多少改善したな
Lexicon Magnum Latino-Sinicum
https://books.google.co.jp/books?id=rOBoAAAAcAAJ&hl=ja&pg=PP7#v=onepage&q&f=false
Asmis, E., 'Epicurean Poetics', in D. Obbink(ed.), Philodemus and Poetry: Poetic Theory and Practice in Lucretius, Philodemus and Horace, 1995: 15-34.
主にプルータルコスなどの証言からうかがい知れるエピクーロスの詩に対する態度は必ずしも肯定的なものとは言えない.曖昧さのない明晰な言葉を重視した彼にとって娯楽としての詩はともかく教育の手段としての詩は容認しがたいものだった.
しかしこうした考え方はその後も墨守されていったわけではなく,時代の経過とともに徐々に変化を被っていく.その中で特に重要な転換点となったのは詩の道徳的価値を一定程度認めまた自身も詩人であったガダラのピロデーモスであった.
エピクーロスからルクレーティウスに至るまでのエピクーロス派の詩論の全体像をわかりやすくまとめてくれている論文.
Asmis, E. (1992), `Philodemus's Poetic Theroy and On the Good King According to Homer', Classical Antiquity 10(1), 1-45.
エピクーロス派の哲学者で詩人のピロデーモスには『ホメーロスに照らした善き王について』というピーソーに捧げられた小論があり,これはホメーロスの叙事詩の中に善き指導者像の範を探るという内容で,詩の教育的価値に否定的だったエピクーロスの思想と一見相容れないようにさえ思われる謎の多い作品である.
Asmisはこの作品におけるピロデーモスの態度を,詩の中には道徳的に有益なものも含まれており哲学者が導きとなればそれを析出することができるというものと考えることで,むしろ詩の有益さに関してエピクーロス派の正統の枠内にある作品であると論じる.エピクーロスが斥けプラトーンが国家から追放したホメーロスを,ピロデーモスはローマという都市へ連れ戻したとの指摘(p. 27)は興味深い.
なお附録として『ホメーロスに照らした善き王について』の英訳が付いている.
GS / Mastodon やるようになって、平和的な投稿がより GS / Mastodon に集中して、 twitter はクソみてえな話題を扱う専用の場みたいな感じになりつつある(実際はえっちな画像も RT しまくってるけど)ので、 twitter が平和だった時代はこの役割を 2ch が持っていたのかなぁという気持ち
RT 総務省のサイトがhttps化すべきであることについて.なるほど,わかりやすい.「HTTPは通信経路での改ざんが可能でコンテンツの書き換えや悪質なスクリプトの埋め込みの可能性がある……よって、総務省のように情報の信頼性が要求されるサイトはサイト全体をHTTPS化すべき」「TLSには『通信の暗号化』『通信の改ざん防止』『通信相手の正当性の証明』の3つの役割があるが、『通信の暗号化』による盗聴防止のことしか考えていない人が意外と多い」
https://twitter.com/kitagawa_takuji/status/1091977214202003456
https://twitter.com/kitagawa_takuji/status/1091982045604065280
「前後の漢字・ひらがなの密度から自動的に漢字をかなに開くか判断する」というのはどうかして実装できないかな.
さよならGAFAM:Amazonやめてみる→ムリでした | ギズモード・ジャパン https://www.gizmodo.jp/2019/01/i-tried-to-block-amazon-from-my-life-it-was-impossible.html
普段よく作るチャイの手順:
i) お湯を沸かす
ii) 茶葉を投入(スプーン一杯くらい)
iii) 砂糖,しょうが(チューブの),シナモン,カルダモンを入れる
iv) 牛乳を入れて再び沸騰させる
できあがり.
シュティフターのほかフライタークやケラーといった,あまり馴染みのない(?)19世紀のドイツ教養小説については竹治先生の退職記念講義が文章になっていてあらすじなどわかりやすく読める.
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/kotoba12/takeharu.pdf
😊 「指揮者のフルトヴェングラーは、ベートーヴェンの第6番シンフォニー「田園」を指揮するにはシュティフターを読んでいなければならないと言ったそうです。でもこれは、ブルックナーを指揮するにはと言ったほうがよりぴったりであったかもしれません。ブルックナーのアダージョ楽章に陶酔できる人はシュティフターのファンにもなれると思います。波長が合うのではないでしょうか」(p.19)
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
水声社の新刊『引用の文学史――フランス中世から二〇世紀文学におけるリライトの歴史』伊藤先生の寄稿「ルネサンス期のリライトに関する一考察」がある.
http://www.suiseisha.net/blog/?p=10389
刀水書房の新刊案内(http://www.tousuishobou.com/kinnkann/kinkananai.htm )に伊藤正著『ゲオーポニカ――古代ギリシアの農業事情』と出ていたので辿っていたら,2006年に鹿児島大学で1781年版の『ゲオーポニカ』が発見されたという出来事があったのね.
http://current.ndl.go.jp/node/4613
水没した川崎市市民ミュージアムの収蔵品救出状況が明らかに。今年度中に地階からの浸水作品搬出を目指す|美術手帖 https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/21286
「商売でやっているのでクレームに対応しないといけない」というのがそのうち目を瞑れないレベルのデメリットになってくるかもしれない(そして「売りもんじゃねーんだ,帰んな」の世界へ)
耳の痛い話だ…「学生は『英語で書く』というところに意識が向きすぎていて、書こうと思う内容が論理立っているかどうかについて、おろそかになりがち」
疲弊する指導者と遠慮する若手研究者 | パートナーシップ | Nature Research https://www.natureasia.com/ja-jp/partnership/author_service_survey2019
英語のできるできないに拘らず非母語話者が書く以上は必ずネイティブの校正を受けるもの,という認識だったけど必ずしもそうでない場合ないし分野があったりするのかな.
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
ふむっ
「有人改札時代に、乗降客が非常に多い梅田駅で、正しいきっぷ・定期券を判別しやすいように崩した字体にしていたと聞いています」
https://twitter.com/hankyu_ex/status/621110986779590656
よし寝るか〜て思ったタイミングで嫌な予感がしてパソコン付け直して確認したらやはりえらいミスが見つかって冷や汗かきながらエディターに追記メールを送ったが,ことなきを得られたのか分からん…
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
ところで例の†記号(ダガー,短剣符)はイタリア語でobeloとかobeliscoと言って,ギリシア語のὀβελός(原意は《串》で,特に文献学・本文批判において《疑句標》の意味)に由来する.
この記号を人物名に添えてその人が故人であることを表す用法はおそらく†が十字架に見えることに由来するのだろうけども,そういえばこの記号をcroce《十字架》と呼んでいる人もいた.
Treccaniの辞典でcroceを引いてみると3cのところにこう書いてある.
「中世において,誤った学説や様々な理由から議論があるないし削除すべき箇所を示すために写本の欄外に書き込まれた記号.人文主義時代および以後の本文批判においては,写本の校合によって訂正できず推測による修正も不可能であると判断された箇所を画定する記号(このため文献学者たちによって,この記号によって区切られた箇所が《絶望箇所》と呼ばれるのと同様に,この記号は《絶望の十字架》と呼ばれる)」
† ← こいつが短剣なのか十字架なのかについて歴史的事実とその解釈を整理すると割と面白そうと思いつつ調べていないし難儀で手に余る作業…
このアカウントは、notestockで公開設定になっていません。
「これは引用ですよ」という neutral な意味での引用を表す括弧と,「これはひとまとまりの概念です」を示す括弧と,「この用法には疑問が持たれるが」という留保を表す括弧と,「一般的な意味とは違うニュアンスを込めている」ことを示す括弧とでそれぞれ別々のものがほしい.
ギリシア人,句読点にはこだわった学者がいるが,parenthesis についてはどういう言説があったのかあんまり思い浮かばない(というか括弧も区切りの一種だからそこに含まれるとも考えられるか…)
作文はうまくいったときは答え見たり母語話者に訊く前にうまくいった感があるし,うまくいった感があっても普通に間違ってることもよくある