えっ……あの名高いオータムリーフ管弦楽団の方が!?
グリーン体表は、「毒」のイメージもあるかも。バブルスライムのような感じ。
毒や異常状態は、あんまりリアルに腐ったような色合いにすると気持ち悪いけど、グリーンであれば「きれいだけど明らかに異常」くらいに収まるのかな。
「森羅万象チョコ」の原川氏(はらみつさん)は、近年では「アクアシューターズ」(※ガチャポンフィギュア)でも、たくさん仕事をされていました。どれも可愛くて気に入ったので、通常版は全シリーズ買い揃えています。
https://gashapon.jp/aqua_shooters/
ブルー体表だと、「魔族」イメージとか、あるいは魚類的な不気味さ(インスマスは魚類恐怖の典型)につながるので、普通の陸上生物っぽく見えないのかと思います。
グリーン体表は、「哺乳類ではあり得ないが、爬虫類/昆虫/植物には存在するので、異常状態や人造人間のイメージとして分かりやすいのではないか」という説を聞いたことがあります。そんな感じかなあと思います。
これがブルー体表やグレー体表だと、血の通った生物らしさまで失われてしまうので、使いにくいのかなあと。
「スライム擬人化キャラ」という経路で青肌になるのもありますね。
私自身、非-人間スキンはわりとアリです。格ゲー『ヴァンパイア』シリーズでは、レイレイ使いだったりしました(※ライトブルー素肌のキョンシーキャラ)。
そうですね。海外だと、本格派ケモナーあたりとの親和性があるので、わりと出てきやすいかもしれません。日本は素肌のお色気に関心を向けすぎるのか、架空肌に対してとても消極的なように感じます。プラモデルでも青肌キットに対する反発はまだまだ強いようですし。
オタク的なキャラクター属性嗜好は、今世紀に入って爆発的に拡大してきたけど、「青肌」(またはその他の架空の素肌カラー)だけは、ほとんど手を付けられていないままのようだ。とはいえ、異種族キャラクターがこれほど一般化してきた現在では、ここもそろそろ最後のフロンティアとして開拓に着手されていくかもしれない(※ガールプラモでも、ゾンビ肌のキットまでは複数存在するが、青肌キャラはいまだ皆無。ゲームのキャラメイクでは、青肌可能なタイトルもあるようだ)。
ちなみに、同じく有名なマニアック嗜好として「単眼キャラ」(※ちょっとぐろいので検索注意)というのもあるが、これは00年代後半から散発的に現れたものの、ほとんど普及しないままに終わった。
とりわけ、社会的-政治的な行動について素人が「○○症」と呼んで侮蔑的にカテゴライズすることは、何重にも危険だ。
・概念的類型化ではなく、むしろ分析を放棄した比喩に流れてしまう。
・ある政治的行動を、根本的に誤ったものであるかのように見せるレトリックである。
・ある行動を、対等な他者の思想や行動として認めるのではなく、一方的に治療すべき対象とする見方になる。
・そもそも「病気」一般に対しても、過度にネガティヴな含意を持ってしまう(とりわけ精神障害について、「政治的にも誤った行動をしがちな属性」であるかのような偏見を助長する)。
例えば「(左/右)派は○○病だよ」といったような主張は、上記のような意味で、社会的言論をあまりにも危険な方向へ引きずってしまうのだが……そういう火遊びめいた比喩を使う人はとても多いのだよね……。
気づいた範囲でやんわりと注意喚起するようにしているし、私自身もそういった不適切な比喩を使ってしまう可能性はあるのだけど、まあ、できるかぎりそういうのは減らしていきたい。
壊れたHDDを取り出して自力分解してみたことがあります。ネジの規格が特殊でなかなか分解できなかったし、やたら頑丈な部品が多くてろくに解体できなかったし、途中でビリッとして驚いたりした(※どこかに電気が残っていたっぽい)けど、HDDの内部構造をゆっくり見て回ったのは楽しい経験でした。さすがにハンマー<s>やドリル</s>でディスクを破壊するまではやりませんでしたが。
例えば、漫画版では小さめのコマで軽く流したコメディシーンも、アニメだと正面から生真面目に描くことになり、大袈裟になってしまうことがある。もっと自由に崩してもいいと思うんだけどな……。
もちろん、緩急強弱の抑揚を付ける映像的手段もあるのだが、そのいくつかは現代アニメで使うのが難しい。例えば、映像が完成しきっていない段階でアフレコをするので、技巧的な時間的推移を入れると声優が状況把握して芝居するのが難しい。また、視聴者からの「作画」要求に押されているため、絵を簡略化したりダイナミックに崩したりすることが忌避されがちであるように見受けられる(※)。時間的にも視覚的にも、融通の利きにくい環境が形成されているのは、アニメ文化にとってあんまり良いことではないように思う。
(※どの作品でもキャベツが出てくると、やたら手の掛かった作画をしているのは、業界的なお遊びかもしれないが、しかし無慈悲な作画非難を経験した分野的トラウマのようにも見えて、痛ましく感じる。)