雑誌というスタイル、現在のインターネットにおけるテキストの永続性が完全に怪しくなってきているので再検討されてほしいが、ビジネスとしてはもう死に体になってしまった。小部数でも無になるよりぜんぜんいい。
雑誌というスタイル、現在のインターネットにおけるテキストの永続性が完全に怪しくなってきているので再検討されてほしいが、ビジネスとしてはもう死に体になってしまった。小部数でも無になるよりぜんぜんいい。
そもそもアートやデザインが学校のような教育システムによって教育できるのかっていう問題があるけど、実際に教授からは受け取ることができるものってたぶんほとんどなく、むしろ対立するほうが通常なんだとおもう。むかしのような師弟関係みたいなものにならないから、非連続性があり、それを埋める装置として学校では歴史が必要になってくる。などというようなことを思った。
@derelictio わたしの場合はほぼ論文を書きたくて進学しようとしているのですが(ひとりで論文を書いたところで然るべき場所に展開されなければ無意味なので)、論文が意味を持って読まれる場を獲得するために数百万かかると考えると、なかなかすさまじい価格だなと感じております笑
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BT まさにそれこそが問題で
すべて単一の行政システムにのっているわけじゃないから、行政がわで単一のルールにそった情報の表現を強制するわけにいかず、結果としては多様な表現が維持される。
人間は、郵便局が提供する配送システム上の情報と、総務省が提供する行政管理上の地理情報を区別できない。郵便局の住所情報は行政システムではないのに、慣習的には通用してしまう。行政的には扱いが難しいポイントだとおもう。
そもそも住所ってのは領域をいかに切って同一視するかを問題領域に含むのだから、ポイントしか指せない座標なんて使ったら却って正規化がダルくなるのは明らか
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ジンカルチャー、ちょっと前に読んだ思想の2023年3月号がおもしろかった
https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7022