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Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
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鍋の論理。フロイトが『夢判断』第2章のなかで引いている話。
隣人から鍋を借りて壊した男が、釈明として、以下の3つの相互に矛盾する説明をしたという。
①鍋はそもそも壊れていない
②鍋は借りる前から壊れていた
③そもそも自分は鍋を借りてない
これらは明らかに相互に矛盾するが、このうちのどれか1つでも正しければ男は無罪になる。鍋の論理で言い返し、絶対に自分は間違ってない!とがんばる人間が多すぎて疲れる。 #post
『鍋の論理』でがんばる人たち、それでも「鍋を壊したのはあなたです」ってことを認めさせるようとすると、今度は「みんな壊してる」「じゃあ、あなたは壊してないのか」(責任の曖昧化)から始まり、「鍋を壊しちゃダメなら料理なんてできない」「じゃあ料理しないわ、するなってこと?死ねってこと?」(逆ギレ)を経由して、「壊したから何が悪い」(開き直り)に行く。
それでもそのすべてをかいくぐり、論理が尽きるまで行くと、今度は尽きた頃に「切電」するんだよな。電話だったら文字通り切るし、対面だったら机叩いて出ていく。そして次会ったときにはすべてメモリ消去してるので、また1個目の「そもそも鍋は壊れてない」から同じこと繰り返すんだよ……。 #scrapbox #post
『ハンチバック』、語り手はTwitterに何かを投稿する前に炎上しそうな内容はEvernoteにメモを保存してるんだよね。で、どんなメモかというと…..で「妊娠と中絶がしてみたい」などと書いてある。いかにTwitterが「自由にモノを言えない、言ってはならない世界」なのか。それに対して文学なら「……みたいなことはTwitterには書けない」という描写として自由に書けてしまう。SNSにはすべての言葉が溢れているようでいて、語られていない肝心な言葉は実はたくさんある。#post
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てか、根本で大事なところ話すと、①正義を執行し自国民の死を減らすために原子爆弾の投下が当時としては仕方がなかったという話と、②原子爆弾自体は多数の死傷者を出す非人道的武器であるので世界から無くす必要があるという話と、③原爆をネタにして何度でも擦って遊んで笑ってもいいという話は論理的にまったく独立な話ですよね。
①が言えたからって③していい理由になると思ってる時点で、
バッカじゃないの???
でいいと思いますよ。実際バカなんでしょ。だからそんなことができる。アメリカにも、それからバービーの公式の中にも、自国の「教育」を信じ込んじゃって、この程度の思考もできないバカなレイシストがゴロゴロいる。それくらいレイシズムって根深いし、「自由の国アメリカ」も大したことねえなってだけの話です。#post
「当時の戦況下ではやむをえなかった」ということが仮に言えたとしても、そのことから「ネットでそれをミームにしてウェーイと気軽に遊ぶことは倫理に抵触しない」ってことは導けないでしょ。まずはそういうシンプルな話では。#post
Kindle出版、森さんは全然そういうの好きだし、役にたつ本も多くてありがたいけれど、行間をやたらスカスカあけるのはやめてくれないか。そっちのほうが読みやすいと思ってやってるのかもしれんが、こちらはPaperwhiteだったりMacbookだったりiPhoneだったりで読むので、めっちゃ読みにくいんじゃ。#post
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なんていうか、もちろん原爆はノー!だし、それを揶揄することもノー!なんだけど、そもそもの話、論理ぶっ飛びまくった中で「陣営に分かれてバトル」みたいなことが多すぎて、そこに「も」うんざりしてしまう。仮に私が「当時の原爆投下は仕方なかった」という考えを持っていたとしても、同時に「だからといって意味もなく、原爆の悲惨さを矮小化するようなネットミームで遊ぶことは絶対にしてはならない」と信じるだろうし、別に対立する信念である必要はまったくない。#hack
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熱中症とコロナを対立させるような言説とかもそうでしょ。トランスジェンダーの人権と「風呂トイレの安全」とかもそう。「どっちの陣営」とかはさておき、まずは論理的に「関係あるのか」「….だからといって___とは言えない」の可能性を全力で考えるべきなのにそれをしない。なぜしないかって、否定したいって欲望から単に擬似的に作り出した構造だからってだけでしょ。マスクしたくないから熱中症が!!って言ってるだけ。もちろん熱中症リスクあるときにまでマスクする必要ないと思うし、そもそも熱中症関係なくリスクのないときにまでマスク!!ってのも違うけど、熱中症が!って言う人、全員とは言わないけど、結局寒くなっても…..マスクしないでしょ…..。 #hack
バービーやオッペンハイマーのネットミーム叩きもいいけれど、っていうか、大事なことなのかもしれないけれど、ある一定層以上はディグっても地層としてバカが大量発見されるのは当たり前の話でしかないんだから、あんまり「こんなバカもいる!」ってやっててもそれはそれで非生産的だし、何より健康に悪い。ストレス感じるとコルチゾールが増加して免疫力が低下する。あなたがコロナに罹患すれば他の人に感染させるリスクも高まることも頭の片隅に入れておいてね! #post
文字数が500字になっただけで、多弁な自分にとっては実に自由に動き回れるのだなと気づいた。今、これはタイピング入力だけれど、今後は音声入力も取り入れてくつもり。#post
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はっきりって、1年だけとかならまだしももう何年にもわたって頃中を生き延びなければならない状況なわけで。完全に整合性を保ったり、一切矛盾をせずにコロナに対応する事は事実上不可能だ。へー大事な事は自分が矛盾していることを素直に認めることだと思う 矛盾が認められなくなると、自分の行動に合わせて事実の方を捻じ曲げようとする。例えばheyマスクをしなくても感染しないとか、発症からへぇー数日経てばもう感染しないとかでもそれは単に願望を事実に投影しただけに過ぎない。
更年期障害のせいで、本当に全く立ち上がれない。ホルモン注射のおかげで元気になったけど、2週間後には完全に効果が切れていた。効果が切れるだけならまだ良いのだけれど、hey症状が注射前よりも圧倒的にひどくなった。どうしたらいいんかなこれ。明日また泌尿器科で注射をしてもらう。 町違いなく効くとは思うのだが、これ繰り返してて根本的に良くなるのかなあ?すごく不安。
自分は便利であれば音声入力だろうがなんだろうが、積極的に使っていく子テクノロジーに対してそういう意味では危機感は無い。音声入力だからダメだとか、チャットGPティーだからダメだとか、そんなことを言う先には「電子書籍には上野持っているぬくもりがない」といった発想が生まれてしまう。 人間はどんどん楽をするべきだ。
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まじで起き上がれないんですけどどうしたらいいですか。 今度からホルモンの投与は2週間に1階にしてもらおうかな。
でかこれホルモンずっと頭良続けるの危ないんじゃないの?効果がある分切れた時が体調ひどいし。hey更年期だったらいつかホルモンが安定して症状も緩和されるだろうから、それまで待ったほうがいいとか。
白まんじゅうや別饅頭が「あーなってしまう」のは、Twitterと言うプラットフォームの特性上仕方のないことだと思う。注目する投稿することによっていいねやリツイートが増え、報酬が得られる。しかもそこからノートへのリンクや自分の著書へのリンクがあって、バズれば、その分売り上げが上がってしまうのだから、知的に誠実であろうと主体的に 白まんじゅうや別まんじゅうが考えたとしても、どうしても報酬型に引っ張られた思考になってしまう。これに対抗するには、原理的にはSNS立ちをするしかない。
今、音声入力での入力を実験しているところなんだけれども、かなり精度は良くなったとは言え、やっぱり誤入力はそこそこあるなあ。
ただ、今後はこうした誤入力が気にならなくなってくるんじゃないか。というのも、今後は人間が直接テキストを読むことが少なくなってくるからだ。
元のテキストをコピペして、ChatGPTに投げて要約させる。その要約を人間が読む。そうしたコンテンツ、消費の仕方に変わってゆくはず。
そんな中、それでも、小さな誤字や脱字を気にすることは、ある種の職人的こだわりとしてへ今後は捨て去られていってしまうのではないか。
Twitterにせよ、マストドンにせよ、SNS上の情報の取捨選択、その変更は凄まじい。同じ話でも、少しレイヤーを上げて抽象度を高めただけで反応が悪くなるし、個人の話にしただけで全く反応が得られなくなってしまう。結局具体的で特定の話題について、特定の陣営から述べた答えが1番大きな反響を得てしまう でも、それって面白いことか?笑
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今、音声入力での入力を実験しているところなんだけれども、かなり精度は良くなったとは言え、やっぱり誤入力はそこそこあるなあ。
ただ、今後はこうした誤入力が気にならなくなってくるんじゃないか。というのも、今後は人間が直接テキストを読むことが少なくなってくるからだ。
元のテキストをコピペして、ChatGPTに投げて要約させる。その要約を人間が読む。そうしたコンテンツ、消費の仕方に変わってゆくはず。
そんな中、それでも、小さな誤字や脱字を気にすることは、ある種の職人的こだわりとしてへ今後は捨て去られていってしまうのではないか。
最初は誤入力もそのまま、100%音声入力だけで投稿した。いいねが二人。その後、誤字脱字を訂正し、段落に分け、文体を整え、論旨を少し補足した。
ネット上の絵文字文化、確実に日本語圏固有というかmastodon.socialの絵文字の少なさを見るとローカルな文化なのだなという印象なので、その辺の歴史が知りたいなと思い始めた。
そもそも「Emoji」で通っているとおり、絵文字自体も日本人がつくったものなのだけれど、既に他の言語圏にも伝播したのだからもっと盛り上がってもおかしくないところやはり日本語圏でのバリエーションが圧倒的に多いのだよな……そこが不思議でたまらない。
「漢字があるから少ない文字数でより多く情報を詰められる」ということだけでは明らかに説明しきれない部分があると思う。識者の方がいらっしゃいましたらご教示願います……(自分で調べなさい!)
8月1日、今日この日だけでもツイートするのをやめませんか?と言う呼びかけが行われていて、「ツイートしない」ことが、イーロン、マスクへの嫌がらせ、抵抗になると言う発想になってきてるのに、イーロンマスクが何を言おうが、ここTwitterに居座るぞ! ツイートし続けるぞ!と言うのは、一見抵抗のように見えて、もうただの依存仕草でしかないんだよなぁ。
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その周辺の人たち、Twitterじゃなくてマストドンなり何なりフェリバースに参加してくれていていいはずの人たちなのに……。
私もこの訃報には大変ショックを受けている。「私的所有論」は、学生の頃に読んで、大変衝撃的だったけれども、その批判の射程は、今でも、残念ながら有効であると言うしかない。
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①「他に選択肢がない」って発想は往々にして「思考停止」だったりする。「これでいい」「これしかない」。事業や組織の改革でも、新ツールの導入でも、たいていすぐこう言われてしまう。「他にない、そう思ってるだろ?」を人質に取られた状態でイーロンに好き勝手されてるのが、どうよく見積もっても𝕏(The SNS formerly known as Twitter)の現状だろう。想像力を奪われてること自体をまずは問題にしたほうがいいと思う。そこすら反省できてないで言ってない?
②これ「も」使うことと、これ「しか」使わないことは違う。それ「も」使ってる人、私もそうだけど、それは手段としてあるでしょう。問題はそれ「しか」使ってない人。
③それでも𝕏を使うのは勝手だけれど、それを抵抗だと思われてもなあっつう......。
④「依存」という言葉の使い方の問題。「依存を否定するな」「依存できない人こそ問題」。そういう意味での「依存」なら私もしているし、何でもインディペンデントがえらいとも思わない。
言葉の使い方については、結局「相手と実は考えはそんなに違わないのに、こだわりの用語法が一致しないために偽りの表面上の対立が発生しているように見せかけられてしまう」害が大きい。
私は大した政治意図はなく、単におもしろそうだからで「8/1」の「非投稿」に乗ってるけれど、それはまあそのレベルのコミットメントの話。
自分にはむしろ「Twitterしかない」「他に代替できない」っての、これだけプラットフォームが便利になってもいれば、たくさんのツールをいろんな方が提供してくれてる状況で「マジで?」って話。
むしろ「Twitter以外の他の選択肢がたくさんありすぎて困ってる」くらいの認識です。ただ、ここらへんはそれこそ「言葉の使い方」の問題でしょ。私は自分の言葉のここでの使い方に固執してない。
Twitterも使ってるけど、こっちでもよく見る、みたいな人に、そんなに言いたいことはないけれど、特に多数のフォロワー抱えてて、普段から反体制的なこと言ってるアカウントで、でも、それでもぬくぬくとイーロンマスクのおもちゃにされてるプラットフォーム【のみ】を使い続け、それなのに「私は抵抗してる!」「そのためにここにいる!」って言われたら、そりゃちょっと判断ミスってるし、他の行動原理と著しく整合とれてないし、単なる自己正当化じゃん、って話でしょ。
それこそ、素直に「なんでやめられないんだ、私はあ!!」とかそういうこと認めていくほうが健全な在り方だと思うよ。
あんまりストイックに何のSNS使うかとか、どこのアボカドを食べる(もしくは食べない)かとか。そういうの言いすぎるのも、ぼくはよくないと思ってる。
自分もそうだけど、考えてることも矛盾だらけなら、考えてることと行動に整合性取れてないことなんてたくさんある。その矛盾をないかのように振る舞うのもよくないと思う
でも、だからこそ、自分たちのそうした一貫性のない行動を悔しがるならわかるけど、「政治的にポジティブな動きなんだ!」と合理化してしまうのはどうかしちゃってるでしょ、ってことが言いたい。
私の書き方が誤解を与えるものだったのは認めるけど、使い続けるな絶対!みたいなことではない。というか、自分も使ってるしね。今後はわかんないけど。
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惰性だったり、見るのをやめられないって理由でツイッター使い続けてるわけでしょ。その中に、てか、SNSなのに「報酬」で行動を一定程度縛られてるって認識がなかったらやばいでしょ。まあ、そこまではいいとして、ここが言いたいことなんだけど、それでましてや「抵抗としての居残り」のように言われたら「まあ少なくとも他の選択肢も育てていけば?」と。そういうことが言いたいですね。そんな変な話じゃないと思う。
あと、Twitterが「今でも一番使えるインフラ」だとは自分の使用ケースでは思わないかな。むしろ「もうほぼ使う意味のないインフラ」になってる。まあ、これは人によって求めてる情報が違うから断定はできないけれど。
でも、その「ここでしか得られない」「一番使える」という思い込みを突いて、イーロンは好き勝手やってるので......。そこは「SNS以前のインターネットが持っていた可能性」という、想像力の部分から奪われてきてる。何度も言っているけれど。
「Twitterをそれでも使いつづけてしまう」(乗り換えができない)を考える上で(も)こんな本読んでる。
新しい選択肢がいかに魅力的かを訴えても人は動かないことが結構多い。それはむしろ魅力という「燃料」よりも、惰性・労力・感情・心理的反発といった「抵抗」が大きいためだというのが著者の主張だ。
Twitterに限らないけれど。自分の「ここしかない」「これしかない」という判断に、どれくらい「抵抗」が影響しているか。考えることは決して無駄ではないと思う。
たとえば、新しくMastodonを使うとしても、労力がかかる。覚えなければいけないことがたくさんだし。使い方もだけど、新しくフォローをしなおしたりとか。単なる惰性でも人は「切り替え」ができない。単純接触効果(すでに何度も見知っているものを人は選びがち)だってバカにはできない。
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私は「使う」のが悪いというより、ほぼそれ「だけ」しか使ってないくせに、「使う」ことが「政治的な抵抗」のように表象してしまうのは、自分の欲求や欲望、それこそ依存している現実(依存自体が必ずしも悪いかはさておき)を肯定したくないがゆえに持ち出した悪質な合理化にしかなってないじゃないか、って言ってる。
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おっしゃりたいことはわかるし、自分もそのことについては心底同意しますよ。そもそも依存を「依って在る」ただその状態だってだけで悪く言うのは違うと思いますし。他人の手を一切借りないことを「独立」「自律」とし、そこから外れたものを「依存」とし貶めるのは違うと思う。マッチョな発想だろうし、障害者差別とも直結してる。
ただ、ここからは論理的誤推論の指摘をするだけだけれども、1つの依存に否定的に言及したことから、依存自体が依存すべてが悪いと言っていると解釈するのは飛躍でしょう。
多分、こういう情報も、Twitterでも流れてはいるんだろうけど、もうほとんど流れていってないんだろうね。
左翼を自認する人が、Twitterを使いつづけて、道具としては透明であるかのように主張しているのは、けっこう見ていられない。そう言うのなら、原発も軍隊も道具として見れば透明で使い方しだいだって話になる。
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というか、考えてみれば、今までそんな話出てこなかったのに、この8月1日になって、ようやくTwitterの「1日」ボイコットが呼びかけられ実現するって、Twitterの「重力」すげえな。
自分が変革ではなく、現状維持をしていることに対してやろうと思えば、ありとあらゆる合理化ができてしまうのだけれど、その合理化にまで「政治的抵抗」を使ってしまう事は非常に問題だと思っている。
できるはずだ。とか、白とかそういうことを他人に求めていく姿勢は、確かにマッチョかもしれないか、それらを常にマッチョ、マッチョと否定していくと、結局何をしなくても「抵抗」と言うことになってしまう。エイブリズムは避けるべきだが、他方で政治的抵抗の想像力が奪われてはならない。
要するに、これでは、自分が単に資本主義的に都合の良い主体になっていくことですら、「これはそうした資本主義に対する抵抗だ」と言って、自己の振る舞いや現状、もっと言えば、資本家側プラットフォーム側のやっていることを肯定することにもなりかねない。 それは単に体制側にとって大変都合の良いことでしかない。
基本すべて記事を音声入力で書いてみた。ChatGPTは今回は未使用。よかったら記事、シェアしてね。生活をガラッと変える、いいヒントが結構あると思うので!
https://open.substack.com/pub/moriteppei/p/apple?r=2km5g5&utm_campaign=post&utm_medium=web
児童ポルノを垂れ流して凍結されたアカウントを復活させたり、ヘイトスピーチを報告した団体を「訴えるぞ!!」と脅したりが、今のTwitterですよ? 「DHC?使っちゃダメだよね!」「アパホテル?ありえないわ.....」って人なら、まず間違いなく「使わない」一択では。
まあ「使わない」は譲歩したとして、少なくとも、他のプラットフォームをオルタナティブとして使っていき育てていくべきでしょう。
一億歩譲って、ここで投稿を続けること自体が「抵抗」にはならないと思う。
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@zpitschi 書いてある通りです。ツイッターに依存してるのが悪いのではなく、「ツイッターに依存してる」のに、それを政治的抵抗であるかのように解釈するのは違うだろってことです。
「その人自身が作ったもの」についてどう言ってもらっても構わないし、それはこちらの預かり知らぬことだけれど、相手の問題意識やなぜそんな話をしているかを問うのであれば、正確な理解が大切になってくると思う。
「インターネット上で誰かが私にコメントしたとしても、それは私ではなくその人自身が作ったものなので、反応するかしないか、どう反応するかは私が決めることができます。インターネット上には私に対するコメントや悪口があり、私はすべてに答えるわけではありませんが、返信するときはその中から建設的な部分をピックアップして返信しています。」[何もない空間が価値を生む]p.153
@zpitschi ちょっとよくわかってないんだけれども、私の考えは一連で書いた通りです。使うことがどうこうではなく(それを言うなら自分も使いまくってるし、今週末にもまた使うので.....)単なる依存なのに(依存には特にプラスもマイナスも意味がないとして)、それを政治的抵抗だと言うのは違うだろ、なぜなら.....って話です。
なんていうか、政治的思想にすべての行動を律していくことのほうが怖いと思うんだよね。だから「ぐぬぬ、イーロンは気に入らない。しかし、Twitterは使ってしまう.....」ってのはわかるし、自分もそうだし、そのほうが健全じゃん。
ところがこれを「イーロンなんかに負けてたまるか。私はここでイーロンに抵抗してるんだ!」のように言われてしまうと、「でも、それってちょっと話違いませんか」ってなるよという話で。
それって単に依存してる事実を、政治的思想を使って合理化しているだけでしょ、ってことが言いたいわけです。
まあ、普段、こちらでも結構見かける方は「あー、いろいろ思ってらっしゃるんだなあ」くらいに捉えているけれど、Twitterしかやってなくて「ツイッターしかない!」「だからここで戦ってる!」のように言われると「自己肯定激しすぎだろ」ってツッコミ入るのはそりゃ当然だわな、って話で。
@zpitschi ちゃんと読めや(笑)。それは冗談(ツッコミ)として、あとは状況的な判断ですよね。ぼくも取り戻す余地があるなら残ったり残って文句言うって選択肢あると思ったし、だからTwitterに一時期課金までしてみましたけど、こりゃ勝負にならないですね。SNSにおいて胴元がすべてを握ってるって怖いなって思いました。
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同じことを逆から言えば、依存が悪いことじゃないんなら、いちいち政治的合理性があるかのようにわざわざ語る必要ないんじゃないの?って感じですかね。
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音声入力で書いた記事だって言うだけで「楽してんじゃねーよ」と思う人は、食洗機使ったら怠けるなって言う人たちと実は同じ種族だから気をつけたほうがいい。
めっちゃかっこいいな。新しい音楽、どころか新しいものに全然興味ないけれど、長谷川白紙はめっちゃくちゃ新しいのに気持ちよく聞ける。
https://music.apple.com/jp/album/mouth-flash-kuchinohanabi-single/1696082328
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思いっきりSerge Gainsbourgまんまで微笑ましい。たらたら歌うベック結構好き。
https://music.apple.com/jp/album/guess-im-doing-fine/1440733298?i=1440733616
別に、イーロンマスクがTwitterで児童の性的虐待画像を投稿したアカウントの凍結を排除したからといって、それでもTwitterにとどまってそれが抵抗だ!といってもいいかもしれないけど、だったら、なぜnoteの時や、pixivの時も同じような「抵抗」 アクションに出なかったんだろう。
イヤマフしてないと吐きそう。午前中は体調が非常に悪く、夕方から何とか回復したと思ったんだけど、この時間になるともうだめ。耳が痛いしすごく気持ち悪い。
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よくTwitterに比べて、マストドンは拡散力がないと言われる。でも、最近ちょっと気になるんだけれども「拡散力」って何?そもそもそんなものがあること自体が何かおかしいことのような気もしてきた。
あと、マストドンに「拡散力がない」のは、利用者がまだ少ないからと言うのが1番大きな理由なので、もしTwitterに依存するのが嫌で、なおかつ、拡散力が必要な場合は、現状、Twitterを使い続けるしかなかったとしても、同時にマストドンを始めとしたフェディバース を使いながら育てていけばいいだけだと思うよ。
あえてわざと厳しい言い方をするけれども、変えたくない、変わりたくないと言う心理的な抵抗の部分が非常に大きい気がしている。
単純に考えて、Twitterにある拡散力が他のSNSにはないと言って、Twitterを使い続けたら、そりゃ、Twitterの拡散力を他のSNSが持つ事はいつまでたっても不可能だろう。現状では手放せなかったとしても、将来のビジョンを思い描いてそこに少しでも近づくようなSNS運用を、そんなにSNSでの政治を意識した行動ができるのであれば、するべきだ。
Twitterの拡散力は、なぜ高いのか。利用者が多いと言う理由を除けば例えば、あるツイートをリツイートした人は、そのリツイートされたツイートが、誰かにリツイートされただけで 通知が来る、といった「報酬」が、Twitterでは、利用者の利用を促進するためにあちこちに仕掛けられている。こういう機能は、マストドンでも実装しようとしたらできなくは無いんだろうけど、あえてしていない理由、あるいは逆にTwitterがあえてしている理由について、まずは考えてみるといいと思う。
Twitterのユーザーの多くは「お客様意識」すら持ててなかったでしょう。だって、お金払ってなかったんだもん。「金払ってんだぞ」すら言えない。単にあーだこーだ、一銭も払わず文句言ってただけ。
もちろん巨大なプラットフォームだから「ほとんどこんなの公共インフラじゃないか」と言いたくなる気持ちはとてもよくわかるつもりだ。
けれど、ここから私たちが気づかなければいけないことは「これから宣伝や拡散はどこでしよう」じゃなくて「そうか、市民のプラットフォームを資本家のロジックにだけ委ねてはいけないんだ」ということでしょ。
そう思ってもそんなこと一体どうやって…..って悩む必要なんてない。ありがたいことにActivityPubの分散連邦宇宙をつくり、ずっと育ててきてくれた人たちがたくさんいるんだから。あとは「こっち」を応援、支持してくだけでいい。すっごく甘えさせてもらってる。選択肢はあるんだ。
それなのに、いろいろ理由をつけて「選択肢」がないかのように言う。仕方なく使っているかのように言う。まるで自分に責任がないかのように言う。まずはそれこそが欺瞞だよ。目を覚ませって話。#post
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児童虐待ポルノをバラまいてたアカウントの凍結をイーロン・マスクは解除してる。それなのにそれでも、なぜTwitterを使いつづけていかなきゃ「いけない」のか。決まってるでしょう。商売で、宣伝で、使っているからだ。
ところがそう言えない、言わない。何かしら使いつづけるのが政治的に妥当なんだ、合理的なんだ、倫理的なんだと、もっともらしい理由をそこにつけていってしまう。でも、そんなことをしたら反省にならない。また同じことを繰り返すよ。「資本家が用意してくれたプラットフォームなんて結局そんなもんなんだ」。そのことに気づかなければ。
商売だ、宣伝だ、首ねっこ掴まれてんだよ。そこを直視しないとダメでしょう。それなのに直視しないために、自らは政治的な選択をしているんだと合理化してしまう。個人を責めたいのではない。でも「政治的に正しい主体であり続けてる」と自分を納得させるために根本の問題を誤魔化しちゃダメだ。 カッコのいいこと言ったって、報酬系をハックされてるんですよ。そのことをまずは認めなければ。 #post
もし資本家以外のロジックで動く非営利のプラットフォームもきっちり育てておいたら、過度にTwitterでの「拡散」に依存してなかったら、商売上頼ってなかったら。今すぐにでも完全にやめることができたのに......。そうやって悔しがるべきなんだよ。
https://fedibird.com/@zpitschi/110814633440767433
これは逆の言い方もできて、市民が「営利組織による私有地であることを理性では了解しているにも拘らず、そのリスクを見て見ぬふりして無責任に公共財扱いしている」という面もあるのではないですかね。
むしろ私からすると「公共財というラベルを付けておけばコストも労力も全く負担なく言いたい放題できる」という悪徳が蔓延しているように見えている。