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「憎悪の海を飛翔する青き鳥たちの楽園」詩的だ(詩とは)| 末代にいない末代はどこへいったのか · blog.elendia.net
https://blog.elendia.net/posts/matsudai-ac2018-1210/
nec supera caput eiusdem (sc. aranei) cecidisse vietam | vestem
《またその同じもの(=蜘蛛)の萎びた衣が頭上に落ちかかってきても(我々は気付かない)》
ルクレーティウス『事物の本性について』3巻385-386行.
蜘蛛の「萎びた衣vieta vestis」はここだけみると蜘蛛の巣のことのように見えるが,直前が蜘蛛の糸の話だったので蜘蛛の脱け殻の話ではないかという指摘がある.蜘蛛も脱皮するらしい.
どうも「軛語法zeugma」というと「今朝は珈琲とパンを食べました」のように「本来なら片方にしか適合しない要素(『食べる』は『パン』にしか使えない)で複数の要素を(軛のように)繋ぐ語法」と理解していたが,これは「破格軛」として軛語法の下位区分ないし別カテゴリと理解しておいたほうがよさそう.
「靴底と神経をすり減らす」のように二つのものを繋いでなおその二つのものそれぞれについて違った意味を実現するのがノーマルな軛語法(『レトリック辞典』p.185-186も参照).
「今朝は珈琲とパンを食べました」は「飲む」が省略されているとも,「食べる」という動詞が経口摂取行為を代表的に表していて意味にあわせた後文がとられているとも考えられそう.
軛語法自体が広義の省略の下位区分とも言えるか.
この前知ったソ連の文献学者・歴史学者ソロモン・ルリアの著作リストを眺めていたら,デーモクリトスの断片集だけにとどまらず面白そうなものが色々とある.
・『古代世界における反ユダヤ主義』(Антисемитизм в Древнем Мире, 1922)
・『アンティポーン:最古のアナキズム体系の創始者』(Антифонт. Творец древнейшей анархической системы, 1925)
・『アルキメーデース』(Архимед, 1945)
・『ミュケーナイ・ギリシアの言語と文化』(Язык и культура Микенской Греции, 1957)
Digital Mozart Edition (DME)
https://dme-webdev.mozarteum.at/en/
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「わかんねーなー」って色々調べたり考えたりしている箇所は問題に気づいているだけ実はまだよくて「簡単簡単〜♪」と流したところにでかい落とし穴があった場合,そもそも自分で気付けなかったりする.
テクストが毀れるときも必ず意味不明な本文が生まれるとは限らなくて,すこぶる自然な文章が実際には破損の結果物だったり.
ちゃんとエラー吐いてたらどっかおかしいのは誰にも明らかだが,「一見正常に動作しているようで実は…」の方が怖かったり.
投稿日時や前後の文脈から「にゃーん」の意味を復元する技術によって大告発時代が訪れる
少し以前に大学の資料の配架場所についての嘆きを見た記憶があるが,教員や特定研究室配架になっている場合,学外はもちろんとして同一学部内でも他の研究室では閲覧しに行けないし,ことによるとその研究室構成員でも利用にはばかりがあることも少なくない.「研究資料の軟禁」が進んでいる感じ.
これですね.「あちこちで大学図書館がだんだん機能しなくなってきているのではないか。開架されている本が減り、専門書は研究室に配架される傾向がある」https://twitter.com/itangiku/status/1070693419771555841
でそうすると特定の教職員や地位のある人間と懇ろになれるかという部分で深刻な格差が発生するほか,不公平で劣悪な環境での業務を強いられる中苦労して獲得した研究費で資料を購入するにあたりわざわざ開架所蔵にしようという所属機関へのロイヤリティが発生するのかという問題も出てくる.
読んだ | ASCII.jp:上坂すみれさん、プログラミングできる人はかっこいい
http://ascii.jp/elem/000/001/773/1773328/
今年の夏に出た木庭顕『誰のために法は生まれた』(朝日出版社,2018)は,ローマ法学者の著者が中高生相手に法やデモクラシーについて映画・劇の鑑賞を通して行った授業をまとめたものですが,その第3回(pp.135-206)がプラウトゥスの『カシーナ』と『ルデンス』を取り扱っていて,ローマ喜劇への案内というか取っ掛かりとしてとてもよいものなので興味のある人には強く薦めたい内容.
占有という原理を軸に,ローマにおける法の考え方をプラウトゥスがいかに作中にまとめているかが,劇の基になっているギリシアでの考え方との違いと共によく理解できるようになっている.
ここだけ引用しても,という感じではあるが……「特に『ルデンス』においては、占有原理の高度な発展形たる、自由のための取戻訴訟が登場する。誰でも、それは自由人だと言いたてて行けば、占有原理に基づいて正しいということが推定され、相手は絶望的になるから、どんどん奴隷が解放されてしまう。取引上の不正をするよからぬ商人は、取引対象を尊重する良好な関係を築けていない、これを打ち砕くのは占有原理である、その精神は自由、とりわけ人身のアプリオリな自由である、というのが、自由のための取戻訴訟を舞台の上に上げた『ルデンス』の作品意図である。実際、単なる手続きの記述と異なって、その精神が美しく造形されている」(pp.302-303)
正直言うと同じ著者の『ローマ法案内』は前チラッと読んでさっぱりわからんと思ってやめてしまったが今読むと違うかしらん
ローマ法関係のことを調べる必要ができた.この方面の概説書はミネルヴァ書房から翻訳が出ていたはず.読んだのがかなり前だけど読みやすくよい本だった記憶がある.
P.G.スタイン(屋敷二郎監訳)『ローマ法とヨーロッパ』2003.
U.マンテ(田中実・瀧澤栄治訳)『ローマ法の歴史』2008.
http://www.minervashobo.co.jp/book/b48403.html
http://www.minervashobo.co.jp/book/b49723.html
基本的な事項や時系列とかを学ぶのはこっちの本がわかりやすかった記憶(理解しているとは言っていない)
https://gnosia.info/@ncrt035/99705080134272147
誰かのものが他の誰かのものになったり,誰かのものだと思われていたのが実は他の誰かのものだと明らかになったりという所有を巡る諸事象という観点でローマ喜劇を読むのはよいのかもしれない.
変わった語彙や構文,会話的表現,洒落や地口など小さい点に注意してばかりいたのでこういうところも気をつけていこう.
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占有が民事裁判の原理なのだとすると,その原理は文字通りの意味での「民事」を主題にする喜劇とは相性が良さそうではある.
Illud in his rebus nequaquam sumere possis, | Democriti quod sancta viri sententia ponit, (Lucr. DRN 3.370-371)
‘Herein you could by no means accept the teaching, which the judgement of the holy man, Democritus, sets before us...’ (Bailey)
« Appunto ciò in tali cose non potresti per nulla accettare, quello che del grande Democrito la santa sentenza dispone... » (Flores)
‚which the great Democritus [uiri honorific: Housman, CP 906] laid down‘ (Kenney)
Kenneyの方の引用符がドイツ語式になってしまった.正しくは‘ ’で括る.
sancta sententia Democriti viriという表現が問題で,Baileyは注で示しているように形容詞転移が起きたと考えsententia Democriti, sancti viri《神聖なる人デーモクリトスの見解》と捉える.なので英訳でもDemocritusにholyという形容詞を添えるのみ.
対してFloresはラテン語の通りsentenzaにsantaを付け,Kenney同様「デーモクリトス」に「偉大な」と添えている.固有名詞にvirが伴うのを尊敬の意味に捉えている.
なおLaks and Mostの新しい初期ギリシア哲学者集の方でもやはり‘By no means could you accept in these matters what the sacred opinion of that great man Democritus claims:’とされている.
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出てきたハウスマンの発言を確認してみよう.Democriti viriという並びはsanctaが述語的に規定するのでなくては不可能というHeinzeの説には従わず,“I agree rather with Lobeck Lobeck at Soph. Ai. 817 that uiri is ‘honoris causa additum’ with the pregnant force ‘worthy wight’ as a formal civility to a respected antagonist” と述べている.
いろんな意味でἀνήρが固有名詞に付加されている例がLobeckの注には挙げてある.Lobeckはルクレーティウスの方も『アイアース』もほとんど過剰な語となっているケースに数えていて,しかし後者の文脈は《客人のうちでも私にとって最も憎らしいヘクトルからの贈物〜》という話なので尊敬ではなく,ルクレーティウスの場合とは違うと書いている.
https://archive.org/details/ajax00soph/page/300
ところでJebbの方はἀνήρに初めて出てくるものを導入する役割のあることに触れて(ἀνήρ is sometimes prefixed to a name which, as being mentioned for the first time, requires an introduction)この箇所では馴染みはあれど忌まわしい対象への心理的距離のようなものを表すニュアンスを読み取っている(Here the ἀνδρός gives a certain tone of distance and aversion to the mention of a well-known but hated name).
https://archive.org/details/ajaxeditedbyrcje00sophuoft/page/112
「うちの先生,過労で倒れそうなんです.これって記事になりませんか」いい掴みだ.
https://twitter.com/quantum_zen/status/1074589968742240258
ふむっ | 学術情報リポジトリ「KURENAI」が世界ランキングで第5位になりました。(2018年12月5日) — 京都大学
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research/events_news/department/library/news/2018/181205_1.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
Academia.Eduのアカウントを削除しよう | Dear Scholars, Delete Your Account At Academia.Edu
https://www.forbes.com/sites/drsarahbond/2017/01/23/dear-scholars-delete-your-account-at-academia-edu/
academia. eduは広告が目障りすぎるので「アカウント作りたくねー」感が高い.
【イベント】国際デジタルゲーム保存会議 2019:デジタルゲームの保存には何が求められるのか(1/7・京都) | カレントアウェアネス・ポータル
http://current.ndl.go.jp/node/37250
31ページ目(出版社による学位論文の学術出版)とても大事.
「学位論文の著書出版はオープンアクセスの障害ではない」「出版本と学位論文のリポジトリの併用は意味がある」
あと33ページ目(電子公開を避ける気持ちの根幹は・・・)も.
学位授与の条件について,査読付論文何本というのを審査の外部委託とする云々を前読んだ気がしたが,早稲田であった学位取り消し関係の報告書の話だった(報告書そのものが何処で読めるのかわからないので鳥から)
「査読付き学術雑誌X報以上という必要条件は、指導教員の胸先三寸で学位の授与を左右させないという良い面もあると思うのだけど、今回の報告書のように学術的内容の審査は外部委託しているとみなされてしまう場合もあるのか」
https://twitter.com/next49/status/490828104651116545
審査基準が明確化されず教員の不適切な指導により悲惨な事態となったケース|“リンク:東北大院生自殺” http://next49.hatenadiary.jp/entry/20090513/p2
というかここに張ってある新聞各紙リンク先,ことごとく記事が消えていて🤔 になる.引用の重要性.
一仕事しようと思ってたけれどもオランダの古本屋から驚くべきカタログ(某著名学者のコレクション)が来ていて眺めたり注文したりしたので今日はもう終わり.
結局売れてしまっていたようだ.残念.
こういうカタログとかは一斉発送だからガチ勢にはまず競り勝てない.
SNSは知名度既得権益層の自己顕示の場ではないので不定期に被フォローリストを爆破消去する機能の実装が待たれる
「〜の折に,機会に」というbei Gelegenheitの意味がこのタイトルでどういうことなのかよくわからないので直前の名詞にそのまま繋げていたが,他の翻訳も見て今考えると『昨年末頃西ヨーロッパ諸国を襲った災害に際し(orを機縁として),地震の原因について』の方が妥当だと気付いた.
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根本的にエネルギーが切れている感がある.そういうときは徹底的にだらけるのがかえって近道なのだが.
市バス銀閣寺道近くのナポリピッツァ専門店ピッツェリーア・ダ・チーロ.大学から歩いていけるのでここ最近かなりの頻度で通っている.とても美味しい.
写真はサルシッチャとモッツァレラチーズのピッツァにグラス赤ワイン(これで2160円).
ピザ一枚とワイン一杯はおなか加減としても大変ちょうどよい(どんな美味しいものも満腹になると苦しいという感覚が先行する)
やる気がしないので,石油王になったら左京区に建設予定の研究所の詳細を今のうちに考えておくなどするか…
市内は高さ制限があるので地上階はあまり増やせないから,地下書庫が3階分くらいは欲しい.防火設備と漏水対策も必要.
自前のサーバルームと最低48時間は稼動できる非常用電源装置も欲しいな.地下室と言えば核戦争に備えてシェルターも用意しなくてはならない.
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研究員(常勤)は公募制で厳正な審査に基づき選抜する.
応募はメール可で,researchmapのような業績データベースと紐付けて確認できれば煩瑣な書類の郵送は不要.面接が必要であればSkypeなどで済ます.
成果報告書の提出は最低限にして,年度単位での業績点数表のような一律の評価ではなく,もう少し長いスパンと柔軟性のある評価基準を考案する必要がある.
研究費の利用については,不正私用を恐れて無意味なローカルルールや煩雑な手続きを増やすより,専用のクレジットカードを一枚渡して明細を出してもらうようにして柔軟に利用できるようにしよう.
Googleの経費システムについて前そんな感じの記述を読んだ.「Google では社員にクレジットカードを渡して、それぞれ経費のルールに従ってくれるように信用する方が、多少の不正や間違いはあるにしても、色々と提出させたりチェックする経費管理システムより余程安上がりだという、実験結果に至った」
https://twitter.com/yukaohno_econ/status/1007201699201601536
📰 「1分で完売」、京都の新土産? 巨大ぬいぐるみが人気:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASLD574GSLD5PLZB01R.html #京都 #kyoto
あと研究所として紀要も出したいので外国語に通じタイポグラフィの重要性を理解した専任の技術者を数名雇用する必要がある.
専門性の高い文献になると「読みにくいという理由で読まない奴はいない」というある種の驕り的なもののためか体裁や表現の平明さをおろそかにしてしまう場合がなくはない
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長くても読みやすい文章は,冒頭の数語を読んだ段階で文全体の構え方がおおよそ予想できるようになっている.
普通の注釈だと注の位置が文末だったり句読点の箇所だったり単語単位だったりして,注がついていることはわかるものの注釈対象範囲がどこからどこまでなのか明示的でないので困る場合がある.翻訳をする場合,本文は語順が大きく変わりうるので,注を間違った場所に挿入しないよう注意が要る.
注解がメインの注釈書は,「見出し語lemma」を切るので(場合によってその切り方自体に解釈が反映する)注釈対象範囲が明示的.
少し前の更新をしたときにディスク容量が足りなくなったので古いバックアップファイルを削除するなどして多少ゆとりが出たからかこのところ自鯖が快調で大変よい
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一頃ラーメンとか油濃いもの・塩辛いものを食べるとおなか痛くなってたがそれがおさまってきたのもあって今年はよくラーメンを食べた気がする
自分の専門の文献ならそりゃ何語でも頑張って読むだろうけれど,隣や隣の隣くらいの分野になると,馴染みのない用語や背景の理解できていない議論を外国語で読むというのは――不可能でこそなくとも――相当にリソースを食うので,高度に専門的な主題が母国語でまとめられていることの重要性たるや,なんだよな…
英語が書けなさ過ぎて逆に書いてるうちに「自分今とてもかっこいい英文を書いているのでは?」という錯乱状態に陥る
学術論文としての格調を保ちつつ明晰かつ平易な英語で書く人もいれば,長大なパラグラフに無意味に凝った表現を詰め込んだ挙句大したことは何も言っていない英語を書く人もいるので,肝心なのは言語の問題ではなくまずはっきりした思考回路を持つことというのはそれはそう.
母国語だと慣れ親しんでいる分,複雑な思考を複雑なまま表現できてしまう,みたいな面はあるかもしれない.
メモ
Aeschyl. Suppl. 115 (Laur. 32.9 fol.179v)
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筋肉でやっておいきになるのは個人の人生指針として好きに為さればよいがそれでもって我々文民の世界で勝利を収めていこうなどというのはルール違反ではないか,という思いになることが多い.
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おおむねケリがついたが返事待ちの案件が複数あるのでまだ年内に何かしろって言われる恐れが拭い切れない
別に催促されているわけではないが「遅れていて申し訳ない」という気持ちになっている(なおなっているだけで別に進捗はない)
Flores, E.(1960), 'Augusto nella visione astrologica di Manilio ed il problema della cronologia degli Astronomicon libri', Annali della Facoltà di Lettere e Filosofia dell'Università di Napoli, 9: 5-66.
マーニーリウス『アストロノミカ』の制作年代については,これまでに(1)アウグストゥス帝時代,(2)ティベリウス帝時代,(3)両帝の時代にかけての作という3通りの仮説が提案されている.特にこの作品の決定的な校訂註釈書を出したハウスマンが(3)の立場をとったことからこれが有力であったが,この論文ではティベリウス時代と関連付ける根拠の問題点を指摘し,結論的には第1巻の制作時期を後8年後半から9年末の範囲に据え,第5巻の執筆は後13年より後ではありえないとする.アウグストゥスが世を去るのは14年なので,これはつまり『アストロノミカ』全体をアウグストゥス存命中に位置づける説となる.
この論文は60ページもあったので長かった.この前読んだ本は80ページしかなかったので,論文と単行本の区別が長さだけでつきにくい.
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『季報 唯物論研究』第6号(1982年7月)に,黒沢惟昭「『西欧マルクス主義』とエンゲルスの一齣 ―セバスティアーノ・ティンパナーロ『唯物論』の紹介にかえて」が載っているらしい.
ティンパナーロはイタリアの古典文献学者で,ここで出ている著作名の原題はおそらくSul materialismoのこと.
ティンパナーロの色々な著作についてはこの資料( https://www.stromateis.info/zib/pdf/ASIKA_2016_05_29.pdf )の8ページにちょっと拾ってあります.
さっそく『季報 唯物論研究』の所蔵機関を検索してみているが,偉そうな大学[要出典]は軒並み持ってないみたいでなるほどとなっている.
唯物論研究会のHP見てたら,学部生のときに大きな影響を受けた教員が会の代表の一人だったりするのでどこで何が繋がっているかわからんなという感じ.
しかし『インパクション』とか左翼系の雑誌が休刊するなかで今も最新号がちゃんと出ているのはすごい
『行進子犬に恋文を』。普段連載作品は買ってても『百合姫』誌は買ってなかったんだけどたまたまノリで買ったとき掲載されててずっと気になってたので二巻発売のタイミングで購入。良かった。
Web廃墟っぽい感じにしたかったのがたしか当初のコンセプトだった気がするがあまりうまく行ってないので自サイトをリニューアルする気持ちがなくはない
「複雑なものを複雑なまま表現してもそこに技術はないのであって,簡単な部品の有機的かつ合理的な組み合わせによって,一見複雑でありながらも内部的には整合した統一体を作るのでなくてはならない」ということはわかっているが実践がまったく追いついていない