ロジックの説明はとっても大事なんだよね。問題は逆の人がいるってことだよ。そうやって誰かが流してくれたロジックを使って「殴れる他人」を探して殴るばっかしてるひと。
Your majesty, beloved, well-self-censored account is here! It's a time to say Goodbye to all Stupid residents of this Normative Society. It must be nice to disappear to live a life of my own.
ロジックの説明はとっても大事なんだよね。問題は逆の人がいるってことだよ。そうやって誰かが流してくれたロジックを使って「殴れる他人」を探して殴るばっかしてるひと。
"The Chaos Machine"読書会、読み終えた。ソーシャルメディアについて考えた半年だった。
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読書会で眠くなったので抹茶を二杯も飲んでしまい、逆に目が冴えてきてしまった。何やってるんだおれは。睾丸が痛い。
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これ、ほんとそうなんだよね。当事者にこれをやれとは言えない。いわゆるアライが、できる人が、こういうことをしていく。今までとは異なるコミュニケーションスタイルをつくっていかないと世界は変わっていかないと思うんだ。
「コミュニケーションツールとしての正義」を問題にしてる。①正義を実行しているつもりが、反対の人間にとってちょうどいい敵を供給することにしかなってない可能性がある。②コミュニティ内で異論があると、それを正義に違反するものとして罰していってしまう。
自分も昔は、何かリプライあったらそれこそきちんと応対したり、いちいち全部相手にするってしてたけど、もう何年も前からそれはやめてしまった。相手は「反応」を欲しがって挑発してきてるので。でも、こういうふうに言われたらこういう理屈で返すよってのは言うことはある。
ついでに親しげに近づいてくる人へのリプライもほぼほぼ最小限にしてしまった。SNS上で仲良くなって徒党を組むと、容易にそれが暴力へと転化する。
「この人はじぶんが間違ってたら遠慮なく、めんどくさいこと言ってくれそう」って人は安心して近くにきてもらえるから好き。
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「リアリティ」の名において写真から写真でないものを生成することを賞賛してきた人たちがあって、今回の企画があり「客観的な「新証言」」という表現がでてくる
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小沢健二『LIFE』聴いてる。
ここでの小沢の歌詞、英語は日本語に、日本語は英語に聞こえるんだよな。ワザとやってるんだろうけど「めかしこんできたパーティータイム」「君は最高のファンキーガール」「誰だってロケットがロックする」カタカナがやたら多いのだが、そのカタカナをホンモノっぽく発音しようという気がまったくない。それどころか真逆でわざと日本語っぽい発音にしてる。
他方で日本語は英語で表記できそうな歌い方で。「夕方に雨が上がったそのあとに」はyou’ve got a I me got a got so no at kneeのように聞こえる。英語コンプレックスがまったくない。日本語が自然に英語なのだ。
「ダッフルコート着た」なんて箇所がだからとても面白くて、「ダッフルコート」がどこまでも日本語、「着た」がkit a と英語のように聞こえる。
対外的なコンプレックスがまるでないんだよね。
『今夜はブギーバック』もすごい。今でこそ「歌+ラップ」は珍しくもなんともないし、なんならJ-POPの方程式でしかないが、ここでの小沢とスチャとの関係は「歌+ラップ」では【ない】。そうではなくて「サンプリングされる側+する側」なので。
「やがて夜が来て二人ベッドとびこんで」「あーーーーー君と」
の後が「ずっと眠りたい」(笑)。「寝かさないぜ」じゃなくてその逆。「オールナイトロング」で何したいかというと「眠りたい」。
なんつーか、そこまではガツガツ来てほしいけど、そこからはガツガツは嫌。その寸止め感がたまらんな。
楽しそうなファミリー、カップル、親子。いろんな人がいる夏休み。それでもぼくらは繋がってる。コロナ禍のノーマスクで。ぼく以外は。
現代って「人に対して敵意剥き出しにしたり罵倒したりバカにした言葉をぶつけていい」相手なんか基本的にいないことになってる。が、「差別者」だけは別。だから、他人のことを安全に罵倒したい人は、思いっきり殴っていい相手を今日もSNSで探してる。「やってることが正しい」からと言ってその結果、正義が実現されるとは限らないし、逆に後退するかもしれないし、動機の「後ろ暗さ」を否定してくれるわけじゃないのに。
たとえば間違ったことした子どもに、叱ってそれでもうしないようになるか?と言えば多くの人が「そうではならない」と答えるし、それでも罰を与えたり罰したりする教師や親がいたら「単なるストレス発散では」と思うのに、相手が大人の「差別者」だと同じことしてもいい、するのが効果が高い、自分に嗜虐心がないと、無条件で前提にしていいわけがない。
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アライのつもりがわざわざあちこちで不要なケンカを売って、攻撃されるのは当事者だから。でも、アライ本人は「当事者の代わりに矢面に立った」(ええことした)と思ってる。そんなことするのではなく!クッソめんどくさいけど、当事者の代わりに差別的な信念を持ってる人の話を丁寧に聞いてみてはどうか。めんどくさいし、誰も褒めてくれないし、時間かかるし、SNSではアテンション稼げないし、何かやった気には一切なれないが、そのほうが差別をこの世界から減らす一助になるのでは。
SNS上での反差別言説に限界感じてるし、Twitterはああなったので、ずっとそういうこと考えてて。昨日、田淵さんが紹介されてたので『ポリティカルコレクトネスからどこへ』を読む。
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トランスに対して差別的な言動する人をヘイターとし、自分たちフェミニズムとは別のものとして措定することで「何をしているか」。こんなこともSNSだと解像度が潰れてしまって語れない。
最近Amazonのレビューにやたら「日本語が読みにくい」「日本語がひどい」のようなコメントが増えてる気がする。言われて本を読むと非常にわかりやすい日本語で書かれていて、要は単に「少し複雑な日本語が読める人が減ってる」。
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『ポリティカルコレクトネスからどこへ』おもしろい。
なんていうか、やっぱり本だよな。SNSは投稿自体は流動的で話題が毎日変わっていくのに、論旨や問題理解は深まらず、常に同じところをぐるぐるする固定化になってしまう。
ポリコレかポリコレじゃないかで話がすすんでしまうというか。ポリコレって何だった?とか何でありえるのかみたいに落ち着いて考えないというか。
MastodonだってTwitterみたいに政治で怒ってる人ばかりになったし、怒るのはいいけど、毎日そればかりを見ていたいとは思わない、Twitterも確かに環境悪いけれど、リストで見てるからそっちのほうが快適だったりもする、結局、どうカスタマイズしていくかではないかって話を聞いて、なるほどなーって思ったんだけど、たぶん次にイーロンが壊すのがリスト機能だから安心できないなって思った。
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読み途中なのにあれなんだけど『ポリティカルコレクトネスからどこへ』ではポリコレの効果の一つとして「議論を止める」可能性について言及している。議論はセッティングによっては当事者を痛めつけ差別し、疲弊させることになりかねない。とはいえ「議論を止める」ことの問題点についても同時に書籍では触れていて。ここらへんについて、SNSのユーザー交えて考えたいな。
どーーでもいいことやむしろ有害でしかないことが、10000人のアホに不正確に伝わるよりも、誠実に思考できる人1人に高解像度で伝達されるほうがどう考えても価値あるしな。
複雑な日本語が読めないのは悪いことではないけれど、それを著者の日本語が悪いとか翻訳が悪いと言ってしまうのは、読者がバカになったからだろう。自分のバカさを認識できないバカ。
本日、2023年8月23日(水)19時から中津ぱぶり家で「いまの世を生き抜くための勉強会(いま生きぴょんぴょん勉強会)」をやります。どなたでもお気軽に。詳細は下記参照。
https://www.kokuchpro.com/event/491a29b1fcaac28da8a604b49219fffb/
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藤本タツキ、単にコマごとにどう展開したら意外性あって引っかかるかしか考えてないもん。だから「何かありそう」なんだけど「何もない」。これが良さでもあるしつまんなさでもあるなと。
実は自分が藤本タツキとスタイル似てると思ったのが『ハンチバック』なんだよね。一文一文捻って落とすツイスト文法。でも、ハンチバックは(社会モデルとしての)障害と、障害が「可能にしている/不可能にしてる」コミュニケーションというテーマが一本、ビシッと決まってる。
だから市川沙央読んだ後に藤本タツキ見るとなんかいかにも中途半端というか「だから何」ってなっちゃうんだよね。しかも最近、みんなあの藤本的な捻りに慣れちゃったでしょ。だから意外性を狙っても「藤本らしいなあ」で終了してしまう。
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てか、noteについて文句言ってた人、不買運動してた人、noteの記事だからいいこと書いてても読まないと言ってた人たち、今、フッツーーにTwitterしてますからね。ぼくはそこ、すっごい気にしてて、自分の一貫性のなさわかってる?単なる中毒やで?と言ってる。
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ぼくはブログの時代は来ないと思ってる。理由は単純で、みんなもう文章長いの読まない、読まなくなってる。
なんかそんなことも少し意識にあって、ブログやホームページではなく、Scrapboxの公開プロジェクトにして、記事も書くけど箇条書きでもええやんってしてる。
箇条書きはツイート維持ブログ未満かなと。でも文章にすると、解読に時間かかるんだよね。自分が後で読み直すときにも時間がかかる。もうそんなことする時間やアテンションがこれからの人類には残ってないと思うな。
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そもそもnoteがダメだからnote使うのダメとかいうのも短絡的でしょ。むしろnoteでnoteがいかにダメかとか、あいつらが嫌がりそうなポリティカルな話題をガンガンやってくほうが運営からしたら嫌かもしんないじゃん。
自分はnote、Markdown対応してていいと思うし、今後も使うかもしれないけれど、なんかあそこの読者が「Twitterとなんだかんだで層が似てる」感じでなんか嫌になっちゃった。
文章書く時、箇条書きのアウトライン書いてるんだけど、もうそれをそのまま公開したほうが話早いんじゃないか?と。仮にこれに肉付けして文章作ったとして、もうそれを人間が読まないもん。おそらくChatGPTが読んで人間に「要点は以下の3点です」とかいって箇条書きで伝えるんで。
むしろ定点観測的な、「動かない」楔としてMastodonのようなサービス使って、それを組み上げたアイデアを載せたScrapboxは常に動きつづけて変わり続けてくようなイメージかなと思ってる。
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使えば使うほどいいサービスなんだよね。Scrapbox。あとGyazoのOCRの取り回しの良さがヤバい。
そら、Twitterにはフォロワーたくさんいるもん。「ネタ」になる問題も毎日ひっきりなしに流れてくるし。やめられないよなってだけでしょ。
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書籍刊行イベント、まったく惹かれないんだよな。いちいちその場に行ったりしなくても自宅で寝っ転がりながら、かいつまんで一番わかりやすい形でこちらのペースで言いたいこと理解できるツールが既にあるんだもん。本って言うんですけど。わざわざ著者がその手のイベントやってくれるのは、話題作りや売るため(悪いことではない)だからであって。
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フェディバース以外に答えないよね。だって、どこかの企業の囲い込みプラットフォームなら原理的にイーロンマスクが何でもできるので。最悪自分でサーバホストできるようにしとくくらいしか対策なんかないので。だから自分は今の段階でフェディバースに来ない人ってのは「全然そういうとこに意識ないのに、商品化したプラットフォームや商品化した言説に乗っかって平気な人」だと思ってるので。その問題意識で何言われてもなーっていう。
本書けるだけでなく、べしゃりが上手い人や、それこそ「人前で登壇できる」ある種の特権性持った人のほうが本を売りやすい。そういうシステムの強化でしかないじゃん。でも、本書く人がみんなそんなの得意なわけじゃないし。今、イベントしてる人って、それでもその特権性を活かして何とかメッセージを伝えなければ、みたいな善意から戦略的に動いてる人も少なくないとは思うけど、根本、あんまり好きじゃない。それに地方に住んでたらそんなのに顔出すの無理ゲーだもん。
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自分はとにかく今、何でもかんでもMacのメモに書いてる。後から見返して一部をScrapboxに移動、としてみた。
こう言っちゃなんだけど、ブログ。書けないでしょ。みんな。文章の構造化に慣れてない。だからブログより少し前、「ツイート以上ブログ未満」で公開できる仕組みで、構造化する直前のパーツまで組み上げとく感じがいいんじゃないかと。
昨晩、田淵さんの投稿見て「あ、今こそ読んだらいいのでは」と今朝思い、朝ポチッて読了。この利便性に紙が勝てることなんかあるのか?MacBookで読んでるから、ポモドーロの時間計測から、メモからすべてMacだけで済んでしまう。
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SNSはアルゴリズムによってアテンション獲得に最適化していってしまうんだけど!そもそもの指標として「アテンション」を持ってくること自体が間違いだし、「SNSの株価」だけを考えた部分最適でしかないんだよな。ある程度以上のアテンション獲得はむしろ有害。人間から必要以上にアテンションを奪わないコンヴィヴィアルな情報環境こそが求められてる。
ブログ書いても誰も読まないんで続かないよ。報酬ないのにコストだけ高いんだもん。だったらMastodonとかでいいからたくさん投稿する。それらをネタとしてストックしてく環境にしていったほうがいいと思う。まずはnotestockに登録するといいのでは。ブログ化の前に書いたおもしろいネタの散逸を防ぎ、ストックして組み合わせる仕組み構築したほうがいい
ブログって、そもそも「ホームページやテキストサイトみたいに気合い入れなくてもたらたらと好きなこと書けば?」ってところからできたものなので(私の認識)、それ以上に気合いの入らないマイクロブログある今、わざわざ誰もいないそんなとこに戻りにいかないんじゃないかと。
SNSでもどうせリンク貼って知らせるのだし。ブログ=SNSの文字数におさまらない話みたいな感じになってる。
あと、デザインや体裁気にしないでページ公開するだけなら、Simplenoteおすすめですよ。Markdownさえ覚えればページごとに公開できるし、画像も挿入できる。手元にテキストファイルが残るので保存性も悪くないし。
Twitterがダメだからブログに戻るんじゃなくて、Twitterで出されてるような豆粒のアイデアや想念をブリコラージュして、どのように知識として組み上げて共有してくか、みたいな発想が「正解」なんじゃないか。
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まずそもそもSNSにせよ、ブログにせよ、素人の情報なんかあんまり要らんのよな。それでも必要な部分って、一般的には流通しにくいマイノリティの発信だったり、あとは「情報にランダム性を入れる」ためたったりする。自分以外のトピックや情報チャネル、検索ワードを仕入れる感覚。でもそれは全体の自分の情報環境のうち、1割か2割程度でいいわけで。
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情報はむしろ多すぎるし、あれもこれも追っかけすぎなんだよな。結果、皆で同じ話題をおっちゃってるでしょ。すっげー無駄なことしてる、ある意味では。
気になるかもしれないけど、基本的にほとんどの話題は「今」取り組むべきことではないので「後で読む」に寝かしておけばいい。あとでよむを後で読むと「別に読まなくていいな」と思うものがほとんどだよ。
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今までの人生振り返って、「ウヒョー最高に幸せだ」と一番印象に残ってるのは2015年に行ったフーコック島の東岸のビーチなんだよな。灼熱の太陽のもと、欧米人の海の家主人と世間話しつつ犬と遊びビール飲んでチャーハン食った。
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500字くらいならMastodonで書けちゃうしね。わざわざバラバラにブログを書く必要がない。ブログは今じゃ、近所に誰も住んでない一軒家みたいなもんだ。
Mastodonなら500字書けるし編集もできる。文字の装飾や構造に時間をかける必要もない。これはこれでよいのではないか。問題はこれだけだと「流れていってしまい見返さない」。それと「構造化がなされてない」。だから投稿したものの中から適切なものだけ拾って別の場所にきちんと置き直してあげればよくて。ObsidianだとかScrapboxだとかその手のツールはいくらでもあるのでそうしたらどうかなと。
ブログの何が嫌がって、装飾とか気にしなくちゃいけない、気になってしまい、文章書くのに集中できないとこ。エディタで書いたらそのまま投稿したい。それ以外のことは考えたくない。
Scrapboxは調べてみたらユーザーCSSもいじれる(見た目や色のカスタマイズが結構できる)し、ブックマークレットとかで情報収集めちゃくちゃしやすいので、他人の投稿もパカパカ入れてこうって思ってる。
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なんか今、自分が過去書いたものに救われてるんだよね。あー、そういう熱いこと考えてたのかあとか。楽しそうなことたくさん考えてる。自分のためになんかしておきたいよね。あとアウトプットって楽しいから。
私は「取り戻す」ためにあれこれやりたくなってきてる。だから意識覚醒したいって人に「効く」ことがどんどん言えればいいと思ってて。そうじゃない人のいいねとかシェアとか数えてない。いいねとすら思ってない。「ほぼ誤タップ」って呼んでる。
先週に流れてた「X(旧Twitter)と同等規模のアクセスをさばけるMastodonインスタンスを100分の1のコード量で作成したエンジニアが登場」の分散ストリーミングアプリ開発環境 RAMA の実装が公開されたようで。
概要解説のスクリーンキャスト付きとか親切。
https://twitter.com/nathanmarz/status/1694046536861368594
--
https://gigazine.net/news/20230818-reduce-cost-mastodon-rama/
ぼくは藤本タツキの漫画、好きですよ。おもしろい。ただ、彼、漫画の中のキャラクターがそういうこと言ってるんだけど、「面白ければ何してもいいんだよ映画は」と。この「映画」を「漫画」に変えたらそれが藤本の漫画観だと思うんですよね。
何してもいいって無茶苦茶な……と思うかもしれないけれど、これは「映画ではそうだけど現実ではそうではない」「そうしてはいけない」という意味で自分は解釈してる。本来であれば創作物はおもしろければいいはずなんだけど、藤本にそんな漫画を描かせて安全と言えるほど世の中の治安がよくない、政治的不公平がひどすぎるのだと思う。
Meta、ウェブ版「Threads」を数日以内に公開することを発表║CNET Japan
https://japan.cnet.com/article/35208127/
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twitter→X対応、アイコン変えるだけならともかく、"twitter" という文字列を "X" に変えてしまうともうソースコード上で grep できなくなってしまうのでキツいよなぁ
トマト塩らーめん。『アキはハルとごはんを食べたい』で紹介されてたので。作り方は違うけど。皮を剥いたトマトをごま油で炒めてとっておく。札幌一番塩らーめんとレタスを茹でる。後から上からトマトを入れて、黒胡椒ふって完成。おいしい。 #BLめし
マンガを長時間読んでも疲れない? 手の届く価格まで降りてきた 「カラーE Inkデバイス」最新機の実力║CREA
https://crea.bunshun.jp/articles/-/43622