アニメでは、専業歌手による歌よりも、声優による歌の方が好き。声優による歌唱には、それ自体、大きな意義があると思う。
icon

そもそも声優(役者)は、言葉のつらなりに対して意味づけや表情やニュアンスを作り出す専門家だ。そのスキルは台本芝居だけでなく、歌詞のある歌でも発揮される。とりわけアニメOP曲のように、ストーリーやキャラクター性と結びついた楽曲であれば、歌詞の意味づけやキャラクターの感情やストーリー展開や作品全体のコンセプトを深く読み込んで解釈したうえで、それを言葉に乗せて表現できるプロフェッショナルだ。それが高い水準で出来るのは、本職声優の大きな強みだ。
 歌曲には「音響としての歌」と「言葉としての歌」の両方の性質があると思うが、声優(役者)による歌は、後者の側面を鮮やかに表出する。歌詞の意味づけがクリアに伝わってくるし、歌に豊かな感情表現が乗ってくる(その点では朗読劇と通底する)。
 キャラソンCDを出したり、アニメの主演声優がその作品のOP曲を歌ったりするのは、けっしてただの余技やファンサービスなどではなく、独自の価値がある。そういう意味で、「声優による歌」は大好き。

icon

今日のexplorer人気投稿から。「世界人口を1兆人に増やせばアインシュタインやモーツァルト級の天才が何十人も出てくる」というのは、物量と自由が世の中を良くするという信念だ。
 それに対して、「アインシュタインやモーツァルト級の天才もすでにこの世にはたくさんいる筈なのに、そうした才能が搾取や抑圧によって無為に死んでいる」というのは、教育や社会保障や社会的公正によって世の中の不幸を減らすことこそが重要だ(そしてそこから付随的に、より多くの天才が世に現れてくるだろう)という信念だ。
 どちらが正しいかはともかく、こうした世界観のレヴェルで、見えている風景が異なるんだろうなあ。
cf. fediscience.org/@petergleick/1

Web site image
Peter Gleick (@petergleick@fediscience.org)
icon

先日もこのロボットを見たような……。もしかして、海外ではギラ・ドーガが人気なの? 今世紀のガンダム作品の一般的なイメージとは異なって、直線的部分と曲面的装甲が程良く混在しているところが面白いのだろうか。
mastodon.social/@carlos_burges

Web site image
Carlos Burges (@carlos_burges@mastodon.social)
icon

今日のあれこれ。

阪急の車内から撮影した芦屋川。神戸線らしい風景です。
Attach image
阪急:西宮北口駅ホームの写真。午前の日差しがきれいでした。
Attach image
阪急宝塚線。線路が3本並んでいます。中央には車両が停まっており、向かって右は対向車両です。ちょっと珍しい風景。
Attach image
同じく。屋根が45度に傾斜した風変わりな建物が3棟並んでいるのが見えます。
Attach image
icon

このサーバーの登録アカウント数は順調に増えているが、月間アクティヴユーザーは6600と下降気味(※月間7000アクティヴだった時期もある)。LTL/HTL/explorerを見ているとあまり意識しないけれど、やはり人の増減はある。
 私自身はと言うと、サーバー条件の(客観的)観点でも、居心地の良さという(主観的)要素で見ても、現状ではこのサーバーが一番好ましい。理想的というわけではないが、様々なサーバーの状況を見比べて、ここが最も良い環境だと考えている。というわけで、来年もここに出没していることになりそう。

icon

明日は遠出の所用があるので、夜更かしせずに寝よう。
空き時間は読書(※)に宛てているが、明日は移動距離が長いので2~3冊持って行くつもり。
(※文庫や新書など、できるだけ嵩張らないものにしている。)