ラフから線画の間にもうワンクッション入れるとクオリティが上がるのではという気がしなくもないが何もわからない
ラフから線画の間にもうワンクッション入れるとクオリティが上がるのではという気がしなくもないが何もわからない
『アッティカの大気汚染』(野田倬訳)も『古代ローマ生活事典』(小竹澄栄訳)ももちろん知ってはいたけども,原著者が同一人物(Karl-Wilhelm Weeber)であるというのは頭から抜け落ちていた
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2019年7月6日(土)/7月7日(日)京都大学 吉田キャンパスで行われる表象文化論学会では子ども連れの参加者向けに休憩室がよういされるそうです
第14回大会プログラム | Conventions | 表象文化論学会 https://www.repre.org/conventions/14/
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この前のバチカン放送局のラテン語ニュース配信の話がロイターにも出ていて,番組構成としてラテン語ニュース5分の後,「ラテン語を現代で使うためのイタリア語のヒントが30分放送」されるとありますがこれめちゃくちゃ有用なやつでは
https://jp.reuters.com/article/cnews-us-pope-latin-idJPKCN1TB02Q
儀式って呼ぶのすき(きらい)「それ以降毎回、幹事社が紙袋を回してそこにレコーダーなどを入れる儀式が続いている」
菅官房長官に屈服する「番記者」 取材の際の「ある儀式」が定着 (選択出版)(選択) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190610-00010000-sentaku-pol
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アシックス履いてるメイドさん,逆に絵になる可能性を感じた
https://mstdn.jp/@U_meltdown/102246769673720825
https://mstdn.jp/@doraiso/102246787170808944
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「古典は義務とか尊敬とかのために読むものではなくて,好きで読むものだ.ただし,学校は別だが.学校は良くもわるくも一定の数の古典についての知識をまず教えるところだから,その中から(あるいはそれを基準にして)「自分の」古典をそれぞれ見つけなければならない.学校の任務は,私たちが選択するために必要な道具をくれることだ.とはいっても,ほんとうに重要な選択は,学校のそと,あるいは学校を卒業したあとでなされる」
(イタロ・カルヴィーノ(須賀敦子訳)『なぜ古典を読むのか』河出文庫,p.15)
たしかに「毎月50万円もらって毎日生き甲斐のない生活を送るか,30万円だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活と、どっちがいいか」はあおりぢからが強い
阪急電鉄、「はたらく言葉」車両ジャック企画中止へ 批判受け「思いが至らなかった」 https://www.j-cast.com/2019/06/10359706.html
少し前だとポスト・コロニアル批評なんかを専門にしている常勤研究者の講演に向かって「サバルタンならここにいるぞ!」と手を挙げてヤジを飛ばすというのがありましたが(本当にあったかは知らない),今なら何だろう.
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