飲酒運転の場所の道路の車載動画見つけた><
"Hartshorne Drive (Sandy Hook, NJ) northbound" を YouTube で見る https://youtu.be/TV5TPASW3Cc
ニュージャージー州版 海の中道みたいなところ>< 場所もカコイイし一応Born to Runで歌われてる地域内と言える範囲かも><
飲酒運転の場所の道路の車載動画見つけた><
"Hartshorne Drive (Sandy Hook, NJ) northbound" を YouTube で見る https://youtu.be/TV5TPASW3Cc
ニュージャージー州版 海の中道みたいなところ>< 場所もカコイイし一応Born to Runで歌われてる地域内と言える範囲かも><
日本に置き換えたら71歳になった尾崎豊がバイク盗んで逮捕された感じ?><
って書くとかっこ悪い不思議><
建前: ダメじゃん><
本音: むしろカコイイ><
ブルース・スプリングスティーン 飲酒運転で逮捕されていた - mashup NY http://www.mashupreporter.com/bruce-springsteen-arrested-for-dwi-in-new-jersey/
WEB特集 静寂の街 消えた“耳印” | 新型コロナウイルス | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210212/k10012862391000.html
オレンジは「街の音の博物館作りたい><」ってかなり前から何回も書いてて、それは単に資料保存(と個人的趣味)としてそう考えてたけど、この記事読んだら「あ!>< 街の音の保存って、目が見えない方々にとっては街の写真が保存されるような事になるのか!><」って思った><
玉石混淆はいいけど、それらが検証される状態におかれなければ有用な情報としては使用できないし、単に口が上手い人が支配するものになってしまう><
(clubhouseとかログが残らない系のが危険なのもその点><)
だってねぇ……
未確認飛行物体を宇宙人の乗り物と決めつけるつまらんヒトたちなんですもの
インターネットは光と闇が共存するアナーキーな空間でいいのかもしれないね
Qの付く系のサイトですらも平等にヒットするのはインターネッツにおいてはむしろ美点と捉えるべきか?
玉石混交、満遍なく混ざった情報の濁流が流れる光景こそがインターネットのあるべき姿とするなら……
Clubhouseがスマホ内の連絡先にアクセスして招待を促すことの問題点とは? - GIGAZINE https://gigazine.net/news/20210212-clubhouse-phones-contacts-access/
Black Doctors Work Overtime to Combat Clubhouse Covid Myths - Bloomberg https://www.bloomberg.com/news/articles/2021-02-11/black-doctors-work-overtime-to-combat-clubhouse-covid-19-myths
ていうか、筑豊電鉄(最高運転速度60km/h 表定29.1km/h)も入れたらまるっきり違うイメージの記事になるんでは?><
福岡市営地下鉄2号線の表定速度28.2km/hよりは上だし><
ていうかそもそも「路面電車」と「LRT」は同じものではないし記事中で広島電鉄を出してるけど、なぜか都合よく路面区間のみで話してる><
This account is not set to public on notestock.
CNN.co.jp : 飼い猫の獲物捕りを減らす方法、英大学の調査で判明 https://www.cnn.co.jp/fringe/35166426.html
「宇宙人の船は地球を訪問済み」 米ハーバード大の天文学者が新著 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News https://www.afpbb.com/articles/-/3330704
November 7, 2018
‘Oumuamua, oh my! Was interstellar object actually an alien solar sail? Not so fast https://www.yahoo.com/tech/oumuamua-oh-interstellar-object-actually-225825249.html
あらゆるオレンジが絡む議論、だいたいオレンジがやめないと止まらないじゃん?><;
なので毎回「また安眠妨害やっちゃった><;」って自己嫌悪みたいな感じになりつつ朝方にやめてる><;
じゃあ最初から
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/105714306850478900
こういう風にまとめて説明すればいいじゃん><
トロッコ問題みたく解説されても受け入れられない人が多く発生する問題と違って、全体的な説明を最初からされたら、そりゃそうだそれでどうしたで済んじゃう話だと思うよ><
そんなこと言われても、非の打ち所のない論理を勝手に誤読する人までいるのに面倒見きれないですよ……
それこそ「万人が誤解しない文章を書けるし、あらゆる人類はその技能を持つし、万人がそれを正しく理解できる」と考えるのは人間に期待しすぎとしか。
そう読めなかったことを騙されたと言われても……困りますよ
最初からこの説明をしても「いやそれはおかしい」となるのであれば、なんらかのパラドクスかもしれないけど><
前提を誤解させなければ結局こうなるんでは?><
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/105714306850478900
そもそも嘘が人を騙すロジックも真実が人を嘘から覚ますロジックも同等に「考えを変えさせる」わけで、じゃあそれらのどこに違いがあるのかというと「矛盾を抱えているか」とか「前提を無視して結論を認めているか」とかでしょう。
それらを無視して論法だけ論うのは、それこそイメージ戦略というか議論の態度ではないのでは
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/105714037697695272
そもそも既に矛盾を抱えていて、それに気付かないのは矛盾を導出するまでの論理的な道筋が長いからなのであって。
それを簡単に説明したとき「いやそんな馬鹿な」と思われて詳細に説明すると「ほんまや!なんてこった!!」と思われたとして、後者は「うまく騙した」扱いになってしまうんですか。それは明らかに「考えを変えさせる (あるいは先の orange 氏の言を引用するなら『曲げる』) ことを良しとしない価値観が暗黙に適用されているでしょう。
私はその価値観に賛同しません
その内的矛盾を自覚させて考えを変えさせるのが「啓蒙」なんじゃないんですか。
「既に抱えている矛盾に気付かない」ことを「騙されていない」と表現するのには納得がいきませんね
1兆歩譲って、苦痛はの説明に未定義部分がないとして、その上でその説明を聞いた時の反応と結論を聞いた時の反応が異なり(矛盾が生じる)のであれば(であるから話題になってるんだよね?><)、単にうまく騙せる説明(「苦痛は」の説明)を用意したってだけの話かもって言いたい><
前提の否定を迂遠にやってのけるのはナンセンスですよ、前提が端的に明示されているんだから個別に否定しないと。
変わりませんよ。もちろん前提を無視しない限りでですが (なぜなら議論は前提のもとに成り立つので)。
「人生に苦痛が存在するのなら (そして他のいくつかの前提を認めるのであれば)、あらゆる全ての場面で人間を誕生させることは不道徳である」は言えるでしょう。
前提を否定したいのであれば「人生に苦痛が存在しないしそのリスクも不安もない」とかそういう否定をちゃんと出してくださいと
ということは、反出生の話でも「あらゆる全ての場面で」って言葉をつけて熟考させても答えは変わらないとなるんでは?><;
はい、変わらないので「何回同じことを言わないといけないんだろう」と思ってました……
念押しされても変わらないのであればさっきの話も(念を押して熟考させようがしまいが)変わらないのでは?><;
実際にテクニックとして使っているように見えたからです
そもそも論理的には束縛されていない変数に暗黙に ∀ が付くのは当然なので、念押しされても何かが変わりはしない
なんで?>< テクニックとして使えることは否定しないけど、明示してより厳密な話にすることよりも前提や定義が噛み合わない曖昧な議論の方がいいと?><
当然そうです
そもそも「あらゆる場面で」と明示するのは、たとえ内容に意味的な/実効的な変化がなくとも人間に躊躇させる効果があるので、それこそ「人を (逆方向に) 丸め込むのに使える」議論テクニックで忌避すべきものでは?
だから、そもそも「道徳的に『よい』ことをあらゆる場面で行うべきか?」というのは別の話だというのも既に言ったはずですが
あらゆる場面で適用できるか?という形式になっていなかったので気づかなかっただけでは?><
ようは曖昧に騙しやすい形で説明を用意し、それに同意させ、その時の想定とは異なる結論に導く><
詐欺のテクニックかも><
それも私は「多くの人」が内的に矛盾を抱えた論理を意識的/無意識的に共存させていると考えている」と回答したと思いますが。
人々が納得しないことは論理の妥当性とは**何の関係もない**。
反出生の話も、「あらゆる場面で他人に苦痛を与える事は非道徳という考え方の延長であれば、出生により生まれた人がなんらかの苦痛を得る可能性を考えると、出生は非道徳的ということになってしまう」って最初からまとめて話したら「それはそう。わざわざ書くべきようなことか?」となるんでは?><
可能でしょうし、誤解が生じやすかろうが生じにくかろうが「これは正しい」「これは誤り」「これは正しいか誤りか現時点では示せない」に収まるでしょうよ
それは書き方の問題であって命題の妥当性についての問題ではない
誤解もクソもないんですよ、数学は前提が矛盾していると (少なくとも古典論理では) 任意の命題を導出できるのでそれだけのお話だし、ある命題を公理に突っ込むとき肯定しても否定しても矛盾が生じないこともある
数学でも同様に、一見正しい誤解させる設問があれば同じことになるんでは?><
具体例を出せるほどの数学の知識無いけど><
いや本当に言葉が悪いのは承知の上ですが、「前提から結論が導かれる」という話に「危険である」とか言われても……いやそれ内容と関係なくて余計なニュアンスを読み取ってしまっただけでしょと……
「xが整数でないなら x*2 が偶数とは限らない」には全面的に同意しますが、「『xが整数なら x*2 は偶数である』はxが整数であると誤認させようとする危険な論法であり云々」とか言われても……それは被害妄想でしょとしか……
前提を「誤解させてる」という発想は「前提を勝手に普遍の真理であると認めさせている」という、言ってみれば被害妄想から発生してませんか?
「xが整数ならx*2は偶数である」に「xが整数だと誤認させている」と言われても……という感じです
具体的な状況を与えて答えが変わるのは「抽象化された考えに具体例を代入したら矛盾に気付いた」というだけの話で、反出生主義が妥当かどうかには関係ないですよね。勝手に前提を誤認していただけで本人が内的に気付かず抱えていた矛盾の問題じゃないですか
当然ではないと受け止められる設問であるからこそ、具体的な状況を付け足したりするだけで答えが変わるであろうと推測できるんでは?><
「みんな反出生な考えなのはご存じの通りですが」みたいな話なの?><
一見するとおかしな結論に見えるところに導かれるからこそ話題になってるんでしょ?><
え、限定がなければ「あらゆる場面で」は当然じゃないですか?
「他人に合意なく苦痛を与えることを避けるべきという考えは『あらゆる場面で』道徳的か」でyesであれば成立するかもしれない><
そうなっていないので成立しないと言ってる><
一致しないですよ。
で、そのうえで私は最も「人々にとって過酷な (であると orange 氏が想定して用意したであろう) 選択肢への答がごく自然に yes であるという前提とその妥当性を表明しただけです。
yes であると思わない人にとって反出生主義の導く結論は意味を持たないでしょう。
最初から「結論は前提が成り立つ場合にのみ意味がある」と言ってるんですが
逆にしたからやっていけば「いいえ」になるひとが多いであろうけど(実際はわからないけど)、
その上で、最初の設問は「出来る限りそうする」とか「最大限」というような定義を含まず、もちろん出来る限りというような言葉を含めても個々によって想定する状況が変わるのであって、一番上の設問の定義は一番下の設問の定義には一致しない><
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/105714127986101118
「多くが一貫して同意する」の意味がよくわからないけど、「これらの前提に同意する人が、矛盾した考えを自覚して修正できるだけの度胸を持っているならば、反出生主義に妥当性を見出すであろう」とは思っていますよ
「他人に合意なく苦痛を与えることを避けるべきという考えは道徳的か」→そうです。
「なにがあろうとも必ず避けるべきという考えは道徳的か」→「なにがあろうとも必ず」が暗黙に「別の苦痛を与えることになるとしても」を含んでいるのでナンセンス。
・「別の苦痛を与えることにならないならば何があろうと必ず避けるべき、という考えは道徳的か」→はい
・「どう足掻いても苦痛を与えることになる場合、苦痛を与えることを避けるべきという考えは道徳的か」→実行不可能だが、はい。
「他人に合意なく苦痛を与えることをなるべく避けた方が道徳的か」→はい。
「これから生まれてくる全ての子供のあらゆる苦痛をも含む全ての苦痛は、出生を避けた上でも避けるべきか?」→はい。反出生主義の論理展開でそもそもこれが前提になっています。ちゃんと読んでください
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/105714067893594924
これをもう一回引っ張ってきて
「他人に合意なく苦痛を与えることを避けるべきという考えは道徳的か」
「なにがあろうとも必ず避けるべきという考えは道徳的か」
「なるべく避けた方が道徳的か」
あとこれも、
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/105714049429108142
道徳的って言葉に変えたら、多くが一貫して同意するとでも?><
反出生主義が言っているのは「人間を誕生させることが (道徳的に) 悪いことである」だけですよ
そこに勝手に外部から「社会の維持のために人間を誕生させることが必要である」とか「社会の維持は必要である」とかの別の前提を加えて錬成すると「人間を誕生させることは必要悪である」は出てくるかもしれませんが、それはもはや人間を誕生させることの道徳性とは別レイヤーの話ですよ
反出生での「他人に合意なく苦痛を与えることを避けるべきか」に関して、「時には必要である」が成り立つの?><
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/105714067893594924
「べきか」という言い方が義務感を醸しだしていてアレですよね。語法の問題っぽい。
「他人に合意なく苦痛を与えることは (道徳的に?) 悪いことである」と「他人に合意なく苦痛を与えることも (時には) 必要である」は両立しますよね。必要悪という概念がある。
「他人に合意なく苦痛を与えることを避けるべきか」に関して「必ずしもそうではない」と言うことに気づける・・・実験じゃないけどなんだろう?><; であり、
「なにがあろうとも必ず避けるべきか」にしたら結果が異なるであろうし「なるべく避けた方がよいか?」程度であれば、他に優先すべきことがあれば問題ないってことであり、反出生の根拠になら無い><
これはそもそも「他人に合意なく苦痛を与えることを避けるべきか」が誘導尋問的な側面を持った設問であるからなわけで、
逆に「これから生まれてくる全ての子供のあらゆる苦痛をも含む全ての苦痛は、出生を避けた上でも避けるべきか?」という質問にすれば簡単に「いいえ」にひっくり返るかも><
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/105714012160906487
これ、そもそも人々が論理的に一貫した信念や観念を持っているという想定のもとで成り立つ反論だと思うんですが、そもそも私の立場としては「人々は『他人に合意なく苦痛を与えることを避けるべき』に賛同するだろう」かつ「人々は『反出生主義が導く結論』を (誤ちを認めたくないがゆえに OR 子供を生みたい欲求がゆえに OR 社会の維持を優先するがために OR some other reasons...) ゆえに認めないことが多いだろう」という考えなので、べつに人々が矛盾する思想を同時に持っていることが反出生主義への反論の根拠となるとは全く考えていないです
「他人に合意なく苦痛を与えることを避けるべきか」
に多くの人は同意しないと考えてる?><
その上で、反出生主義の発想に多くの人は同意すると考える?><
「他人に...」に同意した者のうちどの程度が反出生にも同意すると考えてる?><
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/105713980955009295
その「反対者じゃないのに反対者として同意させられたみたいな状況に陥るかもってことであって」というのが元の主張への反駁になっていないのにあたかも元の主張が成立していないかのように言われているのでよくわからんとなっています
未定義部分の活用により飛躍の部分も許容するなら、ワクチンの推奨が非道徳とかそういう強引な展開も受け入れればいいし、オレンジは別に輸血やワクチンを許容しろとは言ってない><
例に出したのはもしあなたがワクチン反対者とかじゃなければ、反対者じゃないのに反対者として同意させられたみたいな状況に陥るかもってことであって、別に「ワクチンは悪!」とか「輸血したら地獄に落ちる!」って元から考えてる人にはあんまり意味無いたとえかも><
Fediverse日本語圏のオレンジの観測範囲ででそんな電波(><;)あんまりみないので、使える例かもって出したわけで><
「輸血をしないことは悪いとでもいうの? (そうじゃないよね)」とか「ワクチン摂取強制は悪いということになってしまうよ? (そうじゃないよね)」とか「意見を曲げられてしまうよ (よくないよね)」とか。
つまり、そもそも orange 氏が「これはよくないでしょ?」と主張しているソレが「(語の辞書的定義的に) よくないものだから」という理屈に支えられているように見えてるんですよね。
なんでそれが良くないんですか? の部分がいまいち説明されているように見えない
悪かどうか別として、フェアでは無いかもなのと
騙すテクニックなので、それにより自分の意見を通しそれにより不利益を被る者にそうと悟られず同意させることが、悪かは別として、不利益を被る可能性を知ることは、不利益を被りたくないのであれば有用かも><
それ意見を「曲げる」の語の部分にトリックがあるだけですよね。
現実として起きることは「本人の中で成立している論理と異なる、本当は適用不可能な導出規則を適用することで、関係ない/競合する結論を導く」とか「本人のなかで矛盾に気付かず両立していた結論を否定された」かのどちらかなわけ。
前者ならその適用不可能な導出規則を指摘して否定すべきだし、後者なら矛盾を認めて意見の体系を整えなおすべき。
「『意見を曲げる』ことが悪である」という暗黙の前提はそもそも真ではないのでは?
つまり「苦痛は避けるべきか」みたいな単純なようで意見を曲げるテクニックとして使える設問に安易に答えると、意見を曲げることが容易くできると言うことを明らかにできる実験であれば、他の似たような場面で丸め込まれる危険性を浮き彫りにするものとして使えるかも><
主義ではなく思考実験の題材であれば「苦痛は避ける方がよい」部分が強引なこじつけで実験する上での被験者がどう騙されるか? を見る部分に収まるので、誤りに気づけるかも><
ある主張が主義であるかどうかで何か違いがあるんですか?
反出生主義を主義ではなくトロッコ問題のようにして、「いかに 苦痛というものの定義やそれを避けるべきものであるかという点 について、多くの人は自己矛盾がある」かもしれない思考実験の題材として使うのであれば、オレンジ的にはあんまり文句無いかも><
そもそも不道徳に「人でなし」とか付けちゃうの、完全に orange 氏の方が詭弁を使っているようにしか見えないんですが……
あーハイ
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/105713784093099624
これは私がちゃんと読めてなかったですね
「ワクチン摂取を強制するのは不道徳である」は言える。
「ワクチン摂取を推奨するの不道徳である」はこれだけでは言えない。
「不道徳が人でなしである」はそもそもそれこそ論理破綻なので論外。
じゃあ逆に聞きたいんですが、「ワクチンの副作用は重大でなければ避けなくてもよい、よって強制できる」という理屈なら成立するんですか?
副作用が重大であるか、避けるべきであるかはワクチンを受ける当人が自己決定できるのが個人レベルでは望ましい形ですよね。
そもそも苦痛が何を指しているのか、適用範囲はなにかを明かさず合意をとって、または合意があるかのように見せかけて、
「ワクチンの副作用は重大で必ず避けなければならないもの」という合意されていない合意をとりつけて、
不利益が何を指すのか明かさず、「不利益を被る可能性がある状況を作ることは強制である」という合意をとり、
それをもとに、ワクチンを推奨することを不道徳なものであるとする
という飛躍に論理破綻が無い?><;
元の主張で使われていない前提を勝手に暗黙に導入されても困りますよ
そもそも公共の福祉が個人の権利の制限を正当化する理屈であってそれを我々が (部分的かもしれないが) 受け入れているところからして、「人権を尊重すべきである」という道徳が常に例外なく履行されるべきであるという主張をしていない人が多いことはわかりますよね。
であれば、「○○は道徳的である/ない」という主張を否定するために orange 氏の論法のように「『常に○○すべきである/ない』はおかしい」という理屈を出すのは反論として成立していない
よくわからないけど、これを使えばワクチン接種を推奨する人を非道徳な人でなし扱いできるよ><
もちろん論理破綻してるけど><
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/105713755669187176
「苦痛を与えないことが道徳的である」から「苦痛を与えることが矯正されるべきでないという合意が得られた」の間に、暗黙に
「道徳的な行動を常にとるべきである」
という前提が隠れてますけど、これが明示されていないだけですよね
他人に苦痛は与えない方が道徳的である
↓
はい (オレンジは、どういうテクニックか知ってるので「いいえ」)
ワクチンには副作用があるものもある
↓
はい
ワクチンによる副作用は苦痛である事がある
↓
はい
何らかの選択を行ったことで不利益を被る状況を作り結果的に選択肢を選ばせる事は強制であることもある
↓
はい
「ワクチンは強制されるべきではないという合意が得られた」
みたいなテクニック><
もうちょっと構造を合わせてもらわないとわからないです、全然関係ない主張に見えるので
これって例えば「地獄へ行く事は苦痛だ」で同意させて宗教的な主張を認めさせる事(合意があったかのように展開する)にも使えちゃうのでアレかも><
苦痛が何であるかは関係ない議論で苦痛の内容を具体的に定義しないといけないんです?それはおかしくない?
オレンジはなるべくそういうテクニック使わないように気を付けてるけど、あとから読み返したら自然に使っちゃってて「あ><;」って事もあるし、相手があまりにも議論出来ないタイプの場合には、てっとり速く議論を終わらせるために意図的にそういうアンフェアなテクニック使うこともまれにあることはある><;
つづき
「あらゆる苦痛は避けるべきである」のであればそのためにはって話であれば、ゴールがあるかも><
あらゆる苦痛を避けるように考えれば良い><
ただし提案者が言う『苦痛』が何であるか明かさずにいたり、それが避けるべきということに既に合意があるかのようにしてしまったら、思考実験としても意見を集め精査する議論としても役に立たないかも><
なにかを買うべきものと錯覚させて売る宣伝の場面などであればかなり有効なやり方かも><
だからなおさらゴールが何であるかを明らかにしないと無意味な議論になっちゃうし、何を目的としてるのかも曖昧になっちゃうし、
その状態での認識に齟齬があるままでの合意のようなものを合意とするのは、自分も意見を推し進める時のテクニックとしては強いけど、それは騙しのテクニックの一種であってフェアとはいえないかも><
つづく
や、そういう虚無的価値観も嫌いじゃないですが。実用的ではないので。
そういう意味での苦痛を未定義とするなら、そもそもあらゆる倫理に関する議論は等しく無価値で無意味じゃないですか?
話が戻っちゃいそうであれだけど、そもそも『苦痛』に合意がないんだから、それを普遍的な苦痛かのようにするのは、フェアな論理展開ではないかも・・・><
同じ名前をつけたちょっと違うものについての合意を合意とみなすテクニックかも><;
あるいは「出産は道徳的正義である」という前提を置いて反出生主義の主張を検証して、どの部分で競合が発生するかを確認するのも有意義だと思いますよ。
論理展開自体が破綻していないのであれば、何かしらの前提の否定を我々が受け入れていることに気付くと思われるので
だからたとえば再三言うように「他人に合意なく苦痛を与えることが (道徳的に) 『悪いこと』とは限らない」という価値観が広く共有され合意された社会においては、反出生の立場は必ずしも道徳的な正当性を持つものではない (だからといって不当であるとも限らないし、正当である場合もありうるが)
ただ、前提として挙げた価値観を認めるなら、その帰結として当然反出生の立場になるよねという論理展開が反出生主義なのであって
べつに私も普遍的な善悪を語っていたつもりはないですよ
そもそも道徳はその集団の構成員の価値観やコミュニケーションにより定まるものなれば
オレンジが無神論者である理由でもあるかもだし、宗教者の人と議論するときもこういう議論するかも><
(とある宗教のちょっと偉い人にそういう話したら「人生捨てたもんじゃない(意訳)」みたいなこと言われた><)
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/105713601161093010
オレンジもそれに結構近い考え方だけどもっと割りきってて、例えば「意思とは、意思に見えるもの」みたいな発想かも><
で、割りきってるのでそういった事に対して究極に客観的に善悪等の判断は出来ないと考えてるかも><
ジャッジする神様はいないので><
万が一ジャッジする神様が居たとしてもそれは単に神様の主観でしかない><
最初の方に出したヘンテコな生物の番組で出演者の神を持ち出した話が如何に愚かだったのかもそこかも><
単にそういう生物になったってだけ><
意思と見なせるものを意思と見なす発想では意思があると考えれば意思があるとも言えるし、人によってはそれを指して「神」と言ってる人も結構いるかもだけど><
ただしそれが人間と同じ考え方を持っているであろうと考えるのは人間の自惚れかも><
逆も同様、つまり「私は苦痛の定義を知らないし、他人も私にとって何が苦痛かを厳密には知らないが、私にとって苦痛であると考える蓋然性の高い出来事を発生させる第三者の行為を概ね歓迎しない」と主張します。
これは反出生主義が妥当であると認めることと両立する。
ゆえに、「私は快楽の定義を知らないし他人も私にとって何が快楽かを知らないが、私にとって快楽であると考える蓋然性が高い出来事を発生させる第三者の行為は概ね歓迎できる」と主張しますし、逆も同様。
たとえば私は快楽の定義を知らないし性格に定義できる自身はないけど、「あっいま快楽を感じているぞ」という感覚は何度も感じたことがありますので
未定義で主観的であっても「当人が『苦痛である』と感じるような何かを得たかどうか」は判定可能だと思うし、その点において誰かが「苦痛を感じる」というのは間違いなく現実に起きていることだと思うけど、まあ……
こう変形させればオレンジの主張に近いかも><
「他人に同意なく 未定義で主観的な『苦痛』なるものを与えること が悪いかどうかは、論じるに十分な前提を持っていない」かも><
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/105713235223883901
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/105713238390732951
他人に苦痛を与えることを避けるべきかは、既に回答済です
1, 2, 4 は「前提」です (前提から論理的帰結として得られるのが3と5)
(pr.) とか書いとくべきだったか
https://mastodon.cardina1.red/@lo48576/105713410608392276
いや本当に、例え話でなく本題と向き合ってほしい
「生まれてくることが 他人に与える事を避けるべき苦痛を含む」ということを一般化するのとなにが違うんだかさっぱりわかんないかも><
そんな一般化をしなければこれで済む話かも><
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/105713024715671690
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/105713462933410095
そもそも「輸血が地獄へ行くものである」と当人が主張したなら当然その通りですよ
なんで「当人にとっての苦痛」を勝手に一般化したんですか?
どこで突然「死が苦痛」って定義が出たわけ?><
少なくともエホバの信者はそう考えないのでは?><
(教義詳しくは知らなくて誤解してるかもしれないけど、例えば他のキリスト教教派ではそういう考えのもある><)
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/105713444852672695
だから、「どちらの選択をしても苦痛を与えるリスクが避けられないから、どちらを選択しても仕方がないし、であればリスクを (数の計算により) 低められる (と社会的に考えられている) 輸血をする方をデフォルトに『仕方なく』している」と説明しましたよね
"苦痛がいかなるものであるかは関係なくて、「人生に『苦痛』があるか」だけが重要。反出生主義は「ある」と前提を置いている。"
だとしたらなおさら輸血なんていう地獄へ行く延命治療なんてせずにそのまま天国に行かせてあげればいいんでは?><
他人に、同意無く将来の『苦痛』をでしょ?><
なぜそれがエホバの輸血の事例が当てはまらないと言えるの?><
そのまま天国に行くことの方が絶対的な幸福みたいに考えてる感じの方々だよ?><
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/105713392577605878
> 定義出来ていない『苦痛』なるものが避けるべきものかどうかなんて
苦痛がいかなるものであるかは関係なくて、「人生に『苦痛』があるか」だけが重要。反出生主義は「ある」と前提を置いている。
> 人生が避けるべき苦痛かどうかも個々によるんだから
苦痛を当人が避けるべきかの話はしていない。「『他人に (同意なしに) 苦痛を与えること』を避けるべきという話をしている。
輸血の苦痛はそもそも構造が違うので並立させないでください
1. 「いかなる主観を持つ人間にとっても『人生には苦痛がある』がいえる」
2. 「人間を生誕させることは人生を与えることである」
3. 「よって、人間を生誕させることは人間に苦痛を与えることである」 (1と2より)
4. 「人間に苦痛を与えることは避けるべきである (道徳的でない)」
5. 「よって、人間を生誕させることは避けるべきである (道徳的でない)」 (3と4より)
どこを否定したいのか、はっきりしてほしいです
ていうか、道徳なので多数派の主張の方が矛盾してても受け入れられ少数派の主張がリジェクトされる謎論理空間 と言うことであれば、反出生主義者が多数派じゃないんだからそもそも反出生主義は道徳的に受け入れられない(出生は避けられるべきものという合意はない)となるかも><
エホバの信者の数と反出生主義者のどっちが多いんだか知らないけど><
だいたいそうで、地獄に行くくらいなら死んだ方がましだし、反出生主義者のいう『苦痛』を受けるくらいなら生まれてない方がまし、それぞれにとって、ってことかも><
結果的に社会で受け入れられなかったというだけで地獄という苦痛を避けるために輸血を拒否したというのは本人にとっては妥当な論理的判断だったというだけでしょう(ということだよね?)
輸血するにせよしないにせよ苦痛のリスクを避けられない、だからこそどちらの選択を行っても「同程度には仕方ない」、同程度に仕方ないからこそ所属する人間の価値観が多数決的に表れてくる、それが現状ですよね。
で、「生まれることで苦痛を被る」と「生まれないことで苦痛を被る (そんなものはない)」は「同程度に仕方ない」ですか?
後者は明らかに (苦痛を感じる新たな生命にとって) ゼロリスクだけど
輸血をしない選択は「輸血を受ける権利の剥奪」とも考えられるはずですが。
輸血されなかったことにより被る苦痛は「地獄へ行く」よりも常に必ず小さいと主張してます?
まあそもそも私は苦痛の大きさの話をしてないんですが
シンプルに言うといいかも><
輸血は避けるべきか?><
生まれてくることは避けるべきか?><
定義出来ていない『苦痛』なるものが避けるべきものかどうかなんて主観的なものでしかないし、人生が避けるべき苦痛かどうかも個々によるんだからそもそもおかしな話で、ある者にとって「避けるべきもの」と考えるのであれば意思表示できない対象の『苦痛』を避けてよく かつ 道徳であるので科学的な判断は不要というのであれば、『苦痛』を起こさないために意思表示できない他者に輸血を行わせないという考えをも認める事になるかも><
輸血が避けるべき苦痛を導くと誰が考えたのか?><
https://mstdn.nere9.help/@orange_in_space/105713356348237582
これ、輸血により回避される苦痛を天秤に乗せていない時点でそもそもおかしいですよね
未定義の『苦痛』しかも大きさに関係なく避けるって事なんでしょ?><
なぜ輸血で地獄に行く『苦痛』は避けないの?><
避けるべき『苦痛』であるか は主観で決定されるべきなのか、そうじゃないのか?><
「人生に苦痛がある」と「人生に苦痛がない」の蓋然性の差異は、「輸血に苦痛がある」と「輸血に苦痛がない」の蓋然性の差異と本当に近いと思いますか?
私はそうは思いません
輸血を苦痛に感じる人がそうでない人よりも多いような社会では、実際にそうなるんじゃないですか。
私はそういう社会を知りませんが。
「輸血意思表示カード」みたいなのがあるべきかと問われれば、私はあるべきだと思いますよ。
ただそれを運用するのはとてもとても難しいと思うけど。
そうですよ
だから臓器提供意思カードみたいなのが必要なんでしょう
意思表示できないある者が輸血を受ける事も合意無く『苦痛』を与える事では?><
2000年の事件><
エホバの証人輸血拒否事件 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9B%E3%83%90%E3%81%AE%E8%A8%BC%E4%BA%BA%E8%BC%B8%E8%A1%80%E6%8B%92%E5%90%A6%E4%BA%8B%E4%BB%B6
なんで私が「『合意なく』苦痛を与える」と言ってるかわかってもらえます?
だから範囲の設定がおかしい><
出生のみに縛られるかのようになってるけど、既に生まれている人が意思表示できない場合等であっても将来起こるイベントが『苦痛』であるかという問題は成り立つ><
非科学的な推測によってもその意思の推定を行って他の存在の将来を決定して良いという発想であれば、エホバの信者が、意思表示できない他人が輸血を行う事で地獄へいく 将来の『苦痛』を憂慮し、その者に輸血を行わさないということもまた受け入れなければ矛盾するかも><
いやわからん、反出生主義は「何が当人にとって苦痛であるか」の定義を **必要としない** ので。
前提として使われている命題は「人生には (当人にとって) 何かしらの苦痛が **存在する**」だけです
特定のイベントが苦痛であるかとか、特定の他人にとって何が苦痛であるか予測できるかとか、そういうのは全く関係ない話です
"「『苦痛』が苦痛であるか」は、いかなる場合でも苦痛を被る当人の主観によって定められるものであって、"
これを言わせたかった><;
でわかるかも?><
「『苦痛』が苦痛であるか」は、いかなる場合でも苦痛を被る当人の主観によって定められるものであって、輸血がどうこうとか関係ないですよ
今回ばかりは本当に orange 氏の論理展開がわからない
だったら最初から「他人に同意なく苦痛を与えることは悪いこととは限らない」と言えばいいじゃないですか
今までの話はなんだったのか
もしかして「信者が行った主観的な想像」と「多数の人間を観察した結果得られる傾向」に同程度の説得力があると思ってます?
だからさっきからずっと言っているのが「『人生に苦痛がある』という蓋然性の高い主張を否定するなら、相応に蓋然性の高い根拠や論拠を (想定でもいいから) 出すべき」という話です