ハンニバルはアンティオコス王のもとに逃れた際,ペリパトス派の哲学者ポルミオーンの軍事術についての講義を聴くよう招きを受けて,その後この哲学者についてどう思うか問われると「自分は折にふれ狂った老人を数多く見てきたが,ポルミオーン以上に狂った者は見たためしがないmultos se deliros senes saepe vidisse, sed qui magis quam Phormio deliraret vidisse neminem」と答えたらしい(キケロー『弁論家について』2.75).
ハンニバルはアンティオコス王のもとに逃れた際,ペリパトス派の哲学者ポルミオーンの軍事術についての講義を聴くよう招きを受けて,その後この哲学者についてどう思うか問われると「自分は折にふれ狂った老人を数多く見てきたが,ポルミオーン以上に狂った者は見たためしがないmultos se deliros senes saepe vidisse, sed qui magis quam Phormio deliraret vidisse neminem」と答えたらしい(キケロー『弁論家について』2.75).
社会的威信の高いあるいは世間から憧れを受ける地位や仕事に就く人ほど,内実の悲惨な境遇を隠しまた慰めるため,人から羨ましがられようと自己顕示に走るものなのかもしれない.
「人間が才知を尽くして労苦するのは,仲間に対して競争心を燃やしているからだということも分かった.これまた空しく,風を追うようなことだ」(新共同訳『旧約聖書』「コヘレトの言葉」4.4)
consimili ratione ab eodem saepe timore
macerat invidia ante oculos illum esse potentem,
illum aspectari, claro qui incedit honore,
ipsi se in tenebris volvi caenoque queruntur.
《同様に,しばしば同じ恐怖に由来する嫉妬が人々を窶れさせる――あの人は見るも明らかな有力者だ,あの人は輝かしい栄誉を得て進み注目されている,と.そしてかたや自分は暗闇と泥のうちで転げまわっていると嘆くのだ》(ルクレーティウス『事物の本性について』3.74-77)
3巻のこのあたりは,人間の社会生活の中での数々の煩いが煎じ詰めると死に対する恐怖に由来するという話だった.
久しぶりに短めの対訳註釈付き文書を作るんでreledmac, reledparパッケージ相手にガチャガチャやってたから無駄に疲れた