企画について、2025年3月末に行こうということになりました。
イスラエルによる主としてパレスチナ人に対するジェノサイドのことを思うと複雑な心境ではあるのだけど、イスラエルはイスラエルとして気持ちを切り替えて、3度目の訪問を果たしたいと思います。
興味のある人がいたら現地集合で一緒に訪問しましょうというもので、日にちが合わせられるなら気が合う人同士で現地まで一緒に行ってそこで別れたり、現地集合で数日一緒に観光してもいいし、帰りだけ一緒に帰るというのでもあり。私は日程のどこかでチェコに行く予定なので、チェコ(だけでも大丈夫)に興味がある人がいればぜひ一緒に行きましょう。
航空券やホテルは基本各自で手配。難しいようだったらできる範囲で無償でお手伝いするけど、自己責任で。
いまのところ8人ぐらい参加予定。とりあえずアウシュヴィッツ企画の投稿はここにぶら下げます。
結局ほとんど何も仕事はできなかった。ブラウザのタブを少し整理しただけ。なんばのビックカメラで取り置きしてもらっている空気清浄機の消耗品を購入して帰るべし。次は消耗品を買うよりも本体そのものを買い替えた方がよいだろうな。性能なんてほとんど何もかわらないだろうし、交換部品を充実させて生産終了後も在庫を残しておいてくれたら持続可能(サステナブル)なのに家電メーカーはそんなことしてくれないんだよな。サステナブルじゃないから。
締め切りに間に合わないとわかったら、なんかわしも大胆になってきたなあ。あはははは。がはははは。わはははは。
「がはははわははは」書いていたら、大阪メトロの車内でほんまにわらけてきて、あやしいおじさんになっている。
@pantabekanmi 福岡第8区ですが、炭鉱、病院、専門学校などなど、もう地域全体が王国だし、地域のそれなりの部分が王国の経済でまわっているんですよ、極端な言い方をするならば。圧というか、生活そのものなんです。
@pantabekanmi 同じようなものって全国各地にいろいろあるんだろうけど、少しずつ構造とか雰囲気は違うと思うんですよね。
麻生太郎の場合は殿様みたいなもんで、おぼっちゃま。同じ九州の細川護煕元首相(熊本県)はほんまもんのお殿様だけど。麻生太郎はあぐらをかいて座っていたら「下々のみなさん」が勝手に神輿に乗せて押し上げてくれるんだから、庶民の感覚なんてわかりっこないし、世間知らずのぼんぼんですよね。でもおぼっちゃまだから、そりゃ細かいことを言えば批判的な人もいるだろうけど、基本的にみんな麻生太郎が好きだし、信じてるし、悪いことしても許してしまうんですよね。お支えしているところのおぼっちゃまだから。家族みたいなもんです。
ここが、有力者で地方にもかかわらず地元にお金を引っ張ってくれるから支持を得ているというのとは違う何か超越したものがあるんですよね。
表現は難しいけど、感覚としてはそんな感じですね。
@pantabekanmi そうなのです。麻生太郎のところと選挙区は違うけど、福岡県出身なのです。
去年の夏は麻生邸、株式会社麻生が経営する飯塚病院、それから学校法人麻生塾の麻生看護大学校などを見に行きました。