入学のハードルの低い大学の(専任)教員には、「こんな学習意欲の低い学生たちに税金をやって教育させるなんてバカげている」という意見の者が非常に多いらしい……というのを先日聞いてびっくりしている。いや、違うでしょ……。
上記政策(案)によって経済的障壁が下がれば、どのような変化が生まれるか。とりわけ、「学力や学習意欲はあるが、経済的事情で大学進学が難しい」という層が、進学できる可能性が高まる。
そういった層は、いきなり難関大学に大挙進学したり、家賃の高い都市部の大学に進学したりするわけではなく、普通の大学、とりわけ地元通いで入学しやすい大学を選びがちだろう。つまり、「大都市圏以外の、必ずしも知名度が高くない大学」の受験者の学力レヴェルが大きく向上することが予想される。
大学の側からすれば、入学選抜に際して、「家庭に多少の経済的余裕はあったが、学力と意欲の低い学生」を押しのけて、「家庭の経済状況は豊かではないが、学力や意欲が相対的に高い学生」を取れる可能性が高まる。つまり、上記政策は、無気力学生(がいるとして)の割合を下げ、彼等にとっても教え甲斐のある学生を増やしてくれる筈だ。……そういう将来像が見えていないのだろうか?
要するに彼等は、自分たちこそが最も大きなメリットを享受しうるグループであるのに、その政策に反対しているのだ。それは、現在の目の前の事象しか見えておらず、政策導入によってどのような変化が生じうるかを予測できていない――頭を働かせていない――ためであり、しかも、「無気力学生を厚遇してやりたくない」というみみっちい心性がそれを後押しするのだ(※その一方で、「医学部の学生は役に立ってくれるから、学費無料でもいいよね」という、不公平で格差助長的なことまで言うのよ……)。
私が行っている大学でも、国籍差別を学内で公言する輩が複数人いるし、日本の大学関係者はいよいよやばいことになりつつあるように見える。
……でも、大学という教育制度そのものは、社会にとって重要な役割を果たしている。どうか、大学を見捨てないでやってほしい。もちろん、駄目なところは駄目なものとして批判されねばならないが、大学(高等教育と研究)の場そのものは、まっとうな形で維持していきたい。