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Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
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本日17時から『トランスジェンダー入門』読書会します。読んできて感想や論点をシェアしあう感じです。事前予約等は不要です。飛び入りで参加OKということで。ただ、当然ですけどトランスヘイターの方はご参加お断りです。
ファシリテーションは森がやります。どなたでもスピーカーに上がっていただけますが、スピーカーに上がった=トランスジェンダーへの差別をしないことに同意していただいたものとみなします。森の独断で問題発言がある場合はスピーカーおろします。
トロッコ問題自体は、何も悪いところがなくて、哲学の議論をする上で、まぁそうした条件を思考実験って言うんですけど、作る事は別に一般的に行われていることだし、そのこと自体が悪いことではないし、もちろんその思考実験が無意識に前提しているような条件があれば、それは明るみに出すべきなんだけれども、問題なのはですね、哲学的な議論をしているように、見せかけて、単に現実の本当は対立すらしてない話をトレードオフのように言いたがる阿呆が多すぎるって言うまさにそんなことなんですよね。
現実に生きている人たちを否定するために、哲学的議論を用いてそれを合理化するみたいなインチキは否定されるべきだけれども、逆に論理的な可能性を突き詰めるって言うことを単にそれが抽象的だからって言って否定したり禁じ手にしてしまうと、結局逆に論理が痩せていくので、すぐに支配する側、差別する側に容易に絡め取られると思いますよ。そっちも危険だと思う。
トロッコ問題は、倫理の原理原則について説明したり、その問題点を考えるための思考実験なので、あって、現実的具体的な場面において使える思考の道具では無いですよね。だって、例えば実際に世代間の所得の格差の問題がもしあったとすれば、その具体的な問題に即して条件を吟味して、議論すべきなのに、いちいちトロッコ問題を持ち出してくること自体、訳がわからないじゃないですか(笑)。
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人権概念を疑うとかってのも、僕はすごく大事なことだと思っていて、それは人権概念を否定したり、今人権と呼ぶもので、多くの人たちの権利を認めている。そのことを否定するためにするのではなくて、我々が今までの歴史の中で、鍛え上げてきたそうした概念に何か問題がないかと言うことを吟味するためにやるのであって。 そこが概念の吟味のしなおし、疑うところからやっちゃダメだって言うことになってしまうと、平思考の幅が大きく制限されて。逆に非常に支配に都合の良い話が生まれかねないと思うへ。
最近すごく気になってるのが議論において、相手の前提条件や過程を一旦とりあえず認めましょう。認めて、もしそうだとしたら、そうだとしても、相手が出したい結論が導けないと言うことを言おうとしてるだけなのに、お前はそんな前提を認めるのか、譲歩するのかとか切れてくる人がいたりすることなんだよね。 条件文の前件を真と一時的にみなして思考することと、実際にその条件を飲む事は全く違うことなので。
「Aだとしましょう。それでもBにはならないですよね」に対して「Aじゃない!!」とキレてくる人が結構いる。
すべて音声入力にして見てるんだけど、全く論理的じゃないよね。話し方がね。普段はもう少し理屈っぽい喋り方をするんですけども、音声入力って途中で。とか、とか言わなきゃいけなくて、なんていうか、普通にしゃべるものでもないし、完全に文章をそのまま読み上げるのでもない。なんか変な感じなんだよね。それに慣れないといけないんだと思う。
でも今後どうしてこうかってあるよね。文章なんだけど描きたいんだけど、多分もうこれからの未来の読者は人間じゃないんだよね。人工知能なんだよ。
人間のコンテンツ生成能力が高まりすぎちゃったせいで、でも他方で人間のコンテンツ吸収力というか消費力は上がってるわけではないので、というのも、つまり1日、24時間しかないので、そうするともう上限が決まっている時間という資源の奪い合いだから。需要がないのに供給過多だから、もうコンテンツの消費自体を効率化するしかなくなる。
そうなると、長い文章はまず読まれない。正確に言うと読まれるんだけど、まずChatGPTを通して要約を作らせてその要約を 人間が読むことになると思う。実際今の時点でもウェブ記事読むと、そのほとんどがもっと短く書いてくれって言いたくなる内容でしかないので。
まず人間の時間が24時間しかない。これが変わらない。次にコンテンツの生成能力はめちゃくちゃ上がってる。1つは人工知能の活用。もう一つは入力手段の多様化。例えば今もそうしてるんだけど、音声入力とかね。そうなると簡単にたくさんコンテンツが生み出せるのに 消費できる時間は変わらないことになる。
結果、コンテンツの消費を効率化しようという受容行動の変化が現れることになる。
実際podcastなんかでも早口の人の方が人気が出るらしい。ゆっくりした喋りが今まではいいと言われてたんだけど、聞けるコンテンツに制限があるから、できるだけ早口で喋ってくれる人の方が人気があるみたいだね。 映画を1.2倍速で見るみたいな話は前からされているし、今後は文章もていうかもう今もか。ChatGPTにコピペを渡して、その要約を読む時代になってくる。
自分はなんか今の日本とか世界とかに結構絶望してて、しかも同世代の人たちにこれ伝わるのかなあと思って話してるところがある。だから、同世代に何か伝わらなくてもいいから、未来も含めてわかってくれる人に読んでもらえるような記事を書いたり、発言をしていきたいと思ってるんだけども、そのことを考えたら、未来に文章を読む人間がいなくなっていて、基本的には人工知能が読むことになってるんじゃないかと思って。 そうすると、自分は未来の人工知能に向けて文章を綴ることになるのかと思った。音声入力と人工知能を使って。
文章を読むのが直接、実は人間ではなく、人工知能だと仮定すると、人工知能にとっての読みやすさを考えることが大事になってくる。じゃぁ、人工知能にとって何が読みやすいかってことなんだけど、例えば、誤字や脱字は多少あっても、全然人工知能にとっては気にならないと思うんだよね。実際、自分で音声入力を始めた人は、他人が音声入力をした結果の文章の中にエラーを見つけてもあんまり気にしなくなる自分も気にしなくなった。
あと、人工知能にとって読みやすい文章って、例えば、箇条書きで構造を持った文章だと思う。
そもそもなんだけど、文章を今みたいな文章の形にする必要ってなくて。問題が特になくて論理関係が明確なのであれば箇条書きだったりネストされた箇条書きでいいでしょ。
逆に何かそれっぽい文章上の巧みさがあると、論理のいい加減さがごまかされてしまうから、論理的な箇条書きの方がまだその内容の要約が作りやすそうな気がするので、人工知能に読んでもらうんだったら、そんな文章のほうがいいのかもしれない。
例えば、自分は今Scrapboxって言うツールを使っているんだけれども、スクラップボックスでは箇条書きが推奨される。で、文章書くときは、この箇条書きをもとに「肉付け」して作っていくんだけれども、最終的に人工知能が要約をまとめて、それを人間に提出するんだったら、最初から箇条書きでこちらも提示したほうが考えが伝わりやすいんじゃないかと言うのがある。
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諸事情あって、今日の朝ご飯は黒毛和牛(本当)だったんだけど、もちろん、和牛は美味しくて、幸せだったが、何となく気分がすぐれずしょんぼりしていた。朝ご飯がパンの耳でこれだけテンション上がるんだったら、そっちの人のほうが絶対幸せだと思う。この人がパンの耳じゃなくて、朝ご飯で黒木和牛を食べたらどんなテンションになるのか知りたい。多分何も変わらないだろう。
ストリートファイター6ってゲームの映像。バリアフリーのために音声だけでも遊べるようにしているのだそう。これはその世界大会で全盲の人が見事勝利を収めた瞬間らしい。紙の本しか出さない日本の出版業界よりも、Eスポーツ界の方がまだバリアフリー意識が高いのかもしれない。
https://twitter.com/HiFightTH/status/1687580469934882816?s=20
原子爆弾投下の写真をニューラルネットワーク色付けって……。個人的な美意識なだけかもしれないが、とんでもなく不愉快。それをSNSに投下していいねやフォロワーを稼いでる結果になってることも。
同じ投稿してもSNSによって反応がまったく違う。現在では、Twitterでは反応がほぼまったくない。Mastodonのほうがトリプルスコア以上で反応いいときがある。
結局、拡散力だとかなんだとか。その人のそのSNS内でのプレゼンスにすぎないんだと思う。
もちろん最初は切り替えても誰も反応ないけれど、今のままのTwitterにいつづけてもジリ貧なので、移行するならとっととしておいたほうが安全だと思うんだけどなあ。
しかも、最近、Mastodonのほうがなんか昔のTwitterのタイムラインっぽくて、𝕏は下品なバズりツイート、広告のふりかけたっぷりって状態で「話にならない」感じ。もちろん𝕏しかやってない人もまだまだたくさんいるけれど。
逆に言えば、今、Mastodonで反応もらえてたところで、それはMastodonっていうプラットフォームだからってだけだったりもする。
もっときちんと残るものを書きたい、アウトプットしたいという気持ちが、マストドンの500字のおかげでどんどんどんどんわいてきた。ただ、自分は「今後人間はますます文章読まなくなるだろう」って思ってて。誰に向かって何を書けば伝わるんだ?と迷ってるところ。
noteやSubstackといった媒体がいくらでもあるので、そこで何か書けばいいやと思ったんだけど、メモやマークダウンを、向こうのフォーマットに合わせたり編集するのがめんどくさい.....。(noteはマークダウン対応だけど)
それになんか結局、いいねとかフォローとか少しは気にしてしまって。それもなんかいやだなと。ホームページつくろうかな。ブログですらないやつ。
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今のノーマスクって、予防上なんとかなるだろうではなく「コロナ」って存在はこの世からないことになってますけど!!!という積極的な強い意思表示だったりするので「いや、マジで近辺でむちゃんこ流行ってるんで今だけでもつけてや。屋内で近接やし……」と言っても言うこと聞かないのよな。
とにかくコロナは存在しない!マスクつけたらコロナがあると認めることになる。だからつけない!!!なんだよな。
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ぼくも同じで、アプリ開いて2秒でレスバでした。落ち着いて調べ物もできやしない。早速検索窓に「借金玉」と入力して......(やめなさい)
えりぞさんと借金玉さんの争いもとんでもないところまでいってたな。今は借金玉サイドがあれこれ挑発してえりぞの失言を誘ってる状態だと思うので、えりぞはここらへんで適当に矛を収めておかないと負けるよ。
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これ、開催するんで興味ある人いたらご参加ください。まあ、ただ、ツイッターでやってるんで、状況や治安悪そうなら締めたりとか全然あるので。
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ハートストッパーのエル、トランスジェンダーであるという説明が「女子校に転校した」のみ。そこがとてもいい。
いまのSNSで左とか右とか言ったとき、たんに左右っていう空間的なイメージをつくって自分の立ち位置を固めるっていう意味しかないな。自分の安定した立ち位置から見たときに偏って見えるものを左とか右とか言う。そういうことによって得られるのは、自分の足場の安定性だけど、言うまでもなく仮初めの安定性にすぎない。
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Twitter、スペースで使ってきた。読書会ということで、書籍を題材にし、話をする(今回は『トランスジェンダー入門』)。
意見が違う人や個人の考えをゆっくり聞いていきたい。SNSはどうしてもすぐにその場での「結論」を出させようとしてくる。「わからん」と言える場がない。だから「こっち」と言い切るしかなくて、全世界宇宙の前で言い切った手前、自分と異なる意見があると否定をしにいきたくなってしまう。
仮にダメな考えでも。仕方ないじゃん。時間かけて腑に落としてけばいいし、それしかないと思う。その作業を真面目にやってる人が偉いのであって、たまたま正解かもしれないけれど、他人の意見をそのまま丸写して、スマホタップしてるだけの人が偉いわけじゃない。
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