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Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
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ハートストッパー、Mastodonで感想投稿してるくらいなら、「そうそう!」っていいねしてくれる人がいるくらいでハッピーだったのだが、Twitterで検索はじめると、アリス・オズマンの炎上から、主演の強制カミングアウトのような話がわんさか出てきて「知らなきゃよかった」なのか「知らなきゃいけなかった」なのかわからん。
先陣の昔
名前はようわからんが、いいお茶。30gで2000円くらい。先日購入した「小倉山」が30gで1000円程度だったから倍近くする。お茶屋のおばあさんがクフクフ笑いながら「もっとええのん飲みます?」と聞いてくる。「そんなことしたら舌が肥えて安いお茶がまずくなるじゃないか」と言うと「そらあもう、戻れませんよう。クフクフ」と笑う。
早速淹れて(点てて?)みたのだが、悪くない。美味しいっすよ。でも、これで2000円かあ。まー、前と同じくらいのやつでいいやと思って、ネットで先日買った他のお茶をその後飲んでみたら、旨味の違い、茶と空気とのインターフェイス、抹茶のバブルのシルキーさがまったく違ってた。
お茶。美味しいのを飲んでたらそれが普通に感じるが、それ以下のランクのものが「美味しく感じなくなる」の、罪な飲み物だ。
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Forever Young / Bob Dylan and The Band
神様がいつも祝福してくれますように
願いがすべて叶いますように
他の人に尽くし
尽くしてもらえますように
あなたの為すこと一つ一つが星まで積み上がり
その階段を一歩一歩昇っていけますように
いつまでも若くいられますように
いつまでも若くいられますように
正しい人になれますように
誠実な人になりますように
真実を知りますように
光につつまれますように
常に勇敢でありますように
まっすぐに、力強く
立っていられますように
いつまでも若くいられますように
いつまでも若くいられますように
いつも忙しくありますように
たくさんの人から求められますように
風向きは変わっても
ゆるがぬ地盤を持てますように
いつも楽しくいられますように
いつもあなたの歌が歌われますように
いつまでも若くいられますように
いつまでも若くいられますように
この歌は歌詞がほんとすごくて。シンプルな祈りを繰り返すだけのシンプルな歌詞なのだけれど、たくさん祈れば祈るほど、祈りの力が強くなればなるほど「そんなことありえない」という疑念、絶望も増し、祈りがそらごと、嘘にと化していく。そしてサビの
「いつまでも若くいられますように」
でそのコンフリクトは最高潮となり、だからこそ祈りが力を持つ、祈らざるを得なくなる。正しくあれ、勇敢であれ、真実の人であれ。それは難しいかもしれないけれど「あり得る」ことだ。けれども人は「いつまでも若く」いることだけはできない。どうしてもできない。
確かこの曲は歌詞にイラストをつけた絵本が出版されていたはず。興味のある人はそちらもぜひご覧になってください。
亡くなったロビー・ロバートソンの、きらめく星のようなギターが最高。
ChatGPT との無駄話を試みたのだが、何か、言葉の端々に教育的指導みたいなものが漂うのが気になる。結城浩さんみたい。(こら)
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[私] それで非常に残念なのが、数ヶ月前に、粉末ソースのカップ焼きそば(ニッシン)が廃版になっちゃったことなんだよね。今はほとんど全部のカップ焼きそばが液体ソースなのよ。
[ChatGPT] あら、それは残念ですね。粉末ソースのカップ焼きそばが廃版になってしまったというのは、ファンにとってはちょっと寂しいお知らせかもしれませんね。液体ソースのカップ焼きそばも美味しいですが、粉末ソースの特有の風味や食感を楽しむことができなくなるのは少し残念ですね。
時折、お気に入りの製品や食べ物が変わってしまうことはありますが、新たな味や体験も楽しむチャンスとして受け入れることも大切かもしれません。それでも、昔の思い出や好きな食べ物について語ることも、楽しい無駄話の一部として続けていけるかと思いますよ!
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アイデアは多次元ウェブ構造なのに、文章はリニア構造。だから問題は「いかにして多次元的に思考を膨らませ、またいかにしてそれをリニアに落とし込むか」なんだけど、その境界が難しい。使うツールで分けて作業してもいいけど、この2つのプロセス自体が、単純に「前工程」「後肯定」になっておらず、どちらからも行き来する関係なので。 #fedibird
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ぼくは「コミュニケーションツールとしての正義」とか「貨幣としての正義」って呼んでる。他につながるコンテンツを持たない人たちが特定の「政治的正しさ」という「ネタ」を仕入れることでお互いにコミュニケーションができる。コミュニケーションに必要な「ネタ」なので「見ていられない」と言いつつ「敵」の情報を大量に集めてしまい、そのことについて延々と話してしまう、語ってしまう、っていう。
別に正義が悪いってんじゃないのだが、自分たちが「コミュニケーションのために<も>正義を欲してしまっている」こと、自分たちの欲望を理解しないまま、いや、理解しないためにも「マジ」の正義に「マジ」にコミットし続けるわけだが、そのことの政治的な有害性について反省できてる人って、相当少ないんじゃないだろうか。
マジな政治を、他者とコミュニケーションして「つながる」ための極めて中心的なネタとしてしまうと何が起こるか。簡単に言うと、コミュニケーションをしにくくする、コミュニティを破壊するようなメッセージが排除されてしまう。たとえそれが正しくても、というか、正しければ正しいほどそうなる。
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それなのに「......という政治的要請から____というSNSを使う!/使わない!」ってやってるから、素直な自分の依存や中毒を認められなくなる。認められないもんだから、あれこれ理屈を出しはじめ.....
パワハラでも忍耐するしかないとか言い出しそうだな。
https://togetter.com/li/2202457
なんでイーロン・マスクのためにツイッターを良い場所にする必要があるの?
『トランスジェンダー入門』、とても良い本で、大変勉強になったのだけど、トランスヘイター支持者側モードで読むと、容易に燃料にしてしまうだろう箇所がいくつかあって心配になる。
引用するのも怖いのでしないけど......。フツーに読んでいけば、丁寧に今あるデータから定量的に言えることをきちんと紹介している&大変まともな論理を展開しているだけなんだけど、そしてその上で「風呂、トイレの話にだけ矮小化するのはやめましょう」と至極もっともな話しかしてないんだが、その手の人の気持ちになれば「矮小化とはなんだ」「大事じゃないっていうのか」ってなるわけでしょ。
もちろんその手の改心不能なヘイターはターゲット読者層ではないだろうけど、やっぱりトイレ/風呂、そして性被害というフレームは相当に強いですよね。難しい。
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みんな恋愛が嫌なんじゃなくて、一時期、あの、あんな感じで、絶対にしなくちゃいけないって言われていた、あの恋愛が嫌いなだけだと思う。
あからさまなトランスヘイターは、最初から相手しなくていいと思うんだけど、かなりこちらを理解はしているのだけれども、どうしても風呂やトイレの話が気になってしまうと言う人は結構いるみたいだ。気になること自体が差別でもあると私は考えるけれども、そうした人をなんとか説得したり、腑に落とさせることができないかと考えている。
電子書籍が普及して、上野本の事情が減ったことで、なんか最近の紙の本の出版社って、ジンやミニコミ作りみたいな感じに見える。
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市川沙央の芥川賞受賞、その後の会見やバリバラでの発言などによって、「紙の本しか出さない」の意味がガラリと変わってしまった。
「紙の本しか出さない」のはこだわりや選択なのではなく、「知ってても対応しない障害者排除」、差別になった。
なんらかの事情をつけて電子の出版が「できない」と言うことは、バスの設備を変えずに「乗りたいのなら一定条件を障害者が満たせ」と言うのと同じだ。
バスが公共交通機関なら、書籍だって公共言論のメディアだ。
※もちろん市川の前から、同じことを言い続けていた人はたくさんいたのだろうけれど。 #post
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